30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

「子ども」とは

元旦のお風呂で。

元旦に嫁様の実家に参りました。
義父のお墓参りを済ませ、午後、息子と2人で近くのスーパー銭湯へ行きました。

私が住んでいる地元には、温泉がたくさんあることもあって、まだ息子が幼い時からちょくちょくと温泉にはよく出かけていきました。
息子にとって、温泉とはただ体をきれいにする場所だけではなかったようです。
なぜなら、息子はそこで人間観察をしているらしいからです。

温泉から出てきたときに、息子がふともらすコメントは非常に味がありました。
例えば、非常に高齢のおじいさんが一緒の湯船につかっていた時。

おじいさんの肌や体の表情を見ていたらしい息子は、その肌の様子を不思議がって、あんなにシワシワなのに、曲げると伸びるんだとか、お風呂に浸かると、赤ちゃんみたいにつやつやになるとか、よく見てコメントしていました。

また、筋骨隆々とした若い男性と一緒にいた場合は、その筋肉やしなやかな動きに見ほれていたようです。
幼い彼からしたら、一人一人、個性のある体つきや、その表情に、色々と学ぶことがあったのでしょう。

20代や30代の大人になったときに、自分がどうなっているだろうか、ということを、大人の人の体の表情を見ながら、少し考えるんだと思います。

また、逆に、自分よりも年下の小さな子を見たとき。あぁ、自分もあんなだったなぁとか、あんなふうにしていることが、楽しかったよな、などと、自分の過去を振り返っているのだと思います。振り返るということは、自分のこれまでの歴史を考え、今、まさに自分がこうなっていると言うことの価値や良さを実感するわけです。

日本独特の裸の付き合いとは、面白いものです。老人という、長い時を経た、未来の存在と、幼児という、かつて自分がたどってきた昔の自分を、心のどこかで、感じ取りながら、静かにお湯につかっているわけです。

温泉と言うのは、今、現在の自分がお湯につかっているだけでなく、同時に、過去や未来の自分を間近で捉え、その行動や顔の表情肉体までふくめて、リアルに感じ取る場所なのです。

来年20歳になる息子は、今回結構長湯をしていました。
そして、脱衣所のドライヤーをずっと長い時間一人占めして使っている、若い男性を見て、
「ありゃぁ、長く使いすぎだな」
と、短くコメントしていました。

狭い脱衣所での歩き方、着替えるスピード、ちょっと間をあけて、隣の人とぶつからないようにするコツ、ドライヤーを使う時間。
ここはコミュニティーと言うものを、まさにリアルに実感する場です。

私は昔、とある事情から、毎日銭湯のように大勢の人が利用しているお風呂へ通っておりました。同じ職場の人や地域の人がたくさん利用しているお風呂です。20代の10年間ほぼ毎日、そこで大勢の大人の人の背中を見ました。
改めて、他人の背中を見ながら、大人の人の背中を見ながら、あるときには、自分より年下の子の背中を見ながら、自分と言うものを感じ取る、あの時間は、貴重なものだったと思っています。

ふと見ると、息子は慣れた調子でロッカーの中の忘れ物がないかを確認していました。
そして、20歳になろうとする今、駐車場で車に乗り込みながら、またいつも通りに同じことを言いました。

「いやぁー、やっぱ温泉は良いわ」

元旦の道路はすいており、優しい陽ざしが、ハンドルをほんのりあっためてくれていました。IMG_4384

どんな体験ができた?と、子どもに聞く

こんな悩みを聞いた。
ある子が、2つのスポーツクラブに通っている。
1つのクラブは、コーチがとても褒めてくれる。また、チームの雰囲気を良くするのに、気を遣ってくださっていて、子供たちの仲が良い。失敗しても励まし合う。何よりも、人を責めたり、自分を責めたりすることがない。
お母さんはそのクラブを大変気に入っていらっしゃる。
ところが、もう一つのクラブのほうは、コーチが一昔前のコーチタイプで、親が横で聞いているにもかかわらず、理不尽な子どもへの叱責や懲罰めいたものまであるらしい。
お母さんはそのクラブを辞めさせようと思っていたが、子どもは友達に誘われて始めた手前、まだ続けたいと言い、やめないでいるとの事。

『その鬼コーチがいるクラブの活動を、どうやってフォローしていけば良いでしょうかね?』

私も少し考えた。
しかし、確認すると、その子はまだ続けたいと言っているのらしい。
そうであれば、答えは簡単だ。その選択を尊重するだけ。

お母さんがしてはいけないのは、そのクラブやコーチの言動について批判をすることだ。
あのコーチ良くないよね、と、もし母親が言ってしまったらどうだろう。
子供にとって何のメリットも生じない。逆にデメリットだけが出てくる。

鬼コーチを批判すると、同時に、その子の【選択】をも批判することになるのだ。

母親がもし何か言うのであれば、聞いてあげるだけ。
「あなたは、そのクラブで、どんな良い体験が出来たの?」
あるいは、
「クラブで練習をしていると、どんな良いことがあるの?」
である。

きっと、子供は今の自分の状態を、客観視してくれるだろう。そして、自分の今のかけがえのない体験が、とても価値のあることだと再認識をするか、もしかしたら、今の自分の状況をよく考えた上で、クラブに継続して通うかどうかについても、真剣に考えようとするに違いない。

「それをすると、どんないいことがあるの?」

と言う質問は、あなたはあなたの人生を自分でハンドルを握って、しっかりと運転をして良いのだと言う隠れメッセージにつながる。

親は子供の人生のハンドルを奪ってしまいがちだ。
子供は自分の人生のハンドルを奪われてはたまらない。必死でハンドルを奪い返しに来る。

親がして良いのは、背中を柔らかく押すか見守るか。

親の立ち位置は、常に子供の背中側である。そして、声をかけてあげるのだ。

「どう?今のあなたの運転は、良い調子で進んでいるの?」

いいよ、ありがとう、と、子供が言ったら、親はたった一言、
感に堪えたように、言うのだ。

あーそう!良かった、ねえ!!
と。

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自己評価できるかどうかは・・・

子どもが主体的になって、すべての活動を行うものだとすると、学習計画と言うものや、将来の計画と言うものも本人が立てるしかなくなる。
この言い方もおかしな言い方で、本来はそうなのだから、日本の社会の教育システムについてもありとあらゆる場面でそうなっていなければ、話が合わない。
さて、学習の計画を本人が主体的に計画するならば、まず第一の条件として、子ども本人が自分の状態をどう捉えているかについて熟知していなければならない。
今の自分の状態を知り、そこから将来を画策し、自分のプランを立て、アクションを起こしていくのである。

ところが、今の学習システムにもっぱら見当たらないのがこの部分、つまり、自分の状態を知り・・・という点である。
子どもか自分の状態をどのように把握しているのか、それを多くの大人は聞こうとしていないように思える。
そこで、文科省は自分の状態を子どもが把握できるように「振り返り」を指導している。授業の後に、自分が今日の学習で目標目当てを達成したかどうか自信を振り返るのである。
さらに、次の学習に向けて、一体どのように進んでいくのか、それもまた自分で決めるのである。学校はこのように学習についての大きな変革を、実はもう10年以上前にやり始めている。そのことが熟知されてきて、多くの小学校でその実践がされ始めたのが5,6年前であろうか。

