30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

教師とは・・・

自己評価できるかどうかは・・・

子どもが主体的になって、すべての活動を行うものだとすると、学習計画と言うものや、将来の計画と言うものも本人が立てるしかなくなる。
この言い方もおかしな言い方で、本来はそうなのだから、日本の社会の教育システムについてもありとあらゆる場面でそうなっていなければ、話が合わない。
さて、学習の計画を本人が主体的に計画するならば、まず第一の条件として、子ども本人が自分の状態をどう捉えているかについて熟知していなければならない。
今の自分の状態を知り、そこから将来を画策し、自分のプランを立て、アクションを起こしていくのである。

ところが、今の学習システムにもっぱら見当たらないのがこの部分、つまり、自分の状態を知り・・・という点である。
子どもか自分の状態をどのように把握しているのか、それを多くの大人は聞こうとしていないように思える。
そこで、文科省は自分の状態を子どもが把握できるように「振り返り」を指導している。授業の後に、自分が今日の学習で目標目当てを達成したかどうか自信を振り返るのである。
さらに、次の学習に向けて、一体どのように進んでいくのか、それもまた自分で決めるのである。学校はこのように学習についての大きな変革を、実はもう10年以上前にやり始めている。そのことが熟知されてきて、多くの小学校でその実践がされ始めたのが5,6年前であろうか。

校内の研究授業などで、他の先生方の授業を見ても、このように授業の始まりにめあてを確認し、振り返りの作業を子供たちが一人一人自分の学習計画ノートに記録していると言う実践を最近は多く見るようになってきた。

さて、それが宿題など、家庭の関わるところとなると、なかなかそうはなっていない。
多くの保護者にとって、宿題と言うのは、学校が出すもの先生が決めるものと思っていることが多い。中には、学校から担任教師がそのことについての説明を充分しており、家庭でも宿題と言うのは自分で計画するものだと言うふうに認識しているという学校もたくさんあるだろうと思う。ただし、全国の小学校が全てそうなっているとは言い難い。
宿題というものも、一人一人違うと言う点が当たり前なはずなのに、隣のクラスと宿題の内容が異なるとどうしてなのかと訝る保護者も実際にはいる。

通知表の評価も、昔のように相対評価ではなくなって、かなり長い年月が経つにもかかわらず、テストの点が良かったから。悪かったから三角だと言うふうにまだ思っている保護者もいるだろう。
自分の学習の状態を熟知し、自分で計画を立て一生懸命に練習をしている子にとって、あるいは考えを深めようと試行錯誤できている子にとって、ふさわしい評価はすべからく丸、あるいは二重丸である。

私が見てきた子どもの中で、
どんな具合?
力はつけられてる?
どうしたら分かりそうかな
どうしたらできそうかな
と担任に聞かれた場合に、その自分の状態を全否定する子は1人もいない。
力をつけたいと願っていない子は1人もいないのである。

だから、通知表に三角の子は1人もいない。いようはずがない。みなさんは、このへん、どう思われますか?

ここからが1番言いたいことだが、通知表は、そういう意味であまり意味がないのだと思う。大切なのは、本人が自分の納得する計画が立てられており、その計画をしっかりと進める状況がこの1学期につくられたかどうかである。その状況を作るのは、第一に子供の意思であり、またそれをサポートする周囲環境がどうかと言う点である。
つまり、通知表には、2つの列が必要で、1つは自分の意志や状態で、もう一つは、環境である。それを丸や三角で子供自身が評価すべきである。そしてその評価を見て担任がじゃあどうしていこうかと言う計画をそこに書き込むのだ。そして親が家庭での状況をさらにそこに書き込むので、お互いに自分がどうそこに関わることができただろうか、という自分自身の反省を述べるために、である。IMG_2605

【暑気払い】夏の階段は怪談風に

夜遅く、真っ暗になってからの学校は、昼間よりもいくぶん怖くなる。
むだに広い空間、廊下はずっと向こうまでつづいているし、すべての電灯が消えると本当に漆黒の闇だ。廊下のはるか先の方をみると、その先は闇の中に溶け込むように消えている。

「ちょっと忘れ物とりに、行ってきます~」

職員室に残っているS先生とT先生。
もう職員室に2人しかいない。
お二人とも、無言でキーボードを打っている。
S先生がちらっとこちらをみて、「おお」と少しだけ反応してくれた。

廊下の電気をつけることはできる。でも、つけない。つけられない。
廊下の電気のスイッチを探すのが一苦労なのだ。探せないから、つけられない。
なにせ、すでに真っ黒の闇の中。壁がどこかも分からなくなってしまっている。
そう、学校という場所は、むだに廊下が広いのだ。

こんなとき、スマホが役に立つ。
スマホを片手に構えて、印籠のようにかざすのだ。
すると、スマホの画面の明るさで、ある程度の先が見通せる。
3mは見えるかな。その先は真っ暗だが。

3階の、自分の教室に忘れ物を取りに行く。
夕方、まだうっすらと明るいうちに取りに行けばよかった、と悔恨の念がわく。
もう外は完全に真っ暗だ。なんだか気味が悪い。
校舎内にはもう誰もいないことはわかっている。

わたしはスマホの画面をかざしながら、少しずつ進む。
すると、急に人の顔が目に入る。

!!!っおおお・・・ぅ!!

うめくわたし。
息が荒くなる。
人の顔は、防災ポスターの人間の顔だった。
スマホの灯りに照らされて、いやおうにも不気味に浮かび上がっている。
くそう、こんなポスターに驚いてしまうなんて。

さらに、

ぶびびびびびびbbb

という不気味な音!
ごきぶりか、蛾か、こうもりか。

あわててスマホを向けると、蛾が窓際でぶるぶる震えながら飛んでいた。
もう、こわすぎて声もでない。

のどがかすれてくる。
あわててつばを飲み込むが、もう階段を歩く足に、力が入らない。
どうすればいいのか・・・。

教室に入って電気をつけると、急に気持ちがでかくなる。
明かりというのは、偉大である。人間に勇気と希望を与えてくれる。

黒板にメッセージをかき、さらに忘れていたプリントをとり、もう一度意を決して電気を消す。
あとはスマホの明かりだけがたよりだ。

できるだけ足元だけを照らし、壁に貼ってあるポスターがむだに見えないように努力する。
泣きそうになりながら階段を降り、職員室をめざす。わざとではないのに、ごく自然に足が速くなってくる。
だが遠くから迫ってくる廊下の闇の漆黒は、はかない小さな四角い画面の光よりもはるかに巨大な威圧感をもってわたしを取り巻こうとする。

あと少し、と思ったとき。
わたしは階段を踏み外した。

イッテーッ・・・痛ー・・・

早く帰ろう。
夜の学校は怖すぎる。

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学校も少しずつ変わっている。だいじょうぶ、必ず良くなります!

・毎日掃除っているの?➡水曜だけナシにしました
・何であだ名はだめなの?➡あだ名、授業中のみ、OKにしました
・何でみんな同じ宿題なの?➡宿題、一人ひとりに個別計画を立てさせます
・学級遊びって全員参加なの?➡見学もOK、グループごとに計画します
・何でシャーペンはだめなの?➡シャーペンとえんぴつの比較をクラス全体で研究することにしました
・授業中はお茶飲んじゃだめなの?➡もちろんOKで、逆にダメなクラスは少ない(文科省はOK)
・何で学校に行かなきゃいけないの?➡来なくてもOK
・何で服に穴あけてまで名札するの?➡名札なしにしました

これ、保護者懇談会でけっこう出てくる話題ですが、
学校が変わってることにかなり驚く保護者もいる。
たぶん、自分が子どもだったときの記憶もかなり濃厚なんだと思う。
話をしていくと、

「ああ、いいですねえ。わたしも今の時代に小学生をやりたかった」

ため息をつかれます。

ええ、昭和の時代でも、平成の時代でも、それなりに先生たちは善戦していたと思いますよ。
いじめがあったとき、昭和でも全力でぼくらの仲間を応援し、対応してくれた先生をわたしは目撃していますから。

でも、方向が完全に変わったのは、令和元年です。

「子どもに個別の計画をたてさせ、自分なりのキャリアを計画させる」
という方針が出たからですね。
そこから、まるでオセロがひっくりかえるように、学校は変わりました。

宿題も、今は、一人ひとりが自分で考える時代になりました。
達成度やねらいも、小学生が自分なりに、一生懸命に考えて計画をします。
そういう時代になりました。
学習成果も、クラウドに残っています。
小学生の時、自分が研究したこと、学んだこと、作文、論文、すべてクラウドに残っています。
なんなら、それを入社試験の際に持ち込んで、

「わたしは小学生の頃から御社の製品に興味を持ち、小学生なりに実験をしてみたことがあります」

と面接で言っても良い時代になったのです。
このくらいの大変化があったのですが、世の中は政治の腐敗とかコロナのこと、オリンピック会場の建設にいくらかかったとか税金のことなんかで騒いでましたので、教育の大改革はまったく報道されないレベルでしたね。(遠い目)

でも、大丈夫。
学校は、変わりました。
おうちの人たちが、「学校はこうだろう」と思うことは、かなり変化しています。
大丈夫ですよ、だいじょうぶ。

⇩大臣様へ。お願いです。教育を充実させてください。
事務室のカラーコピー機の電源が切られたままです。理由はランニングコストが高いからです。教員は自腹でコンビニでカラーコピーしています。よろしくお願いします。
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牛とニワトリの世話から学んだこと

いつから「叱らない」のかなあ、というのは、春休み中に自己フィードバックをやっておこう、ということから思ったことです。
どこに価値をおくのか、何に価値をつけていくか、というのが根本で、そこが定まらなければ学級経営は成り立たないといっても過言ではないでしょう。
なので、自分が何に価値をおくのかなあ、と考えたときに、やはり自然に出てくるのが「圧迫、圧政のない社会、自由で、子どもが自分を知り、自分の価値をさらに高めたいときに、自分なりに活動していくと自然に他者を生かすことになる状態」に価値を置きたいです。

そうなると、もう必然的に、教師は叱らない。

わたしは教師になろうと思ったのはずいぶん遅くて、もう結婚して子育てがスタートしてからです。
赤ん坊が生まれ、夫婦で初めての子育てに面喰いながら、まあそれでも赤ちゃんって育つんだなあ、とドキドキしながら、教員免許を取ろうとしたわけです。高卒でしたので、まず免許がないんでね。
JAXAに出向する富士通系列のエンジニアでしたので、周囲は引き止めましたし、職場で働くことにも満足していました。ちょうど「はやぶさ」が話題になる直前で、仕事に生きがいも感じていたし、おもしろさもわかってきて、エンジニアの仕事は自分にあっていたようですナ・・・。

でもまあ、人間が育つということに、それ以上の魅力を感じたのでしょう。

それ以前のごく若いころは、肉牛を飼育する現場におりました。同時に、なんだか鶏の飼育をする現場にもいて、どちらもわたしの自己形成に非常に役立ちました。

生まれたての牛にミルクをやり、牛が徐々に育つのを見届けるのは、今の学級経営にも非常に影響しています。
また、これは肉牛の世話よりも長く、3年から5年ほど続けたでしょうか、鶏に餌をやる、というのをやりました。卵をとる仕事もあって、これもやったのですが、養鶏そのものをじっくりやったわけではありません。わたしは出版や印刷、広報などの別の仕事も同時並行でしておりました。そのため、時間を区切って、午後1時から3時までの間だけでした。その時間帯にだけ、鶏に餌をやる仕事をしたのです。実はこれが、非常に今の学級経営に深く影響をしています。

どちらも、「育つ」現場でしたから、それは当然リンクするのです。
心理的に安心して育つ。それは、鶏もそうですし、牛もそうだし、子どもだって当然そうです。

牛も鶏も、恐怖で育てると、よく育ちません。
人の子どもも同じです。

よく、家畜と人とはちがうでしょう、という人がいます。
当然それはちがうでしょうね。生物学的に異なる面を見れば。
でも、恐怖ではうまく育たない、というのは、家畜も人も同じです。

肉牛は、赤ちゃん牛にミルクをやるのもそうでしたが、もうちょっと大きくなってくると角(ツノ)を切ったり、去勢をしたり、餌をやったり、あれこれとやりました。

わたしが一番印象に深いのは、その場に入る時でした。
鶏なら鶏で、鶏の部屋に入る、まさに一歩踏み入れる、その時です。
また、牛なら牛が集まっているその場所へ入る、その時です。

これは非常に面白くて、こちらが興奮していると、興奮があっという間に広がるのです。
伝わるのでしょうね。
忙しくて時間ばかり気にしていて、心がせいていると、鶏もバタつく。
なんだか邪魔に見えてきて仕方がない。餌がスムーズにやれない。心がここにあらず、という状態で終わるのです。

これがそうでなく、心が澄んでいるといいましょうか、おなかのすいた鶏の気持ちになってというか、非常に平坦な(?)気持ちで小屋に入ると、これが言葉にしにくいのですが、一種の「許し」が出るのですね、鶏から。
「許し」というのは言葉としては今一つで、そもそも許しもヘッタクレも何もないのですが、受容というのか、鶏が「ああ、あんた待ってたわよ」ということを言ってくるような気がするわけです。
そういう日は、なんだか鶏も非常に落ち着いていて、わたしも彼らの邪魔をしないし、鶏もわたしの邪魔もしないし、WIN-WINの関係でいられるわけです。

これは同じことが牛にもありまして、わたしは19歳と20歳のときに主に肉牛の現場にいたのですが、とくに去勢をするときなど、わたしが道具を軽トラの荷台に積んで行くと、なんだか牛もざわつく感じがあるわけですね。こっちも高ぶっているのです。戦闘開始、というような。

去勢という仕事はけっこう「命がけ」という感じで、牛も人間も、大ケガをする危険があるし、失敗するととにかく痛いし、ひとも体力を使うし、お互いに緊張があるわけです。ところが、わたしが戦闘意識バリバリで牛舎に入ると、これはもうぜったいに牛が勝つのです。体力が100倍?くらいちがうから。

そこで私はあれこれを考えたのですが、この「考える」というのが、とても大切なことでしたね。今から考えると。

わたしはそれからというもの、できるだけ「わたしは木偶の坊ですよ」という顔をして牛舎に行くことにしていました。
牛よ、去勢はお前も痛いだろうが、お前の福祉のためなんだ、堪忍してくれ、と。
しかし、お前を痛めつけたいわけではない。もっと大きな目的があるんだ、という感じでしょうか。

