30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

人生とは・・・

50過ぎて、泣くのが楽しいと思い始める

50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。

ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。

今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。

わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)

でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。

卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。

かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。

そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。

わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。

つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。

子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。

そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。

それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。

そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。

わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、

「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」

と、興味を持って聞いてきます。

授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、

「いいなあ。楽しそうだよね」

と言われることもある。

その話を子どもたちの前で、最後に話した。

「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」

ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。

で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。

平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、

「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕

と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。

という部分があったり、さらには

ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。

などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。

これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。

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「結局一日2食か3食か」問題

20代の10年間は、はっきりとまじめに一日2食。
朝ごはんを食べず、11時ごろに昼食を食べ、夕食を夜8時ごろ食べていた。

計算すると、一日のうち、夜間から昼までの15時間は空腹である。
当時はよく考えもせず、みんながやっているから、というのが最大の理由であった。

20代にそのような食生活を送っていたため、30代になってシャバで働くようになると、周囲に朝食をとっている人もちらほら見受けられ、

「あれ?食べた方がいいのかいな」

という不思議な気分。

このころ、いっしょにシャバに出た仲間のHくんと会うと、やはりお互いに悩んでいるのは朝食を食うかどうか、という問題で、

「いやあ、あのあと、実は山小屋で働いたんだけど、朝4時に起こされていきなりすぐに『いただきます!』と山盛りのごはん。10年間朝食を食ってない身体には、あれは堪(こた)えたわ」

と、めげた顔をした。
わたしはその話をした時には、まだ朝食を食っていなかったので、ときどきHくんのその話を思い出すたび、「やはり朝食は危険なんや」と再確認していた。


ところが。
ほんの数か月であったが富士通のコールセンターで働いていたとき、ひょんなことから朝食を食べるようになった。
武蔵小杉駅の小さなマクドナルドで、かならず朝マックを食う同僚がいたためである。
あるときふと誘われて、朝、あのやわらかなマフィンだとか目玉焼き?を食うと、感動して涙がこぼれそうになったことを覚えている。

「朝食、ひさしぶりや~」

同僚は不思議そうな顔をするばかりであった。

それから朝食の研究を始め、結局はしばらく、ごはんと味噌汁となにか、という簡単な朝食を食べるようになった。朝食を始めると、体もなんだかそうなっていくようである。それまでは気にしたことがなかったのに、起きるや否や、
「なにか食べたいナ」
と思うようになった。見事な変わりぶりである。同時に、なにかようやく人並みになれた気がした。

「すごいな俺。ちゃんと朝食を食ってるwww」


その後しばらくエンジニアの仕事をしていると、やはりなにか口に入れてからでないと、どうもなにかやる気が起きないというか、頭が回らない気がする。
それで、エンジニア時代も朝食を家で食べた。間に合わないときもあったが、そんな時は仕事をしながら、なにかほおばって食べたこともあった。

当時を思い出すとある光景が思い浮かぶ。

エンジニア時代に隣の席にいたのが、わたしより4,5歳は年下であろうYくんで、彼は独身貴族であったためか、必ず朝、職場にくるとすぐにサンドイッチをほおばるのであった。
そして、必ずといっていいほど、彼がサンドイッチをほおばった瞬間に、顧客から電話が入るのであった。そんな時は彼が呑み込み終わるまで、わたしがしばらく応答し、時間を稼いだこともあったナ・・・。


その後わたしはなぜか小学校教員になったのだが、さて、朝食はどうなったか。
今度は、食えなくなったのでありました。
なぜかというと、単純な理由で、朝早く起きねばならなくなったためです。
駅前の便利の良いマンションに住んでいたが、ぎりぎりまで寝てしまい、間に合わない。
だんだんと朝食を食わなくなってしまった。

しかし、これは思いがけない変化をもたらした。
おどろいたことに、体調が良いのである。
わたしは子どもには
「早寝早起き、朝ごはん!」
と教えながらも、自分自身は一日に2食しか食わない生活をつづけた。

やがてまた時代がうつり、田舎に引っ越した。
すると、今度はまた通勤に余裕がでて、朝食を食べるようになった。
加齢もあったのか、ちょっとずつ体重が増えてきた。
それは私にとっては危険なことで、ちょっと増えるだけで、腰痛が出る。ほんの2キロくらい増えただけでも、なにか腰回りにおもりが増えたようになって、腰痛がピリピリと始まるのである。

わたしはまた、朝食を食わなくなった。
すると、とたんにまた体重が減る。
結局のところ、どっちが健康にいいんだか、悪いんだか、さっぱり分からない。
今はともかく、食べないで暮らしている。
夜8時以後は食べないで、昼は12時40分まで食べない。
なんと、16時間は空腹である。

小学校の教員は生活リズムがこのうえなく安定しており、きまった時間に起きて決まった時間に寝るし、おそらく細かく見ていけば、5分もちがわず、毎日おなじ行動をとっている。
教室で子どもたちが見ている前で間食する勇気はないので、やはり16時間の空腹時間がある。したがって、15時間以上の空腹でスイッチが入ると言われている、「ケトン体活動」は保障されているのである。

ケトン体というのは、小さな飢餓状態を感ずると始まるホルモン活動の一種だそうだ。
長時間の空腹があると、ケトン体が活動を開始する。
そして、人体の危機に対応するための様々な活動をするのだが、その活動の中の一つが、活動の結果として「やせる」効果を生むらしい。これを一部の人は「ケトンダイエット」もしくは「ケトン体ダイエット」とよぶ。(炭水化物を制限する、という人もいて、ケトン体ダイエットの一つの方法らしい。しかし私は炭水化物はがんがん食べているため、純粋にはケトン体ダイエットではない)

ケトン体を故意に活動させることには、賛否両論がある。
調べてみると、医学の世界ではケトン体ダイエットを推奨する学者もいるし、逆にケトン体ダイエットを危険視する学者もいるそうである。ただ、先に書いたように、わたしの実践方法はただ単に『空腹の時間帯がやけに長い』というだけのことである。したがって、おそらく私のは「ケトン体ダイエット」ではない。

朝食をぬいているだけ。
ただ、空腹を長時間にしているだけ。
ただの手抜き、なまくら、である。ナマケモノがやるダイエットなのだ。すなわち、#なまくらダイエットである。

朝食を抜いて、超ショック!
超ショックダイエット!

と呼ぶのが正しいであろう。

ともかく、お昼の給食は毎日子どもたちがごはんもおかずも大盛りにしてもってくるし、夕食も腹が空くので、いつも、嫁様が「よう食べるねえ」というほど、この上なくたくさん食べる。
これだけ食べてるのだから、ダイエットじゃないよな、と自分をなだめている。

木もれ陽の朝食

長い旅に出ている~なぜ「漂流」なのか~

いつもとはちがう景色を見に行く、というのはとてもエキサイティングなことだ。

人生は旅に例えられることが多い。
わたしは10代の後半に個人的な興味から旅に出て、気持ちの上ではそれがまだ現在も続いている。
牧場に行ってみたり、農園に行ってみたり、都会を散策したり・・・。

まだ10代後半という自分にとっては、すべてが「知らない」ことだらけ。
その場で「え?」と思うことが多く、「どうしよう」となることばかりだった。
ところがそれがスリリングでやめられない。
というのは、自分で自分の反応を知りたかった、というのが根底にあるからだろう。
自分はいったいどう考えるのだろう、どう思うのだろう、どちらを選ぶのだろう。
それを毎日のように「問われる」体験が、楽しくてやめられないのだ。

わたしはあるとき、「幸福」ということを考えたが、これが難解だった。
で、考えていくうちに思い浮かぶのは、ことごとく「不幸」ということであった。
そうなのだ。不幸のさまざまな情景とか状態とか言葉とか、その言葉の手触り、におい、感触は浮かぶ。しかし、かんじんの「幸福」が浮かばない。

これは「安全」を考えるのと同じだろうと思う。
「危険」は具体的なイメージで浮かぶ。
ナイフ、爆薬、断崖絶壁、電気、ガラス、なぞの液体、ヨトウムシ・・・
危険はことごとく、具体的なのだ。
しかし、「安全」は、どう考えても、「具体的ではない」。
結局、「安全=ナイフや爆薬や断崖絶壁・・・が無いこと」となってしまう。

自分の場合、「幸福」を考え始めたとたん、本当によくわからなくなった。
自分が知っている、という感じはずいぶんと以前に消えてしまい、
「わからねえなあ」という思いだけが毎日、毎日、果てしなくつづく。
だって、それはそうだ。わからないものを探すんだから。

畑で、ヨトウムシを探すときは、探しているものが明確だから、迷わない。
掘り返した土の中にヨトウムシを見つけたときには、「よし、見つけた」と思うことができる。
見つからない場合も同様に、「ああ、見つからない」と思うことができる。

ところが、いったい何を探しているんだか、それすら曖昧模糊としてきたとき。
見つかったんだか、見つからないんだか、それすらも漠然としてきてしまったとき。
世界に対して何も知らない、というだけではなく、一時的にせよ、自分自身が何を求めているのかということについても分からなくなっていく、ということがあるように思う。

自分の中に確実にあったと思うのは、「探求する姿勢」だけだ。
あらかじめ、探しているもののイメージは、無い。
特定の対象をさがしている、という風ではない。
しかしながら、やはり『探求』という姿勢は、ずっと脈々と自分の中に生きている状態。

特定のターゲットが無いのだから、関心の向いた先が、限定されない。
いつこの試みが終了するのか、どこで落ち着くのか、まったく自分でも決められない。
したがって、なにか、どこか、自分の中のある部分が、納得したり、矛を収めたくなるまで、「待つ」という状態がつづいた。

だから、自分の中で、行くあてもないし、どこかにおさまる気もさらさらなかった。
それで、職業遍歴のようなことにもなったのであろう。
このブログの左側に、自己紹介のようにして書いた文章(10年ほど前に書いた)があるが、ここに「漂流」という言葉をつかったのも、上記のようなことがあったからだと今は思う。

わたしが自分のことを教師、と考えるとき、ほんのちょっとだけ違和感が消えないのは、こういう過去があるからだろう。現時点であっても、教師になって15年が経つというのに今もなお、「職業に就いている」という気がないのは、自分でも不思議なことだ。

授業がしたいのでもなく、
子どもが好きなわけでもなく、
それでもこれが天職だと思えるのは、
「知」の探求が、小学校の教室ほど純粋にやれる場所はないな、と思っているからだ。

子どもは発達途上であり、ちょっとしたことですぐに面白がってくれるし、
純粋な完璧主義者として緻密さを求めているかと思えば、
「こんなのじゃ、やだ」と言って中断し、ぽい、と投げてしまうくらい気分屋だ。
また、理想主義者でもあるし、正義感のかたまりでもある。

わたしがいちばん子どもを尊敬するのは、多かれ少なかれ、ほとんどの子が
不当な権力行使を嫌い、平等をのぞむことだ。
これは、気持ちのいいくらい、ほとんどの子がそうだよ。

夕焼け1

人生は重き荷を背負いて行くがごとし

徳川家康公が言ったとされる、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」
という言葉があります。
新入生のランドセル姿を見ていると、そんな言葉をふと思い出しますね。

ところが、今や学校では置き勉が当たり前。廊下に備え付けのロッカーだけでは足りないから、学校で全員にファイルケースを買いまして、教科書類はほとんど置いていくシステムになっています。
ランドセルが重かったのはすでに過去の話になって久しいわけなので、今の子たちは

「え?ランドセル?・・・べつに、重くないし」

という反応でしか、ないでしょう。


だから、ランドセルは今の子どもたちにとっては、良いものであります。
重く苦しい『荷物』だ、とは認識されていないからですね。

ところが、先日、わたしが見た子は、ひどく重そうなランドセルをしょっていた。
見たところ、低学年かな。1,2年生くらいか。
とっさに思い出したのは、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」でありました。
彼は、ひどく重そうなランドセルを、よっこらせ、よっこらせ、と運んでいた。