校内の研究授業などで、他の先生方の授業を見ても、このように授業の始まりにめあてを確認し、振り返りの作業を子供たちが一人一人自分の学習計画ノートに記録していると言う実践を最近は多く見るようになってきた。

さて、それが宿題など、家庭の関わるところとなると、なかなかそうはなっていない。
多くの保護者にとって、宿題と言うのは、学校が出すもの先生が決めるものと思っていることが多い。中には、学校から担任教師がそのことについての説明を充分しており、家庭でも宿題と言うのは自分で計画するものだと言うふうに認識しているという学校もたくさんあるだろうと思う。ただし、全国の小学校が全てそうなっているとは言い難い。
宿題というものも、一人一人違うと言う点が当たり前なはずなのに、隣のクラスと宿題の内容が異なるとどうしてなのかと訝る保護者も実際にはいる。

通知表の評価も、昔のように相対評価ではなくなって、かなり長い年月が経つにもかかわらず、テストの点が良かったから。悪かったから三角だと言うふうにまだ思っている保護者もいるだろう。
自分の学習の状態を熟知し、自分で計画を立て一生懸命に練習をしている子にとって、あるいは考えを深めようと試行錯誤できている子にとって、ふさわしい評価はすべからく丸、あるいは二重丸である。

私が見てきた子どもの中で、
どんな具合?
力はつけられてる?
どうしたら分かりそうかな
どうしたらできそうかな
と担任に聞かれた場合に、その自分の状態を全否定する子は1人もいない。
力をつけたいと願っていない子は1人もいないのである。

だから、通知表に三角の子は1人もいない。いようはずがない。みなさんは、このへん、どう思われますか?

ここからが1番言いたいことだが、通知表は、そういう意味であまり意味がないのだと思う。大切なのは、本人が自分の納得する計画が立てられており、その計画をしっかりと進める状況がこの1学期につくられたかどうかである。その状況を作るのは、第一に子供の意思であり、またそれをサポートする周囲環境がどうかと言う点である。
つまり、通知表には、2つの列が必要で、1つは自分の意志や状態で、もう一つは、環境である。それを丸や三角で子供自身が評価すべきである。そしてその評価を見て担任がじゃあどうしていこうかと言う計画をそこに書き込むのだ。そして親が家庭での状況をさらにそこに書き込むので、お互いに自分がどうそこに関わることができただろうか、という自分自身の反省を述べるために、である。IMG_2605

ポコペンの日本全国散布図と伝承について~諸説あります~

「ポコペン」をご存じでしょうか。
缶蹴りの亜種です。
ポコペンは、缶を使いません。でも、缶蹴りのような、ごく近いルールの遊びです。

わたしは友達との関係性をこれでかなり磨いたので、思い入れがあります。
一番は、仲間と通じる心地よさ、敵を欺く心地よさ、でしょうか。
そして、仲間を救うためにあえて犠牲になることの面白さを知りました。
Sくん、きみをぜったいに救うから頼む、今この瞬間だけは芝居を打ってくれ、と頼むような祈るような気持ちを味わいました。
同時に思い出すのは、

「ああ、敵に知られずに壁の向こう側に隠れているあいつと連絡をとりたい」という気持ち。

これは、当時は怪人二十面相の「少年探偵団」が持っていたトランシーバーがあれば実現できましたから、おもちゃ屋さんで「トランシーバーもどき」が売っていたときは、あこがれました。
(もどきでしたから、20m離れたらもう使えない)

さて、うちの教室の話です。
クラスの子どもたちが、外でおにごっこをするのですが、やる子とやらない子に分かれていました。
やらない子は、サッカーもやらないし、散歩もしない。
教室でストレス発散できずにいる感じ。

そこで、なにげなしに「おにごっこやってきたら?仲間に入れてもらえば?」と、ちょっと様子見でなげかけてみると、想像していた反応どおりで、案の定、
「だって足が遅いからねらわれておもしろくない」
とのこと。

みんなが教室に戻ってきてから、

「おにごっこのルールをちょっとだけ変えてみるとかどう?」

と言うと、前のクラスではそれで話し合いがはじまったものでしたが、なんかうまく進まない。

そこで、わたしがルールを変える提案をいくつかしてみたものの、なんだかそれでは面白くなさそうというか、「大人がつまんないことを言い出してる」雰囲気も出てきたので早々にヤメ。

「あ、じゃあおにごっこ以外はどう?」

というと、それもアイデアがないようで、なにするの?という雰囲気。
お前たち、本当に小学生かよ、というのが現代なのであります。

そこで、時代はSDGsですし(←意味不明)、いろいろと伝統的な遊びを教えました。

「ポコペンでしょ、Sケンでしょ、メロンに『くつとり』メロン、回転焼き、6ムシ、ほかにも・・・」

まったく知らない。
昭和の遊びは、絶滅しております。

というか、わたしは名古屋で育ったために、遊びが偏っている。東京ではないために、全国区ではない。ですから、正直、恥ずかしくてなりません。こんなローカルな遊びに魂をうばわれて、毎日飽きもせずに繰り返して遊んでいたなんて・・・
ちなみに、すべて上記のあそびはすべてローカルルールで完成されております。

ポコペンを知ってる?というと、子どもがそれをやってみんなで遊ぼう、という。
だから、一度、みんなでポコペンをやりました。

♪ぽこぺん、ぽこぺん、いま、だーれがつーついた、ぽーこぺん!

感涙というのでしょうか、40数年前にわたしが実際に歌った唄が、くちをついて、自分の口から出てきたとき、この令和の空気の中にそれが蘇り、かじかの里にそれが響いたとき、わたしは思わず絶句して、嗚咽しそうになりましたぜ。

子どもたちもすぐに覚えて、それをいっしょに唄ってくれました。
そして、わたしが鬼をやると、大いに盛り上がったのです。

わたしが校庭の隅を全速で駆けながら、「〇〇くんポコペン!」と柱を叩くと、わたしはいつしか、40数年の時をさかのぼり、小学生にもどっておりました。

大いに楽しんだあと、靴をはきかえている靴箱の場所で、子どもが「先生、めっちゃおもしろい遊びをおしえてくれて、ありがとう!」というのをきき、また私は感涙しました。

まだあるんですけど

この話を同僚の先生にすると、まさかの回答。
「わたし、ぽこぺん知ってますよ」

その先生は、山梨の学校で知ったそうです。
また別の先生は長野市の小学校で、やはりポコペンといい、今なおまだ現役の遊びであることを教えてくれました。

調子に乗って職員室中の先生に訪ねて回ると、やはり中部地方全般にあった遊びのようで、富山にも似たような遊びがあったとのこと。富山ではポコペンではなく、ぺこぽこ、だったとも。
また、愛媛県出身の先生が、やはりポコペンだったような気がするとのこと。