で、できるだけ早く済ませるからな、という、どちらかというと「おごそかなる」気持ちで、偉大なる牛を本当におがむような気持ちでもって、牛舎に入るのです。

そうすると、これも不思議なことですが、先ほどの「鶏」のところでも書いたような、一種の「許し」がでるのですよ。牛からね。これは本当にわたしが思い込んでいるだけですけど。

そうなると、牛もそれほど騒がず暴れず(痛いでしょうが)、まあ分かったよ、痛いけど、という感じで、受け入れてくれるのですね。

これは、非常に今の学級経営にも役立っています。
子どもの社会があり、わたしは大人としてそこにかかわります。
子どもは子どもどうしで、もうすでにそこに大切な社会を形成しているのですね。
わたしはどちらかというと、受容されないといけない立場でありました。大人として。

そうなると、やはり、これは、「叱らない」ですよ。本当に。

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50過ぎて、泣くのが楽しいと思い始める

50を過ぎたおっさんが、人前でわんわん泣いていたら誰だって「ひく」だろう。
わたしも同じだ。隣でおっさんが泣いていたら、ちょっと避ける。

ところが、泣く方からすると、これが本当に快感でありまして、
やったことがある人はわかるだろうなあ、という感覚であります。

今回も、泣き顔を、5分くらい人前にさらしてしまいました。
5分泣き続けると、もういい加減、『芸』のうちであろう、というのが私の解釈だ。
ただ洟をすするとか、嗚咽するとか、そんなことの繰り返しだと飽きてくる。
だから、時折、「笑い」をはさむ。

わたしの話を聴いている保護者が、一斉に笑う。
わたしもつられて笑ってしまう。
すると、泣いているのか笑っているのか、ちょっと分からなくなりますが、
涙も乾いてくるのですが(途中で)

でも、最後にまた、子どもたちの次の新たな出発を語るくだりで、結局はまた、むせび泣くのであります。私はこれを、礼服や綺麗な着物を着飾った保護者の前で、だれに遠慮することもなくやってのけることができる。教師に生まれて良かった、とつくづく思いますナ。

卒業式で、入学した6年前(正確には5年と11か月半前)の映像を見たのです。
6年前のビデオカメラの性能たるや、もう本当にレベルが高い。ばっちりと子どもたちの表情も精密に映っている。画素数も高い。

かわいい顔をした、あどけない顔をした、あの子もこの子も、背の高かったAちゃんも小さかったBちゃんも、みんな映っておりました。

そしてその後方に、たくさんのカメラを持った保護者が、期待と不安をないまぜにした、なんともいい顔で、たくさんみえるわけです。

わたしはもう齢50を過ぎております。
だから、このときの保護者の気持ちが、イタイほどよくわかった。
入学式の保護者と、今日の卒業式の保護者は、同じ保護者なのです。
同一人物。

つい先ほど、テレビ画面で大写しにしてみたのは、6年前の保護者で、今実際に目の前にいるのが、6年後の今の保護者のわけだ。6年間、子どもをずっと見てきた親のことを思うと、目の前に参列する保護者を見ていると、もうこれは見ただけで泣けるのであります。

子どもがつまづきそうな小石があったらそれを拾おうとし、
枝が落ちていたら拾い、
楽しくわくわくして登下校してほしくて花を植え、木陰で休めるように木を植えて。

そういうことをたくさん、たくさん、保護者は毎日のようにやってきたわけで。

それを思うと、もうそれだけで泣けてしまい、今日もまた、私はマイクを持ったまま、卒業式で保護者への一言がなかなか言い始められず、ハンカチで涙をぬぐうのであります。

そしてその姿を見て、思わずもらい泣きをする保護者もいたりして、それを見てまたもらい泣きをする他の学年の先生もいたりして、ただただ、広い体育館に大勢の大人の、鼻をすする音が合奏となり、こだましておりました。

わたしは毎朝、学校へ行く際、小さな水筒にお茶を入れてもらっています。
嫁様が毎朝、それをしてくださるわけですが、わたしがなにか今日の授業のことを思いついてニヤニヤしていると、

「あ、にやにやしてる。なに、にやにやしてるの」

と、興味を持って聞いてきます。

授業のことを話しても伝わらないのでごまかして出発するのですが、
それにしても、そんなふうに、楽しそうに学校に出かけるのが嫁様には伝わるらしく、

「いいなあ。楽しそうだよね」

と言われることもある。

その話を子どもたちの前で、最後に話した。

「こんなふうに、おうちで先生は、いつも楽しそうでいいね、と奥さんに言われて毎朝、学校へ通うことができました。これはもう、みんなのおかげで、みんなと出会えて、毎日こうやっていっしょに勉強したり、暮らしたりすることができたからです。感謝です」

ところがこれだけの内容を言うのに、また泣ける。もう、一日に、何回も泣けるのです。
これが、としをくった、ということの具体的な姿ですね。もう涙腺を押さえるための筋肉が、弱ってしまって動かないのですよ、きびきびと。だから、もう鼻水と同じく、だだ漏れ。

で、泣いた後、もうすごくさわやかな感じがある。
これは、泣くことの効能でしょうね。人間に与えられた、とてもいいシステムであろうかと思います。上手に感情をメンテナンスする、とでもいいましょうか、そういう大きな「癒し」効果があるね、泣くことには。

平安時代、在原業平という人をモデルにして書かれた「伊勢物語」。
それをみると、当時の大人の人がいかによく泣いたかが、わかる。
たとえば、

「“かきつばた”という五文字を句の先頭に置いて、旅の心を歌に詠め」
と言ったので、詠んだ歌は、
からころもきつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
〔唐衣を着ているうちに体になじんでくる褄つまのように、長年連れ添って馴染んだ妻が都にいるので、はるばるとやって来た旅のわびしさが身にしみることよ〕

と詠んだところ、みな乾飯の上に涙をこぼして、乾飯がふやけてしまった。

という部分があったり、さらには

ちょうどその時、白い鳥でくちばしと脚が赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上を動き回びながら魚を食べている。
京では目にしたことのない鳥なので、一行は誰も見知っていない。
渡し守に訪ねたところ、
「これが都鳥だよ」
と言うのを聞いて、
名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
〔都鳥よ、そんな名を持っているならば、さあお前に訪ねようじゃないか。京の都にいる、私の愛するあの人が無事でいるのかいないのかを〕

と詠んだところ、舟に乗っていた者はみなこぞって泣いてしまった。

などという部分があり、当時の人が運命に逆らえない世の不条理を思うたびに、いかにわんわんと泣いていたかがわかる。

これは理があることで、本当に泣くと、スッキリする のであります。
古来より人間は、泣くことで感情をメンテナンスして、生きてきたのでしょうね。

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【教師とは】卒業前のシーズンになると考えざるを得ない

子どもに対してわれわれ教師は常々、
「成長せよ」
「成長がもっとも重要なことであり、ゴールである」
というような意識を持っている。
しかし、「発達しなくてはいけないか」となると、ちょっと言葉に詰まる。
そう言い切ってしまうと、どの子に対しても「あなたは、今のままではいけない」と言うことになるからだ。

とくに現在の学習状況になじめず、必要な支援を欲している子どもたちの前で、それはないでしょう。つまり、「発達しなさい」と彼ら彼女らに伝えるのも、どうなんだろう、と教師は考えこむことになる。

少なくとも、「発達段階(はったつだんかい)」という言葉は、すぐにも教育界からは消えていく、あるいは古典的なまちがった(そぐわない)使い方の言葉として認知されていくだろうと思います。
つまり、発達というのは、けっして「段階を踏むもの」ではないだろうからです。階段を上るイメージで「発達段階」ということを示しましたが、あれは実際ではない、ということでしょう。ほぼ中教審で発言するような大学教授たちは、すでにそういう認識です。

発達とはなにをさすのか。
そしてわれわれ教師は、発達について、なにを良し、とするのか。

ある課題をこなせるようになった、到達した。
たしかにそれは、うれしいことであるだろう。
しかし同時に、それで本当に良いのか、ということを教師は悩むのです。

階段を上るような「発達」をイメージしているのであれば、人は階段を永遠にのぼりつづけるのだから、という理由が成り立ちます。少なくとも、目の前の一つ、階段をのぼりなさい。はい、次ものぼりさない、といって、上るのは善だ、ということで指導しつづけていく。
教師と言うのはそういう仕事だろう、ということになる。これで17世紀以後、人間はずっとやってきたわけですね。

しかし、それで本当にその子が、これからも一人でずっと階段をのぼれるようになったのか、というと、どうもそういうことにはならないだろう、というのが21世紀の現代社会です。だって、大人だって先が見通せないのですから。大人だって、階段のその先になにがあり、上の方はどうなっているのか自信がない。のぼれのぼれ、と号令をかけ、ただひたすら「上にはいい世界があるだろう」と信じていてよかった時代は終わったのです。まるで雲かカスミがかかったようになっていて、上空が見えないのです。

一番の問題は、のぼることに疲れてしまい、号令をかけるのを大人がやめた瞬間、そこでもう上るのをやめる子がいることでしょう。学ぶ主体が疲れてのぼりたくないのを、無理に上らせているのだとしたら、その意味のなさは誰にだって理解できますね。

さて、発達って何なのか?
もう一度、ふり出しに戻ってきました。

前記事で、「中身はそうでもなく、一人きりの時はけっしてそうではないのにかかわらず、集団の場でコミュニケーションをとる場面においては、学年主任になっている」不思議さについて書きました。

わたしは、孤独に自分のことを振り返る時間においては、ほとんど「主任らしくない」自分自身を見ているのに対して、集団の場では、あたかも「主任である」かのようにふるまうのです。そして現に、私は学年主任として成立しているわけです。実際のコミュニティの構成員は、わたしを学年主任として認めるわけですね。

なぜ、そうなっていられるのか。
それは、学年主任としてふるまう「ステージ」のようなものを用意してもらったからです。
そのことで、私は多くの関係者に助けてもらうようになれた。そして、そこで主任として「ふるまう」ことができた。
そうしたら、あっという間に、成立したのです。

わたしがやったことは、たった一つ。
ちょっと、頭一つ分、背伸びをしたことです。

(↑これが発達)

こう考えると、卒業を目前にした、このクラスの子どもたちにも同じことがいえましょう。
子どもにだって、最適なステージが用意されたら、「頭一つ分、ちょっと背伸び」するのです。
ごく自然に。
その自然さは、「階段上れ!」という世界とはまったく異なります。
自然、というのがもっとも人間の心理にとって、健全なのです。

こうしてみると、発達というのは、段階的にステップアップして到達した、というよりは、やってみたら「ほらできた」という感覚のことなのだろうと思う。私たちはこれまで、既存の「努力➡達成」という矢印ばかりをみてきたのではないか。

クラスの子どもも、一人ひとり全員がアクターとして、このクラスというステージ上(舞台上)で、頭一つ分背伸びをし、さまざまな役を演じたことで、「ほらできた」という感覚を得るのではないか。そして、コミュニティをつくる重要な一員として力をもった、全員に認められる、という意味付けは、舞台ストーリーの後半で、社会全体で見出すか、あるいはその過程で、あとから気がつくものではないだろうか。

発達に必要なのは階段(ステップ)ではなく、舞台(ステージ)だったとするならば、矢印というものはそこには存在しない。上手から下手へ、下手から上手へ、舞台なら自由自在にとびまわることができる。

これが幸福だったのだ、という幸福そのものを見出す作業を、クラスというコミュニティ全体がコミュニティの中に、見つけ出していく。それこそが学級が行うべき仕事なのでしょう。
コミュニティの活動のあとに、学習は生まれてくるのです。

3月の現在、わたしたちはどこへたどりついたのか、
わたしたちのコミュニティの中、幸福はどこにあったのか
わたしたちは、なにを果実として受け取ればいいのか


クラスの子どもたち全員といっしょに、その意味を見出すのが、6年生担任の仕事といえそうです。

ゴーギャン

【廊下を走らない制度】エントロピーとのはざまで

(冗談なので、以下の文章はあまり生真面目に読まないでくださいネ)

一般に、学校生活は秩序を重んじるために、廊下は走りません、という教育がなされますね。
子どもは走り回っているために、まるで自由分子のようであります。
ところがその自由電子に制限を加えていくわけです。

エントロピーとは無秩序さ、つまり乱雑ぐあいを表す指標なので、秩序が高い状態はエントロピーが低く、秩序が低い状態は、エントロピーが高いというこになります。

すると、廊下は走りません、という張り紙は、エントロピーを低くしようと頑張っているのです。
これを「恒常性の維持」と呼んでも差し支えないでしょう。
しかし、物理の法則も熱量の法則も、自然界のものはなにもかもすべて、エントロピーの法則が適用されることになっておりますから、やはり「廊下は走らない」という張り紙だけではエントロピーは隙間をぬって増大しようとします。
唯一、エントロピーに対抗しうるのは、生き生きとした「生命活動」だけです。生命活動はなぜか、自己崩壊せず、なんとか恒常性を保とうとする。それがわれわれの大切な命の働き、というわけです。

さて、授業が終わり、休み時間が始まると、サッカーボールをかかえて走り出す子どもには、エントロピーを増大させる宿命が彼をそうさせている、とみることもできるわけです。
それを阻止せんとする私たち「教師」はエントロピーに歯向かう反逆者なのでありましょう。

しかし、ふと我にかえってみると、この話はもっと、「はじまり」になにかあるんじゃないか、と思うわけです。
子どもが廊下を走ろうとするという「エントロピーの増大」について、それを阻止しようとするけど、もしかすると、そもそもそうやって廊下を走ろうとする子のような、「秩序➡無秩序」への流れを促進する、とっかかりのような出来事があったのではないか。

実は、6年生などの高学年を担任していることがつづくと、案外と真実がみえてきまして・・・。

それは、6年生って、注意されないでも、もともと走らないのです。
この、「もともと」というところがミソでして。
つまり、6年生たちは、疲れるから走らない、という理由から、走らないわけ。
べつに張り紙が張っていようが、先生が廊下の端に仁王立ちしていようが、声を荒げて
「こら、走るな!廊下は歩きましょう!」
などという怒声をあびせようが、それとは無関係に、もともと走らないのです。

これはネ、無秩序➡秩序、というエントロピーを縮小しようとする動きではなく、彼ら彼女たちなりにエントロピーを増大させた結果、「だるいし、かったるいし、走るのだりぃから歩こう」ということなのです。

つまり、廊下をあるく、ということ自体が、その子その子に応じて、エントロピーの縮小の結果である(秩序立てることになる)子もいれば、逆にエントロピーの増大の結果になっている(秩序を崩すことになる)子もいるというわけです。