きみは、竈門炭治郎か、という感じ。
いや、ここは小学校だから、二宮金次郎か・・・。

その子は必死の形相で、ともかく懸命に歩いていく。
なぜか6年生の昇降口にいて、校舎をグルーッと回って、1年生の昇降口に行こうとしているらしい。お兄ちゃんかお姉ちゃんの、忘れ物かなにかを取りに来たんだろうか?事情があるのかな。

それにしても必死なので、じっと見てしまった。
そこではたと気が付いた。
なんか、大変そうなんだけど、いい顔をしてんだな。

「ぼくはこの重い荷物をがんばって運んどるんや!」
という感じが伝わってくる。

せや、重いけど、こんな日があってもいいやんか。

ランドセル

わたし自身は、もう教師になって十何年も経過してしまったことや、
いい加減、なかなかに年をくってしまったために、
今はもう、本当になにも持たずに学校と家を行き来している。

空手です。
右手も左手も、空っぽ。
車のキーだけを、ポケットに入れて持ってる。

これは最高です。なんせ、忘れ物がない。
だって、最初から無いんだから。持ち物が、ない。
ハンカチとティッシュと車のキー。それだけ。
軽いって、いいですよ。


重いのもいいけど、軽いのもイイ。
重いのを一生懸命持つのも、イイ。だけど軽いのもイイ。
徳川家康は
「振り返ってみると、重い荷物持ってたなー」
という感じなのかな。
きっと、そうなんだろう。

将軍になり、幕府を開き、自分が天下を取った。
ああ、ふりかえってみると、なんて遠い道のりだったろうか。
それにしても、今の身の軽さよ、わが世は春だのう。

「人生って、こんなに軽いものだったんだっけ?」

きっと、徳川家康さんは、そういう感覚をふと、覚えたのだろう。
長い人生、起伏の激しい人生街道、波乱万丈の人生路をしみじみと振り返って、

「うそ!人生、めっちゃ軽いやん!こんなんだと思わんかった!」

って。

きっと、そうや。

わたしも早く、そんな心境になってみたい。
今、相当軽い思いをしているが、もしかするともっと本来の自分は軽いのかもしれない。
もっともっと、さらにさらに、軽くなれるのかもしれない。そこを追求してみたい。

軽く、軽く、もっと軽く。
これ以上ないと思っても、さらに本当の軽さがあるかもしれないから。

どんどんと。
軽さの極限へ!がんばろう!!!!
さらに、さらに、軽くなろう!!


うーん、・・・こうやって気負うのが、軽くなれない原因なのかもな・・・。

輝きだす記憶のカケラ、という話

先日、国語で「大造じいさんとガン」の学習をしていたら
大造じいさん、と答えるべきところで

「兵十(ひょうじゅう)?」

と答えた男子がいて、クラス中が大爆笑になった。

兵十というのは4年生のときに学習した「ごんぎつね」の登場人物で、
たしかに兵十も大人の男性だし、大造じいさんと重なる点が多い。
両方とも昔の話で、主人公が銃を持ってる。動物と関わる、というのも同じだ。

「兵十は去年でしょ!」
と隣の女子がたしなめると、クラス中が大爆笑した。
「あっちはごん、こっちはがん!」

わたしはその時に、涙を流しながら大笑いする子らの姿をみながら
不思議な感傷にとらわれていまして、

これが青春、というもののような気がする・・・

と、ふと思った。

もちろん、こんなワンシーンのことなど、すぐにみんな忘れちまうでしょう。
あと1年もすれば、子どもたちにとっては大昔のこと。
そんなことあったっけ?という話になります。


考えてみると、クラスというのはふしぎなものです。
縁もゆかりもないような、ふつうは出会わないような人と、こうして出会っていっしょに過ごすのですからね。

○自分はなにに心を動かされ
○どういうことに充実感を見出しているか

一人ひとりがちがうのですが、なかにはそれを共有しあえる友達も出てきます。
そこには一切の利害関係はありません。なぜって、そこにいるのは、
たまたま理由もなく集まった、ただ学区が同じだった、というだけの人間どうしだからですね。

同じ教室にいる仲間でも、
モチベーションに違いはあるし、
苦手な人もいるし、
尊敬できない人もいる。
その中で、共に出会い、泣いたり笑ったりしている。
これは、なにか相当な理由があったとしても、なかなかできない世界ではないだろうか。
自分から選択したわけではないからね。

青春というのはむろん、人によってちがいます。
多くの人が、「青春=きらきらしてる」ととらえるのではないかと思う。

しかし、今回のように、
「大造じいさん」を言うときに
『ええっと、兵十(ひょうじゅう)?』
と言ってしまい、クラス中が大爆笑するような、そんなちっぽけな、ただそれだけで意味のないようなものが、あと何年後かにふと、頭の片隅から湯気がたちのぼるように、記憶のカケラとしておぼろげに思い出されたことがあるとしたら、これはもう立派な青春ではないだろうか。

つまり、今回のことに限らず、どうしたって人は、昔を思い出すのです。
あのとき、あんなことがあったな、あの人がこう言っていたな、あんな恰好をしていたな、こんな気分だったな、とか。

「ああ、あんなことをしていたよなあ」

と、突然に、ある気分と共に、思い出すのですよね。人間は。
おそらく、今はたいしたことないと思うような、一瞬の気分や、出来事や、光景を。

そして、考えてみると、そのたいしたことがないようなものを、自分の中でしっかりととらえていて大事に持っているわけで、それが青春というわけ。
あとになって思い返すと、大事な、大事な、大事な、自分という人間の生涯の思い出になっているわけで・・・

・・・というようなことを、一瞬でわたしはどうやら考えたようで、
大爆笑が済んだ子どもたちが、涙を拭きながら顔をあげて、ふたたび私の方を(つまり黒板の方を)みたのを感じながら、

「ああ、どうやら私は、このときのことをあとで思い出すんだろうなあ。ふと、ね。そして、きらきら、とね」

と思ったのでした。

で、どうせあとで思い出すようなことをやってんだから、全力を尽くそう、と改めて思ったわけ。
あとで思い出すんだから、ね。

gon

土門拳の古寺巡礼

今朝、みぞれが少し降った。
雪がふんわりと舞う姿も良いが、みぞれになって、冷たく重く、
弾丸のように降りしきる、というの。
それはそれで、景色としては「ありだな」と思う。いかにも冬らしくて。

高校生のころの私は、はっきり言って人間というのはダメだなと自分のことも含めてかなり悲観していた。そういう心情になると、

人生というのは、苦しいものだなあ
社会というのは、厳しいなあ
人間というのは、愚かだなあ
ということばかりが思えてきて、鬱々とし、
いつの間にか、ふらりと古寺巡礼でもしてみようか、という気持ちになる。

高校2年生が3年生になる春といえば当時は受験勉強のさなかで、
残りが一年を切ったぞ、という緊張感で胃が痛くなるくらい。
周囲を見るとみんな下校前にも図書館にこもり、どんどんと単語帳をめくっている。
わたしは勉強にくたびれると(というか、くたびれてばかりいたけど)図書館の妙な本ばかり探して面白がっていた。

その中に、だれも手をつけていなさそうな写真集があり、わたしはそれを眺めた。
仏像の本であった。ばかでかく、持っていたら重すぎて何度も持ち直すくらいだった。

それが土門拳の『古寺巡礼』だった。
わたしの当時の心情にぴたりと合ったのは、その中の一枚の写真で、ありていに言って私はすっかり心を奪われてしまった。

白黒の大きな写真は、法隆寺の円柱を何本も斜めから撮った構図で、おまけに雪が降っていた。
まだ降り出して間もないころで、急に天候が悪化した感が出ていた。その雰囲気も、当時のわたしの心境に妙にマッチしていたのだろう。また、雪というよりもみぞれのようで、その雪の粒は粗く、スピード感があり、斜めに厳しく降り注いでいた。

ところが、救われることに、そのみぞれの間から、堂々たる柱が見えるのである。
それはあまりにも整然としており、さらには小さな傷までがあちらこちらに目に入るために少しばかり痛々しく、長い風雪に耐えてきたことが一目で、非常によく理解できた。

この柱が、強風にも耐え、雪にもみぞれにも耐えてきたことが、この写真はとてもよくわかるのである。そして、その柱が少しばかり丸みをおびていて、とても人間らしいこと、天井の重い梁をたくさん支えていることなど、当時のわたしは写真の片隅から食い入るように見て、いっぺんに惚れ込んでしまった。

その後、わたしは独りで、高校生にしては一大決心をして大金を払い青春18きっぷを何度か買った。そして京都や奈良にも出かけ、法隆寺を見た。ところが雪の降るころは忙しくてなかなか行けず、写真通りの構図で、みぞれの降るような景色を実際には一度も見ていない。

わたしは大学生になって多くのことがあり、心境がかなり変わったために、なかなか思い出さなかった。でも、なぜか今日のみぞれ、今日の雪は、当時のことをふと、思い出させたな。

近頃は、コロナの大変なニュースばかり見ていたからだろうか。
雪というのは、心をけば立たせるのではなく、心を鎮めてくれる。
人の心も、世の中の不安も、ひとときの間、ふんわりと鎮めてほしいものだ。

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人生は、向うからやってくるもの

子どもは、人生というのは、向うからやってくるものだ、と思っているのではないか?

まるでゲームのように。

ほら、あるでしょう。
ゲームセンターなんかで、道路が向うからつぎつぎと風景を変えながらやってくるサーキットゲームが。

運転席に乗り込むんだけど、その運転席が前に動くわけではない。
ゴーカートじゃないから。
ゲームセンターの床の上に置いてあるマシンだから。
ゲームセンターの隅の壁際に、自分自身はいつまでも停まっているわけ。
前に進んでいると思うのは、乗り込んだ人だけ。

マシンの横から客観的にその姿を見ている人からすると、

「あ、あの椅子に腰掛けた人、いそがしくハンドルを動かしているな」と見えるゲームね。

あー。

そうそう。そのゲームですよ。
思い出しました?

car


カーレース
 (↑ これはちょっと古いかな)

こんな感じかもしれない。
子どもの感じ方って。

子どもからすると、自分が進んでいるんじゃなくて、人生が向うからやってくる。


ところが、大人はちがう。
自分が切り開いて、進んできた、と思っている。
自分が選択して、道を選んで、さらにはからまった茨(いばら)や蔦(つた)の葉をよけながら、大きな石を避けながら、小川を飛び越えながら、

自分こそが進んできた、という感覚がある。

だから、これからもずっと、前に進まなきゃいけない、と感じている。
そして、子どもに言う。

「人生と言うのは、イバラの道だ。四方八方に気を配って、怠りのないよう、勇気を出して進んでいくんだぞ」

 ↑ こう思っているからかもしれない。
だから、大人ってのは、毎日大変な思いをして生きている。

また、世の中の一方では、進むべき道が分からない、と悩んでいる人もいる。
自分には、やるべきことがわからない、いい道がない、どの道を進めばいいのか分からない、という。
そして、

「自分は停まっちゃった」

と思って、嘆いたり、みんなと比べて引け目を感じたり、する。


安心してください。

子どもは世界が違います。
人生の方が、向うからこちらに向かって、どんどんとやってくる。
進もうとしなくても、道に合わせてハンドルを動かしていけばいい。
ずーっと右に向かってハンドルを切ってみたり、ずーっと左に向かってハンドルを切ってみたり。
ただ、それだけ。


えーッ??
だったら、だったら、人生の意味は?
生きていくために必要な、生きる理由とは?