東京でもあったようですが、どうやら中部地方出身者が東京で伝えたものらしいです。
「東京でもやった」と言ってた先生は、子どものときに引っ越しで東京の別の地域に行った際、みんな知ってるだろうと思ってポコペンを誘ったところ、「そんなもん知らん」と言われて断念した思い出も語ってくれました。つまり、中部出身者が少数ながらそれを伝承者となって一部の地域に少しだけ流布させたものらしいですな。
また、東京では遊びの名前が「ペコ・ポコ」であり、不二家のキャラクターのことを指していたものらしく、唄も、「ぺこちゃん、ぽこちゃん、最後につついたの、だあれ」だったようです。

わたしは当時、不二家のキャラクターなんぞまったく念頭になかったので、少なくとも名古屋界隈では、「ポコペン」というフレーズで一大勢力を築いていたようです。

老いた母にこの件を聞いてみようと思い、ひさしぶりに電話すると、
「ぽこぺん?知ってるよ。缶蹴りみたいなのでしょう」
と、ちっともボケ知らずの回答。
そこで初めて分かったのは、どうやら太平洋戦争の時にはもうすでにあったらしく、母が子どもの時代にもすでにあったらしい。
「わたしらもようやりよったよ」
「あ、そう。ちゃんと歌もあった?」
「ああ、なんだっけかな、ぽーこぺん、ぽーこぺん、だれつついた、だれつっついた・・・」

どうやら太平洋戦争末期ごろ、戦後すぐの食べ物がなかった時代は、唄もちょいとちがったようです。節回しもなんだか冗長で、やはり時代のテンポというのがあるのでしょうか。ゆっくりです。

で、肝心なことを母に聞きました。貴重なポコペンの生きる伝承者、という位置づけで。

「お母さん、なんでポコペンというんか、知ってる?」
「缶がペコッとへこんだんちがう?」

ずこーッ!

「なんで缶が関係するわけ。缶使わないでしょう。ぽこぺんと缶は関係ないじゃないの」

とわたしが言うと、齢80になる貴重な資料はこう言いました。

「使うよ。ポコペンは缶をふんづけてたもの」

どっひゃー

見つけたら鬼は缶を踏んで「ぽこぺん!」って言うんですって。
あと、最初はかごめかごめみたいに、手で目を覆った鬼のまわりを手をつないでみんなで謡いながら回ったんですって。それで背中もつついたんですって。それ本当?記憶が混じってない?

この話は、これでおしまいです。

⇩写真は、もぐたん。

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『終わり』という感覚がない子

学期末に近づくと、子どもたちは荷物を持ち帰ります。

最終日、両肩に荷物を食いこませる。

その上、さらに両手にも荷物をぶら下げて帰宅する猛者もいる。

「せんせ・・・くるしぃ・・・」

だ、だいじょうぶ?と聞くが、

「なんとか・・・帰ります・・・」

歯を食いしばって歩いていく。



これは、どうしてこういう事象が起きるのか、不思議ですが、子どもからすると

「まさか、休みがくるとは思わなかった」

ということらしい。(事前に忠告は何度も受けているのに、ですよ?)

永遠に、毎日のように自分の人生は繰り返されて行くのだ、という感覚になっていて、朝起きてご飯を食べたら靴を履いてランドセルをしょい、友だちと道を歩いて教室に入り、みんなとすごすのがつづく、と思っている子がいる。

もちろん、きちんと毎日のようにカレンダーを見て確認し、

「最終日まであと10日。よし、そろそろ絵の具は持って帰ろうかな」

と計算できる子もいる。

しかし、まさか、この学年が、この学級が、おわってしまうとはついぞ考えたことが無かった、という子もいるのである。

いよいよ終業式が終わり、教室も片付いて、通知表ももらって、

「春休みですね、みなさんさようなら」

となってから、ぼうっと立ち尽くす子もいるのである。
「まさか、こんな形で終わるとは」
「人生に、こんな区切りがあるとは思わなかった」
「この毎日が、俺の人生のすべてだったのに」
「ずっとこの日常が、毎日が、くりかえされていくと信じていたのに」

とまあ、こんな雰囲気の心情であるのだろう。(推測)

とてつもなく不安な顔をしたまま、その子はゆっくりとランドセルをしょい、
水彩画のセットを肩にかける。
そして反対側の肩から画板をさげ、その上から今度は体操着袋をあらためて背中に背負う。

そして左手に図工の木工作品や家庭科でつくった布の袋や裁縫道具などを入れた巨大な「作品袋」を持ち、右手に上履きやらぞうきんやら、しばらく学校に忘れていたジャンパー等を入れたこれも大きな袋をさげたところで

「先生、ぼうしを頭にのせてください」

と言う。

見た目はもう、

特別に仕上げた雪だるまのような雰囲気。

さらに、そのまま、画板をあちこちの机の角にぶつけながら歩いて昇降口へ移動すると、お世話好きで心配そうに見ていたクラスの気の利く女子から、

「あ、Kくん、これ忘れてる」

と理科の観察バッグと地図帳の入った袋を渡されるが、もうなんとしてもどこにも持つことができず、女子にうしろからランドセルをあけてもらって、そのふたの部分で地図帳と観察バッグを無理やりにはさみこんでもらって、なんとか『ほうほうのてい』で下駄箱へ行き、泣きそうになりながら靴をさがしてもらってはかせてもらい、まるで遠くから見ると人ではなく荷物が移動しているかのような恰好で、帰宅するのである。

すべての子がこういうわけではないが、こういう子も中には、いる。

「まさか、この幸福な毎日に、突如として終わりがくるとは信じられない」

という感覚でしょうか。

最後に「これでおしまい」ということになってから、

「え!?終わっちゃうの?ほんとうに?」

と言った子がいて、そのセリフを実際にわたしは聞いたことがありますが、子どもというのは、時間の感覚も大人とちがうし、なにかが終わる、という感覚も、まだ育っていないのでしょう。

ただ、大人の方がそれに縛られている、という見方も一方では存在しています。
別に、本当はどうでもいいのかもしれません。
春だからこうしようとか、秋だからこうしよう、というのも、ね。
キメツケないでもいいことでは、ありますナ。

というか、本当に人間にふさわしいシステムというのは、もしかしたら違うかもしれない。

1年ごとに区切りをつけなくてもいい、という前提で社会のシステムをつくった方が「生きていきやすい」という人もいるだろう。

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【廊下を走らない制度】エントロピーとのはざまで

(冗談なので、以下の文章はあまり生真面目に読まないでくださいネ)

一般に、学校生活は秩序を重んじるために、廊下は走りません、という教育がなされますね。
子どもは走り回っているために、まるで自由分子のようであります。
ところがその自由電子に制限を加えていくわけです。