エントロピーの縮小がある一方では、かならずエントロピーの増大があるわけで、これは同じ量だけ、行われているはず。学校全体に、エネルギー保存の法則が当てはまるわけです。

子どもが廊下を走るようになった背景に、なにか「秩序立てようとする運動」があったはず。
それは、もしかしたら、教室を分ける、ということかもしれないですね。

何年何組はここで、〇〇くんはこの席で、今日は国語が1時間目で・・・というように、思い切り秩序立てているために、学校全体としてはどこかにエントロピーを増大させる動きが生まれているはず。それが、「廊下を走る」なのではないか、と思います。
ためしに、子どもが勉強する場所や時間などをすべて無秩序にしてみると、もしかしたら廊下を走る子は一人もいなくなるかもしれません。たぶん、いなくなるでしょう。そうしたくなる秩序がなくなったからですね。

では、高学年の子がかったるそうに廊下を歩く、ということについてはどうでしょう。
このようなエントロピーの増大についても、もしかしたら何時間目に何を勉強して、というような秩序をなくしてみたら、もっと生き生きと背筋を伸ばして歩き始めるかもしれません。

で、ここからが本稿の主張になるのですが、
ためしにですね、週に1日でよいので、たとえば金曜日。
これは、
「児童が時間計画をして、児童がどこで何について学ぶかを計画し、それにそってやりたいように学べばいい」
というようなことをしてみたらどうか。

これはエントロピー的には、増大の方向です。
今まではがっちりと秩序に当てはまっていたのですが、それを自由分子的にやりなさい、ということになるのだから。

だとすると、今度は逆に、秩序がうまれてくるのではないか。
それも、大人が意識の上で秩序を計算したものではないために、ごく自然発生的に子どもたち自身から、まるでエントロピーを縮小させるような、本来の「恒常性の維持」という生命体のもつあり方にそった形で・・・。

今日は朝から寒く、とくに用事もなく、まったりと昼寝をしておりましたところ、うまい具合に脳内のエントロピーが寝てる間に回収されて秩序を取り戻したらしく、ふとこんなことを思いついて書いてみました。人間は、寝ている間の、この「エントロピー縮小(片付け・整理)」ということが、脳にとっては大事なようです。でなければ、起きている間に脳が高速に動いて大量の情報を処理できるわけがないからですね。

やっぱ、睡眠が大事、という結論です。

ろうか

オミクロン・・・卒業式に暗雲がたちこめる

全米の医療機関から悶絶するような悲鳴が聞こえてきそうだとのこと。
それをわたしは、「ICU使用率が82%に到達した」という報道によって知りました。
ICUとは、集中治療室の略で、重症患者のための場所です。たとえば、命が亡くなるギリギリのところや、限りなく危険性が高い場合に入ります。
そんな大事な場所が、82%も埋まってしまったのです。なんでこんなことが起きたのか。
それは、オミクロン株の登場が原因です。

どうやら以前流行したデルタ株をしのぐスピードで広まっているらしいです。
重症化しない、という噂もありました。だからわたしも、安心していたのです。
でも、実際にはICUに入るくらいの重症患者が増えています。
なぜなのでしょうか。実は、感染者数が爆発的に増えており、アメリカでは軽症の患者も多いかわりに、デルタ株も含め、り患した人の数が膨大になりすぎ、要するに分母が限りなく増えたために、重症患者も増えているのです。感染者が元々抱えていた他の病気が急速に悪化して搬送されてくる事例が多発しているらしいです。

おそらく、世界で猛威を振るったデルタ株(現在進行中です)を超えて、さらに感染者数を上回るだろう、ということです。そのために医療現場がひっ迫し、結果として、重症患者の数も増えてしまいそうです。

さて、わたしが一番今ざんねんなのは、卒業式のことです。
おそらく卒業式は簡易的なものにならざるを得ないでしょう。
歌も歌えないでしょうし。

卒業生の名前を一人ひとり呼ぶとき、たいていわたしは情けない声になってしまって泣きますが、マスクをしているおかげで、その情けない様子をあまり子どもに見られずに済むのが、まあちょっとは救いでしょうか。

それにしても、毎年教員が悩んできたのは、インフルエンザでしたが、そのインフルエンザはさっぱりです。
冬の行事はまさにインフルエンザとの闘いでありまして、インフルエンザで学級閉鎖だとか、インフルエンザをふせぐためにこれまでもまあ、いろいろやってきましたよ。教室の換気だとか、手洗いの時間をわざわざ増やしたり、回数を増やしたり、ね。これまでも。別にコロナじゃなくとも。

そのころのことを思うと、今の学校の対応は完璧です。
毎日、毎日、ドアの取っ手も階段の手すりも、水道の蛇口もドアの子どもが手をつけそうな場所なども、広範囲に消毒しています。
アルコール消毒の機械は教室に2こ、各学年の廊下に1こずつ、昇降口にも1こずつ、給食室や理科室、音楽室でも図書館でも、毎日毎日、アルコール消毒ですもの。

そして、全校集会の中止。
大人数が集まることは、もうありません。

これだけの対応をしているからか、インフルエンザで学校を休む子はほとんどゼロです。たぶん本当にゼロだと思う。

しかし、そのブロックの隙間を縫うようにして、ひたひたとオミクロン株の魔の手が入ってこようとしている。町のスーパーでも、レストランでも、みんな手を消毒し、マスクをしているのに、どんどんと感染者が増えています。こんなにマスクをして、みんなしゃべらないのに!

わたしはオミクロンが恐ろしい。
インフルエンザなんて雑魚キャラで、蹴散らしてしまうのでしょうね、オミクロンくらいの破壊力の持ち主になると・・・。

アメリカの集中治療室の使用率が、全米のレベルで8割を超えてしまう。
各都市の、各病院の治療室で、オミクロン株感染による死者が徐々に増えている。
デルタ株も収まっていないところにきて、急激にオミクロンが増えた。
これは前代未聞らしいです。ちょっと恐ろしすぎて、こわいくらいです。
どうなるんだろうか。

ともあれ、卒業式に暗雲が立ち込めてきたのは間違いがなさそうです。
でも、だからといって悲しいとは思いません。子どものすばらしさは変わらないし、子ども一人ひとりの価値が失われるわけではないですからね。きっと胸を張って、元気に卒業していくでしょう。学んだことや楽しかった思い出とともに。

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学校現場「夕方9時以降は留守電」の衝撃

夕方も9時をすぎると、先生たちもそろそろ帰り始める。
遅い先生はいつも午前までいるので省くとして、
さすがに腹も減ったし、という感じ。

ところで、夜の電話はクレームが多く、内容も大事な事が多い。
だから、教員を長く続けていると
「夜の電話ほど大切にしなければならない」
ということを思う。

夜も9時をまわったときにかかってくるのは、
おそらく、親にとってもSOS、ということ。
だからそれを懸命に傾聴する。
そして、かならずなんとかしましょう、と約束する。
それでこそ、保護者もようやっと安心する。

しかし、新しい校長が来て、
「夜の9時以後は留守電にしようかと思う」
と言い始めた。

これは衝撃的だった。
実際には夜間であればあるほど重要なのが教育という仕事だからだ。

校長もそれはわかっている。
しかし、夕方4時30分以後は一切残業代の出ない教員が、授業準備もろくにできずに保護者の対応をするのがしのびない、ということらしい。
優しい校長だからこそ、こういうことを言ってくれるのだ。
教育委員会からも「教員はブラック」というイメージをなんとかするように、とお達しが出ている。

しかし、もう「残業代なしで早朝から深夜まで」ということは事実であるし、
いまさらそのイメージをなんとかしようというのも無理な話である。
事実を粉飾して語っても、それは・・・意味がないよね。
重労働で休憩なし、昼食は子どもの宿題に丸をつけながらの流し込みで5分完食、ほとんど朝から夕方までは立ちっぱなし。椅子に座る感覚は夕方4時以後しか得られない。

改善は無理。
そういう仕事だ。
教員の本当の仕事は、
「教育」というよりもむしろ、「福祉」だ。

消防隊員でもないし、自衛隊員でもない。警察官でもないし、医者でもない。
そのどれでもない、教員の実態は、他の業種とは一線を画す、残業代の出ない「福祉士」なんだろうと思う。

校長の提案に対し、当然、教員から
「実際には無理でしょう」
という声が多数あがった。

とりあえず、夜9時以後の留守電は、勤務校に関しては実施されていない。
しかし、他の学校で導入されはじめたら、徐々に浸透していくかもしれないけれど。

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正しく評価できるスキルとは

ものごとをスッと見通す。
そのものの実際の価値を正しく理解できる。
そういう能力を身につけたいと思う人は多いのではないか。
わたしもそうだ。

子どもの実際の姿を知りたいし、学びたい。
その子のユニークさを見たいし、わかりたいし感じていたい。

AをAとみる、ということくらい、むずかしいことはない。
まわりがみんな、AをBと言っていた場合、それをAとみる人が何人いるだろうか。

あるいは、周囲の人の多くがすばらしい、と断じたものを、
自分にとっては正直、どうなのか、と言えるかどうか。

あの人がいい、と言った。
新聞でもいい、と書いてある。
テレビでも人気のある芸人さんが良いとほめていた。
それを、自分としてはこうだ、と言えるかどうか。

自分は、周囲のみんなが「良い」とほめたものを、どうとらえているのだろう。
良い、というのが、ただの印象・感想であると、どれだけ冷静にとらえているだろう。
AをAとみる、ということがいかに大変か。

わたしがAだ、と思ったのは、言ってみればただそこから受けた印象を語っているにすぎない。
「おれはAだと思うなあ」
事実は印象をとりさった部分のことだから、「Aだと思う」という以外のところに、事実はある。

すると、子どもの行動や様子を見ていて、「印象以外」をどうくみとるのか。
教師は子どもの事実実態には、なかなか迫ることができない。

たった一つ、有効な手段がある。
それは、当人が、自分について語る、その言葉である。
その言葉が、事実にかなり近いのではないか、とみる。
そのくらいしか、分からない。

本人が、自分について、こうではないか、という遅々としたところにしか、
正しい道の進み方がない。

そこを力強く歩もうとする際に、ほんの少し、周囲の大人として
「こう見えるけどどうか」「ここが良さだと思うがどうか」くらいしか言えない。

そろそろ評価の時期が近い。
評価とはどういうものか。
価値があるかどうか。←そこには主観しか存在しない。

本当に、子どものことなんて、わかりようがない。
だから安心できるし、だから救われる。
第一、他人に分かられて、たまるか、ということ。
自分でも自分のことなんて、ぜったいによく分からないのに。

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指導能力を評価される先生

2月になり、来年度の人事が水面下で動いていることがなんとなく分かる。
わたしも校長から内緒で手招きされたり、教頭から
「どう思います?」とか聞かれたり、
あれこれと話がくる。(ぜんぶ秘密)

ところで、校長とか管理職というのは大変だとつくづく思う。
先生たちの指導能力を評価しなければならないから。
ところがそんな能力は、ぜったいに評価なんてできっこない。
20年連れ添った妻のことでも、まったく分からないことだらけなのに。

先生は子どもの能力を正当に評価しているだろうか、ということを評価するのが校長だ。
子どもの能力を正当に評価する先生を正当に評価する校長の能力を正当に評価することになっているのが教育委員会、ということになる。

こんな芸当がふつう、できるわけがないことくらい、自明でありましょう。

忘れ物が多いですね、というのが子どもを評価することにはならないことくらいは、みなさん分かります。だから、保護者が懇談会で

「先生、うちの子は忘れ物が多くてすみません。どうしたらいいでしょう?」

というお母さんに向かって、たいていの先生たちは

「ああ、鉛筆がなくても、先日Aくんは、字を書いてましたからサバイバルでも生きていけるのはこういう子だと思って感心しました」

ということになります。
お母さんは目を丸くして、いったいどうやって書いたのですか?とおっしゃる。
こういうお母さんは、おそらく子どものころに鉛筆が無い状態では字は書けっこない、というあきらめの人生を送ってきたのでしょう。ところが昨今の子どもはあきらめません。なんてったって、平成生まれですから。強いことこの上ない。

鉛筆の芯が落ちていたのを、鉛筆削りの削りカスの入った箱の中から見つけて、その芯を上手にテープでノートをやぶいた紙きれにくくりつけ、自家製の筆記用具をつくり、それで算数はキチンとこなすわけです。このくらいのこと、朝飯前ですよ。平成の子は!

というか、わたしのクラスは隣の子が鉛筆なら貸してくれるから、それで間に合うわけね。
「友達に借りてはいけません」ということになっている学級でも、上記のような自作の筆記具でのりこえていくわけです。

最悪、鉛筆がなければ、ノートテイクをしなければいい。
案外と、書かなくても、集中して覚えようとすれば覚えられるものです。覚悟さえ決めれば。

ハンカチを忘れた子が、窓から手を突き出して、高速に振っていましたが、あれもなかなかのアイデアだし、校庭をマラソンしてくれば手のひらなんて乾いちゃいます。
わたしが昭和の時代にそんなふうだったから、今でも忘れものをした子を叱る気にはなれません。

太平洋戦争のころ、ある特攻隊の飛行機が、爆弾を忘れて(落ちて)しまい、途中から引き返したそうです。
それで帰ってきたところでちょうど飛行機のエンジンがかからなくなり、命が助かったそうです。
忘れてはいかん、というの、あやしいな、と思います。

というか、学校が

「忘れ物をすること」

について、指導できると思っているのも勘違いだし、
指導する事柄だと保護者がもし考えているのだとしたらそれも勘違いだし、
忘れ物がよくないと思っている世間の考え方も勘違いが含まれているだろうし、

子どもは忘れ物をすることで、実は心の奥がわくわくしていて、
「よし、この困難をどうやってのりこえようか!」となっているので、
そのハリウッド的な盛り上がりを、教師が口をはさんでどうのこうのしようというのは
本当に余計なことだと思います。

人間社会が、忘れ物をしないようにステップアップしていく仕組みなのだとしたら、
なぜ人として完成されたはずのおじいさんやおばあさんが、しょっちゅう忘れ物をするんでしょう。
おそらく、ステップアップ、という「とらえ方」自体に、なにか人間の根源的な間違いやおかしさ
が含まれているのかも。

指導とはステップアップだ、という考え方をやめたら、わりと
学校というのは、もっといきいきしてくるのではないかと思います。
もちろん、その場合、忘れ物というものは、
忘れる時は忘れる、忘れなかったら忘れなかった、というだけのことです。
それについて論評すること自体が、なにか大事なことを忘れている、というパラドックスなわけです。

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最大の悩み【東京への修学旅行計画】

来年、6年生の学年主任をする私の目下、最大の悩み。
それが、
【首都圏への修学旅行を決断してよいか】です。
大体、みなさんお分かりかと思いますが、修学旅行は、旅行会社と協力して行います。
これは修学旅行を失敗してはいけないからで、市教委の指示です。

で、旅行会社に「東京の旅行を計画してください」と依頼した時点から、「企画料」というものが発生し、これは全額保護者負担になってしまうのです。

今の時点で、それを計画しなければならない理由は、旅行が来年の7月だからです。半年前、6か月前の今が、その最終判断をしなくてはならないリミットなのです。
なぜ6か月前か。
ホテルを押さえるからです。100名を超える人数の宿泊予定は半年前に予約開始するので、そこで確定して押さえておかないといけません。小学生100名を宿泊させることのできるホテルは、早い者勝ちでとられしまうのです。良いところから。

主任の私は、それを決断しなければならない。
来年の7月に、100名を超える団体が、無事に修学旅行ができるんだろうか。

【キーポイント①オリンピック】
オリンピックが開催されるのであれば、GO!
観客が会場に集まって無事に開催されるようであれば、都内の観光も一応は可と考えてよいでしょう。

【キーポイント②ワクチン】
ワクチンの効果が見込まれ、全国的に7月までに落ち着くようであれば、GO!