↑ ほらほら。
大人は、そこに「意味」や「理由」を探そうとするけど・・・。

子どもは、精いっぱいに生きている。
自分では決して、「自分が精いっぱいに生きている」なんて思わないのに。
そんなことを考えなくてもいいくらいに、精いっぱい生きているわけ。
目下のところ、大人に向けて大きくなるぞ、というだけで、すごい充実している。
大人のように、なにかを達成するために生きているわけでないのに、充実してる。

大人になればなるほど、「どうやったら充実するのかわからない」となっていく。
大人は、なにかをやるのが人生だ、と考えて、前へ進もう、となる。
反対に、子どもは、「人生の方からぐんぐんとやってくる」と思ってる。

事実が分からなくなる・・・という件

だれでも、そうなる可能性がある。
それが、「事実が分からなくなる」ということ。
考えてみると、だれも事実がこうだ、ということが言えない。
人間ならだれでも、事実を事実と断言することができない。
人間はどうしても「脳」でものを見たり聞いたり判断する。
その「脳」がエラーを起こしている可能性があるからだ。
機械人間でない限り。(あ、機械も故障するか)

怖いのは、エラーを起こしやすくする方法があることだ。
脳は、自分を『否定する』ことで、足踏みをする。
これは、ただしい認知に戻ろうとしての正常な動作である。
たとえば、二度見。
人間はだれでもぎょっとして二度見することがある。
これは脳がとっさに映像を処理しきれず、確かめようとして視覚情報に再度頼ること。
脳はとっさに一時的な処理を行うが、脳のどこかで
「そんなはずがない」
という理性と論理的な思考が働く。
そこで、いったん、足踏みをする。
自分が視覚をフルに使って得た情報に自信をもってもいいのだが、いったん「否定」し、足踏みをするのだ。だから、二度、見ようとする。情報を脳内に構成しなおすためにもう一度、情報をインプットしないといけないから、二度見るのだ。

しかし、これが頻繁になってくると、自分の判断能力が衰えてきていると思うか、
あるいは、自分には判断する能力が欠けている、というふうに考えるようになる。
すると、

現実に起きている事実と 自分の脳内でそうだろう、と思うこととが、乖離しているように感じる。
これがたまにある程度だったら、

「あちゃー、ボケとったなー」
「あれ、やっちゃった。思い込んでたな」

で終わるかもしれないが、頻繁にあるとそうはいかない。

「事実が分からない」

という極端な不安心理が襲うようになる。

外国の映画で、悪い奴が主人公の精神状態を追い詰めるために
「あれ?車を変えたのですか?」
という主人公を憐れむように見ながら、
「なにをおっしゃっているのです?わたしはもうずっと前からこの車ですよ」
という。
「ええ?たしかつい先日までは〇〇に乗っていたはず・・・」
「どうしたのですか。最近のあなたはおかしいですよ」
という芝居を打つ。
悪い奴の仲間がこうしたことをどんどんと展開し、しだいに主人公が追い詰められていくわけ。

事実とは何かは分からない。
自分の脳がこうとらえた、ということは言える。
しょせん、脳がこの程度、という納得があれば、悪い奴にだまされることもない。
だって、悪い奴の脳だって、この程度なんだもの。
「あなたの認知がゆがんでいるということもある」
と言い返せるようになっておかないと。

「あれ?車を変えたのですか?」
という主人公を悪い奴が憐れむように見ながら、
「なにをおっしゃっているのです?わたしはもうずっと前からこの車ですよ」
と言ったとしたら、
そう芝居を打つ悪い奴に向かって
「そうですか。わたしたちの脳はお互いに事実に到達できませんからね。まあそれらしい証拠がまたぞろ集まってきたところで、どうもそうらしい、ということにしておく程度にしておきましょう。あなたもわたしも、お互いに思い込んでいるのでしょうからな、ははは」
と煙に巻いてほしい。

さて、なんでこんなことを書くかというと、
教室でものがなくなった、という事件が起きたからです。
まあ消しゴム一つなんですがね。
MONO消しゴムのでかいやつ。
それと、同じく筆箱に入っていたはずの京都のキーホルダー。
それが一度に無くなって紛失し、

「だれかが盗ったのでは」

ということになった。

捜索⇒該当児童の家庭への連絡⇒子どもたち全員の荷物調べ⇒全家庭への連絡通知と家庭内での捜索依頼⇒(授業をつぶして)クラス内での聞き取り⇒(授業をつぶして)全員が休み時間に何をしていたかの調査⇒(授業をつぶして)その調査に嘘がないかどうかのさらなる調査⇒(授業をつぶして)他のクラスの子たちへの聞き取り調査⇒キーホルダーを持ってきた子の家庭への謝罪連絡、と進むのが予期されました。

ところが、本人が思い出してくれた。

「あ、そうだ。お姉ちゃんに言われてキーホルダー、外したんだった。MONO消しゴムも、小さいのに替えたんだった」

これで、上記のように授業をつぶした捜査をしなくて済みました。

で、上記のような『認知』の授業をしておいた方がいいのでは、と思うようになりました。
その子が素直に言ってくれたからよかったですが。
意地を張って、

「ぜwったいに学校に持ってきてた!!」

とか

「だれかが盗った!!」

とか言われた日にゃ・・・

誰だって認知にはゆがみが生じております。
その証拠に、風邪をひいたら、コロナでなくとも嗅覚が落ちるそうですぜ。
人間なんて体調の変化ですぐに認知がゆがんでしまって、昨日とちがってくるんすからナ。

一枚の紅葉

【さかさま】長生きの秘訣は・・・

.
アメリカのテレビ局。
ある番組で、100歳を超えて長寿をエンジョイしている人にインタビューをした。

ま、どこの国でもこういう番組を、つくるみたいネ・・・。

「何をしたら、そんなに長寿になれるのでしょうか?」

そしたらそのしわくちゃのおじいちゃん、

「なんでそんなことを聞くんだ」

と、ぶつぶつ言う。

べつに怒っているわけではないんだけど、不思議そうに、逆に訊くわけ。
ところが、テレビ局の方は、はやく、答えが欲しい。
だから、話を進めようとする。
その白髪のおじいちゃんをいたわるようにしながら、タレントが聞く。

「いやいや、みんなが聞きたいんですよ。テレビに映すと、スタジオで、みんながそれを待っているんです」

じいちゃんは、それには、答えない。
この場面だけみると、じいちゃんが頑固に見える。

なんでこのじいちゃん、聞かれたことに、答えないんだ?素直じゃねえなあ、このじいさんは!

・・・とか、思っちゃう。

だって、すぐに答えてあげればいいのに・・・って、ね。

たとえば、

「わしは毎日、散歩をしているからのう」

でもいいし、

「わしは毎朝、ヨーグルトを食っておるし、それを20年続けているんじゃよ」


とかね。

視聴者は、そういう返事が欲しいわけ。
まったく、視聴者の期待に、応えてくれないの。このおじいさん。・・・ったく、頑固だよね。
融通が利かないというか・・・。



ところが、事件は急展開する。

インタビュアーのタレントに向けて、じいさんが、かます。

「じゃ聞くが、お前さんは、長生きできると思うのか?」

「いや、私は無理ですね。たぶん。(スタジオ爆笑)

「なんでそう思う?なんで自分は短命なんだと思うのだ?」


じいさんの目は、なんだか眼光がするどい。
玄関で、杖を持ったまま、でかい声で話す。
タレントは、少しうろたえながらも、

「いやあ、生活が不規則ですしね。夜遅くまで起きていることが多いし。・・・それに、たぶんあまり食事もヘルシーじゃないから」

「じゃ、わしの答えは、その逆じゃ。わしはそういうことをしてこなかったから長命なんじゃ。わかった?」
(スタジオ、シーンとした後、一部、ヒュー!という歓声)

インタビュアーが、もっと情報を引き出そうとして、

「ああそうですか、そういうことを気を付けていたら、長命になれるんですか。なにかこういうことをした方がいい、ということはないでしょうか?」

じいちゃん、顔の前で手をひらひらさせながら、Ah、「ないよ」
って。



インタビュアーは必死に食い下がる。

「すみません。なにか運動はしていらっしゃいますか?」

「太極拳を少々な」

「おお!太極拳をすれば、長生きができますか?」


「もう20年以上、まともにやってないから、わからんよ。そんなこと」


(ズコッ!)・・・太極拳以外には、なにかやっていらっしゃらないんですか」

「社交ダンスか・・・」

「おおお!!!社交ダンスをしてるんですか!」

カメラに向かって、目を丸くして驚くタレントの顔がアップになって映る。


「でも、もう40年以上してないよ」


(ズコッ!!)今、なにかしていらっしゃることはないですか」

「むしろ、しないように、と気を付けているな」

「そりゃ、いったい、なんです?」


爺さん、目を輝かせて、言い放つ。

「お前さんが、短命の原因と思うようなことを、しないのだあ!うわっはっはっは・・・」


爺さんはその後、妹さんの農場まで散歩⇒そのまま泊まる⇒トマト食べる⇒羊肉を食べる⇒寝る⇒ビリヤードをやる⇒・・・

なんか、そんな感じ。


なんでこう、世の中はサカサマなんだろう、と思うことばかり。

しようしよう、と思うとうまくできないのに、
『しない』でいると、うまくできることがあって・・・。


逆さまだねえ。



逆さま、というので思い出す。
さだまさしさんがコンサートで言ってたこと。

死んじゃったばあちゃんが好きで好きで、夢で逢いたい、おばあちゃんが夢に出てきてほしい、出てきてほしい、と願っていると、出てこない。

で、観念して、あきらめて、心が、そこから離れたな、というときに、

もうあきらめてから、ようやくホッとしたように、おばあちゃんが夢に出てくる。

どうも、脳みそがそうやってバランスを取ろうとしているかのようだと、さだまさしさんは、振り返っている。


人間の思考は、かなり逆さまのようで・・・。

ぬこ

重いコンダラ

運動会の前日。
大勢の先生方で、校庭の準備をしておりました。
徒競走のラインを引いたり、集団種目の道具の確認をしたり、してました。

わたしもその中にいたのですが、ふと見ると、校庭に土の低い場所があるのに気づきました。
土日に雨が降り、雨水が流れたようです。

体育主任の先生もそれを見つけて
「ここ、土で埋めましょう」
と、バケツやら一輪車やらで、土を運び始めました。

それまでラインカーで線を引いてた先生たちも集まってきて、みんなで足で踏んだり、トンボでならしたりしました。

ところが、柔らかい土を盛っただけなので、そこだけ固くならない。
試しに走ってみると、足がとられて地面が削れるのです。
「これ、転んでしまうかな?」
と心配になりました。

上からしっかり、土を押し固めないと、ダメなようです。

校庭を見回すと、校庭の端、フェンスのところに、恰好なモノを見つけました。
それは、こんなやつ。
つまり、整地用手動式ローラーです。

Kondara_J09_01
わたしがふざけて、

重いコンダラで、かためるしかないかなー」

とつぶやくと、若いT先生がまじめな顔で

「コンダラ・・・?ですか?え・・・」

と困惑気味に言ったのです。

わたしは

「いや、ローラーだけど、まあふざけてコンダラっていうんだよね」

するとT先生はやはり真面目です。
50のオッサンで、主任の私が、にやりともせず解説気味に言うものだから、T先生も恐縮しつつ、

「へー、なんていうのか、知りませんでした。コンダラ、とってきましょうか?」

という。

わたしはまったく、フザケ甲斐がなく、なぜそれを【コンダラ】というかを解説する気もなくなって、そのまま

「うん。コンダラ、いっしょに取りに行こう」

と言って終わりにしてしまった。

いっしょに校庭の端までそのまじめな若いT先生と、ローラーを取りに歩きながら

「いや、コンダラって正式名称じゃないからネ。嘘だからネ」

という解説を、

「しよう、しよう、した方がイイ、した方がいいよな、うんぜったいその方がイイ

と思いながらも・・・すみません、

ついそのままにしてしまいました。

星飛雄馬の話をし、花形満のこと、大リーグボールのこと、養成ギプスのこと、ちゃぶ台をひっくり返す話もしたほうが良かったかもしれませんが、彼は興味はないでしょうし、グランドでいきなり歌も歌わないほうが良いでしょうからナ。

