30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

転職あれこれ

教員へ転職。給料の額は・・・


教員へ転職する前、20代のころは、農業の団体職員だった。

給料は、まあ、ふつう。
平均よりも高い方ではなかったが、なにせ毎日食べているものが高級で、新鮮で、やめられなかった。

テレビのグルメ番組を見ても、おお、と思わない。
これは当時も、

「おれたち、こういう番組(グルメ料理リポートなど)って、ちっとも反応できないな」

と仲間と話したことを思い出す。
新鮮で、とれたて、これはどんなに料理をしても、かなわない。
だって、味がちがう。

牛乳だって、搾りたては、砂糖が入ってるの?と思うくらい、うまい。
味がちがう、というのが、知らない人には伝わらないからもどかしい。
砂糖が入っている?というのとも、本当はちがうのだが・・・。
自分がそれまで知っていた、市販の牛乳パックに詰めてあるものと、あまりにちがうので、そう言いたくなるのかも。(砂糖が云々と)

パンも、焼きたては、味がちがう。
これはもはや常識だろう。

野菜もしかり。
朝、とってきたきゅうりは、なにかがちがう。
とにかく、そのままでもうまい。
とれたてのちんげん菜が好きだったが、そのままでうまい。
この「うまさ」を、レストランで、と思うこともあったが、期待するのを止めた。


さて、就職一社目。


農業していた20代の給料額は、平均なみ。
その後、野菜の販売やカタログ製作のために東京の会社へ移籍。

これが初転職の二社目で、このとき給料が少し、上がりました。まあ、年もとるから、当り前なのですが、職種やら地域の差が出たのだと思います。でもまあ、ふつう、です。

その後、転職し、三社目。わけあって、会社を辞めることになりました。同時に、教員になることを考え始めます。
少しの間、派遣登録をして、派遣社員としてIT企業に勤務します。
給料は下がりました。

続いて、転職・四社目。
御縁のある方からのお誘いで、正規社員としてIT企業に勤務することになりました。宇宙研で常駐しSEとなります。このとき、給与がとてもよくなりました。額を言うと、親も親戚もみんな
「えっ?!」
と驚くくらい。
まあ、会社を転々と変えていた私のことを知っているので、こんな根なし草のようなやつが、まともに給料もらえるのか、と驚いていることもあったのだと思います。

このIT企業社員は、まあいわば、世をしのぶ仮の姿、でありました。
心の中では、すでに教員になることを考えておりました。現実に通信制大学で単位を取得したり、小学校教員資格認定試験を受験したり、と行動していました。

さて念願かなって、教員免許を取得。
これで気持ち的には初めての転職をすることになりました。
小学校の非常勤の講師になったのです。
教員への転職、が現実になりました。

一年目、非常勤の時代の給料は、これまでの半分以下に。
翌年二年目、常勤の臨時任用講師となりました。これで、IT企業時代の4分の3程度まで復活しました。
教員採用試験に合格し、正規採用となりました。
でも、給料はほとんど変わりありませんでした。
つまり、臨時任用講師と正規採用者とでは、ほとんど変わらない、ということです。


給料額という待遇面をみると、サラリーマンの方がいいですね。



教員へ転職する、ということで、給料額の質問がありました。
ブログで何年も書いていると、いろいろな方からの質問がありますが、たまたま最近、給料のことで質問が重なりましたので、書いてみました。




震災をきっかけに転職する




転職の相談を受ける。

わたしが複数回、転職をしているためだろう。



福島原発の放射能が心配で、移住を考えている人がいる。
うちの家内の古い友人。
現住所は、千葉だ。

「フクシマが今、たいへんですが、静岡県の浜岡原発も心配ですよ」
と言ってみたが、考えは変わらないようである。
家族で少々ツテのある、愛知県へ引っ越そうともくろんでいるのだとか。

一番の動機は何ですか、と尋ねると、

「子どもです。放射能がこわいので」

とのこと。
何でも地元の水道水から、基準値を超えた放射性ヨウ素が検出されたらしい。

「もう、千葉には住みたくない」

とは、奥さんの意見。


へええ、と驚いた。
こういう人も、いるのだなあ。

気持ちの元にあるのは、わが子への愛情、である。



同じように、フクシマ、東北、関東圏、首都圏からの疎開をもくろむ人がけっこういる。

問題は、家族内の意見調整だ。
旦那さんと奥さんと、それぞれの意見があり、合わない事だってある。
旦那さんとは当初、意見が合わなかった。が、最終的には奥さんの気持ちを受けた、という人もいる。