【キーポイント③陽性率】
陽性率がさがってきて警戒レベルが下がるようであれば、GO!

これまでこのポイントをもとに、7月に決行か、どうか、と悩んできました。

で、今日、共同通信社のこんな記事を見つけたのですが・・・。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は28日、大会の観客の上限や海外からの観客の受け入れ可否を巡り、無観客での開催も選択肢から排除せず、幅広く検討を進めていると明らかにした。ただ、無観客は「基本的にはそういうことはないし、したくない」との否定的な考えを強調。「いろんな形を想定している」と述べた。同日、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長とテレビ電話で会談後、記者団の取材に明らかにした。
これ、観客を制限してとか、無観客もある、ということですよね。
保護者が「五輪を無観客でやろうとしているような状況で、子どもを東京の修学旅行に行かせよう」と考えるかどうか。

ワクチンはどうでしょう。厚生労働省の最新データです。
モデルナ社(米国)との契約(令和2年10月29日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、武田薬品工業株式会社による国内での流通のもと、2021年8月までに4000万回分、秋以降に1000万回分の供給を受ける。

アストラゼネカ社(英国)との契約(令和2年12月10日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、通年で1億2000万回分のワクチンの供給(そのうち約3000万回分については今年の4月までの供給目標)を受ける。

ファイザー社(米国)との契約(令和3年1月20日)
 新型コロナウイルスのワクチン開発にもしも成功した場合、通年で約1億4400万回分のワクチンの供給を受ける予定。

アメリカのニューヨーク・タイムズ(電子版)が、「東京五輪開催の望みは薄くなった」と報道。新型コロナウイルスの感染が拡大する一方、米国内や欧州各国でのワクチンの普及が予想より遅れていることも指摘した。

ワクチン、7月までに間に合うのか・・・。

アスリートの気持ちはどうでしょう。
五輪に内定している陸上女子の新谷仁美選手は「アスリートとしてはやりたい。人としてはやりたくないです」「命というものは正直、オリンピックよりも大事なものだと思います」と発言。

実際、現実的にはダメなのかも分かりませんね( ノД`)シクシク…。

月曜日に校長に相談し、愛知県内での地元の観光を日帰りで行うことにします。

リトルワールドか、日本モンキーパークかな。

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20代の先生たちがすごすぎる件

20代の先生たちって、なんでこんなにも素敵なんだろう。
仕事はできるし気が利くし、子どもたちの目線に立っている。

こうしてまぶしく彼ら彼女たちを見ていると、
自分が加齢してドジばかりやっているのが際立って感じられる。

階段を上がると息が切れるのは、もうどうしたらいいか分からない。
マスクのせいで、もうほとんど3階まであがった時点で息ができない。
いつも踊り場でそのままブラックアウトする勢いだ。頭の中で、山本 小鉄がカウントしはじめる。

また、ちょっと子どもがやさしいそぶりを見せたりすると、
涙腺がゆるみそうになることがある。
これも、加齢のなせるわざでありましょう。

ときには放課後10分ほど、意識がなくなるときがある。
「今日は職員会議も無いし、会合もないし、さあ、学級事務ができる・・・ぞ・・・」
って、ちらっと思った記憶があるけど、そのあとの記憶がさだかでなく、気が付いたら目の前に隣のクラスの先生がいたときがある。


体育の時間も、加齢が気になる。
ちょい前なら、鉄棒もマット運動も、ちょっと見本みしてみっか、と自分がやったものだが。
今はもっぱら、

「できる人、見本おねがい」

で両手を合わせている。
「先生やってみてー」
と言われる年も、すでに越えたようだ。
もうクラスの子どもたち、だれもわたしにマット運動の技を要求しないようになった。

廊下をあるくときはたいてい、肩甲骨をまわすのがくせになっている。

給食もそうだ。
「あらま先生は大盛りにしてあげないかん」
というので、かつては大盛りが配られていた。
ところが今ではもうすっかり食が細くなり、配膳してくれる子も、心配そうに
「あらま先生、このくらいなら食べられますか?」
と、ごはんを少し減らしながらこっちをうかがってくれる。ほとんど介護のようである。

加齢などくそくらえだ!

先日は社会科の資料集の、細かい字が見えないのと、地図帳の細かいのがよく見えなくて閉口した。
思わず知らず、手に持っている地図帳をだんだんと顔から離し、まゆをひそめ、わたしのこの瑠璃細工のようなつぶらな瞳をせいいっぱい見開いて、地図記号を読み解こうとしたが、見えない。

「ええええー、この岡崎市の、ええー、岡崎市の、・・・ここになんか・・・自動車の関連工場の・・・なんか、記号がありますね。えー、なんだこれは」

すると子どもが冷静に

「あらま先生、投影機で拡大するとテレビに映せると思うよ」

と、憐れんだような目で、いそいそとそれをやってくれようとした。

わたしはVロート・ゴールド40を目にさしながら、今このブログを打ち込んでいるのだが、

・・・40じゃ、もうダメだな。
アラヒフだもの。Vロート・50が必要だ。

と思った。
とはいえ、こうやって子どもたちのことを考えていると、あれ、もうなんだか視界がにじむ。
やさしい子たちだよな。ほんとに。
涙腺も他の腺も、なにもかも、本当にゆるみっぱなしです。

とはいえ、まだまだ月曜日だ!! しまっていくぞーーーーー!!!

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【教師稼業】もしも私が女神なら

試されるのが好きじゃない。
子どものころからそうだった。
堂々としていたい。
それがいちばん自分の中の正直な気持ち。

だから、何かを訊かれるなら、尋ねられるのなら、相手には堂々と質問してもらいたい。
こちらも堂々と、本当に思っていることを、つつみかくさず言いたい。
それがいちばん、人間と人間の、まっとうな、傷つけあわないコミュニケーションの姿だろうと思う。逆に、こちらも、堂々と質問をしていきたい。うそいつわりのない、本当の気持ちを聞いてみたい。

もちろん、それにはお互いが守らねばならない条件がある。
相手がなにを思おうが、何を考えていようが、どんな言葉をつむぎだそうが、相手をまるごと尊重すること。
そうならないかぎり、「通じ合う」ことがない。
通じ合わなければ、話す意味がない。

だから、幼いころに聞いた、金の斧と銀の斧の話をきいたとき、顔面を殴られたかのような衝撃を受けた。今でもおぼえてる。

3つ、歳(とし)の離れた姉が、わたしに読んでくれた。
わたしは「女神」というのが分からなかった。
姉に尋ねると、神さまの一種だろう、ということだった。

わたしがそれまでイメージする神さまは、やさしい感じのする、爺さま、だった。
しかし、この女神、なんと性格の悪いこと。

「あなたの落とした斧は、金の斧ですか、銀の斧ですか」

そんなの、神さまなんだから知っているでしょう。
ところが、今落とした斧を知っていながら、男を試したのだ。

教師は、この女神のようになってはいけない。
ただひたすらに、もっともっと、この木こりのことを観察しつづけるしかない。
みるのだ。子どもを見る。それが教師の仕事である。けっして、決めつけないで、ああだこうだ、としないで、〇や×をつけるために見るのでなく、ただひたすらに、真摯に事実を見ようとして見る。

女神だって、そうやって本当にみていないと、木こりが正直かどうかなんて、分からない。
また、そのとき正直であったとしても、正直でなくなる瞬間だってあるだろう。人間だもの。
他人の前で正直にふるまったところで、それが本当に良いことかどうかも分からない。また、正直に言わなかったから救われる、というケースもあるし、正直に言うから人を傷つける場合だってある。
正直、ということそのものに価値があるのではなく、『ひとを本当に思う』ということ、その心のはたらき方に価値があるのではないだろうか。

もし教師が女神なら、まずは

「ケガなかった?」

だろうねえ。

いえ、もちろん自分のけがじゃなく、木こりがけがしてないかという・・・

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不安の強い担任にはなるな

担任の不安が強いと、生徒をどうしても変えたくなる。

生徒を問題視するからだ。

教頭の不安が強いと、先生たちをどうしても変えたくなる。

先生を問題視するからだ。

校長の不安が強いと、この学校は良くないという情報になって父兄に伝わる。

学校を問題視するからだ。

不安は、形を変えて、どんどんと伝わる。

大人が不安を抱えていると、どうしても、子どもを助ける、のでなくて
子どもに「助けて!」と言っているような大人になってしまう。

子どもに不安をぶつけ、子どもに自分の不安を解消してほしい、と
どこかで願うような大人は、

心の状態が安定している人をみると、

「どうして問題だと感じないのだ!」

と問題視する。

問題視するのが癖になってしまって、目の奥が落ちくぼんでするどい顔つきになっている。

で、子どもはそういう「背後に隠れた」先生の不安を感じ、息苦しさを感じている。


先生の心配をしなきゃならない場合、子どもはずいぶんと疲弊してしまいます。
われわれにとって大切なのことは、子どもに心配をかけない大人になることです。

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【星新一風・短編小説】謎の曜日

S氏は小学校の教員だった。
土日にはわが子が通っているサッカースクールの遠征に他県まで付き合い、疲れて帰宅する。
「明日からまた授業か・・・」

さて、場所は変わって、小学校。
授業が終わって放課後、職員室で深いため息をつく。
「月曜日なのにこの疲労感か。なんのための休日なんだろ」

それを聞いた同僚のN先生が同意する。
「ほんとよねえ。月から金まではクラスの子たちを世話する。土日はわが子の世話。まったく気の休まらない毎日だわ・・・」

次の土日もまた遠征。
今度はちがうサッカー場。
試合後、息子のユニフォームやスパイクを車に積みながら、S氏はため息をつく。
「今日はまた遅くなりそうだぞ、こりゃ」

サッカーの試合を終えて、高速道路をとばし、帰宅する。
すでに後ろの席で眠り込んでいる息子の寝顔を、バックミラーで見ながら
「明日からまた授業か」
とつぶやく。
S氏にとっては、休んで良い曜日など無いのだ。


ところが、だ。

次の朝、起きてみると、なんだか目覚めがちがう。
ふしぎと身体が、休日の朝を迎えたかのような感覚を覚えた。

「あれ。今日は月曜日だよな。出勤しなきゃ」

慌てて着替えてリビングへ行くと、まだ着替えてもいない妻がいた。
パジャマ姿のままだ。
ぼうっとして、冷蔵庫の扉に手をかけたまま、立ちすくんでいる。

「なんだ、そんなところで。今日は月曜日だぞ」

「そうよねえ」
妻の目が定まらない。
「わたしも月曜日だと思って、朝食をつくりにきたのよ。でも、こうやって冷蔵庫の前に来たら、なんだかどうしても、今日が休日だったような気もしてきたのよ。どうしてなのかしら」

妻にそういわれると、そういう気もしてくる。
「あれ。おかしいな」
妻の口から「休日」という言葉が出てきた瞬間、自分の脳裏に
「そうだ、今日は休日だったはずだ」
という強い感覚がよみがえってきたのだ。

「あ、そうだった。なんだっけ?祝日なんじゃなかったっけかな?」

そういって、リビングにあるカレンダーにふと目をやって、驚いた。

カレンダーの今日の日付が、おかしいのだ。

「あれ?今日は8日のはずだが・・・」

カレンダーに目をやる。
「たしかに昨日は・・・7日の日曜日だったよな」

きのうの日付け、7日の場所にはS氏の手で、マジックの赤い丸が書かれている。
そして、「Y県I市へサッカー遠征」という字がはっきりと。

しかし、その隣の今日の日付け、8日が見当たらない。
ちょっと待てよ?あれ、どうしたんだ?なにかがおかしい・・・。

良く見直してみると、7日の隣にうっすらと7の字が消えかかったようになった別の字が印刷してある。あきらかに、印刷ミスのように見えた。

「あれ。このカレンダー、まちがっているんじゃないか」

もう一度、目を凝らしてしっかりと横の方をみてみると、ちゃんと次の日が8日で、しかも月曜日だ、という枠があった。
つまり、今日を示す曜日だけが、不自然に増えているのだ。

ええーっ。どうなっているんだ。

サッカー部の息子が、起きてリビングへやってきた。

「お父さん、今日は学校、あるんだっけ?ないんだっけ?」
「なに寝ぼけたことを言っているんだ、昨日が日曜日で、今日は月曜日だろう。学校のしたくをしなさい」
「あれー。やっぱそうか。なんか、今日が休みだったような気がして・・・」
「おいおい、お前までおかしなことになってないか」

やはり。なにかがおかしいようだ。
S氏はそういいながら、思い出そう、思い出そう、としていた。
「今日が休みの日である理由。なんだっけな。祝日なのか、どうだったっけ」

しかし、そうやって思い出そう、思い出そう、とすればするほど、笑いたくなるくらいに、今日が休みの日だろう、という感覚がはっきりしてくる。
もはやその感覚は、どうしようもなく確信に近づいていた。
「なにか理由は忘れたが、どうやら今日は仕事にはいかなくてよい日だった気がするぞ。なんでだったかは忘れたが。しかし、どうにも気になる。いったい今日は何の日だったのか・・・」