♪ 思い、込んだら、試練の道を・・・ 行くが 男の ド根性・・・

「自分のあたまで考えるのがカッコイイ」VS・・・

依存はカッコ悪い。
自立がカッコイイ。

 ↑ これはそうとも言い切れない。
そもそも人間は、人とひとの間で生きるのが当然で、すべて周囲から受けたもので生きている。だから、依存するというのも当然で、相互に依存しあって生きているのが事実。相手に依存できることが社会的動物の証でもある。

しかし、自分の感情まで、依存させるのはカッコ悪い。
たとえば、隣の家のおじさんが、

「テリー伊藤はかっこいい」

と言ったので、自分もテリー伊藤を好きになる、というのはいささか短絡的すぎる。
根拠を自分で言えないくらいに、「思慮が浅い」という批判は受けるべきだろう。
なぜテリー伊藤がかっこいいの?と聞かれて、

「えっと・・・隣の人がそう言ってたので」

というしかない程度なのだから。

自分の感情は、自分の中に湧き上がってきたものを見て、あるいは
知恵を使い、自分らしさを追求したうえで
「わたしはこれが好きだ」
というべきである。

自分の好み、という自分の主体性のつまった感情まで、
他人に操作させるのは、カッコ悪い。

---------------------------

と、これに近いような議論を、教室でする。
たとえば国語の授業で、討論になった時に、
「Aだと思う」か「Bだと思う」か「そのどちらでもない」か、
どれかに自分で胸を張って手を挙げる、という場面。

隣の席の剛田武が
「おれはAだ。おいのび太、お前もAだよなあ」
と言ったとき、
「いや、ぼくはBだなあ」
と涼しい顔で、なんの躊躇もなく言えるかどうか、ということ。

このときに、感情的に剛田武になびいてしまうのか、
あるいは精神のよりどころとなるくらいに、日ごろから崇拝してやまない源静香が
「のび太さん、わたしはBよ」
と言ったからBだとするのか、
あるいは自分で考えて、どうも今のところどちらでもないなと判断して
「どちらでもない」
に挙手するのか、ということ。

このときの自分の感情に、責任を持つことって、かっこいいじゃないか、ということ。

------------------------------

剛田武になびくのは、恐怖感に支配された、ということになる。
あるいは源静香になびくのは、崇拝思考(陶酔感)に支配された、ということになる。
どちらも、主体性がないことが共通している。

主体性をもとう、というのが文科省の大方針である。

------------------------------

恐怖感にも自分の魂を売り渡さず、
かといって
陶酔感にも自分の魂を売り渡すな、
というのが、文科省の方針である。
文科省はただ一つ、「自ら主体的に考え、自ら主体的に創造せよ」と教える。

-------------------------------

・・・と、ここまでは理想論であります。

実際は、子どもはうんと「非主体的」になってしまいがちだ。
先生が言うから、友達が言うから、お母さんが言うから、ということで、
いともやすやすと決めてしまい、自分の好みまで深くさぐることがない。

まあだからこそ、小学校教育があるのでしょう。

さらに突き詰めると、この話はいじめにもつながります。
いじめを肯定する子も、ちらほらいます。
自分が気に入らない子をいじめて、何が悪い、と開き直るのです。

これは、むしゃくしゃして鬱積した感情を吐き出したい、というだけなので、良いとか悪いとかの道徳では抑えることができない。<知的ではない態度>に向けて<知的な対話>を促しても、子どもは受け入れません。
その子は、自分ではどうにもできないような、むしゃくしゃした感情に溺れてしまっているから、そこから真に主体的になる道をたどっていかないと本当には自立できないのですが、もう自分がそういう感情に溺れていることすら客観視できないし、自分を取り巻く状況をつぶさにしらべることもできなくなっている。
だから、いじめ、という非道徳的な行為も平気で行ってしまえる。

そういう子に、「自分を見失っているよ」というセリフは届きません。
そんなふうに自己を客観視できる子なら、そもそもいじめなどしないし・・・。
いじめる子は、ただ、どこかで周囲からINPUTされた、勝手な感情を吐き出しているだけです。
そして、そんなふうに吐き出すことの快感に酔いしれているだけ。
まったく主体的ではありません。

このように、主体的態度が育っていない子どもを、主体的に考え行動する子にするにはどうするか、というのが文科省が100年ほど悩み続けていることです。その最中に、太平洋戦争などの不幸な事件も起きました。金属バット殺人事件もあったし、神戸の酒鬼薔薇事件もあったし、最近では神奈川県津久井市の事件もありました。どれも、「感情を吐き出す」ことに酔いしれた事件でした。

で、教師はどうするか、という難問ですが・・・

はっきり言って、難問です。
「主体的な態度」というのは、長い時間をかけて獲得するものなので、
授業でちょっと考えたからといって、なにかすぐに身につくかというと・・・

そうではありません。

------------------------------------

したがって、この方法がいいかどうか、わかりません。
まだ自分でも、考えあぐねています。
しかしまあ、なにかするしかないので・・・とりあえず、この1学期には

「いじめはかっこいいだろうか」

という討論を仕組む、というのをやってみました。

いじめは正しいかどうか、ではありません。
かっこいいかどうか、です。
だから、正解はありません。(かっこいいかどうかは人によるので)

ただし、話し合いの場では、自分はどう思うかを言うことになります。
で、かっこいいなら、なぜそう思うのか、
かっこよくないのであれば、なぜそう思うのか。
その考えの奥を尋ねられる、というわけです。

これまでは「良い悪い」の軸でしか、考えていなかった子ばかりです。
1年生の時からそう習ってきたから、という子もいます。
すると、「〇〇先生がそう言ったから、というのはもう卒業しよう。これからは、自分で考える、というのを大事にしよう」と伝えます。
「いじめは良くないから、カッコ悪い」
という子には、
「なぜ良くないと、カッコ悪いのですか」
と聞きます。
すると、だまってしまいます。成績の良い女の子なんて、困ってしまいます。
そんなの、考えたことない・・・。

『たばこを吸う人だって、身体には決してよくないと思っていても、かっこつけて吸う人いるでしょう。良くないことがカッコイイ、と考える人だっているよね』

というと、さらに混乱してしまいます。

今年はこれをやったら、ほとんど全員がカッコ悪いに挙手したのですが、
いちばんみんなが納得した理由は、
「いじめをする人は、パワハラだからキモイ」
というのでした。
小学生がパワハラという言葉を使うことに驚きました。
解説抜きでみんな理解してました。さすが現代っ子。

わたしが
「なぜパワハラが(キモイの)?」
とさらに尋ねると、
「自分の感情しか見てないから、キモイ」
というような感じでした。

ある女の子は、こうも言いました。
「たぶん、いじめる人は、こういう(話し合いの場)だと何も言わないでごまかしてしまいそうだから」と。

みんなで討論をくりかえすうちに、教室のまんなかに、
いじめっ子の、苦しいような、切ないような『感情処理のようす』が浮かんできたのです。

これは、良い悪いとか、正しいか正しくないか、という視点からは、けっして見えてこない景色かと思いました。
ここでは、子どもたちが、「熟考」するのが当たり前、だときちんと実感することが大事で、感情を吐き出すという友達のせつない姿は、「討論を前提にする子たち」だからこそ、見えてくるのでは、と思いました。

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「まさか!」志村けんさんの訃報

「まさか」
口をついて、出た。

嫁様も何度も「まさか」とつぶやいている。
志村けんさんが亡くなった。
昭和の小学生は8時になるとわくわくして、テレビの前に座ったね。
一家だんらんが、そこから生まれた。

まさか、まさか。
人生は、まさかの連続だ。
今、世界が騒然としている様子も、毎日ながれてくるコロナのニュースも、
4月に学校が順当に始まるのかどうか危ぶんでいる今の学校の様子も、
みんな、「まさか」だ。
まさか、こんなになるとは、思わなかった。
「まるで、映画を見ているようだ」はテレビのコメンテーターの言葉だか、本当にそう。

人生の3つの坂のスピーチは有名だけれど、上り坂、下り坂、3つめの『まさか』がこんなに毎日のようにつぶやかれている時代は、人生でも初めてだと感じる。

2年前に父が亡くなったときも、
「まさか」
という感じがした。
早すぎる、と思った。もう少し、生きていてもらうつもりだったから。

父の死の後だろうか、「まさか」を身近に感じるようになった。

まさか、こんなに雪が降るとは。
まさか、こんなところに芽が出るとは。
まさか、母がまだ喫茶店をつづけるとは。
まさか、猫を2匹も飼うとは、なぁ。
まさか、自分が小学校の教員になるとは。


考えてみれば、ぜんぶ、『まさか』でできている。
ここにこうして暮らしていること、生きていること。
朝食でホウレン草のサラダを食ったが、それが食べられていることも「まさか」だ。

スーパーの棚に、物がなくなった映像をみたら、
本当の当たり前は、なにも並んでいない、「空の棚」の方が当たり前だったことに気づく。

そこに、物を運ばなければ、運ぶものを用意しなければ、
運ぼうとする人のはたらきがなければ、手が動かなければ、
なにも、並ばないで当たり前。「無い」がふつう。
いつの間にか、そこに「なにかが並んでいることの方」を当たり前にしているけれど。

こうやって毎日、なにかを食べていかれていること自体が、もはや「まさか」なんだろう。

今、こうやってキーボードをたたいて、ブログを書いていることも、
実は、「まさか」の連続で成り立っている事象。
もし、電気がこなければ。もし、指が動かなければ。もし、〇〇がなければ・・・。


まさか、で、当たり前。
その「まさか」を、
ひとの力と意志で、どんどんと爆発的に生み出している
のが、この世の中。
『「まさか」人類がこんなに地球上に繁栄するようになるとは』ということなんだろう。

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桜前線という言葉

うんと小さな子どものころ、等圧線のぐにゃぐにゃした線が面白い、と思っていた。
保育園くらいのころだったろうか。

父が熱心にひろげたりめくったりする、大きな紙があった。
父は毎日のようにそれをバサバサと広げたりたたんだりして、でかい食卓テーブルを占領するのである。そして読みながら、上機嫌で声を出したり、あるいは会話を母と交わしたりする。

わたしも、父のまねをして、その広い紙をしばしば眺めていた。
新聞のむずかしい漢字の羅列は読めない。
だから、「字」以外を探した。

左上の漫画と、あとは気象衛星ひまわりの例の天気図が、まあ『字以外のもの』であった。
そこには毎日のように奇妙なぐにゃぐにゃした線が現れたり、まあるいたくさんの種類の記号に、ヘンな羽のようなものが書かれたりして(今考えると風速の表示だったろう)、なかなかに興味をひくしろものであった。

ある日、それと似たようなぐにゃぐにゃした線がテレビにもしばしば表示されることを知った。
その線の奥には、細長いバナナのような形がある。
「これは日本なのよ」
と母は言い、
「地面がこんな形をしている」
という説明をした。

そして、あら、明日は雨がふるかもね、と驚いて見せた。

その画面をみると、明日が雨なのかどうか、わかるというのである。
わたしは衝撃を受けた。
たしかにテレビには、たくさんの傘マークが表れ、おじさんが
「明日は雨になるでしょう」
とちょっと気の毒そうに言うのだった。

わたしは大人がこうして明日の天気を把握している、という事実にも衝撃を受け、
「なぜ子どもにだまってこんな大事なことを大人たちだけで独占しているのか」
と憤り、叫びたいような衝動にかられた。

しかし、これは姉によると学校へ通えばわたしにも教えてもらえることだったらしい。
人類平等に、誰でもかならず教えてもらえるのだ、と姉からそれを聞いてわたしは安心した。



ところで、その後しばらくたったあと、
母が、
「あら、来週は桜が咲くわ」
と言った。
それも、例の、日本地図を見て・・・。


えっ?
わたしは驚いた。
そんなの、わかるの?