エントロピーとは無秩序さ、つまり乱雑ぐあいを表す指標なので、秩序が高い状態はエントロピーが低く、秩序が低い状態は、エントロピーが高いというこになります。

すると、廊下は走りません、という張り紙は、エントロピーを低くしようと頑張っているのです。
これを「恒常性の維持」と呼んでも差し支えないでしょう。
しかし、物理の法則も熱量の法則も、自然界のものはなにもかもすべて、エントロピーの法則が適用されることになっておりますから、やはり「廊下は走らない」という張り紙だけではエントロピーは隙間をぬって増大しようとします。
唯一、エントロピーに対抗しうるのは、生き生きとした「生命活動」だけです。生命活動はなぜか、自己崩壊せず、なんとか恒常性を保とうとする。それがわれわれの大切な命の働き、というわけです。

さて、授業が終わり、休み時間が始まると、サッカーボールをかかえて走り出す子どもには、エントロピーを増大させる宿命が彼をそうさせている、とみることもできるわけです。
それを阻止せんとする私たち「教師」はエントロピーに歯向かう反逆者なのでありましょう。

しかし、ふと我にかえってみると、この話はもっと、「はじまり」になにかあるんじゃないか、と思うわけです。
子どもが廊下を走ろうとするという「エントロピーの増大」について、それを阻止しようとするけど、もしかすると、そもそもそうやって廊下を走ろうとする子のような、「秩序➡無秩序」への流れを促進する、とっかかりのような出来事があったのではないか。

実は、6年生などの高学年を担任していることがつづくと、案外と真実がみえてきまして・・・。

それは、6年生って、注意されないでも、もともと走らないのです。
この、「もともと」というところがミソでして。
つまり、6年生たちは、疲れるから走らない、という理由から、走らないわけ。
べつに張り紙が張っていようが、先生が廊下の端に仁王立ちしていようが、声を荒げて
「こら、走るな!廊下は歩きましょう!」
などという怒声をあびせようが、それとは無関係に、もともと走らないのです。

これはネ、無秩序➡秩序、というエントロピーを縮小しようとする動きではなく、彼ら彼女たちなりにエントロピーを増大させた結果、「だるいし、かったるいし、走るのだりぃから歩こう」ということなのです。

つまり、廊下をあるく、ということ自体が、その子その子に応じて、エントロピーの縮小の結果である(秩序立てることになる)子もいれば、逆にエントロピーの増大の結果になっている(秩序を崩すことになる)子もいるというわけです。

エントロピーの縮小がある一方では、かならずエントロピーの増大があるわけで、これは同じ量だけ、行われているはず。学校全体に、エネルギー保存の法則が当てはまるわけです。

子どもが廊下を走るようになった背景に、なにか「秩序立てようとする運動」があったはず。
それは、もしかしたら、教室を分ける、ということかもしれないですね。

何年何組はここで、〇〇くんはこの席で、今日は国語が1時間目で・・・というように、思い切り秩序立てているために、学校全体としてはどこかにエントロピーを増大させる動きが生まれているはず。それが、「廊下を走る」なのではないか、と思います。
ためしに、子どもが勉強する場所や時間などをすべて無秩序にしてみると、もしかしたら廊下を走る子は一人もいなくなるかもしれません。たぶん、いなくなるでしょう。そうしたくなる秩序がなくなったからですね。

では、高学年の子がかったるそうに廊下を歩く、ということについてはどうでしょう。
このようなエントロピーの増大についても、もしかしたら何時間目に何を勉強して、というような秩序をなくしてみたら、もっと生き生きと背筋を伸ばして歩き始めるかもしれません。

で、ここからが本稿の主張になるのですが、
ためしにですね、週に1日でよいので、たとえば金曜日。
これは、
「児童が時間計画をして、児童がどこで何について学ぶかを計画し、それにそってやりたいように学べばいい」
というようなことをしてみたらどうか。

これはエントロピー的には、増大の方向です。
今まではがっちりと秩序に当てはまっていたのですが、それを自由分子的にやりなさい、ということになるのだから。

だとすると、今度は逆に、秩序がうまれてくるのではないか。
それも、大人が意識の上で秩序を計算したものではないために、ごく自然発生的に子どもたち自身から、まるでエントロピーを縮小させるような、本来の「恒常性の維持」という生命体のもつあり方にそった形で・・・。

今日は朝から寒く、とくに用事もなく、まったりと昼寝をしておりましたところ、うまい具合に脳内のエントロピーが寝てる間に回収されて秩序を取り戻したらしく、ふとこんなことを思いついて書いてみました。人間は、寝ている間の、この「エントロピー縮小(片付け・整理)」ということが、脳にとっては大事なようです。でなければ、起きている間に脳が高速に動いて大量の情報を処理できるわけがないからですね。

やっぱ、睡眠が大事、という結論です。

ろうか

大谷翔平や藤井聡太になれない人たちは

大谷翔平や藤井聡太になれない人たちの方が圧倒的に多い。
教室にはサッカーの才能を持つ子もいるし、野球の才能を持つ子もいる。
空手やダンスに才能を持つ子もいる。
しかし、あこがれ、という気持ち以外に、あきらめ、という感情を持つことだってある。
もうぼくは、レギュラーにもなれないんだ、とか。
そもそも向いていなかったのでは、とか。
いつも力になれない、チームのためになれない、とか。
うまくできない、才能がない、あの子に勝てない、とか。

こういう相談をする子に、どう声をかけたらいいだろう、といつも悩む。
新間草海も、悩むときは悩みます。

・・・

たしかに、何かをはじめたころは、覚えるのが楽しくて仕方がない。
新しいことをたくさん覚える。
道具も新品を買ってもらう。
みんながあれこれやっているのを不思議に思ってみているときと比べたら、
「あ、なるほど、そのためにやってんだな」
と合点していくときの成長は、自分でもよくわかるし実感ができる。
先輩を見習って、自分でも工夫をしていく時代になると、さらに楽しい。
先輩のまねができるのも楽しいが、自分はこうする、こうしたい、というものを見つけたら、もう時間がいくらあっても足りないくらい、熱中できる。

しかし、ある時期をすぎて、なんだか地面が平らに見えるときがくる。
今までは、この坂の上に、この丘の向こうに、なにかあるだろうと思ってやっていく。
途中まではもう上り坂を登っていく感じしかしないから、夢中になって登っていくわけだ。
それが、どうも見晴らしがよくなってしまって、向こうのほうにもとくに何かがあるわけではない感じがしてくるときがある。

このまま歩いて行っても、自分の歩幅でいけば、このくらいだろうなあ、という良くない予感もしてくる。どうにも自分の歩幅が、わかってしまった、という感覚だろうか。あいつほど早く行けない、あいつほど遠くまでいけないだろう、とわかってしまう。そうなると、いくら足を運んでいても、自分が前に進んでいるかわからない、という状態になってしまう。

そうなったときに、「自分に合ったものって何だろうか、自分は何と合うんだろうか」と考えるようになるのかもしれない。世の中でこれが良い、とされるものを求めるのではなく、求めるものが変わっていく。世間がいうものを求めるのではなく、自分と合うものを。