S氏は椅子に腰を掛け、テレビをつけてみた。

テレビのキャスターが映り、ニュースをやっていた。
「あれ。ふつうだな」

S氏が言い終わらないうちに、キャスターが緊張した表情で言い始めた。

「たしかに、今日は何曜日だったのか、さきほどからみなさんにお伝えすることができていません。番組にはさきほどからたくさんの視聴者の皆様からの問い合わせが相次いでおります。ただいまも、お電話が鳴りっぱなしです」

テレビの画面の右端には、時刻が表示されている。
それはいつもと変わらない。
しかし、いつもテロップとして出ているはずの、曜日のところだけが、抜けていた。

「ええ、スタジオも混乱しております。現場の誰も、今日が何曜日だったのか、覚えている者がおりません!」

S氏は立ち上がって受話器をとり、職場の電話番号を回した。
しばらくたって、教頭が出た。

「あ、教頭先生でしょうか。おはようございます」
教頭はぶぜんとした声で言った。

「S先生ですか。S先生も分からないんですか!」
その声の調子から、S氏は目が覚めたようになった。

「あ、今日はやはり、出勤日でしたか。しまった。急いで学校へ向かいます!」
「来るには及ばん」
教頭はぶっきらぼうに言った。

「今日が何曜日なのか、さっきから保護者からの問い合わせが続いている。しかし、わたしもそうだが、誰もそれが分からんのです。一応わたしは学校へ来てみたが、他の先生はだあれもここには来ておりませんぞ」
「校長先生はごぞんじないですか」
「校長先生も、さきほど、今日は休んでもいいはずだ、理由はわからんが、とおっしゃって電話を切られた」

なにがどうなっているんだろう。

テレビ画面では天気予報をやっていた。
週間天気予報が映し出されたが、今日のところだけ、曜日が書いていない。明日が8日で月曜日だ、ということだけははっきりと書いてある。

「いったい、今日って何曜日なのかしら」

妻があくびをしながら、また言った。

「月曜日でないのなら、もう一度寝てもいい?」
「まったくのんきだなあ。もしかして月曜日だったらどうするんだい?」
「だって、今の天気予報だって、あしたが月曜日って言ったじゃないの」
たしかにそうだ。じゃあ、いったい今日は何曜日だというのだろう。

テレビでは首相が映し出された。
首相官邸の前にはすでに多くのマスコミが詰めかけ、押すな押すなの騒ぎだ。
マイクを何本も突き付けられ、困惑した表情の首相が言った。

「我が国では、突然今朝、今日がいったい何曜日だったのかが判然としない状況となりました。国中のどのカレンダーを見ても、カレンダーと言うカレンダーがすべて、今日をうまく表示できていない、という報告を受けております。外務省を通じてワシントンやロンドン、パリ、モスクワや北京とも連絡をとりましたが、どの国でも本日が何曜日であったのか、不明という状態であるようです。したがって、本日は・・・」

マスコミの記者たちがいっせいに前に体を寄せる。
そして、首相の顔の前のマイクをさらにグイっと前へ押し出した。
いったい、今日が何曜日だというのだろう。

「本日が何曜日かということですが、個別の案件にはお答えすることを控えさせていただきます」

マスコミから怒号が飛んだ。
「国民はみんな知りたがっています!」
「そうだ!学校だってJRだって、曜日で動いているんです!」

首相は再度、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
そして、なにかを言おうとした。
カメラがさらにその顔をズームにし、記者のマイクが詰め寄った。

「まったく問題ありません。以上。通してください」
「首相!こたえてください!」

首相は仏頂面のまま、車に乗り込もうとした。
マスコミの記者たちがそうはさせまいとして道を阻もうとする。
屈強な体をした黒服のSPたちが、首相のまわりを囲んでもみあいになった。

記者が叫ぶ。
「国民の生活を無視するつもりですか!」
首相がSPの体の向こうから、ひょいと首だけ出して言った。
「その指摘は全くあたらない。粛々と進める方針は、いささかも揺らぐことはない」
「進めるって言ったって、今日が何曜日なのかが分からなきゃ、進めようがないじゃありませんか!」

首相はなにがおかしいのか、顔の下半分で笑み浮かべたまま答えている。
「よく意味がわからないというのが率直なところ。はい、はい、そこを通して!」

女性の記者が金切声をあげた。
「国民の生活なんかどうでもいいというのですか!国民にとっては大事な案件ですよ!」

首相はもはや眠たそうな顔にさえなっていた。
「ああー、まったく問題がない、と言っておりますぞ。レッテル貼りはやめていただきたい。」

テレビの中継は、そこで切れた。

画面がキャスターのいるスタジオに戻ると、困惑したキャスターが続けた。

「今日はいったい何曜日なのか、世界中が曜日を失って、途方に暮れております。わたくしどもは番組を続けますが、曜日が失われた以上、世界中で混乱が予想されます。どなたも冷静になりましょう。非常事態とも言うべき状況です。」

見ると、画面の右上に、巨大なテロップが出た。

「謎曜日」

「へええ。今日はなぞ曜日か。なぞなぞみたいで面白いね、お父さん」
隣で見ていた息子が言った。
「たぶん、学校、ないよね?」
「ああ。たぶんね。」

S氏はぐいっとのびをした。

学校はこの調子では、休みだろう。
妻はもう2階に上っていった。もう一度寝るらしい。

「ねえねえ、お父さん、曜日がなくなったらどんなふうに混乱するの?」
「うーん」
息子はなんだか楽しそうに聞いてきた。

S氏は庭を眺めた。

「混乱、ねえ」

太陽はふつうにのぼり、あさの光が庭を照らしている。
道の向こうの畑には雲雀(ひばり)がいて、鳴いていた。
しずかに、風がそよいでいる。

「べつに混乱など、しちゃいないな」

息子がテレビのチャンネルを次々に変えながら、

「謎曜日♪、謎曜日♪」

と口ずさむのが聞こえた。

曜日

評価って何だろう~自問自答シリーズ~

算数の授業中に、それは突如として訪れました。

「評価」ってなんだろう、という問いです。

正しい評価ってなんだろう、というのは、いつも教員についてまわる「自問」です。

今、5年生は分数の足し算引き算を学習しております。

ご存じの通り、分母が異なる分数の場合は、ちょっと計算がやっかいですな。

つまり、分母を同じ数にしておかねば、計算がスッとはできません。

そう、「通分」をしてから、足し算引き算をするわけですね。

ちょうどその「通分」をどうしてするのか、というところをあれこれと子どもたちと悩んでいる途中、ある児童がですね、

「通分考えた人、あたまいいー」

と面白いことを言ったわけです。

わたしは通分を人類ではじめて考えた人がだれか分からないのですが、

まあ、分数、というものを考えた時点で、通分、ということはそこから自然と導き出されるものでしょう。2分の1という大きさは、4分の2、と同じ大きさなのですから。分数がそういう定義である以上、通分、という仕草は、算数の数理の世界には、当然のように現れてくるのでしょう。

ところが、その子は、だれかが異分母の加減算をするために、

「通分」

を発明したようにイメージしたのです。
そして、「すごい!」「この人、天才か」と思ったわけですね。


クラスの仲間もわたしも、
「そうじゃないでしょ。発明したとかじゃないでしょ」
と思いました。

それでもその子が、
「通分」という数理計算上の工夫?について、「スゴイ」と感動した、高評価を出した、ということが面白くて、ちょっと教室に笑いが起きました。

わたしはそのときに突如、モディリアーニを思い出して、ちょっと算数なのに、モディリアーニの話をしちゃいました。

モディリアーニはご存じのとおり、イケメンのイタリア人画家で、生前はあまり絵が売れずに世間的にはほとんど話題になることなく死にました。

ところが、そのモディリアーニを評価する人物が新聞にその記事を書いたり、少数のパトロンたちが運動をしたりして、それをもとにモディリアーニは世界でも有数の画家となるのですね。

わたしは幼いころ、名古屋市の美術館がモディリアーニのおさげ髪の少女を買ったためにモディリアーニを知り、父も好きで良く模写をしていたことからそのちょいと変わった作風が好きでありました。

わたしがモディリアーニを現在こうして楽しめるのは、当人のモディリアーニのおかげでもありますが、やはりそのモディリアーニの絵の価値を知り、その価値を認めた人がいたからですね。

画家はそういう人が多いですね。ゴッホもそうだと聞いたことがあります。

少数でもパトロンがいて、その絵の価値を正しく見てくださらなかったとしたら、私のような大陸から離れた島国に住む東洋の人間が、彼らの作品を見て楽しむことなんてできません。

つまり、「正しくその価値を認める」ということには、かなりの価値がある、ということです。
価値を認める能力にこそ、価値がある、というわけです。

となると、「通分」の良さをきちんと指摘して感動すらできた、という、この子のセンスは、まったくもって素晴らしいわけですね。価値を認める能力が、ある、というわけで。

わたしは子どものころ、通分に感動したかというと、まったくそんなセンスは持ち合わせておらず、ただひたすら

「算数なんて、くだらないなあ、ちっ」

としか思っていなかったと思います。

そういう私が、くだらなかった、のですな。よくあるパターンです。

osagegami

幻の『はごろもチョーク』

羽衣文具は、名古屋のメーカーであった。
わたしは子どものころから名古屋だったので、まあ、羽衣チョークで育った、といっても過言ではない。わたしの母校で使用されていたのも、もちろん、はごろもチョークだった。

はごろもチョークの中でも品質の高いものは、世界中で絶大な人気を誇った。
世界中の教員が、「HAGOROMO」ブランドを愛したのだ。
しかし、羽衣文具は、しばらく前に諸般の事情から廃業してしまう。
このときは、大変な「はごろもロス」が起こり、世界中の教員がその廃業を惜しんだ。

わたしの勤務校でも、やはり羽衣は使えない。いつも事務の先生が買ってくださるチョークは、他社の安めのチョークであります。まあ仕方がない。税金ですからね。

しかし、教師になりたてのころは、羽衣チョークでしたよ。
今でもなつかしく、思い出します。
事務の先生のところへ行くと、スチール棚にいっぱい、「はごろも」のマークが入ったチョーク箱がおいてあり、わたしはたまにそこからチョークをもらい受けて、教室で使ったものです。
いい感触でしたね。口の中でやさしく溶けるラムネのような。

羽衣チョークの良さは、きめが細かく、毛筆のように黒板に字が書けたことである。
とめ、はらい、はね、などのこまかいところが、羽衣チョークなら、とてもよく表現できた。
だから、『むかしの先生の方が字が上手だった』という人も、世の中には多くいるのではないかと思う。

世界中の大学で、羽衣チョークは特別に愛されていた。
羽衣文具が廃業するとなったとき、世界中の大学から注文が殺到し、多くの学者が「わたしがリタイアするまでの分を確保せねば」と考えたことが分かり、ニュースにもなった。
イギリスのケンブリッジの理化学の教授やら、マサチューセッツ工科大の数学や物理の教授、フランス、イタリア、世界中が「はごろも」ブランドとの別れを惜しんで、その様子が報道された。


さて、はごろもの品質は、製造工程にもひみつがあったが、従業員たちがもう非常に几帳面にルールをまもって仕事をした、ということにも支えられていた。
人間には、「慣れてきたことでの手抜き」というのがあるのだろうが、はごろも文具には、それが無かった。

その羽衣チョークが手に入りました。
わずかですが、はごろも文具の工場の道具を一式買い取って、つくりつづけようとしてくれた方がいたそうである。

ちょっと自分のモチベーションをあげるために、自分のエンジン回転数を高めるために、ときおり、スーパーアイテムとして使いたいと思います。

ひとは、アイテムに助けられることもある。
人間と道具、という関係は、なかなか深いものです。

「しなりある羽衣チョークを携えて三十四年の教師生活」(愛川弘文)

どうです? いい短歌でしょう。
この歌を詠んだ愛川先生は、わたしはお会いしたことはないですが、とても幸福な教員生活を送られたのだと思いますネ。

Sはごろも3

23歳の青年と話す・・・50歳のおっさん

自分が座っている職員室の席のことを書きたい。
となりに、23歳の青年が座っている。
新人の先生だ。

ものすごくよくできた青年で、わたしはうんと尊敬している。
自分が23歳だったころを考えると、隣席の青年がいかによくできた人なのか、いつも感動するのだ。

物腰が落ち着いていて、やわらかく、清潔感にあふれ、正直で、素直である。
この青年が、わが町岡崎の教員になってくれていて、本当によかったと思う。

さて、その23歳の新米先生と話すと、けげんそうに、
「あらま先生はいったいどこに住んでいたのですか」
ということを質問してくる。

これは返答に窮する。
いろんなところに住んでいたからだ。
また、仕事でいろんなところへ出かけたからだ。
日本の各地へでかけた。

5年生の社会科は、日本全国の農業や産業について学ぶ。
わたしが知っていることや体験したことをもとに授業の素材を考えていると、
隣席の新米教師から、

「え?みかん収穫をしたことがあるんですか?」
とか、
「え?林業をしたんですか?」
とか、
「え?北海道で牛を追いかけたんですか?」
とか、その都度聞かれる。
もう、自分でも不思議なくらいに体験談が出てくるのだ。

これらの経験はすべて、自分が今の世の中を考えるときの、下地になっている。
いちばん自分でよかったと思えるのは、この地球という土地は、あるいは日本というのは、ずいぶん豊かな土地だということを、肌で感じていることだ。この感覚は、20代のころから、何一つ変わりがない。

この地球という星は、あるいはこの世の中というのは、あるいは人間と言う生物は、なんという豊かさに包まれているのだろう、という感じ。
これは、20代の最初に感じていることを、今でもまったく同じように感じながら生きている。
だからだろうか。わたしは自分の中身が何一つ、20代のころと変わらないように思う。

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ここで、提言したいことがある。

日本の小学校は、過疎地の廃校を利用した合宿教育体制を作ってはどうだろうか。
都市圏の子どもたちみんなに、実際に農山村に触れて、農業を啓発される機会を作るのだ。
すでに多くの人が、これと同じことを言っている。
ところが、まだ実現はしていない。
まじめにやれたら、どんなにすばらしいかと思う。

日本にはすばらしい観光資源が無数にある。
また、優れた自然環境が存在している。
観光・農業・教育の条件は、すべて揃っているようだ。
「金儲け」を目指すのではなく、人の幸福を目指した社会を生み出すことができる、すばらしい国の一つではないかとさえ、思う。