そうなのだ。
なんと、太陽と雨のことだけではなかったのだ。
その地図表示をみていれば、

桜が咲くことがわかる、というのである!


夕方、テレビ画面で天気予報を見た。
母の解説がはじまった。

すると、たしかに日本の南の方から、徐々に、徐々に、桜がやってくることが示唆されている。
気象予報士のおじさんが
「3月25日には、さくら前線が東海地方を通過するでしょう」
と満悦しきった表情をうかべた。

母が
「ほら、ここに線があるでしょう。この線が家まで来ると、桜が咲くのよ」
とこれも自慢げに言った。
わたしは巨大な風のカーテンのようなものが、青い空をひらひらと勇壮に舞う様子や、それが遠くの空にまでつづいていて、サーっと移動していく様を思い浮かべた。

その風のカーテンは、うっすらと桃色をしていて、カーテンが地面をなでるようにそよぐ。すると、そこらにある桜の木が、パっとその瞬間、開花するのである。

おそらく、そのときである。母に

「かいか」

という言葉を習ったのも。

「さくらのかいか」

というワードは、透き通るようなスカイブルーの下地に、淡いピンク色がじわじわーっと沁みてくるようなイメージを浮かばせる。

3月に入った。
あれこれと不安になるニュースばかり流れてくる。
なにか、気の晴れるようなことがないかしら、と朝から考えていたら、幼いときの思い出がよみがえってきた。

こんな日は、空をみあげるに限る。


sakura

【アフガン永久支援・中村哲さん】を授業する

道徳で、中村哲さんの授業を企画した。
日本人として、中村さんの努力を知らないわけにはいかない。
世界中から尊敬される、まさにわが国の誇る偉人だ。
また、平和の大切さや情報リテラシーの大切さを学ぶのにもよい。教材とねらいとが見事に合致した教材になる。

【世界に尊敬される偉人シリーズ・中村哲さん】
〇授業の流れ

1)中村哲さんの写真を掲示
 ↓
2)資料を配布
 ↓
3)どんな人だったかを出し合う
 ↓
4)印象に残った言葉を出し合う
 ↓
5)授業の感想を出し合う

という、いたってシンプルなもの。
教材に力があるから、もう本当にこれだけ。
子どもたちは、勝手にいろいろと「練り上げ」合うから大丈夫。


以下、資料の一部。

中村哲医師
〇ここの人々の願いは、家で家族と食事をすること。
〇みんなおなかをすかせていた。どうにかして第一次産業を興すしかない。
〇水不足が10年以上続いている。アフガン人は戦争よりもこのことに苦しんでいる。
〇日本は、軍事力を用いない分野での貢献や援助を果たすべき。
〇戦争や武器では、決して解決はしない。武器は百害あって一利なし。
〇現地で活動していると、力(パワー)の虚しさ、というのがほんとうに身に沁みてくる。
〇力(パワー)は、銃でも戦車でも、はかなく、むなしいもので役には立たない。
〇銃で押さえ込めば、銃で反撃される。
〇国民の9割以上が農業者。農業をしたいと心から願うアフガン人が9割以上もいるということ。
〇戦(いくさ)で物事を解決しようとするやり方は、もう通用しなくなっている。
〇農業ができるようになると、まず人々は傭兵をやめた。
〇家族とともに食事ができることを、まず喜べるようにしたい。
〇ようやく流れ始めた用水路を破壊するアフガン人はいない。
〇昨日まで武器を持って向き合っていた人間どうしがともに畑をたがやしはじめている姿を見た。
〇緑色に復活した農地に、誰が爆弾を撃ち込みたいと思うだろうか。
〇それを造ったのが日本人だと分かれば、少し失われた親日感情はすぐに戻ってくるはずだ。
〇それが、ほんとうの外交じゃないかと、僕は確信しています。

NHKの番組で、中村さんの特集をするだろうから、見よう、と声をかける。
みんな、その気になっている。
政治的なとらえ方をするのではなく、いのちの課題として、授業をしたいもの。

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アフガン

アフガン2

アフガン3

アイデア商品は生きる力を呼び覚ます

若いころから肩こりと腰痛に悩まされ、健康器具についてはかなりの通(つう)を自認している。
最近見つけたこの商品、見た瞬間、アァーッ!と大声を出してしまった。
こんな商品があったらいいな、と妄想していたのが、実現していたからだ。
諸事情あって、自分としては買わないが、目の付け所はおもしろい。

アイデア商品というのは、見ているだけ面白い。
そして、さらに面白いのは、その商品についているキャッチコピーだ。

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背筋と脚がグーンと伸びる。
引っぱりストレッチでスッキリ!

グーン、スッキリ、という擬音、オノマトペが並ぶ。
擬音やオノマトペに頼りすぎな感じもあるけど、訴えていくポイントは外していない。

寝っ転がってレバーをカチャカチャと動かしている自分の姿を想像するだけで、自分自身がなんともけなげで、いとおしい存在であるか、再確認できるような気がする。




次は、履くだけお掃除。
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わたしが十代のころからある商品だから、商品としては異例のロングヒットであります。
昔から、人が考えることは変わらないのだなあ、と思うとともに、これを履いて、あちこちのごみを探してうろうろと歩き回っている姿を想像してみるのが楽しい。ま、実際にはちっともごみは取れないんだけどね。そんな感じがする、というだけで。えッ、これ10枚組なの?・・・。


さて、お次はお風呂。
お湯を自動で沸かしたい。そのために、こんなグッズを。
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あらかじめ、設定しておいた時間に、ボタンを押してくれる。
代わりに押してくれている、と思うと、この小さなプラスチックの塊が、なんともいとおしくなってくる。


最後は、階段。
階段をエスカレーター風にした、というだけのアイデア。
横から見た人には、エスカレーターに見えるんだけどね。実際は歩くんだけど。
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これ、階段を歩いているときに、いろいろ考えちゃうよね。
「最近、おれって歩いてないなー」とか。足の筋肉鍛えなきゃな、とか。おれっていつも、なにかに期待してるんだな、とか・・・。座禅でも組みたくなる。



こういうアイデアが生活にあふれていると、なにかしら、生きていること自体が楽しくなってくる。

わたしは休日の朝、こういうアイデア商品が新聞の広告にまぎれているだけで、一日が楽しく感じられる。ま、結局、諸事情により買わないんだけどね。




なにを食うか、ということ。

給食がおいしい、ということ。
それが、もっとも基本かと思う。

「おいしかった」

という感覚が、子どもたちの脳裏の奥底、心の深奥に残っていくかどうか。

人生を肯定的に見るかどうか、
人生観の大事な部分を、教育することはできない。
教えて、なんとかなるものではない。
人生のことを、こう考えなさい、というので、子どもたちがみんな

「はい、わかりました」

といって、そうなるものではないからネ。


となると、もはや残された道は、「愛された実感と記憶」しか、たよるところがない。
いちばんは、メシだろうか、なあ・・・。

いつも腹いっぱい、うまい飯を食えたという実感。
手が込んでいてもいなくても、それはともかく、大人が忙しい中でも、食事だけはあたたかいものをと用意してくれたよなあ、とか。
たくさんよそってくれて、「おなかいっぱいになった?」と聞いてくれたっけ・・・とか。
これ、腹の底から実感があるのであれば、人生を肯定的にみなさい、とらえなさい、と100万回言われるより固い幸福が手に入るだろうと思う。


給食費がコストととらえられて、「削らなきゃ」と判断されることほど、つらいことはない。
たしかに民間企業であれば、もうけがなければならない。
しかし、コストを削ることに夢中になるあまり、子どもの大切な自尊感情を削っていいわけではない。給食を提供する民間企業は、多くが子どもたちへの愛情を元に、仕事を進めていらっしゃることだろう。しかし、それも「経営」が成り立っての話だ。厳しい経営事情のもとで、コストダウンを考えない経営者はいない。野菜の品質を落とし、コメの品質を落とし、コストの高い果物は減らし、量を減らし、冷蔵のコストを減らそうとするのが、当たり前だ。それが、常識なのだ。


子どもを育てる、ということに、コスト意識で向かわねばならないのが、つらい。
子どもに、食を用意する、食べさせる、ということについて、できるだけコストよりも先に、子どもたちの心からの満足を先に考えていきたいものだ。経営の厳しい今の時代、なによりもそれが難しいのだけれど・・・。

それにしても、なにを食べるかというのが、人生のなかでも、ひときわ大きな「こと」のように思える。あと一生のうちに、何度食事をするか分からない。
自分が自分に対して、

「なにをどれだけたべるか」

ということを、真剣に考えたくなる。
要らないものは、要らない。
自分にとって、「これを食べていたい」というものを、大事に、大事に、ひと口、ひと口、味わっていきたい。そして、その「食」に、できるかぎり、かかわっていたいと思う。

こういうことを考えるようになったのも、年をとった、ということだろうなあ。

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ハビビ元大統領と東ティモールのこと

今年9月、インドネシアの元大統領が死去した。

ハビビ元大統領だ。
その大統領が病床に臥せっているとき、お見舞いに来たのが、東ティモールの大統領。
つまり、宿敵が来た。
敵がきたから、緊張して迎えるのかと思ったら、なんと抱擁した。
ふたりとも、お互い両者とも、人間として大きかったのだ、というしかない。

いのちをわずかに残した宿敵に、いったいなんと言葉をかけたのか。
東ティモールはもともと、インドネシア領ではなかった。ポルトガル領だった。
スハルト大統領の独裁政権にむりやりに併合された歴史を持つ。
だから、市民からすると、独立は悲願だった。

大きな人間、というのは、何だろう。
「人の生きる道を、示してくれる存在」だろうか。
ひたむきな情熱を、もやしつづける人間は、すぐ近くにいる人たちの心をつかむ。そして、火を灯す。
東ティモール大統領のグスマン氏も、ハビビ大統領も、おたがいにそういう人間だったにちがいない。

まさに東ティモールが独立せんとする2000年ごろ、わたしは友人のTから手紙をもらった。Tは国連職員で、東ティモールにいたのだった。手紙には独立のための住民投票がいかに困難を極める作業だったかが書かれていた。

「投票」というものを、強権的な独裁しか知らぬ人々に、いかに伝えるか。
Tは、苦心しつつも、それを伝え、普及していく地道な広報活動に、たずさわっていた。
ところが、悲しいことに、人々にはなかなか伝わらなかったそうだ。
多くの人が投票に行く、と約束してくれたが、その練習となる模擬投票に、ほとんどの人間が来ない。あるいは、金をもらうために並ぼうとする。
せっかく並んでくれたのに、邪魔する人々もいる。
大切な働き手が、のんびりと行列に並ぶのをよしとしない家族たちが、腕をひっぱって、連れ帰ろうとするのだった。