今教室にいる子で、すでに悩み始めている子がいる。
ソフトテニスをつづけるべきか、悩んでいる。
大人だよなあ、と思う。
自分が小学生のころなんて、めざすものもなければ、あきらめるものもない、まだ何の土俵にも立っていなかった。

あのとき、あのころ、ラジカセが家にあったのだから、古今亭志ん生だって桂文楽だって聞けただろうと思う。小学校4年生のころから、毎晩志ん生の「火焔太鼓」のカセットテープを聴いて育っていたら、わたしも夢の舞台に立てたかもしれない。笑点のレギュラーにもなれたかもしれない。
しかし、人生は一度きりだ。後悔はしていない。

大谷翔平や藤井聡太になれない人たちの方が圧倒的に多い。
自分はなにものかに、「なれなかった」と思う人の方がたくさんいるのが、この世の中だ。
ソフトテニスで悩んでいる子は、今、あれこれと考えている。
てっぺんに立つことだけに価値があるのではない。
もしかすると、MVPをとるであろう大谷翔平クンは、ホームランを量産したから価値があるのでもないかもしれない。それはスポットライトの当て方しだいだ。見る人によって、価値は何種類にも分けられる。大谷選手のどこに価値があるのか、何に価値があるのはは、見る人によって異なる。
また、彼には世界中のマスコミからスポットライトを浴びているからまぶしく見えるけれど、もしかしたらどの選手にも、彼のようなスポットライトが当たった瞬間、どの選手も同じように輝いて見えるのかもしれない。

「大谷みたいになれないだろうから、野球を辞めます」

という小学生がいたら、彼には世間のスポットライトが集中して当たっているからまぶしく思えるのだよ、でもだれにだって、スポットライトを当てたら、みんなものすごく輝いて見える、と言いたい。きみだって、なにかに興味を持って、生き生きと行動していたら、それだけで大谷のように輝いているんだよ、とね。

otaniesnsyu

スポーツをやめることについての一考察

小学校教師というのは、授業を行うのはもちろんですが、日本の場合は、どちらかというとそれがメインなのではありません。
授業は業務のうちの3割程度かな・・・実感としては・・・
メインの業務は、お子さん方のメンタルのお世話でしょうか。

といっても特に何かをするのが必要なわけではなく、ただひたすら、

〇共にすごし
〇共に給食を食べて
〇共に掃除をして
〇共に生活上のいろんなことを話し合って
〇共に感想を出し合って
〇共にじゃ次はこうしようとか言い合って
・・・

という繰り返しをするのですが、
それがまあ、いちばん人間が成長する元になります。
特段、なにかが必要なわけではなく、人間は元々、日々成長し、良くなっていく存在なのかなと思います。

そこで、教師も毎日あれこれと子どもの姿から学びますし、あれこれ考えます。
わたしは

「自分なんかよりもよほど偉いな、この子は」

と思う子によく出会う。
私が自分の子どもの頃を思い返すと、この子は少なくとも自分よりはマシ、と思うことが多い。
だからなんとなく、甘い、と言われてしまうのでしょうかネ。
わたしは高卒で大学も中退だし20代もろくに稼がず、職業も転々としてまっとうな人生を歩んできたとは言い難い。だから、この子は自分よりもおそらく偉いし、立派な人生をおくるだろう、という気がしてならない。どの子に対してもそう思う。

だからかもしれないが、子どもたちが悩みを打ち明けてくると、

「たいしたことないですナァ・・・」

としか思えない。
これは教師としてはマズい。親身になって受け止めてあげなくてはいけないと思う。当人は真剣なのだから。

6年生になり、長く続けた新体操を辞める、と相談にきた子がいる。
実際は、お母さんが相談をもって学校に来られた。その後、当人もまじえて話し合った。

何よりも、お母さんが

「小1から続けてきて、県大会で二十位までに入った。本人も楽しく続けてきたのに、やめるのはもったいないと思いまして」

と悩んでおられた。

しかし、当人は中学に新体操の部活がなく、中学ではクラスの友達と一緒に部活に入りたいのだ、という。
どの部活に入るかは具体的に決めているわけではない。ただ、友達といっしょに部活をしてみたい。新体操を続けると、ほとんど毎日のように県の体育館やスクールに通って練習をしなければならないため、部活には入ることができない。

当人は
「できたら両方やりたいし、新体操もきらいなわけではないから、続けたい気持ちもあるが、これだけになってしまうことについての不安がある」
とのこと。

「これだけになってしまう」というのが、子どもの言い分。
母親はそれに対して、「それでいい」と思っている。人間、何かに打ち込むのは幸福なことだが、いくつもできないのだから。新体操がたのしくやれたらそれでいいのでは、と考えているようだ。

私は、近くのお寺の和尚さんに相談してもらいたい、と正直思う。
だって、この相談、小学校の教師にすることか?
人生の悩み相談は、お寺の和尚さんに相談するのがこの国のルールだったはず・・・(ちがうか)

私は小学校の教師であり、授業の相談や学習のこと、クラスの人間関係などのことは相談に乗るが、あなたの私的な活動については正直、どうでも・・・あ、いや、すみません。お話は聞かせていただきます・・・。

みなさんはどう思われるでしょうか?
わたしは自分が仕事が長続きせず、転職を繰り返すほどのだらしない人間であったので、

「辞めたい?いいんじゃないの」

とすぐに言ってしまいそうである。
わたしは長続きがしない、そのために損をしてきた、ということにかけては他の人にひけをとらないくらい自信がある。

お母さんは「もったいない」と何度も言う。

ところがその結果はどうなるかはだれにもわからない。
わからないからお母さんも当人も、どうなんだろう、と真剣に悩む。

わたしは、20代の最初になぜか子牛に早朝ミルクを与える仕事をしていたが、あれを続けていたら今、おそらくいっぱしの酪農家になれていただろうと思う。あるいは肉牛の専門家として今頃はステーキを食べ比べることができる人材になっていただろう。当時は雄牛の去勢もしたが、去勢のプロにもなっていたかもしれない。

しかし、辞めた自分のことを「ざんねんなやつ」とは思わない。
むしろ、あれこれと遍歴し、漂泊し、一貫性のなかった自分自身のことが好きだ。

わたしは結局、なにもアドバイスができないまま、うーん、と腕組みして
「むずかしいところですよねえ・・・」と言葉少なに何度かつぶやくだけでした。
お母さんはマシンガントークを娘と繰り広げて、疲れ果てて帰宅されましたが、娘はおそらく、もう心の中では「辞める」と決めているのでしょう。
ところがお母さんがそのことに納得していないので、その子は仕方なく親を私のところに連れてきた、ということが真相でしょうね。

子どもは、「スポーツを辞める自分を自身では否定もなにもしない」のに、親が否定している。
子どもはスッキリしていて、強いですよ。力強く自分の足で立っているのが子どもで、ふらふらと不安でしっかり立てていないのが親、というのはよくある構図でしょう。