「ぼくは、新間先生のように、日本はすばらしいとか、なかなか言えないです。他を見たことがないんで」

私の中には、この国がいかにすばらしいか、という思いがある。


たしかに、腐った時代もある。とくに昭和初期の圧政、圧迫。
国民をだました政治家と軍部は、狂っていた。
日本は神の国、という一つのドグマで、人を支配しようとした。
それは、うまくいかなかった。「これしかない」「この道しかない」というような、ある決められた一つきりのドグマで、人間社会を支配しようとしても、うまくいかないのだ。〇〇主義は、一つに偏ってしまうことで、人間社会をゆがめてしまう。これ以外はダメ、という白黒主義は、狭い視野をつくる。ヘイト・排除主義は、けっしてうまくいかない。
この国は、特に昭和の初期から、これまでに間違ったことも経験した。
しかし、この国の自然と人間自体は、本当は・・・素晴らしいはず。

その国の誇りを子どもたちが取り戻すためにも、子どもたちの農業体験は行政がすすめてほしいと思う。親もついでに、参勤交代すればいい。江戸と地方を行ったり来たり。半年くらいで。

ちょうどコロナだ。東京の密を、緩和しよう。
国が国民に現金をわたし、半年間、好きな地方で農業体験をするってのはどうだろう。
大企業の内部留保をこの際、使えばいい。
もう、日本は、元のような大企業依存の社会には、もどらないのだから。
チャンスだと思う。

「成長」だけが良いのではない。
ゆるやかなフェードアウト、静かな規模への縮小をだんだんと。
だれもが傷つきにくいような、順序やスピードを考えて、すこしずつ縮小していく道を。
人口は減っている。増える見込みは薄い。どうしたって、空き家、空きビルは増える。
ここちよい、お互いを大切にしあえる人間関係至上の社会へ、しずかにゆるやかにシフトする道をさぐろう。

子どもたちとそんな将来を描くような、未来をひらく学びをしてみたい。

tokyo

教員の警戒心について

これまでの仕事歴を振り返ってみて、教員歴がいちばん長くなった。
転職を繰り返した身であれば、このことにやや、感慨深い思いが浮かんでくる。

教員の職業病であろうか。
どこか、自分のこころの動きに対して、いつも警戒するようになった。

複数の子どもを毎日観察していると、この子はいったい何を考えたり感じたりしているのかな、とわかりそうでわからない。
わからないので、結局、自分の都合で子どもの気持ちを解釈してしまうだろう、と思う。
そのことの警戒心が、常にある。我ながら、面倒くさい。

子どもと暮らしていると、その行動や性格にもいろいろと個性があることに気づく。一生懸命にルールを遵守しようとする子、先生の仕事を手伝おうとする子、話をよく聞いているような感じの子、一生懸命にそうじをしてくれている子、そんなのどーでもいい子・・・

教員らしく、一生懸命に子どもを理解しようと思えば思うほど、
「ま、これは俺の勝手な感想だネ・・・」
という諦念がつきまとう。

しかし、そのことがわかっているのに、それでもなお、観察しようとしてしまう。
病気である。『観察病』だ。

その病の良くないところは、「徒労感」である。
だって、けっきょく、その子のことがわかるはずないもの。
ただの、予想であり、ただの、自分勝手な感想を持つだけのこと。
教員は無力です。

ただひたすら、座禅を組むようなものです。
「師匠、なぜ座禅を組むのですか!?」
「意味を問うな。ただ、ひたすら組むのだ」

只管打座(しかんだざ)、という言葉の通り、ただひたすら、子どもを観察するのであります。
観察したからと言って、なにもいいことはありません。
でも、観察するのです。

そんなふうに言いながら、
「きっと、なにか良いことがあるんだろう」
って思われるでしょう?

ところが!観察したところで、なにも良いことはないのです。
15年教師をやっても、何も得られません。

ところが、いいことは、なくてもいいのです。
良いことが、なにひとつ起きなくても、大丈夫。
教員と子どもの関係は、
不安と圧迫と誤解と決めつけがなければ、両者は極楽の関係です。
なにもいいことがなくてもネ。

DSC_1384

ハートにファイアのメロディで

ビリー・ジョエルをご存じだろうか。
甘い歌声、渋いマスク、印象的なサウンド。
日本のCMにも、たくさん彼の楽曲が使われた。
彼に関して、一番有名な出来事は、世界初のCDとして作られたのが彼のアルバムだったということかも。(ニューヨーク52番街)

そのビリー・ジョエルの人気曲で、「ハートにファイア(We Didn't Start The Fire)」というのがある。ご存じの方も多いでしょう。

この歌の面白い?ところは、歌詞の意味がないようにも思えるところ。
「ハートにファイア」の詩はアメリカ史が淡々と紹介されるだけです。

♪ Harry Truman, Doris Day, Red China, Johnnie Ray
South Pacific, Walter Winchell, Joe DiMaggio・・・

曲の出だしは1949年に活躍したり話題になったりした人の名前がずらっと続きます。
(ちなみに1949年はビリーが生まれた年)

しばらくこんな歴史上の人物や事件を示す単語がずらーっと続いた後、
「We Didn't Start The Fire(火をつけたのは僕たちじゃない)」とサビが続くのですが・・・

聴き続けていると・・・次第に、
なんとまあ、人間は飽きもせずにあれこれと事件を起こすのだろう、という気分になってくる。

♪ Joe McCarthy, Richard Nixon, Studebaker, Television
North Korea, South Korea, Marilyn Monroe・・・

この歌はなんと5番まであるのだけれど、とくに曲の後半部分はサビではなくAメロがどんどん盛り上がっていく流れになっています。そしてAメロの最後にビリー・ジョエルが、こう叫ぶのであります。

 I can't take it anymore
 もうこれ以上はゴメンだ!

そう、ここは “We” ではなく“I”ですから、
限りなく彼個人の心情を、自分の言葉で言った、という感じでしょうか。

なぜこんなことを思い出しているかというと、
先日、ふと学校の階段の手すりを消毒しながら、思いもかけず、この楽曲が頭の中に浮かんできたからであります。

(以下、ハートにファイアのメロディで)
♪ 窓、床、ノブ、子どもの机、フック、椅子、ロッカー棚、音楽室の椅子、図書室のテーブル、階段の手すり、理科で使う虫眼鏡、ブランコのくさり、体育のボール、跳び箱、鉄棒、一輪車、図書館の本・・・♪

子どもの手の触れる場所を消毒せよ、という指示ですから、先生たちは子どもたちが下校した後に消毒作業をするわけで、その場所を列挙すると、この曲の気分が合ってくるわけ。

それにしても、ウイルス感染対策をとるようになってから、学校の仕事はずいぶんと様変わりをした。

一番大きく変わったのは、授業の進め方だろう。
これまでは学習指導要領の改革にともなって、子どもたちが対話をして学ぶスタイルをすすめてきた。
ところが、それがマスクで声が響かないし、お互いにしゃべって確認することができないから、昔の一斉指導に逆戻りしてしまった。

子どもたちの遊び方も変わった。

タッチしない鬼ごっこや、ボールを投げたフリ、当たったフリをするエアドッジボールをやっている小学校もあるらしい。

朝の会で歌うと、なんとなく子どもたちの心が落ち着いていくものだ。
しかし、いまだに歌は禁止。

マスクを着けて歌ったらどうか、という意見も職員会議では出されたが、腹式呼吸でも肺式呼吸でも、大きな声を出すということになれば、子どもの呼吸の量ははかりしれない。熱中症を心配する声も同時にあがったので、そのままうやむやになっている。

おそらく、もうしばらくすると、教員の過労が問題視されるシーズンがやってくるだろう。
あるいは、教員の側にしわよせがくるか、子どもの側にしわよせがくるか・・・。
わたしとしては、教員側だけで収まってほしいと願うしかない。

ビリージョエル

職員室の歳時記

「もう、こんな季節になったか・・・」
と、独り言を思わずつぶやきたくなる瞬間って、誰にもあることだろうと思います。

今日、そんな、 季節の移り変わり を実感するようなことがありました。
職員室に、一本の電話がかかってきたのです。
「すみません、おたくの小学校の子が、用水路の栓を勝手に開けちゃって・・・」

帰り道。
田んぼに水を引き入れるために、用水路の水量調節をしている栓を、勝手にいじってしまう子がいるのだ。
そのせいで田んぼに水が入っていかず、時間になっても予定していた水量にとどかないとのこと。
「田んぼの持ち主どうしで、お互いに予定もあるんでねえ。こっちは大変な迷惑ですよ」
教頭が、必死になって頭を下げている。
「今から、現場を見に行きまして、明日にもさっそく、全校の子どもたちに指導を徹底いたしますので・・・」
電話に向かって、90度に腰を折り曲げて、謝罪している。

話しが終わり、教頭が受話器を置くのを見て、わたしの隣に座っていた年配の先生が、
「あー・・・」
と、あったかいお茶を飲み干した時のようなため息をついた。
そして、
「いやあ、もう初夏なんだねえ。毎年のことだけど」
わたしがきょとんとしていると、
「いや、こんな電話がかかってきてサ・・・」
先輩は、教頭をチラりと見、
その後、深いため息をついて、目を閉じると、
「子どもが用水路の栓を開ける・・・、電話がかかってくる・・・。そして、教頭があやまる・・・これでやっと夏が来るな~ってね。実感するんだよネ・・・」

先輩は、ほおづえ姿で、心から柔らかい笑みをうかべて、そう語ったのであります。

開ける、かかる、あやまる。
るーるーるー♪


そういえば、と私は思い出した。
同じように、ある季節を実感できる出来事が、ある。

冬。
ああ、いよいよ冬だよなあ、厳しくなるぞ、と思う頃。
この時期の話題は、学校のビオトープ池に、2年生が落ちた、というやつでして・・・

霜が降り、空気が凍てはじめる頃、2年生の先生は、
「さあ、今年の第一号は誰かねえ」
と、心の中で、予想をする。
自分のクラスだと、大変だな、とチラッと思う。
同時に、
「落ちた連絡⇒バスタオルもって駆け付ける⇒引きあげ⇒保健室⇒ストーブで暖める⇒替えのズボンとパンツ⇒保護者の連絡帳にパンツ洗濯依頼⇒説教」
という、一連の流れをシミュレーションするのでありますね。

しんしんと冷えた朝、
「せんせー、氷が割れて、〇〇くんが落ちたよっ!」
職員室に、こんな子どもの声が響くと、
「ああ、本格的に、冬になってきたなあ」
としみじみ、思うのです。
(そろそろスキー板、出しておかなきゃな)

わたしは、遠方に見える山の雪がとけてきて、ずいぶんと色が黒く見えてくると、ああ、冬はもう過ぎたのだなあ、ということを実感します。

目の前の桜が散りはじめ、道路に桜の花びらが重なり落ちているのを見ると、次にやってくる、さわやかな新緑の季節を感じます。

職員室では、今の時期、用水路へのいたずらが旬な話題というわけで・・・・また、世間とはちがった歳時記が語られている、ということであります。

春の用水路

【GIGAスクール】ZOOMでの授業の前に

文科省が前のめりで導入しようとしている【GIGAスクール】。
2020年5月11日 学校の情報環境整備に関する説明会が

YOUTUBEで紹介されるや否や、全国の教員に衝撃が走っております。

ところで今、コロナ禍のピークが過ぎたという印象がマスコミを中心につぶやかれるようになり、学校も都道府県によっては再開されつつあります。
文科省がGIGAスクールを唱えたのは時すでに遅し、ということでしょうか?
いや、そうではありません。むしろ、このタイミングで出さなければなりませんでした。もしもここで手をこまねくか、あるいは安心して無策になってしまったとなれば、次に来るパンデミックに対応できないからです。

遅かれ早かれ、GIGAスクールは実施されるでしょう。そして、教員はそれに対する【備え】をしなければなりません。

わたしはその備えとしてもっとも大切にすべきだと思うのは、今の授業の改革です。
すでに改革は始まっており、(実は、もう10年以上前から始まっていると思う教員が大多数だと思いますが)その改革をし終えなければならないことが、今回のコロナ禍によって明らかになったのだと思います。
その改革とは、「学びは子ども主体であること、子ども発で考えること、子ども発のプロジェクトになること」です。実は、そのことと、個別である、ということが、イコールにはなりません。ここが難しいところです。

子ども主体で考えることは、子どもを個別にするとは限りません。むしろ、子どもの脳が活発に「思考」をめぐらせるためには、個別であるよりも、同じような点で疑問を持つ仲間が必要になります。教室で一斉授業をするメリットは、この「同じような課題を共有できる仲間と息を合わせるようにしてダイナミックに思考をめぐらせる自由さと楽しさ」にあります。次の「学び」へと向かう意欲は、この「仲間と共に考えることの楽しさ」が背中を後押しすることが多いのでしょう。

ところがパンデミック時においても、そのダイナミックさを少しも損なわずに実現することに、まだ多くの教員たちは自信をもっていないと思います。各家庭の子どもたちとともに、思考発展の自由さや楽しさをけっして無くさないで、授業を進めるという点について、オンラインでの経験が少なすぎます。(オンラインでの経験のない教員がほとんどです。特に公立小学校では・・・)

さて、ここからは長年小さな会社を経営してきたわたしの叔父に登場してもらいましょう。
わたしの叔父はすてきなロマンスグレイのわりとイケメンなスポーツマンです。
10~15人程度の小さな事務所を経営し、なによりも従業員の家族も含めて非常に家族的な経営をしてきた方。自分の給与を減らしても家族同様の従業員に渡す給与を1000円でも多く、と心がけてきた、今の日本に非常にたくさんいると思われる典型的な70代です。

ときおり、日本の政治についてや社会情勢について話し合うので、今回もその叔父と話しました。

叔父「GIGAスクール、大至急進めてほしいものだね。子どもが家にいたとしても、勉強できないわけじゃなかろう」
わたし「本当にそうです」
叔父「とくに勉強ができる子なんてのは、どんどんと課題をこなして進んだらいいじゃないか。この際、飛び級も認めたらいい。政治だって自由な特区をつくって今までの利権構造を打破しただろう。やる気のある子はどんどん飛び級させろ」
わたし「叔父さんは飛び級が大好きですね。それは置いといて、子どもたちは仲間と共に学んでいくのですから、GIGAスクールで自宅での学習ができるようになったとしても、今の学級やクラスの枠組みは同じですし、仲間といっしょに知恵をしぼって考えていくスタイルは変わらないですよ」