つまり、強権的、強圧的に、飼いならされていきてきた人たち、
小さなころから武力や脅しを受けて生きてきた人たちが、

「自分たちで、自分たちの生活を、ルールを、法律を、人生を、自分たちのアイデアと文化、知恵でつくりあげていく」

ということが実感できるようになるためには、相当の話し合い、教育、考える時間、身につける時間、思考してみる時間が必要なのだった。

わたしはその手紙を受け取って、そこに書いてある内容の大変さに驚いて、とても一度では読み切れず、なんどもその便箋を開いてみては、読み返したと思う。

主体的に考える人材を生み出すためには、時間がかかる。
ほかのことをやっている暇があったら、もっともっと、主体的になれるための時間を、つくりだした方がいい。

とくに学校は。
われわれは、強権、強圧、圧政、といわれるような文化とは、まったく別の文化、というのを、具体的に伝えていかねばならないのだから。


神戸の教師が、おかしくなったあまり、同僚をいじめた、という動画がニュースになった。強圧的に、強権的に、激辛カレーを食べさせようとして、羽交い絞めにしたのである。
もう、教師自身が、「強権、強圧、圧政」の文化に、どっぷり漬かっているわけだ。だから、同僚にも武力、強制、強引、独裁、というような精神文化で、つきあおうとしていく。当然、子どもにも・・・。

教師が、「強権」しか、知らないのだ。
そういう精神文化しか、習得してこなかった。

おかしくなっているのである。おかしくさせられている。
教員がおかしくなっていく原因が、あるように思う。人間らしさを失っていく文化が、あるいは失わせるようないわば、『強権的な文化』が、学校にじわじわと迫ってきている。

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世界一の長寿国である日本で生きて・・・

引っ越してくる日系ブラジル人の父親と面談した。
学校のことをあれこれと説明し、校舎内を案内して回った。

子どもが学校へ登校するようになるのはまだ先だが、父親が先に家族の居住環境を整えるため、こうやって家族より先に越して来て、あれこれと準備をしている。

父親との会話の途中で、

「日本は世界一、寿命が長いから」

という話題が出た。

だから、人間にとって良い環境だ、というのである。



案内が終わってから、そのセリフが妙に心に残って、何度もわたしはそれを反芻した。

「長いから、良い環境か」

たしかに、人間の生物学的な環境という意味で、長寿と言う実態があるのだから、よい環境ではあるのだろう。しかし、なぜかしっくりこない。どこか、「でもなあ・・・」という思いがある。

人間にとって、良い環境とは何だろうか。
世界一の長寿国に住む私たち日本人は、・・・それにしてはあまり、幸福そうではない。
そこが、ひっかかる。

よい自然があり、水がきれいで空気もおいしくて、野菜もさまざまにとれて果樹にはくだものがなり、季節ごとに目に入る景色は飽きないし、吹いてくる風が気持ちよく、土にはミミズがいて微生物が活躍し、たしかにこの世界は、この国は、たいへんに豊かな環境にあるのだろう。

しかし、多くの人が「それほどでもない」感じで生きているのではないか。

これは、もしかすると、「手段と目的のとりちがえ状態」に近いことが起きているのかも。
長寿をめざす、という【ものさし】がある。そのための、取り組みもあったとする。
しかし、それだけでは実は人間の、目的そのものにはたどり着かない。

人生の目的は何か。
となると、これは主観的な問題だ。
「しあわせ」の基準が異なるからね。各自で。

中には、麻薬の心地良い痺れた感じを味わえたらそれが自分にとっての幸福だ、という人もいる。
個人の主観だ。
ところが、本当にそれを願っているかとなると、
「クスリはやめよう、やめよう、とずっと思い続けていた(ピエール瀧)」
と本音が出る。
いくら個人の主観だといっても、本当の本心、本音の奥、そんなに簡単には見えていないのではなかろうか。

その日の気分でころころ、というように、気分を晴らせば幸福かというと、そういうものとも違う。

「しあわせ」になるために、なるために、そうなるために、と努力しても、なかなかゴールに近づく感じが無いのは、ゴールが見えていないからか、そもそもアフブローチの仕方に【勘違い】があるのだろう。

もしそのゴールが見えてないのであれば、学校教育が全国民の莫大なエネルギーを使って行われたとしても、おそらくゴールにはたどり着かない。これは、間違いない。
学校教育のゴールは、子どもの幸福の実現なのだとしたら、その「幸福」とは、何だろうか。

教員になって10年以上経つが、「子どもの幸福とはなにか」は、直接、あまり話題にならない。
「わかってるでしょ」という前提で、その他の事ばかりやっている気がする。本当は分かってないかもしれないが。

所詮、幸福など分からないさ、それが人生だよ、そんなものサ、というのもなにかつまらない。

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梅原猛と梅棹忠夫~科学と哲学の間~

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高校の図書館で、梅原猛さんの本を一時期、順に読んでいた。
その隣に並んでいたのが、梅棹 忠夫さんの本。

両方とも、名前が『梅』なので、゛うめ゛繋がりで面白がって読んでいるうち、双方に共通のもの、あるいは少しちがったものを感じ取り、一年くらい楽しんだ記憶がある。
梅原(うめはら)と梅棹(うめさお)。
この2人を、交互に読んだのは、今でも幸運だったと思う。

梅原は、(日本文化の根本思想とは)生きとし生けるものと共生する哲学であり、科学や科学技術も、そのような哲学に裏づけられなければならない、と書いた。
梅棹は、科学は人間の業だ、と言った。
科学が人間を破滅に追い込むことは自明(原発事故が象徴的)だが、それは人間の業(ごう)である、と。

高校生の私は悲観して、じゃあ人間は自分でも抱えきれない、把握しきれない科学の影響から破滅してしまうってことか、と泣きたくなった。
しかしこの哲学者、科学者のお二人は、そうでない、と。
暗黒の中に、光明がある、と。

それは、「共感」だ。
梅棹先生は、「英知」とも言っていました。

知的にならなければならない。
人は、『知的』だから、光明を見るのだ、と。

人間が暴走するかしないか、紙一重。
そこに、人間ならではの共感する力が発揮できれば、暴走を一歩前で食い止めることができる。

たしかに、原子力発電所も、いわゆる利権があり、運動があり、経済の影響があり、それでお給料をもらって暮らす人もいれば、反対運動もあって、非難もされる。

推進派と反対派の、両方がいる。両方の立場がある。
そこには、「話し合い」はない。
マネーの力でごり押しし、我慾、我利を押しつけ合う姿や、それに抵抗しようとする姿はあるが、話し合いになっていかない。

梅棹先生は、原子力発電についての広報誌の中で、
「原発はきちんとコントロールするから大丈夫」という電力会社の人に向かって、

「民族学をやってる立場からいうと、人間ってのは、案外とあてにならんのです。まともでないことをしでかすのが人間。原発は高度なコントロール下におけば大丈夫という。そうかもしらんが、そのコントロールをなんでかしらんが、間違ってしまうのも人間なのです

というようなことを言っている。

原発をあきらめきれないのと同じで、人間は科学をあきらめきれない。
それが、業だ。(麻薬みたいなものだね。やめられないのだもの。やめられないのが麻薬だから)

しかし、その業と向き合うときに、だれかが、社会が、共感してくれたら、救われる。
人間は、業を抱えるけれども、その業が、人の共感で、解消する(やめられる)ことがある。

人間が、科学と添い遂げられぬ悲しみ。

その気持ちに共感さえしてもらえば。

解消することも、ある。

共感、を、祈り、とよぶ人もいる。

震災直後、なんでも博士の荒俣宏さんが、東京の街の節電風景を見ながら、「人々の祈り」のようなものを感じ取った、と語っていたが、こういうことかも。

ついでに思い出したが、鶴見俊輔は、「真理とは方向感覚である」とのこと。

もうこれで、日本の哲学者が3人もいなくなったことになる。
梅原 猛(うめはら たけし、1925年3月20日 - 2019年1月12日)
梅棹 忠夫(うめさお ただお、1920年6月13日 - 2010年7月3日)
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年6月25日 - 2015年7月 20日)

梅原たけ

わたしはネアンデルタール人

ネアンデルタール人について、先ごろ、NHKスペシャルで放映されていたのをご存知だろうか。

わたしはそれまで、ネアンデルタール人というのは、われわれホモサピエンスよりも大柄で野蛮であり、ちっとばかし頭脳がゆるくて、そのため滅んでしまった、というイメージを持っていた。
そこで、学校でも歴史の授業の最初の最初、そういった話をしてしまったこともある。
ところが、それはまったくの誤解であったようである。

詳しいことは知らないが、どうやらネアンデルタール人のおかげで、現生人類のわれわれは、生きていられるようなのでありました。
その謎を紐解いていくと、なんだかネアンデルタール人に申し訳なくて、素直に謝りたい気持ちになる。

なんでこんなに、誤解してきたのだろう。
人類は、誤解がやけに多すぎる。
つまり、人類が普遍的に持っている欠陥回路なのでしょう。
だれも、完璧な知能を持ちえないためか、あるいは知能というものがもともと『マチガイを当然』とするものであるためか、人間は全員、当然のように誤解をするのです。

それにしては、わたしを含めてお互いに、みなさんも「いや、わたしは事実を知ってる」と言い張りますナ。
そして、そういう態度についてはだれも不思議に思わない。ここがまた、人類の悪い癖なのありましょう。


どういう背景があったのでしょうか。
ここからはNHK番組を見た、かすかな記憶を頼りに書いております。
(まちがっていたら訂正してください)

解説しますと、
ええ、ネアンデルタール人は・・・。

実は、ホモサピエンスよりもかなり先にアフリカを出ております。アフリカより北方向と東方向にむけて進んだのですね。時代的には、かなり古い時代です。
その間、気候の変動などがあり、アフリカ大陸が住みにくい土地になったとき、ホモサピエンスは絶滅寸前にまで追い込まれるのですが、ネアンデルタール人は幸運にも北方の土地およびアジアの各地域に進出済みであったため、生き残ることができました。

ホモサピエンスは弱くて集団の力を磨き、コミュニケーションの高度化によって生き延びていくのですが、ネアンデルタール人は個人の能力が高く、獲物をしとめる能力があったため、人数の少ない、ゆるやかなグループで生きてました。

で、時代的には後からになるのですが、ホモサピエンスがようやくアフリカを出まして、各地に散らばり始めます。当然、そこでネアンデルタール人と顔を合わせます。

これまでは、そこでホモサピエンスがネアンデルタール人と対決して、勝ったのだ、ということが言われておりました。(勝った負けた、という思考パターンが頭の中にあり過ぎなのでしょう)
ところが現実は、仲良く混血しておりまして、お互いを配偶者としていたのですね。どんどん混血が進み、今の現代人には、わずかでありますが、どの人も数パーセントはネアンデルタール人の血が流れているそうです。(つまり遺伝子)

これが明らかになると、どうにも顔が赤らんで、恥じる気持ちがたくさん出てきます。

たった今まで、口汚く「乱暴者!」とか「脳タリン!」とか、「図体がでかいだけの穢れた肉食野郎!」とネアンデルタール人のことをののしっていたのに、手のひらを返したように、全人類が

「すみません。わたしがネアンデルタール人の子孫です」

と言わねばならないのですから。


ヒトラーもアンネフランクも、トランプも安倍総理も、ミッテランもシラクも、ホメイニ師もサダト大統領も、死んでもラッパを離さなかった木口小平も、インパール作戦を進めた牟田口将校も、あなたもわたしも、みんなネアンデルタール人の子孫だということです。

で、アフリカを遅れて出てきたホモサピエンスは、どうやら一部は死に絶えたようです。病原菌に冒されましてね。ヨーロッパやアジアに存在していたウイルスに勝てなかったのです。
ところが、ネアンデルタール人は、そのウイルスの耐性を持っていたのですね。なんとなれば、彼らネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスより数十万年も先に、アフリカを出てヨーロッパやアジアに広まっていたのです。その間に、ウィルスへの耐性を獲得していったわけ。

ホモサピエンスは、弱かったし、ウイルスへの耐性を持っていなかったので、これはもう、自らのぞんでネアンデルタール人と混血するしか、生き延びる術がなかったのです。

ケロポンズと福田りゅうぞうさんの『ねあんでるたーる人』で火を起こしたり獲物をとったりしているネアンデールたちも私たちの祖先だ、と考えるとなおさらのこと、親近感がわいてきます。そしてまた、

同じ人として、人類として、

「誤解しててすまん」

と叫ばなければならないみたいですネ。

ネアンデル

高校生の自分へ、手紙を書いている。

最近、高校のころを思い返すことがありました。

それは、わたしの写っている古い写真を実家の母が物置?から見つけ出し、「こんなのがあった」と小包で送ってきたからです。

その写真を見ると、若い男の子が着物を着て高座にあがり、落語を演じています。
懐かしい。文化祭での一コマなのです。
わたしは、教卓の上で、ずいぶんと真剣に演じているのですが・・・。
頭の上には、薄青い厚紙をのせ、さらにその上にナスをのせています。
厚紙でつくった『きれいに剃り上げた月代(さかやき)』に、ナスの『ちょんまげ』をのせたつもりでしょう。・・・ただのアホですね。

40代後半になったおやじの、あまりにもアホな姿に息子は爆笑し、妻も涙を流していました。父親としての権威は地に落ち、次の日の朝まで、わたしは嗤われ続けました。どうして、こともあろうに、よりによってこんな写真を急に寄越したのか・・・。
まったく・・・実家の母を恨みましたヨ・・・。

今さら壁に飾るわけにもいかず、どこか本棚の隅に追いやって見ないことにしたかったのですが、30年前の自分の顔をみていると・・・

実は、あることを、ふいに思い出しまして!

