50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。
ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。
今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。
わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)
でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。
卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。
かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。
そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。
わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。
つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。
子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。
そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。
それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。
そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。
わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、
「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」
と、興味を持って聞いてきます。
授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、
「いいなあ。楽しそうだよね」
と言われることもある。
その話を子どもたちの前で、最後に話した。
「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」
ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。
で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。
平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、
「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。
という部分があったり、さらには
ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。
などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。
これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。
ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。
今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。
わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)
でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。
卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。
かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。
そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。
わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。
つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。
子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。
そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。
それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。
そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。
わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、
「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」
と、興味を持って聞いてきます。
授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、
「いいなあ。楽しそうだよね」
と言われることもある。
その話を子どもたちの前で、最後に話した。
「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」
ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。
で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。
平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、
「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕
と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。
という部分があったり、さらには
ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕
と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。
などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。
これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。