わたしは午後のやわらかい陽ざしを受け、紅茶ポットからカップに注ぎながら言いました。

叔父「そんなバカな。もう個別でいいじゃないか。子ども発ということは、一人ひとりの子どもから発する課題ということだろう? その子自身がその子の意思でもって調べたり考えたりしていくことだろう。個別でやれるだろう。やればいいじゃないか。いや、むしろ、個別だからこそ学ぶ効率もあがると思うな」
わたし「おじさんは効率が大好きですね。それは置いといて、子どもたちの頭がいちばん活性化するのは、同じ課題を考えあう『話し合い』なのだという研究結果があります。話し合いといいながら、実はたくさんのさまざまな意見を『聴きあう』体験です。話し合いというより聴きあいですね。その聴きあいを通して自分の頭の中を何度も「再構成」し、自分の納得するひとつの解にたどりつく、というのが授業ですから、完全に個別でいい、ということでもないのですよ」
叔父「GIGAスクールはすべての子どもに家庭教師をつけるようなものだと思ったが。違うのか?・・・それはともかく、お前のいうことをするのだったら、ZoomかLarkかteamsで、全員が会議に参加しなくてはならないな。ぶっとい光回線が必要になるぞ」
わたし「光回線ですか、・・・叔父さんはインフラ投資が大好きですね。それは置いといて、ZoomかLarkかteamsでも、授業はなかなかできないのではないか、というのがわたしの見解です」

叔父さんはロマンスグレイのまだ豊かな髪をかきあげながら、心配そうに言いました。

叔父「なんでだ。だったらやっぱり、目の前に人を集めなきゃいけないじゃないか。コロナの第二波がきたらどうする。ザ・エンドだぞ。・・・いや、ジ・エンドか」
わたし「叔父さんはザ・〇〇、というのが好きですね。それは置いといて、そうなんですよ。問題はまさにそこです。わたしが感じている問題点は、授業は生ものである、ということです。ZOOMの画面で、子どもたちが生き生きと反応しあえるためには、担任が子どもたちの表情をよく汲み、興味や関心の高まりを感じ取りながら少しずつ課題を整理し道筋をつけていかねばなりません。その道はこうしかありませんという上意下達的なものでなく、子どもたちに聞きながら、こんな課題でいいかなとやりとりしながらつくりあげていくものです。それがZOOMの画面でできるのか・・・」
叔父「なんだそんなシステム上のことか。そんなの、体育館で巨大スクリーンをみながら担任がやればいいじゃないか。30人くらいの表情ならぜんぶ見渡せるだろう。そうだな、差し渡し、10m×10mくらいのスクリーンで・・・予算は・・・」

叔父さんは空中をにらみつつ、指を折って考えています。

わたし「さすが零細企業の社長。いうことが違いますね。そんな巨大スクリーンを買う予算なんて市にはありませんよ。マァ、予算は置いといて、子どもによってさまざまな課題を抱えているのが実際ですからね。なかなか意見を言えなかったり、正解を気にしすぎていたり、自分の意見を言うだけ言って聞かない子とか、考えはあるのにその場で出せない子とか。目の前にいればすぐに担任が何かしらのフォローを入れたり、あるいはそのフォローのあり様(よう)そのものについて他の子にも考えてもらったりするところですが、ZOOMの画面を子どもたちが駆使して他の子の表情を読み取ろうとすることができるかというと、なかなかちょっと・・・。実際に友だちの近くにいてその子の顔を見るのとでは、ずいぶんちがうでしょうね」
叔父「零細企業の、は余計だぞ!・・・しかし、なるほど。じゃ、やっぱりZoomかLarkかteamsだけやっていてはだめだな。実際に会うことに意味がある、ということか。では第二波がやってきた暁(あかつき)には、全員防護服を着用して校庭に2m間隔で並び、巨大スクリーンで授業をするしか・・・」

叔父さんは大きな身振りでスクリーンのような四角をかくしぐさをしました。

わたし「叔父さんは本当に巨大なものが大好きなんですね。まあそれは置いといて、実際にはごく少人数の5、6名のグループを基本にして、学級全体を15~18名程度とし、感染症拡散の度合いをグレード化したうえ、最少数の5,6名で登校するパターンと、最大数の15~18名で登校するパターンを情勢をみつつ微調整して登校するのが一番いいのではないかと思います。いえるのは、もはや今ある教室で過密をふせぐためには、教室空間そのものを広げるか、あるいは人数を減らすしかない。教室を広げるのはほぼ不可能ですから、学級に所属する子どもの人数を減らすしかないと思います。そして、その少人数で子どもたちが自分たちで立てた計画に沿って課題追究していくのが現実的なストーリーかと思いますね。その一方で、自宅でのZOOM学習も補完的に組み合わせていくのが筋かと考えます」
叔父「いや、無理なことはない。100兆円ほど紙幣を印刷すれば、校舎を改築し、教室を2倍に広げる工事なんか簡単にできるだろう。安倍政権ならやってくれると信じるぞ・・・いや、紙幣を刷るのは麻生さんかな・・・。なんならわが社も参入してもよい!うちの会社は、水道工事ならできるからな!」
わたし「さすが叔父さん!そうこなくっちゃ!(白目)」


さて、どうなるのでしょうか。

【教頭先生】その日のうちに帰りましょう

4月1日。
緊張感がただよう中、職員室があらたにスタートした。
多くの先生たちの異動があった。新しい顔ぶれ、新しいチームの船出だ。
大学を卒業してきたばかり、という若者もいるが、朗らかないい顔をしていた。
ベテランは余裕のある態度、面白いスピーチをして職員室をなごやかにさせる。
コロナのことはあるけれど、それでも学校はまじめに、まじめに、進んでいく。

先生たちはまじめすぎる、という言葉を巷で聞くことがある。
生真面目で融通が利かない。子どもを型にはめようとする、などだ。
たしかに、そういいたくなる場面もあるのかもしれない。
しかし、先生たちのまじめさは、本当は市民にとっては宝なんだとも思う。

どんなことも、子どもが混乱するのでは、という意見が出ればすぐに修正しようとして、たくさんのアイデアがでる。今回は、入学式も始業式も、イレギュラーな対応をしなければならない。大人数が集まる形がとれないシナリオをあらたに考える必要がある。
先生たちは、生真面目で、融通がきかないからこそ、手がかかっても、面倒であっても、できるだけ子どもにとってどうか、と考えてシナリオを考えようとする。そこを「そんなにまでしなくても」と言う先生は一人もいない。その姿勢は不思議なくらい共通している。職員室での暗黙の了解、になっている。そんなことは当然だ、というわけだ。

こういう先生たちの一貫した「まじめさ」が無くなってしまったとしたら、こんなに惜しいことはない。日本の小学校の教員が、いつもまじめな態度を失わないことは、われわれ『市民にとっての大きな力』なんだろうと思う。

ところが、それが先生たちの弱みでもある。
今日の職員会で、本当に多くの事案が検討された。長い、長い、職員会であった。
その終わりごろに、教頭先生がこう、言われた。

「できるだけ、その日のうちには、学校の玄関を閉めて、全員が家に帰るようにしましょう」

それを聞いて、苦笑がもれた。
おそらく教頭先生にしても、少しユーモアを加えてのセリフだったのだろう。
苦笑いをしてクスクス笑っている先生たちが多かったが、どこかに身に覚えがあるということ。つまり、深夜、日付が変わるころまで残って仕事をしていた経験があるのだ。

どんな仕事でも、たいへんなことはある。
厳しい状況に置かれたら、ときには睡眠時間を削ってもやらねばならない、ということもあるだろう。仕事、というものはそういうものかもしれない。多くの大人が、そういう状況で働いているのだとも思う。
わたしは、教師が深夜まで働くことが悪いとは決して思わない。
子どものためになる、と心から思えば、「この時を逃してはいけない」ということもあるし、ここまで用意しておかねばならない、というときもある。子どもが本当にこのことで伸びる、と確信すれば、成長する、と思えば、教師はまじめだからやりたくなってしまうのである。

しかし、そこまでしても、報われることは少ない。
そのことに親が言及することはないし、誰も知ったことではないからだ。
教師の仕事は、本当に報われないものである。
やってもやっても、報われない。それで心を病み、辞めていった知人もいる。
裏でどれだけ仕事をしているかを知っているから、保護者に責められ、烙印を押されたようになり、追い詰められていく同僚をみるのは本当にツライ。

今日の職員室の様子を、マスコミが報道すればいいのに、と思う。
いや、そんな回りくどいことをしなくてもいい。だれか一人でも、保護者が記者としてそこにいたらいいのだ。PTAがいい。職員室がどんな雰囲気なのか、いつも広報する人がいればいいのに。

それができないのが、今の社会の構造的な欠陥だろう。親は勤務をしている。学校にきて、記者のような真似をする時間も金銭的な余裕もない。無理なのだ。

わが子なのに、わが子のことなのに、親は密接につながることができない。
それが今の社会のシステムだ。
親が自分の子どものことを、もっともっと、平日の昼間の様子を、身近に知れるようになればいい。先生たちとともに、子どものことを話題にして、あれこれしゃべり、大いに愉快がり、子どもの成長をほんの一足、つまさき一つ分でもいい、成長したところを見つけ、地域の保護者、先生たち、つまり大人たちが、よってたかって喜べばいい。

子どもの話をしながら、せんべいを食べましょう!

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子どもの成長を見て、喜んでいるのが先生だけでいいのか。
保護者ともっと話したい!
10年前、教師になりたてのころ抱いた感覚は、今でも私の中にある。

(※ちなみに、2012年に書いた記事 ↓ 当時もこんなこと考えていたんだな~)

学校の教師がもっと社会に出ていくべきだ
http://arigato3939.publog.jp/archives/54402106.html

立派に見えると泣けてくる

「大の男が泣くものか」

大人の男は泣かないのが当然。
男はだまって、サッポロビール。
・・・昭和生まれなので、そういう雰囲気は知っている。
わたしの父も、まあわたしの目の前では一切泣かなかった。
泣いたところはチラリとも見せないままだった。

わたしもふだんは、そうだ。
じっと目を伏せるくらいで、涙はこぼさない。
今日も、そのはずだった。


ところが泣ける。
涙腺がゆるんできているのか?
涙腺を、ぐっと抑える、というのが、できない。
年齢(とし)をとったのだ。
くやしいけれど、堪(こら)えるのができなくなってきた。
ドッとこみ上げてくると、そのままこみ上げてしまう。
ふたが閉まらないのですね。抑えが、効かない。
あーっと思ったときには、もうすでに声が出るくらい泣いてしまう。


まず、教室に入ってみたら、見事にみんな制服姿。
制服というの、なんでこんなに立派に見えるんだろう。
6年間ずっと半ズボンだった子が、学生服を立派に着こなしている。
「おおお、長ズボン履いてる!履いてるんだね!」
「うん。でも先生、これ、暑いんだけど」
ぴらぴら、と上着をゆすって見せた。
卒業式の15分前なのに、学ランの上着を脱いでしまい、腕まくりもしている。
ちょっと待って。脱ぐのが早すぎだ。せめて終わってからにしてくれ。

先生が来た、というので、みんな席についてこっちを見た。
全員が、ワッとわたしに目線を向けると、これは迫力がある。
おまけに、みんな、小学生っぽくない。もう確実に中学生の雰囲気。
「うわー、大人だ・・」

わたしの涙腺はもう60%くらい、開いてしまっている。

前のクラスに続いて階下に降りた。
今回はコロナウイルスの騒ぎで、ひとクラスずつ。
体育館の手前で待ち、前のクラスが終わって退場するときに、別の入り口から入った。
すると、ここでやばいことに、前のクラスの退場に合わせて音楽が流れ、それが耳に聞こえてきてしまった。10月、6年生が全員で歌った、あの合唱曲だ。
「♬ 生きていることの意味 問いかけるそのたびに胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさこの星の片隅で めぐり会えた奇跡はどんな宝石よりも たいせつな宝物・・・」

あかん。
これで、涙腺が90%、と思ったらもうあっけなく泣けてきた。
残り10%を歯をくいしばって泣くものか、とこらえようとしたが、年齢に負けた。
「♪ ねーんー、れいにー、負けたー ・・・いいえ、なみだに、負けたー・・・」
必死になって、頭の中で『昭和枯れすすき(さくらと一郎)』をリフレインしようとしたがダメだ。
「♬ 泣きたい日もある 絶望に嘆く日もそんな時そばにいて 寄り添うあなたの影二人で歌えば 懐かしくよみがえる・・・」

あの、透き通るような歌声までもが、思い出されてくる。
これはもう・・・

保護者席に向かって一礼するが、

「ああ、泣いているのがばれるな」

と思う。
しかし、もうそのへんも、この年齢になってくると、まあいいや、と思ってしまう。

そのまま涙をこらえながら入場し、一人ずつ名前を呼んだ。
苗字と名前の間が、無意識のうちに、少し空いてしまう。
一気に呼んでしまうと、もったいない、という気がして・・・。

ゆっくり、ゆっくり、一人ずつを呼ぶ。

子どもは、「ハイ」と言って、校長から証書を受け取ってゆく。

練習が一切無かったのに、上手だ。
子どもたちはたぶん、これまでに在校生として何度か見てきた先輩たちの姿を、なんとなしに思い浮かべて受け取っているのだろう。きちんと両手で受け取って、しっかり返事もして、お辞儀もして、堂々と歩いている。ドキドキしているのは担任だけ。子どもたちは、ちゃんとわけがわかっている。一番大事なのは、堂々と受け取り、堂々と歩き、堂々と卒業することだ。それを、みんなやっている。

証書の授与が終わると、すぐに教室に戻って、すぐに解散・・・。
コロナ情勢を鑑みて、ということだが、あっけない。

その代わり、子どもと一緒に外に出てみると、いつもの卒業式後の風景になった。
カーネーションを一輪ずつ、子どもたちが手にしていて、

「先生、ハイ」
「先生、これあげる」

一人ひとりが近づいてくるだけで、もうこれでまた泣ける。
いろんなことを話しかけたくなる。が、もう時間がない。
ああ、もう話せないんだ、と思うとまた泣ける。

たちまち花束ができあがり、全員分を手にしたところで写真を撮った。
ありがとう、ありがとう、とばかり言って写真を撮り、お別れをする。
校庭に「最後のチャイム」が流れ、またとめどなく涙が出る。

「先生、ずっと泣いてるなー」
と、やんちゃ坊主が少し怒ったように言うと、また別のやんちゃくんが
「まあまあ、しょうがない。先生は今日は、しょうがない」
と、とりなそうとする。
そのセリフを聞くと、また泣けてくる。
「今のFくんので、また泣けた」とわたしが言うと、周りの保護者がどっと笑った。