今回のオリンピックでも、競技の直後に引退を宣言する選手が、たぶん少しくらい、いそうです。
で、その人はすごくすっきりしていて、そんな決定を下した自分に誇りをもっているんだけど、
周囲の別の人が「もったいない」と言う、というのは、いかにもありそうな話ですナ。

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多様化進む子どもの「習いごと」と「趣味」

野球少年が多かった時代は、みんな野球をやっていた。
プラスチック製のバットをみんな持っていて、公園に集まるとみんな野球だった。
ボールはやわらかいテニスの「赤M」で、軟式野球のボールは使われなかった。軟式の球は固いから、ホームランが出ると近所の家のガラスが本当に割れてしまうからである。赤Mならたとえ窓ガラスにあたっても大丈夫だし、体に当たっても痛くないし、ボールがゆがむから、ヘンテコなカーブも投げられた。

だいたい、団地の真ん中の一つしかない公園で、みんなで遊んでいるから、みんなでブームにのり、みんなでブームから離れたのである。

ローラースケートもやったなあ。
ただし、2年くらいしかブームが続かなかった。
みんな買っちゃったから仕方なくやっていただけで、2年目はそんなに盛り上がらなかった。結局、いわゆるブームだったのでありましょう。

という具合に、昭和の子どもたちは、わりとみんな少ない選択肢の中で、あれこれと動いていた気がする。

『アタックナンバー1』のころはバレーボールをやり、『エースをねらえ』の頃にテニスをやる。
我々は、テレビともちゃんと歩調を合わせていた。
「今、時代はコレだな」
と、みんなでそう思っていた。

スポーツそのものが時代に合っていたのだろう。スポーツが神性を帯び、スポーツが社会の中で果たす役割がとても大きかった気がする。

近所の仲間のうち、どうしても野球が苦手なのに、野球部に入っている子がいた。
なんてったって、彼の振るバットに、ボールが当たったためしがない。
また、なぜかフライはいつも彼の頭上を越えていく。
しかし、わたしは彼を馬鹿にはしなかった。
なぜなら彼は、それでも堂々と「野球」の道に進んだからである。
わたしはキャプテン翼が流行し始めた最初の頃で、自分では自分のことを、王道を離れてサッカーに流れてしまった軟派だととらえていた。したがって、野球という硬派な正統的スポーツをしっかりやろうとする彼のことを、ひそかに尊敬していた。

当時の少年にとって、たとえ苦手だとしても、その世界に入りたいと思えるくらい、野球は正統派であり、まぎれもなく【人の生きる道】でありました。

ところが、それが徐々に雰囲気が変わってきたのが、やはりバブルなんでしょう。精魂傾けて精進し、目的を達する、というのが茶化される感じが出てきた。軽薄な時代とよばれたバブルの頃で、ウッチャンナンチャンがいわゆるスポーツ根性もの、スポ根をネタにしてお笑いに変え、コントにして受ける時代がきた。

それまでは王貞治さんを見て笑う人なんていなかったのに、「懸命に精進する人を見て笑う」という文化が出てきた。

今、小学校の教師をしていて思うのは、そういう「精進する人をみて笑う」というのは、今はなくなりました。そう断言してもいい。スポーツ根性物をネタにするような、ウッチャンナンチャンのコントを見ても、今の小学生は笑わないでしょう。笑うのは、当時のことを知っている大人だけだと思います。我々は、古いコントを今見ても、やはり笑えるでしょう。

なんで今の子たちは笑わないのか。
実は、野球は野球、サッカーはサッカー、鉄オタは鉄オタ、古典落語は古典落語、それぞれ人生は一度しかないのだから、やりたいことをやればいいのだという気持ちを、今の子たちはハッキリと持っているのだと思います。
で、大前提として、他の人のそれをぜったいにバカにしない。

昭和の時代に、古今亭志ん生を聴いている中学生は馬鹿にされましたナ。
「なんだい、落語なんて古臭いものに興味なんて持っちゃってサ」
と、後ろ指をさされたものです。

高校に入って落語をやる、と言っただけでネタ扱い。
完全に変人の枠に分類され、小馬鹿にされました。
今のこどもたちに、そういう変な価値観はありません。存在しない。

それはなぜかというと、「知らないんだから、馬鹿にすることができない」という、至極まっとうな考えによるのだと思います。だって、それがどんなものか、よくわからないんだもの。

昭和の時代は、野球かサッカーか、というので「どっちがつおいか」「どっちが王道か」みたいな意地の張り合いがあったのでしょうね。今考えると。
世間的にどちらが価値が高いか、というのとリンクしていたような気がします。
そんなもの決められないのに。

名古屋と東京と大阪と比べてどれがいいか、みたいなテレビ番組がやっていたのを覚えています。そういう価値観があったんです。比較してくらべよう、という雰囲気があったんですよね。で、名古屋はタモリさんに徹底的に馬鹿にされていました。くやしかったです。

今、小学生にそのような価値観はない。
「だって、比べようがないでしょう。なにをもって比べたといえるの?」
なーんて、小学生につっこまれそうです。

クラスに乗馬をやっている子がいますが、どう思いますか?
わたしは最初、すげえめずらしい、と思って大いに反応しちゃいました。

「えー!!乗馬やってるの!めずらしいねえ!かっこいい!!」

わたしが珍しがってもあまり反応がありません。

「はあ」

と静かに言うだけ。
そんなに騒ぐことか?といった表情でこちらを見つめています。

つまり、「人は一人ひとり、ちがうことをして当然だから、乗馬だから、ということに価値があるわけではない」という風なんですよ。伝わるかなこの感じ。

乗馬をやっている小学生は少ないかもしれないが、同じように希少な昆虫の研究をしていたり、近所の化学クラブで実験ばかりしている子もいるし、新しいコンテンポラリーダンスに挑戦している子もいるし、母の影響で毎日ミシンで新しい衣装を作っている子もいる。父の影響で燻製づくりにはまる小学生もいる。

特別だから価値がある、というのでもない。
同時に、王道だから価値がある、というのでもない。
そんな雰囲気になってきた。


逆に言うと・・・

スポーツの人気が、相対的に下がってきている。
スポーツ以外の道が、たくさんあることに気づき始めたというべきか。

考えてみれば当たり前で、苦手な子も「野球」を選んだ昭和の時代とはちがうのだ。
スポーツに向かない子もいるし、集団競技はいやだ、という子もいる。力いっぱいに何かをする、というのが性に合わない子もいるし、だれかと競争する、という文化そのものを受け付けない子もいる。協力するのならやるが、勝ち負けをつけることは下卑た精神だからやらない、という子もいる。

「勝ったとか負けたとかいうのがすでにいやなんです」

という子がいて、体育の時は実に嫌(いや)そうにしていた子もいる。

なんだか時代が変わってきたなあ、と、古い私はそう思ってしまう。
たしかに、「勝った負けた」は世の常だ。
人が勝ち負けにこだわるのは、今の社会の当たり前のような行動である。
しかし、それ以外の価値観もある、ということなのだろう。
勝ったからよい、負けたからよくない、という価値観そのものも、多様化しているのかもしれない。

さて、五輪開幕が近づいてきた。明日ですか?開幕は??
始まってみれば盛り上がるでしょう。基本的にみんなスポーツは好きですから。え?好きじゃない人だっている?