近所に越してこられた家族がいて、今回の震災が大きなきっかけになったとか。
ご主人は転職を視野に入れ、いろいろと悩まれたが、これからの人生航路、舵を切るタイミングと判断されたのだとか。


この方に、
「最初の会社に、何年お勤めでいらしたのですか」
と訊かれた。

「十年です」
というと、驚いている。

十年勤めた会社を辞めて、転職することそのものに、相当な勇気が要るものらしい。
もう、過ぎ去ってしまった身であるから忘れてしまったが、当時の自分自身も相当、自分を鼓舞していたと思うし、気合を入れて計画を立てていたと思う。


だれしも、「転職する」ことに自信はない。
途中で嫌になってしまったらどうしよう、という不安だってある。


思えば、転職は不安だらけである。

1)離職する不安。家計の不安。(子育て中ならなお)
2)無事に就職できるか不安。失業の不安。
3)本当に新しい職業にマッチできるか不安。
4)続けられるかどうか、の不安。

どれも不安だらけ。
まともに考えたら、転職などリスクの高い賭けのようなもの。
周囲の人で、それを勧める人はめったに居ないだろう。
だから、転職の相談でわたしのところを訪れよう、というのだ。
(転職しようという人の背中を押せる人が少ないものね)





「それで、転職して先生になったのですか」

「すぐにはできなかったですね。その前に、教師になるためにやらなきゃいけないことがあったので・・・。免許がなかったもので」

まず最初の転職で、免許取得の勉強ができるようにと思って自宅から近くの勤務先を探して勤めたこと。
通勤が自転車こいで10分、だったこと。
その時間を勉強時間にあてたこと、などを話した。

その後、再度転職をして、教師になったことを話すと、

「なるほど、用意周到ですねえ」

と感心された。

用意周到というよりも、他に打つ手がなかったのだ。
追い詰められていた、という感じもあったから、むしろ背水の陣であった。



私のように、学生時代にこれといった世界が見えず、とりあえず就職した先でいろいろと人生経験を積み、そこから改めて道を定めた、という人も数多くいるだろう。
10年くらい経ってから、

「このまま行ってもいいけど・・・。もしかすると、○○がオレの本当の道かも」

と思うことだってあるのじゃないか。
とくに、これからの時代、キャリアはこれまでのような終身一企業就職、というような一階建てではなく、20代、30代、40代とそれぞれのステージでの就職を考えるようになっていくかもしれない。そうなると、就職イメージは、これまでの一階建てでなく、二階建て、三階建て、というものになっていくだろう。



震災で、奥さんが引越しを希望する。
旦那さんも、結局はそれに同意して、引越しを前提に生涯設計をやりなおす。


奥さんは、家計のためにはともかくも働いて、給料を稼いでほしい、と思っている。
片や、旦那さんの方には、これを機会に、と考えてみると、実は前からやりたかった職業がある。
どうせ転職するのなら、思い切って自営の道に、と考えることだってできる。


私自身は、10年勤めた牧場で働くうちに、「教師」という方向が見定められてきて、

「教師になります!」

と言って行動したのだから、転職と言っても、なんだか夢を追っているようで楽しかった。

20代では、自分の就く職業を定めるときの、確固たる発想も勇気もなかった。
実社会で10年やってきて、ようやくそういう境地に立てたのである。そこから現在の職業に就いたのだから、回り道をずいぶんした。
でも、私には必要な回り道だった。


大学を卒業して、ふつうに就職活動をして企業に入社する人の中には、10年くらいするとなんだか違うセンサーが自分の中に育ってきて、「転職」を考える人も多いと思う。

結構、いいですよ。そういうの。


転職を、自信をもって勧めたい、です。




教育実習に行ってないけど教師です




4月1日は、あたらしい先生方を職場に迎えての、歓迎会があった。
夜、駅前の通りを歩いて、指定の店。

宴会。
今の時期、大震災のさなかに行うのはどうか、という意見もあった。わが校長は、
「不安がうずまく今の世の中で、平常心で動くこともまた大事。平常心を失うから、買占めやら他を責める気持ちも生まれる。平常心の中で、粛々と子どもたちの大切な環境をつくっていく。そのための歓迎会なのだから、やるべし」と判断。