わたしはつい、片づける手をゆるめて、物思いにふけることになりました。


そうそう。
そういえば。

そうだった、そうだった。
このとき、わたしは学校の文化祭のなかで行われた、討論会に参加したのでした。

「自分の利益を正直に追及していくということを、真面目にちゃんとやらないといけない。それも世界中の一人残らず、45億人なら45億人が全員、他人の迷惑ということを考えるよりも先に、まずはきちんと自分の幸福を追求しないといけないのでは」

ということを言いました。

すると、目の前にいた名前の知らない女子が、

「いや、そういう考えではいけない。みんなが自分の勝手な幸福を追求しはじめたら、世の中はとんでもないことになる」

と、反対意見を出しました。

わたしは言いたいことが伝わっていないと考えて、さらに説明を試みて、

「いや、自分の幸福を追求していないからかえって迷惑が生じるのであって、本当に考えきることだと思う」

というと、彼女はため息をつきながら、

「そんな勝手なことでは、いつかしっぺ返しがくる」

と、やれやれといった調子で肩をすくめたのです。

どうです?この話。
さすが、人生の初期ですな。
「幸福とは何ぞや」と、真剣に考えておったのでしょう。
当の高校生にすら、青臭い、と馬鹿にされるような出来事です。



まあ、わたしはそのことを40代の後半になって、今でも鮮明に思い出すことができる。
当時、そのくらい、大きな衝撃を受けた。

「自分の幸福を追求すると、他を侵すことになるのか?」

実はその後、30年以上、今でもそのことを考えていて、というか、その時以来、ずっと当時の自分になんとか答えを言い渡してあげたいという気分のまま、生き続けています。今でもこうやって、当時の自分に対して、ブログやらなんやらコラムを書いたり、講演をしたりしているのは、いわば「当時の自分に向けて、何か言いたい」からなのですね。


17歳のわたしは、今でもわたしの中に生きていて、そして、やはり、同じように問いかけてくる。

「どうだかね。なにか、考えは進んだかい?」と。

叱らない、困らない、という教師を続けているのも、その17歳の自分に、なんとか答えらしきものを見せたい、という意地のようなものなんでしょう。

なんのことはない。
大人になってもずっと、自分自分に手紙を書いている、だけのこと。

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写真は、でかいマンボウ。

理想がなくたって、だいじょうぶ。

.
あと、ひと月で4月。
これから新しい生活をスタートさせる人も多いのだろう。
新聞記事で、就職のことが特集されていた。
今年は売り手市場だとかで、例年よりは就職率が良かったらしい。
わたしは氷河期世代。どこもかしこもバブルの打撃で立ち直れない時期だった。

「なぜか分からないがどうしても受からない、自分が悪いのだろうか」というので悩む友人や後輩の姿をたくさん見た。日本全国、多くの若者が志望動機など一切封印して、ともかく就職できれば良いからどこにでも行く、という感じだったと思う。

「本当はこうしたい」
「本当はこんな夢がある」
当時は、こんなことは言えない状況だった。
夢を封印した人の、寂しさ、やるせなさ、というのがあっただろう、と思う。
わたしの学生時分の友人たちは、意を屈して、意志をまげて、就職していった者が多かった。そして、今でもそこで石にかじりつくようにして、辞めずに頑張っている。


わたしが久しぶりに連絡をとった大学生時代の友人の中には、
就職してしばらく、愚痴ばかり、という友人がいた。
ひょうきんな顔つきで、愉快な男であったが、自分の希望する職種やジャンルとはまったく異なる、いわゆる営業畑に入り、苦労をしたようであった。

私は、そのうちに彼は辞めるのだろう、と漠然と考えていた。
当初、愚痴ばかり聞いていたこともあって・・・。

ところが、久しぶりに聞いてみると、なんとまだ、そこで働き続けていた。
そして、なんだか、とっても充実しているらしい。
わたしは、内心、とっても驚いた。
あまつさえ、私に向かって彼はこうも言ったのである。

「まあ、人生いろいろだけど、新間も頑張れよな。教員もつらそうだが、辞めるなよ」

彼から感じるのは、まったく後ろめたいもののない、底抜けの明るさだった。



根が明るい人は、理想がどうこう、なんてこと、言わないでも平気なのだという気がする。
そんなことに頼らずとも、平気で、生きていける。
だれが見ていなくたって、平気で、一人でも、生きていける強さがある人のことを、たくましいとか、明るい、とか言うんだろう。

そう考えてみると、「本当にやりたいこと」を考えなさい、と追い込む社会機構、社会システムは、おおむね、暗い、と断言してよい。
「理想」を考えずに済むのが、一番いい。
誰もが、ふと、生きていけるという、そういう明るさが、もっと知られるようになればいい、と思う。
逆に言えば、社会全体が自然と個人を生かすようにセッティングされていると言おうか。個人を追い詰めなくても良いくらいに、社会が進化している状態であること。

「就職」の話題がどうしても苦しさに満ちた記事になっていくのは、そこにどうしても、個人の理想を重ねようとするからだろう。
理想を考えずにいられないというのは、もはや「理想中毒」と呼んでいいのかもしれない。
理想に頼らない生き方が、これからはもっと取り上げられるようになると思う。

オリンピックの羽生選手が、若い人の理想の姿だ、という新聞コラムを読んだ。
このコラムを書いた人は、たぶんおじさんなのだろう。
まだ、まだ、おじさんの思考は、「理想」を追いかけることに夢中になっている。
「こうでなければならない」というの、強いんだろうな。
(というか、そういう価値意識しか習得してこなかったから、一生そのままだろう)


小学校でのキャリア教育でも、「理想」とくっつけた途端、暗くなってしまうことが予想される。
そうならないよう、新しい「人間の幸福」を、見出していけるような人になりたい。
しかし、悩むことはない。
すでに、その答えは子どもたちが持っていて、わたしたちに教えてくれている。


businessman_workaholic

コストダウンという考え方

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経営者なら、コストダウンを懸命に考えるのが仕事だろう。

一番のコストダウンは、戦争放棄。

宮澤喜一元総理大臣が、娘さんに、

「戦争しないのがいちばん儲かる」

というようなことを言っていたそうで、それは一理あるなあ、と思った。

ともかく、会社でも組織でも、もっとも人間の潜在能力を下げるのが、

「いさかい」

というやつで、人間が人間の「やろうとすること」のパワーを、足を引っ張って下げてしまうことが、いちばん効率が悪い。

ある部署が、一丸となって、ある商品の開発にしゃかりきに取り組んでいる一方で、その部署の努力を、なんとか邪魔してやろう、と言う人たちがいれば、その会社の生み出そうとする価値は大きくはならない。

ことほど左様に、コストダウン、ということを考えたら、お互いをリスペクトしあって、お互いが生み出そうとする価値を尊重し合う、ということが一番大事になってくることは疑いようがない。

ところが、これが難しい。

「嫉妬」

ということがあるからだ。

つららの先端

自戒を込めて~あと20日~

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いよいよ、残りの登校日数が少なくなってきた。
もう20日ほどで、この一年度が終わる。
今思えば、あっという間だった!!

春が過ぎ、夏になり、秋になり、すぐに冬。
もうすぐ、卒業だ、終業式だ、クラスのお別れだ。

今年は父を亡くしたこともあって、「人生」というキーワードで考えることが多かった。
一生、という時間。
一生の間の、この短い40代を、どう過ごすか。
何をして、何を見て、何を軸にして生きるか。

月曜日、火曜日・・・あっという間に週末だ。
ちょっとじっくりと物事を見つめてみたい、と思いながらも、
洗濯したり、ホームセンターで買い物したり、薬局に行ったりしているうちに、
土日なんて終わってしまう。もう日暮れだ・・・。



やらないでもいいことをやって、忙しくなっている。
持たなくてもいいものを持って、複雑になっている。
大事なことは全部あと回しで、目先の義務を果たして、本来の自分のことはすべて置いて、人生の大事な時間を浪費していく。

今の今まで、多くの哲人が、賢人が、こういうことを指摘している。
でも、やはり、ほとんどの人が、

「自分」

を忘れて、「事柄」に夢中になって、ため息をついて、暮らしている。

複雑すぎることから、一歩離れて、俯瞰してみることが必要だ。
しかし、それができない。
その、一歩離れる、が、できない。
訓練されたこともないし、やったことがないから、分からないのだ。
どこから手をつけていけばそれがやれるか、あまりにも目の前に、ガラクタが多いから、見えていないのだ。

『一歩離れる』は、簡単だ。

自分のやること、考えること、思うこと、反応していること、ほとんどが、霧の中、夢中のことなのだ、と分かれば、一歩離れるしか、なくなる。そうとしか、ふるまえなくなる。


昔話に出てきそう

人は、事実ではなくて「感想」で苦しむ

.
中国のむかし話を、子どもたちに読んで聞かせた。


それはアジアの昔話を集めた本でしたが、こんな話です。
『中国のある地方に、ワンという男が住んでいた。
ワンは木こりで、毎日、山にでかけた。
ある朝、家の玄関で慌てふためいた。肝心の道具である斧がなくなっている。
隣の家の男が盗んだに違いないと思ったワンは、考えれば考えるほど、そう思い込む。
そういえば、昨日の帰り道、畑をたがやしている隣人の表情が変だった。
隣人の奥さんも、先日、油を借りに来たが、家の中を不自然に見まわしていた。
半月ほど前から、妙によそよそしかったことにも、気づいて、
ワンは苦しくて仕方がなくなる。

「おれは、こんなに親切にしてやってきたのに!!」

ワンはどうやって仕返しをしてやろうか、と憤懣やるかたなく、
家にじっとしていられなくなっていつもの山に来る。
仕事場の切り株に座ったとたん、足元になにかが触れた。
落ち葉をかき分けてみると、そこに自分の斧が出てきた。

そうか、この木を切り倒したあと、そのまま置き忘れてきたのか。
笑いながら思い返すと、そういえば隣人の表情はいつもあんな感じだし、
奥さんが油を借りに来るのもいつものことだし、どこもへんじゃない。

ワンが斧をもって帰宅すると、畑に出ていた隣人が、いつものように
「調子はどうだい」と声をかけてきたが、まったくふだんと同じに見えた』


この話を読んで、事実と感想に分けてみる。
赤鉛筆で事実だけに線を引かせると、
どこもかしこも、赤線だらけになる。

ところが、赤線が引かれない場所がある。
ワンさんのセリフや、考えたことの箇所であります。
不安に思ったり、怪しんだり、あれこれと思い悩むところは、
赤線ではないわけ。

ワンさんが、苦しんでいるところに、今度は青い線を引かせる。
青いクーピーで線を引いていくと、ワンさんの思考はほとんど青、である。

「青い線のところは、事実なの?」

ちがーう。

「事実でないとしたら、なにかな」

感想。


子どもたち、国語の教科書で、事実と感想を分ける訓練を積んでいるから、
こういう質問には、パッと答えるのです。事実でなければ、それは「感想」なのではないかと・・・。




まとめを書かせると、ほとんどの子が、

「ワンさんが苦しんだのは、事実よりも感想で苦しんだ。
人間と言うものは、感想で苦しむものだ」


と書いていました。
「人間と言うものは、~なものだ」という言い回しは、いつも指導しているまとめの書き方です)

アワテフタメク

学校は社会の縮図だという当たり前の常識?