たぶん、本当に心底、五輪に興味のない人もいるでしょうね。
今の子たちはクラスで一切五輪の話題を出しません。
たぶん10年後とかになると、スポーツそのものが少しずつこれまでのように過大評価された地位にはいないかもしれません。少なくとも、「当然のようにみんなが熱中するもの」という地位からは、すこしずれていくのではないかと思います。

野球部が無くなった、という高校が近所にあります。
高校野球、という言葉すら、だんだんとメジャーな地位から降りていっているのですね。
昭和の時代、蔦監督が率いた池田高校の野球を見て快哉を叫んだ私からすると、とても信じられないような、くやしいような話ですが。

tutakanntoku

【6年国語】話し合おう~五輪を開催すべきか~

光村図書の国語の教科書には、「討論をしよう」という単元があります。
正しくは、『聞いて,考えを深めよう』。

最初は、
①「中学生も電車の運賃は大人の半額にするべきである」
②「小学生は携帯電話を持っているべきである」
③「大人の方が得である」
などのテーマ設定をするつもりであった。
肯定側と否定側に分かれて作戦を練り、いわゆるディベートをする。

ところが、そうは問屋が卸さない。
クラスのどちらかというとひょうきんキャラで通っているSくんから、いわゆる五輪問題で話合おう、という意見が出たために、みんながそれにのってしまった。(たぶんSくんなりに、ちょっと受けをねらったのではないか、と思う)

【目標】
・テーマに沿って、話し手の意図をとらえながら聞き、自分の意見と比べるなどして考えをまとめることができる。
・互いの立場や意図をはっきりさせながら、計画的に話し合うことができる。
・討論会における言葉の使い方などについて関心をもつことができる。


生き生きと討論会に取り組むように、児童は肯定側・否定側・聞き手の3つに分かれ、聞き手は肯定側・否定側どちらがより説得力があったかの客観的な判断を行って、勝敗を競うゲーム的な要素を取り入れる。


【五輪を開催すべきである】

クラスの半分を肯定側にし、残り半数を否定側にすると、肯定側からブーイングが出た。
しかし、双方の立場を経験することがわかると、「なーんだ」とブーイングは止(や)んだ。

五輪開催をめぐっては、今現在、大人の世界でも激論が巻き起こっている。
たとえば政府分科会の尾身会長は6月2日衆議院厚生労働委員会で、オリパラについて踏み込んだ発言をした。
「今のパンデミックの状況で開催するのは普通はない」
そして、開催するなら政府・五輪委員会に厳しい責任と強い覚悟がいる、一般の人は家で静かにテレビ観戦と伝えないと、感染対策ができない、などと強く主張。尾身会長は“厳しい責任と強い決意”を政府や組織委員会に求めたのだった。
しかし、菅総理は、「専門家としてもきっちりと感染対策をする、ということだと思う」と、あくまでも推進の立場。
同じく竹中平蔵氏は、尾身会長の発言に対し『明らかに越権』『五輪の中止議論自体が不毛』など怒り爆発。
推進側の丸川珠代五輪相は「我々はスポーツの持つ力を信じてやってきた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても、なかなか通じづらいというのが私の実感」との見解を述べる。

国会でも議論していることを、6年生の児童がどこまで話すのかなーと思っていた。
もしかしたら、国民の代表者が考えている以上のことを話すかも?
ときに、子どもは本質を見抜くから・・・と、ちょっとだけ期待もした。

しかし、結果、それほど盛り上がらない。

肯定側の多くは、スポーツっていいじゃない、という意見。
「わたしはバレーボールが好きなので、スポーツが盛り上がるのはうれしいです」
などの意見が出て、少し推進しちゃおうかな、という感じ。

否定派は、
「(五輪の影響で、感染症で)死ぬ人が増えるかもしれないのにやる本当の理由がわからない」
という感じで、やっぱり

さすがに大人ほどは盛り上がらない。

そんなものかな、と思う。
だって、6年生なんだもの。

でも、最後の『五輪って本当の本当は、何のためにやるの』に、推進派も否定派も、クラスのだれも答えられず、結果、否定派が勝ちとなりました。

子どもの世界では、盛り上がらない話も、
テレビや大人の世界では、がぜん盛り上がってくるのが、不思議といえば不思議か。

五輪



オリンピックの実施について、朝からテレビでは大討論会の様子だ。日曜日のモーニングショー、ワイドショー、芸人から文化人から専門家まで、喧々諤々、実施すればいいだの、反対だのとかまびすしい。
「反対派をおさえこめ」と排除しようとする動きも感じる。しかし、メタ認知できない人ほど、目の前のうるさい蠅を追い払えばよい、という考えになっている。より全体を見通す力、後世までの影響を深く考えていかねばならないし、即断即答でおしつぶせばいい、というのではぜったいにないと思う。時間がかかって当然で、オリンピックはなんのためにやるのかを、よい機会だから全世界の小学生、中学生もまじえて、みんなで討論すればいい。そのための国連だと思うし、国会だと思う。

【驚愕!】サンデーモーニングで【Z世代の紹介】が!

若いころから『Z』というアルファベットには、人しれず情熱を覚える質(たち)である。
なんといっても、アルファベット26文字の最終段階。
これ以上はあとがない、という文字。
おそるべき宿命を負った、最終的な字なのだ。

さて、そんな怪しい興奮はそっちに置いておいて、昨日のTBS番組『サンデーモーニング』をご覧になっただろうか。そこで、なんと『Z世代』と呼ばれる若者たちのことが紹介されていた!『Z世代』・・・もうすでにご案内の方も多かろう。

わたしはサンモニの放映を直接は見てはいない。嫁様の号令のもと、庭の草むしりに夢中になっており、見逃したのだ。しかし、夜になって知人(先輩)のフェイスブックに投稿があり、それを知った。

動画を見てびっくり!