個人的には、本当によかった。その通りだ、と思っていたから。

さて、新しい先生方8人。(小規模校、12学級しかない学校で8人も先生が変わるってすごい規模だと思います)
自己紹介などいろいろと語り合っているうちに、

「○○小学校の教頭先生が、わたしの教育実習の時の先生でした」

という話題が出てきた。

それを聞きつつ、うらやましい気分。
私は、教育実習を受けていない

サラリーマンだったし、妻子がいたから、定職を離れるわけにはいかず、一か月も職場を離れることも無理で、教育実習なんて受けている余裕がなかったのだ
なんてったって、一か月会社休むって言ったら、

「じゃ、辞めてもらうしかないな」

と真顔で上司に言われたからね・・・。

いつもは冗談ばかり言い合うような人だったのに、あのときは真顔だったから、やっぱり無理なんだな、と観念しました。
大事な収入を途絶えさせるわけにはいかず、結局会社勤務を続行し、教育実習は受けない、とするしかなかったのです。


そこで、これも何度も体験済みのことですが、

新しくお見えになられた先生が、私に向かって、
「先生は、どちらで教育実習を受けられたのですか?」
とお尋ねになった。

となりでいっしょに聞いていた他の先生が、
「いえ、○○先生は(私のこと)、去年まで△△県にいらしたのですよ。だからこちらでは教育実習されてないですよね。ねえ、先生」

わたしは、ちょっと複雑な顔で言うしかなくなる。

「いえ~・・・、そうなんですけどねー。わたし、そもそも、教育実習を受けなかったんです」
というと、ちょっと一瞬、みんなの周りに不思議な空気が流れる。

「え?」
「なんでですか。受けなかったら教師になれないでしょう」

「えー、へへへ・・・」


ここから、私はどうやって、何を言おうか、本当に迷う。
笑ってごまかそうか、正直に転職の話をしようか、小学校教員資格認定試験のことを言おうか、どうやって言おうか・・・

しかしまあ、酒の席でなんとなく試験の話なんてのは、かたっくるしくていやな気もするので、ちょっと面白い顔をして笑いながら、

「いやあ~、受けないで教師になっちゃったんですよー!」

とか言ってごまかしたつもりになって、みなさんのグラスにビールを注ぎ、
「教育実習の先生が、隣の○○小の教頭先生になられているんですねえ。いいですなあ。縁がある、ということでしょうねえ」

こうしてなんとか凌いでいる。
グラスの中の泡が、ふっくらとビールのうまさを引き立てているようだ。
「お待たせしましたー、こちらでよろしいでしょうかー」
店の奥から、また別の料理が運ばれてきた。




30代の方から転職相談を受ける




30代の人たちから、転職相談を受ける。
このブログを公開しているからだろう。

自分でも教師になれるのか、という相談。
メールでいくつかいただいたので、ここで再度、書いておきたい。
実は、これまでに、かなりいろいろと書いている。

○小学校教員資格認定試験 [2006年08月13日(日) ]
http://arigato3939.publog.jp/archives/54401380.html

○一種の免許をとるためには [2006年08月15日(火) ]
http://arigato3939.publog.jp/archives/54401383.html

○いよいよ教員採用試験 [2007年08月10日(金) ]
http://arigato3939.publog.jp/archives/54401389.html


検索サイトから、スッと来られたかたには、
すぐには辿りにくいのだろう。


上記の文章などに記しているとおり、
免許なし、高卒、既婚、子持ち、いろんな条件はありましたが、道は決して、とざされているわけではありませんでした。
教育実習を受けなくとも、教員になることもできました。
30代の転職は、十分可能です。
サラリーマンで、1か月も会社を休めない、という方でも、免許取得をねらうことができます。

いただくメールを読ませていただいて、いろいろな境遇の方がいて、なにか、進路選択のヒントをさがそうとしていらっしゃることが分かります。

私のブログでよければどうぞ、いつでもご参考に。
質問は、答えられるときと、すぐにこたえられないときがありますので、ご容赦ください。
(私の学級の事情や行事、スケジュール、体調など、さまざまなことが要因で、なかなかすぐに返事が書けません。メールの返事がなくても、こうしてブログ本文に書くこともありますので、どうぞご覧くださいね。)
転職、応援しています!