.
学校でしっかり勉強することができる子どもは、会社でもきっときちんと働くことができる。

同じように、家庭でしっかり家事などをして働くことができるお父さんは、会社でもきっときちんと働くことができる。

同じように、部活でしっかり活躍できる子どもは、会社に勤めても活躍することができる。

同じように、家庭でしっかり宿題のできる子どもは、会社でもきちんと事務処理をすることができる。

同じように、家庭でしっかり家族サービスのできる父親は、会社でもきちんと事務処理をすることができる。

同じように、学校でやっていけない子どもは社会でやっていくことができない。

同じように、家庭で妻とうまくやっていけない父親は社会でやっていくことができない。

同じように、休日にグータラしてねそべってテレビを見ているような父親は、会社でもグータラしている。

同じように、妻に文句を言われている父親は、会社でも上司や部下から文句を言われている。

同じように、プールでうまく水をかいて前へ進める子どもは、陸上でもうまく走ることができる。

同じように、サッカーが上手な子は、文化祭で歌の発表もうまくできる。

同じように、・・・



ここまで読んでくると、さすがに

あれ?

と思う。



学校は社会の縮図であり、学校でやっていけない子は社会でやっていくことができない、という考え方。

それは、その子の可能性を学校の中で求められる価値観に押し込めてみているに過ぎない。


学校は、学校だけでしか通じないようなオリジナルのルールがたくさんある。

学校は、社会の縮図だ、と考えるには、無理がある。


学校でリーダーシップがとれた。だから、きっと会社でも・・・

そういう場合もあるだろうが、またまったく違う場合も、かなりたくさんある、ということ。

学校でどうだったかというのに、どうしてもこだわりたい人もいるけど、

実はそんなに関係がないという要素が、すごくたくさん、想像以上に多くある、ということ。


また、学校には、無数のイベントがある。

イベントごとに、授業ごとに、単元ごとに、子どもは無数の反応をし、持ち味を出し、活躍する。

場面ごとに、人間の表現するものも、内在するものも、すべてがリフレッシュし、

かきまぜられ、新しくなって出ていく。



そう考えると、

「家庭は社会の縮図」だとか、「学校は社会の縮図」だとか、

ほとんど無意味なことだろう。



学校は無数の細胞とその関わりから出来ていて、家庭も社会もまた同じである。

学校と社会は似ていることも無数にあるし、似ていないことも無数にある。

関係ありそうなことも無数にあり、関係のなさそうなことも無数にある。



それを、さも直接関係のありそうなことにして、『縮図』という言葉に押し込めてしまうが、

それはきっと、

人間が、この複雑な人間関係を

わかりたい(わかったと思いたい)

という病気にかかっているときの、よくある行動パターンなのだ。

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生まれて初めてのこと

.
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父が亡くなる前のこと。

家族で病室にいたら、

「昨晩、息がくるしくて、死にそうだったよ」

と、当の本人が言った。

思わず、

「死にそうなときって、どんな感じなの?」

と尋ねると、

「いやあ、お父さんも生まれてはじめてのことで、死ぬってのがどんなのか、よく分からんかった」

という。

「なにか見えた?」
「うーん、なにか見えると思ったけど、そうでもなかった。

まあ、咳こんで苦しかったから、そっちで夢中になってて、なにも分からんかったなあ」


ずいぶん、死ぬ間際の人の会話としては、呑気な会話だな、と今は思う。



父は、「死」とどう向き合ったのか、会話の中にヒントがあった。

生まれて始めたの体験、として、「死」をとらえていたのだ。



悲壮なもの、不運を嘆く感じが、あまりしない。

たとえれば、新鮮な野菜をほおばる前の、雰囲気だろうか。

なにか、珍しいものを食べる前のような、ふだんの父親の顔つきが、ふと思い浮かんでしまう。

「死って、なんだろうか」

そういう態度が、父には、ごくふつうに、あったようだ。



世をはかなむのでもなく、

できなかったことを悔やむのでもなく、

不満があるとか、やりのこしたことがあるとか、

そんな雰囲気が薄いのが不思議なくらいの調子で、こう言った。

「なんせ、お父さんも、初めてのことだからねえ」



小学生のような顔つきで、80歳近くの老人が、ぼそっとつぶやくのは、

むしろ滑稽な感じもあって、思わずそこにいた全員が、頬をほころばせた。



考えてみれば、人間は現在を生きるしかないのがもってうまれた宿命で、

すべての体験が、「生まれて初めて」。



これは初めて。

どんな世界だろう。

自分の中に、どんな変化が起きるだろう。

自分は、どんな感情をもつのだろう。

自分の心は、どう動くのだろう。

自分は、安心に包まれているだろうか。

そのとき、なにをみるのだろうか。




「死」を前に、父は、どんな心でいたろう。

少年のような、

死ぬ前の人特有の、

あの、透きとおった目で、

いっしょうけんめいに、「死」を感じ、みようとしたのだろう。


「科学の目」ですね。


「つい、カッとなって・・・」とは、なんだ?

.
行き過ぎた感情を、処理する方法。

感情をどうするか、というの、

とくに誰かから、教わったり、習ったりしたことがない。




子どもたちと話していても、

「むかつくから」、「イライラしたから」、「カッとなって」、

というような言葉が、出てくる。

こういう種類のフレーズしか、習っていないからかも、と気づいた。




よく聞く、「つい、カッとなって」、というやつ。

こんなの、よく表現できたなあ、と感心してたら、ハッと気づいた。

これ、自分で考えた表現じゃないわ。どっかで、読んだり、聞いたりしてるわ。





ためしに、身近な人間に、

「ねえねえ、ついカッとなって、〇〇しちゃった、という表現あるでしょう?」

と聞いて回った。

「その表現って、言うことある?これまで、言ったことある?」

すると、みんな、

「あるよ」

と言う。



そこで、

「その、ついカッとなって〇〇しちゃう、みたいな文章って、自分で考えたの?」

と聞くと、

「いいや。どっかで聞いたり、読んだりしたのだと思う」




つまり、この、

「つい、カッとなって、〇〇しちゃう」

という文章表現って、どこの誰が考えたかしらんけど、

長きにわたって、日本の中で、ずいぶん流行し、使われてきた、ということらしい。

流行語大賞がとれる!


これ、表現、とか言い方、という問題ではないな。

頭に来たときの感情の処理の方法なんだ。

頭にきたら、何かに当たる、というの。

「そうするものだ」と、刷り込んでる。

その「刷り込み」が、具体的に、後々の世代へと、

きちんと受け継がれて行っている、ということ。

まさに、『言霊(ことだま)』、と言っていいレベルで。



つい、カッとなったら、数える、という人はあまりいない。

というのは、日本語ではまだ、

「この間、ついカッとなってしまって、数を数えたよ」

という文章表現が、人々の人口に膾炙してないからだ。



一度、日本人全員で、流行させてみたらいいと思うね。

別なパターンを。

カッとなったら、

数える、とか、散歩する、とか、甘いもの食べる、とか。

そしたら、

「ついカッとして、〇〇しちゃった」というのが、ふつうである、
と思い込んでいたところに、ちょっとした変化が起きる・・・かも。




我々は、ふだん使われてきた日常のフレーズから、

言霊にあやつられるようにして、

「これが当たり前だ」 「これが男(女)らしいのだ」 「これがあるべき姿だ」 というように、

これが正しい、とされる感情表出と感情処理の仕方を、学んできているようだ。




いったん、そこをぶちこわすのが、これからの道徳教育、ということになっていくだろうネ。

似顔絵2

父の見舞いで、思うこと

.
父が入院しているので、見舞いに行った。

この父には感謝している。

とくにありがたいのは、

わたしが人生を、かなりナメていたことを、許してくれていたことである。


今でも私は、人生を甘いと感じ、ナメた感じがあるのだが、

それも、しずかに許容してくれている。


ふつうの父親であったなら、

「人生は、そんなに甘いもんじゃないぞ!」

と、叱るような気がする。



今でも、はっきりと、わたしは人生をなめている。

今の人間社会の根底の問題は、

人生をなめることのできない人が多い、ということに尽きる。

なめて、生きていくのが人生なのである。

人生は、ソフトクリームのように、甘い。

それを、

「なめたらあかん」

と言うから、おかしくなって、多くの人が「鬱」になる。




20歳の頃の、瞬間的な熱量で、わたしは世を、さすらってしまった。

さすらうことの、心地よさに、酔いしれてしまった。

だから、教師になるのが、ずいぶん遅くなった。

40歳を前にようやく教師を始めた、なんてのは、ずいぶん、世間を舐めた話かもしれない。



さすらう、を、漢字で書くと、

『流離う』

と書く。

わたしのような、さすらい者は、

人生の初期に

「自分は中途半端な、ふがいない奴」

と自覚したからか、

すっかり、社会の中で無理をしなくなった。

だからかもしれない。

「老い」に対する恐怖が、あまり、無い。




「メロンを、あと何回、食べられるかね」

と、父が言う。



あと何年生きられるか。

あと何回、食べられるか。

自分も、人生の真ん中は超えた。

自分の年齢の数え方が、ごく最近、変わった気がする。

若い頃は、0から数え始めた。

今は、逆だ。

あと何年生きるのか、と数えるようになった。

父の病室を何度か見舞ううちに、自然とそうなってきたようだ。




父とその後、なんということもない、ごく普通の会話をして、病室をあとにした。

「じゃあ、またね」

渥美半島のメロンは、気に入ってもらえただろうか。


「責めない」という選択

.
家族を殺された方が、殺人犯のもとへ面会に行く。

そこで、

「あなたが幸せになることでしか、解決は無い」

という。

殺人犯は、涙を流して、声を震わせながら、

「わたしが幸せになっても、いいんですか」

と、言葉を絞り出す。



殺された家族のことを思うと、居ても立っても居られなくなり、

同じように殺人を犯した者のところへ行き、何度も対話を重ねる、という。

それは、自分の感情をぶちまけるわけでもなく、

犯人を責めるわけでもなく、

ただ、「対話者」としての、ひとりの人間になるため。

「あなたには、対話者がいなかったのかもしれない」

身近に、本当の意味で、対話のできる人がいれば、あなたは殺人を犯さなかっただろう、と。

『ある遺族の選択』https://news.yahoo.co.jp/feature/710



わたくし、実は、同じようなことを、以前に聞いたことがある。

このブログにも、書いている。(2016年05月06日どんな子もかわいいは、嘘か)


アメリカの映画かドキュメンタリーで、同じように娘を殺された家族が、

これから処刑される殺人犯を前に、

あなたが幸せになればよかったのに、と言って抱きしめる、という場面だ。




幸福、というものを真に見つめれば、

自然と相手の幸福を願っていくほか、他にすることはない。



8月に入り、命とか、人生とか、考える機会が増えた。

日常に忙殺されることが多い毎日であるが、

一方で、人間の生きる、おおもとのところを、きちんと考えていたい、と思う。

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