泣きながら笑いながら、だんだんに潮が引くように、さざなみが消えるように、人が去っていく。

泣くのは似合わない、と自分では思う。
どちらかというとにやにやしながら、くだらない冗談を言っていたい。

ところが6年生をもつと、ちょっと年に一度くらい、そういうことが起こる。
みんなが立派に見えると、泣けてくる。

飛び出せ青春

全国すべての公立小中高休校へ 首相表明

職員室に怒号が飛び交う。
「あべえええええええ!!!どうしろってんだァァァァ!!」
ふだんは温厚で、おだやかな表情しか見たことのない1年生の先生が、怒りで震えている。

かわいい1年生。
ほうっておける親がどれだけいるか。
親も、生活がかかっている。
勤務をそうたやすく、休めるわけがない。

そこまで、考えていないのか、首相やそのまわりの人たちがどれだけ「考えた」のか、どうしても疑問視したくなる。当然、親はどうするか、ということへの言及がなされるべきだ。
ところが、ニュースでそのことに触れた形跡がまったく、無い。

1年生の子を何週間も、朝から夕方まで、ほうっておける親がいるのか・・・

安倍首相の目線の先には、どんな家庭像が映っているのだろう。
はたらいている親の姿は、見えないのか。

夕方、ニュースが流れた直後、先生たちの動きが加速した。
印刷機のまわりには行列ができる。
「〇〇先生、それが終わったらついでにこれも印刷お願いします!」
「はい、わかりました」
「ここの印刷機、終了です。次、何年生の先生が刷りますか?」

つまり、子どもたちへの課題を今から印刷し、
明日渡さなければならないのだ。

たしかにまだ決定ではない。
しかし、準備していませんでした、では話にならない。
もしかしたら、2日から本当に休校になってもおかしくないと感じさせるような、首相の発言である。首相の脳裏に、職員室に飛び交う怒号と、自身へ向けられた呪詛、そして先生たちのけわしい表情が浮かんでいるだろうか?想像できるのだろうか、この首相に・・・

慌てて印刷機へ大集合する教員、
他の学校へ緊急連絡を行う教頭、
急遽、自動車で会合へ向かう校長、
子どもへくばるもののリストを作り始める若手教員、

「明日のおたより、全面改訂ですッ!見出し、これでいいですかーッ!」
「その見出し、ストップです!!印刷止めてください!停止、停止ーー」
「〇〇先生、その印刷済みの地域子ども連絡会の書類も、廃棄です!別の箱にしてくださいッ!!」
「△△先生、緊急のお電話です!」
「先生、児童センターから〇〇先生が来られてますッ!」

もう、なにがなにやら・・・みんな目が泳いでしまっている。

気を利かせた若い先生が一人、

「おにぎり買ってきます!ほしい方、挙手してくださーーーい」
「はい」
「はい!」
「ハイッ!うちの学年、全員分お願いします!」
「わ、わかりました!!」

この状況が、おそらく全国の大半の小学校で、
今現在、まきおこっていることだろうと思います。

konran

「うまくいく」自分になっているか

学校というのはさまざまな問題がもちあがる場所。
それは当然で、関係者全員が生きて動いているのだから、いろんな課題が見えてくる。

前回の記事で、校長先生だけは『笑顔でいてほしい』と切に願っている記事を書いた。
管理職の第一の適性は、『ゆるがず、どっしりと、よろず良し』と存在することだと思う。
石のように微動だにせず、周囲に存在感だけは示していてほしい。

先日の記事にあるような「落書きに関する指導方法と教師と保護者のくいちがい」のようなことは、しょっちゅうある。
そこで、校長先生が、

「ど、ど、どういうことでしょうか、あ、あ、これはいったい・・・」

と、のどをからからにさせて右往左往しているのは、やはりなんというか、である。

責める親は責める。
当然である。
他を責めたくなるような世の中であるし、責めずにはいられない気分が蔓延している。
「守られていない自分」を感じていれば、たとえおしゃか様でも他を責めるでしょう。
キリストだって、自分を守らねば、と思っていたのなら、ぜったいに左の頬を出さないはず。
守られていない感が世の中に充満しているのだから、だれだってそうなる。

子どもでもそうで、落書きをしたことについて、なにかしらサインを出している。
落書きしたくなる子、落書きしようとした気持ちを子細に見てみると、担任であればいろんな想像がはたらくものだと思う。

それも含めて、実は世の中は、

「うまくいかせよう」

とは、あまりしなくても、いいのだと思える。

校長先生は、「学校がうまくいきますように!」と、あまり願いすぎない方がいいように思う。

それはなぜかというと、落書きもあって当然だからであります。
ただ、それをしなくてもよければしないほうがよく、そうなるように子どもが安定していけるような働きかけをすればいいだけだし、親もそうで、怒って学校へ怒鳴り込んでもよく、それは管理職なら当然そのようなことはどんどんと受け入れるのが仕事で、保護者と一緒になって子どものことに心と頭を働かせればいい。

ただし、それで動転したり、血圧をあげたり、焦って汗をかいたり、口ごもったり・・・そんなことが起きるとしたら、なにかが、まちがっているのだと思う。「うまくいかなくて当然」なのだから。

うまくいかせよう、という動機ではじめたことは、なぜか、いつまでたっても目指すゴールにはいきつかない気がする。

ところが、「うまくいかせよう」という動機をはなれて、「うまくいく自分」になりさえすれば、結果として、すべてがうまくいく、のだろう。

管理職は、うまくいくことを願うのではなく、うまくいく自分になっていさえすれば、結果としておのずと、意図せずとも、しぜんに、なぜかほうっておいても、ただそうしているだけで、ただなにも意識せずとも、なんにもしなくったって(←くどいか)、

結果としては、うまくいくのだろう、と思う。

まだ管理職にはならない自分がこんなことを書くと、
「お前が言うな」
だと自分でも思うが、もし自分が管理職であれば、「うまくいく」ことを願う、というのはやらない。というか、できない。なぜかというと、うまくいくはずがないから。しかし、現実に起きていることを決して憎まず、目を背けず、「うまくいく」自分になっているかをいつもチェックしているだけで、おそらくうまくいくのだろうという感じがするから、わたしは自分でも意外なことに、かなり楽観的である。

〇事実だと思い込んでいないか
〇事実だと決めつけていないか
〇そういうものだとしていないか
〇自分の評判のためにと考えていないか
〇早く解決するのが良いとなっていないか
〇解決すればよいと思っていないか
〇なんらかの「憎しみ」が、行動の動機になっていないか
〇困ったからやる、という発想でやっていないか

こうしたことをチェックしていれば、おそらく本来の目的からズレないだろうと思います。

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落書き事件~校長先生だけはともかくも、元気でいてほしい~


私のかつての勤務校で、同僚の先生がまきこまれた事件では、こんなことが。

1)落書きをくりかえしたので叱った。(学年集会で叱った)
2)大勢の前で叱られたことに納得できなかった児童が親に言いつける。
3)親→学校へ電話。「うちの子が叱られた。納得できない!」
4)親→校長
  「うちの子は落書きなんてしていないのに、わざわざ学年全体の前でうちの子だけ叱られた!」
5)校長→担任
  「落書きは事実なのか?たとえそうであっても、個別指導でよかったのでは・・・」
6)担任→親
  「すみませんでした」
7)数日後
  同じ親→クラスの別の親に向かって言いつけ。
  「○○先生はいろんなことがまちがっている」
  「○○先生の宿題の出し方は、おかしい」等・・・。


職員室の座席が、目の前の先生でした。とっても若い方。わたしよりも・・・。
いろいろとよく話をしていました。

そのF先生、ふだんから保護者からの信頼は厚かった。
校長先生をはじめ、周囲の先生方からも、若いのによく働いてくれる、と好印象のナイスガイです。

しかし、ちょっとしたボタンのかけちがいから、特定の保護者となんだか不穏な関係に。あとから、宿題の出し方や学年通信の内容まで、いろいろと「おかしい!」と言われてしまうことになっていったようです。
当時、気の毒なほど、憔悴していましたね。やつれて、校長室から出てくる彼を何度も見ましたが・・・。


結局、落書きが事実であることを子どもが認めたことや、困っている担任の味方になってくれる周囲の児童やその親がいて、校長に話をしてくれたことから、事件は収束していくのですが・・・。

また、校長も気を取り直して、該当の親と直に再度、話をしてくれたり、他の親と連絡をとってくれたりしたので、なんとなく過ぎ去っていきました。


しかし、保護者との関係がうまくいかない、ということになると、本当に学校中がそれに振り回されていきます。とくに保護者に校長先生が振り回されていると・・・。いろいろ波及して・・・。
学校が疲れていく、ということを感じた時がありました。
学校の、先生たち全体が、です。
校長先生の表情が曇っていると、他の職員たちも、なんとはなしに、晴れて行かないものです。


「こんなことなら、落書き、写真を撮っておくべきだった。放課後に消しゴムやらスポンジやらで一生懸命にこすって消したのに・・・」

と若きホープ、F先生が嘆いておられましたな。
なによりも、事実の証拠があれば、校長先生も妙に気を使わずに済んだことでしょう。
わたしも当時は教師になり立ての頃。
目の前の席に座って、ため息をつくF先生を見ながら、

「おそがー」(三河弁?で、おそろしい、の意)

と、肝に銘じたことでありました。


校長先生は、やはり学校中でもいちばん明るく、笑顔でいてほしいです!


rakugaki

【6年英語】ハロウィン VS 耳なし芳一

小学校できちんと英語を教えられる外国人の方は、とても貴重な存在だ。
だから、もしそういう人がいたら、みんなでうんと大切にしたい。

教師にとってALTは気になる存在である。
急にプライベートな旅行の話をさせろ、と言って授業をしようとしない人もいたナ。
あなたは先生なのだから、授業に協力をしてほしい、と言っても
「めんどうじゃないすか」
と信じられないことを言うALTもいたし、もともと、カリキュラムも教科書も進度もまったく気にしてないALTは、ざらにいる。

ところが、今年度のA先生は、すっごくがんばる。
授業の打ち合わせにも、ちゃんと出席してくれるし、いやそうなそぶりもない。

ハロウィンの日も、A先生は大活躍だった。
魔女の姿で登校し、魔女を呼び出すところから授業をはじめた。
そして、本場アメリカのハロウィンのあれこれを、教えてくれた。

日本の子どもは、アメリカのお化けの種類は何種類なのかを聞こうとしていた。すると、A先生は
フランケンシュタイン、魔女、ゴースト、ミイラ男、ゴブリン、ドラキュラ伯爵、などを教えてくれた。
A先生が、今度は子どもたちに、
「日本ではどんなお化けいる?」
と聞くと、みんな声をそろえて

「鬼太郎!」

まァ、・・・これは、仕方ない。(でしょう?)

わたしは
「水木しげるもいいけど、日本に古くから伝わっている有名なのもいるでしょう。ほら、耳なし芳一とか、牡丹灯籠とか、番町皿屋敷とか」

とフォローをしたが、子どもたちは誰一人、それらを知らないのだった。

考えてみれば、ヨーロッパの古い民俗の祭り、伝承、フォークロアからハロウィンは生まれてきているから、昭和の「鬼太郎」とか明治時代の「番町皿屋敷」とかなんてのは、まだまだ新しい。ハロウィンが日本に根付かないのは、あまりにもヨーロッパ人種の古くからの民俗風習が、奥の深いものであるからだろうな。

唯一、ハロウィンに対抗できるとすれば、耳なし芳一か。平家物語の凄惨さを知れば、いかにハロウィンが恐ろしいかと言ったって、たいしたことはない。赤子のようなものである。
しばらく考えてみたが、ヨーロッパの古い歴史に対抗できるキャラとしては、芳一くらいしか思い浮かばない。渋谷で有名なハロウィンも、ぜひ『耳なし芳一』コスプレで、1000人くらいが行列をなしてパレードすれば、ちっとは日本の古来からの伝統文化も守られていくのではないだろうか。

耳なし芳一、落ち武者が一族の恨みを哀しんでいるのが怖い。
それも、毎晩のように琵琶の音色で心を慰めるために訪れるなんてのが、震えるくらいに恐ろしい。
あの世から、衣擦れの音をさせながら、あるいは甲冑のカチャカチャいう音をさせながら、霊界から訪れる、落ち武者や平家の落人たち・・・。

それを想像すると、ハロウィンに登場する魔女たちが、なんともかわいく思えてきます。

ハロウィン

研究主任の秋

研究主任となり、秋はもうブログを書く力が残されていませんでした。
ようやく大きな仕事が終わり、ほっとしています。

それにしても先生たちの、真摯な姿勢、学ぼうとする姿勢、本当に頭が下がる。

わたしが研究主任としてずっと口にしてきたのは、次の3つ。
◎具体的に
◎なんのために
◎バイアスをかけて見ていないか


子どもたちに、どんな指導をしたいのか、
具体的に、どんな方法で進めるのか、
「子ども」と簡単に言うけれど、その「子ども」とは具体的にどのような子か・・・
というような感じで、若い先生が、〇〇したい、というと、その都度、「それは、具体的にどういうことか」を探ろうとしてきた。

そこで感じたことがある。
人間は、具体的に話す、ということをしようとすると、ようやく事実に照らして話すようになる、ということだ。

事実に照らしていない話は、ほとんど意味がない。観念だけで話していることになる。
観念論では、教育はできない。なぜなら、相手の存在は事実であり、相手の存在は具体的であるからだ。
観念論とは、〇〇であるべき、〇〇というあり方であるべき、という教義(ドグマ)をもって論じること。
一見、これはふつうのことのように聞こえる。しかし、子どもが〇〇であるべきだから、子どもを〇〇とみなし、〇〇させる、ということは「教育」ではない。それは、〇(マル)を〇(マル)とみる科学的な合理的思考とはちがっている。実際には〇(マル)なのに、本来△(サンカク)であるべきなのだから・・・と言って、これは△(サンカク)なのだ、と言い切ってしまうような、いわば非合理的な態度である。「教育」ではなく「洗脳」であり、子どもを育てることにはならない。


授業を考えていくのは、楽しい。
そして、教員が子どもたちに対して、真摯に向き合い、相手の状態を見逃さず、子どもの様子をどう受け取っていくか、そのつど、思考していくことがエキサイティングだと感じる。

授業者の先生が最後に、「いやあ、本当に研究なんだなと・・・、勉強になりました」
と言ってくれた。

研究ってのが、イイよね。
どこまでも、夏休みの自由研究のようなもの。
ずっと、ずっと、はたしてどうか、と考え続けていくことができる。これは、やめられない。

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