転職の勇気




知人から電話があり、会うことにした。

転職を考えている、という。
30代だ。
30代転職の経験を話せ、という。

「やりたいことをやったらいいじゃないか」、という簡単な返答では満足できず、いろいろと話をする。

お互い忙しいから、駅前のドトール珈琲で。
注文も早い。

「ブレンド」
と、ひと言である。

これが女性だったら、
「えっと」
と言いつつ、メニュー表をじっと見詰めることになるだろう。

お互いに、中年の親父になってきているのだろう。
めんどうくさいことには、思考が働かない。

こっちも同じだ。

「2つ」

とひと言。

つまり、ブレンドが2杯、ということだ。

店員さんが、

「お会計はご一緒ですか」

「別で」

ちょうどの金をすぐ支払う。
もうすでに、店に入る直前から、ブレンドコーヒーの価格が目に入っているのだろう。
用意が早い。


こういうことを見ていると、お互いに、年をくったなあ。
という感慨が湧いてくる。
それに、おそらく、彼の日常生活もかなり多忙なんだろう。だから、いつもこんなテンポで忙しく生きているのにちがいない。

会うなり、

「どう」

と始まり、

「実はね」

と本題に入る。

お互い、相手の時間を気にしている。
だから、話している時間は楽しいし、いつまでも話していたいのに、ぐっとこらえている。

30代転職。
もっぱら、聞き役だ。
彼なりの、ライフプランを聴く。
教師をめざすのではないが、教育に関連した仕事だ。
子どもから大人まで、幅広い層を対象にした、教育サービス業、というもの。

今の仕事をしながら、大学に通って勉強を続けてきた。
このあたりも、自分と似通っている。
5年計画だ、と言って、始めていた。
それが、もうそろそろ、終わる。

お互いに、相手の進路、考えを、ずっと気にしていた。
参考にし合ってきた。
彼は、私の教師をめざす、という夢をずっと応援してくれてきた。7、8年前は、同じように私の話すライフプランをじっくりと聴いてくれた。今日は、逆の立場だ。

こういう下地を大事にしあう仲だから、人間関係の貯金が、貯まっていく。
信頼が増していく。


話も終盤になったころ、どうしても言いたくて言った。
「いっそのこと、教師をめざしたら」

本当は、興味もあるのだろう。
こちらの話も聴いてくれる。
だが、今ははっきりと、夢がある、とのこと。


彼のような人と、いっしょに職員室でやれたら、と思ったのだ。
しかし、それは、おそらく人間関係の信頼の貯金が、彼のようにたくさんある人と共にやっていきたい、ということなのだろう。
そのくらい、互いに信頼しあえる仲というのは、貴重なのだろう。

今の職場で、彼のように、信頼しあえる仲の仲間をつくっていくこと。
何があろうと、支えていける、という人をつくる、ということ。

いざとなったら、手のひらを返したように態度が・・・

という仲であったとしたら。

そんなレベルではとうてい、真に安心した職場とは呼べない。

人間の一生。
生涯において、本当に力を発揮できる空間を得たいのならば、今の職場だ。
職場を、本当に、信頼しあえる仲間の空間にしていくことだ。

初任者の立場から、それをやっていく。
30代転職をめざす彼と、最後はそんな話をして、わかれた。

コーヒーショップを出ると、駅前の街路樹が見える。
暑い陽ざし。
赤レンガの舗道に、木の葉の陰。

すっと背すじが伸びたような、彼のうしろ姿を見送ると、多くの仲間たち、30代転職組の健闘を称えたい気持ちが湧いてきた。




20代の先生を見ていて




30歳で結婚するのを機に、マジメに教師になろう、と決めた。
高卒だったので、「教員資格認定試験」で免許をとった。
35歳になり、講師になった。学級担任になった。

職員室で、35歳というと、若いようだが、若くない。
自分では、もう35か、という気がしている。
新卒の先生を見て、
「しっかりしているなあ」
と思う。

20代の先生をみる、そのたびに、
「自分も20代からこの世界に入っていれば」
と思う。

なにしろ、先生になってからがタイヘンだ。
勉強することが山ほどある。
今から、この高い山にのぼるのか、という感じだ。

先生になるまでに、就職、結婚、育児、免許取得、受験、と進んできて、
ようやく山を越えたか、と思った矢先、
目の前に、ものすごく高い山があった。

20代の先生をみていると、まじめにコツコツと学級経営や指導の勉強をされている。
その姿をみて、ああ、自分も20代からこの世界に入っておきたかった、と痛切に思う。
新卒の先生が、今からこのパワーで10年勉強したら、どれほど成長するだろう。
正直、うらやましい。
そして、ああもっと早く始めていれば、という思いが湧いてくる。

えっちらおっちら、35歳、子持ち、貯金無しの男が、山を登らねばならない。
1学期がようやく終わった。
めまぐるしく、なにをするにも手探りだった1学期。
毎晩、遅い帰宅で嫁さんに苦労をかけました。(いつもありがとう)

35歳なりの、山登りを始めたところです。




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