まず、ドイツのアンゲラ・ドロテア・メルケル首相がなんとも慈愛に満ちた聖母のごとき表情で
「アメリカ国民ありがとう」と言っていたので、まず最初のびっくり。
これは2017年にパリ協定を離脱した前トランプ大統領の方針から180度ひっくりかえって、今のバイデン氏が「また気候変動に備えて削減します」と宣言したのを受けて、だ。
メルケルさんも齢をくい、お顔のしわは確実に増えているものの、こんなふうにはっきりと【希望】と【道しるべ】を語れるのはすごいと思う。

気候変動サミット

さて、気候変動はおそろしいスピードで環境を壊そうとしている。
これまでも人類は「自然と調和してる」と思っていたはず。
ところが実際は、かなり人類側のわがままと暴力だったみたい。
20世紀にかなり自然をいためつけてきたらしく、どうやらこのままではまずい、ということになってきた。21世紀は人類という大きなくくりで協力せねばならず、これはなかなか「難しい」。

人間は業が深く、どうしても自然を痛めつけないではいられない。
原発だってやらないではいられないし、核を制御できる、何万年も地下に埋めて安全に管理できる、と思いたいのが人類である。

ところがZ世代は、なかなか現実派だ。どうしても理想論に傾きやすいバブル世代と違い、現実に足元をみつめて少しずつ毎日の暮らしを現実的につくっていきたい、と考えるらしい。

考えてみれば、原発、という幻想も、ただの楽観論に基づいた「理想」にすぎない。
原発推進する方の心情は、5歳の男の子と同じだ。
5歳の元気な少年が、「ぼくだって、スキーできるよ」と言いたい気持ちと同じだろうか。たしかに最初ちょっとすべって、「ぼくスキーできる」と言いたくなるのはわかる。
ところが、そのあと、道なき道を、予測できない道を、ぜったいに安全に、ぜったいに失敗せず、はるか遠方のゴール?をめざして進み続けることができるとは、なかなか思えないのがふつうではないだろうか。
自分はけっしてケガをせず正確な道を決して間違えることなく進んでいける、というその自信はどこからくるかというと、おそらくただの、「認知のゆがみ」でしかない。

その20世紀風の認知の仕方を訂正し、21世紀風の現実路線でいく、というのがZ世代の特徴だろうか。もうリニアモーターカーや原発に、空想的な幻想をいだくという姿勢そのものが、老いた世代の「認知のゆがみ」なのだろう。

わたしも50代。バブルも経験し、あの頃の熱狂的な軽薄ブームの享楽さも、ちゃんと覚えている。しかし、楽しかった気分は、やはり引き締めなければならない。現実に目覚める必要がある。
「おじいちゃんたち、いつまで夢を見ているの?現実を見て」
それが、Z世代の声であろう。実際にサンモニを見た多くの若者が、そういいたいのではないかと思う。

さっそく、GW明けに教室でこの動画を見てみようと思う。
そして、ベン図で比較する。
左が「20世紀」、右が「21世紀」だ。
左が「理想論で動いた時代」で、右が「現実を見て動く時代」だ。
左は「人間が自然を制御できると信じた時代」で、右は「自然と人為の調和をさぐる時代」。
左は「ぼくたちはまだ生まれていない時代」で、右は「これからぼくたちが現実に生きる時代」だ。
ベン図旧世代とZ世代比較

考えてみれば、五輪というのも、たぶんに幻想的なものだ。
気分はたしかに消費できる。いっときの興奮も得られるだろう。
しかしそのあとに、医療のリソースを東京に割いてよかったのだろうか、多額の税金を他に使えなかったのか、というとても切ない反省会が国会で開かれることになり、これはたしかに現実的に厳しくつらい時間になりそうだ。
つまり、五輪を「幻想的・理想的・一時的・ムード的」にとらえるのが20世紀だとしたら、
Z世代は五輪を「現実的・事務的・継続的・ロジック的」にとらえるのだろう。

旧世代は焼き鳥屋で酔っ払ってくだを巻く客のようなものだ。
「原発作ってモーターカーを走らせれば理想と夢の世界が広がって便利に・・・くどくど・・・」
たいしてZ世代はそんな客を軽くいなして帰宅させる店のお女将さんのような存在で、
「まあまあそんな理想ばかり言ってないで、ささ、召し上がったらもうええ加減終わりにしないと終電も出てしまいますよ。さあさ、お勘定にしなはれ」
居酒屋でも気候変動サミットでも、実際には現実派の方がどうやら優勢のようで・・・


焼き鳥屋の客と
教室の子どもたちは、2010年生まれなので、Z世代よりもさらに下、ZZ世代と呼ばれるようになるのかも。

人生は重き荷を背負いて行くがごとし

徳川家康公が言ったとされる、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」
という言葉があります。
新入生のランドセル姿を見ていると、そんな言葉をふと思い出しますね。

ところが、今や学校では置き勉が当たり前。廊下に備え付けのロッカーだけでは足りないから、学校で全員にファイルケースを買いまして、教科書類はほとんど置いていくシステムになっています。
ランドセルが重かったのはすでに過去の話になって久しいわけなので、今の子たちは

「え?ランドセル?・・・べつに、重くないし」

という反応でしか、ないでしょう。


だから、ランドセルは今の子どもたちにとっては、良いものであります。
重く苦しい『荷物』だ、とは認識されていないからですね。

ところが、先日、わたしが見た子は、ひどく重そうなランドセルをしょっていた。
見たところ、低学年かな。1,2年生くらいか。
とっさに思い出したのは、
「人生は重き荷を背負いて行くがごとし」でありました。
彼は、ひどく重そうなランドセルを、よっこらせ、よっこらせ、と運んでいた。

きみは、竈門炭治郎か、という感じ。
いや、ここは小学校だから、二宮金次郎か・・・。

その子は必死の形相で、ともかく懸命に歩いていく。
なぜか6年生の昇降口にいて、校舎をグルーッと回って、1年生の昇降口に行こうとしているらしい。お兄ちゃんかお姉ちゃんの、忘れ物かなにかを取りに来たんだろうか?事情があるのかな。

それにしても必死なので、じっと見てしまった。
そこではたと気が付いた。
なんか、大変そうなんだけど、いい顔をしてんだな。

「ぼくはこの重い荷物をがんばって運んどるんや!」
という感じが伝わってくる。

せや、重いけど、こんな日があってもいいやんか。

ランドセル

わたし自身は、もう教師になって十何年も経過してしまったことや、
いい加減、なかなかに年をくってしまったために、
今はもう、本当になにも持たずに学校と家を行き来している。

空手です。
右手も左手も、空っぽ。
車のキーだけを、ポケットに入れて持ってる。

これは最高です。なんせ、忘れ物がない。
だって、最初から無いんだから。持ち物が、ない。
ハンカチとティッシュと車のキー。それだけ。
軽いって、いいですよ。


重いのもいいけど、軽いのもイイ。
重いのを一生懸命持つのも、イイ。だけど軽いのもイイ。
徳川家康は
「振り返ってみると、重い荷物持ってたなー」
という感じなのかな。
きっと、そうなんだろう。

将軍になり、幕府を開き、自分が天下を取った。
ああ、ふりかえってみると、なんて遠い道のりだったろうか。
それにしても、今の身の軽さよ、わが世は春だのう。

「人生って、こんなに軽いものだったんだっけ?」

きっと、徳川家康さんは、そういう感覚をふと、覚えたのだろう。
長い人生、起伏の激しい人生街道、波乱万丈の人生路をしみじみと振り返って、

「うそ!人生、めっちゃ軽いやん!こんなんだと思わんかった!」

って。

きっと、そうや。

わたしも早く、そんな心境になってみたい。
今、相当軽い思いをしているが、もしかするともっと本来の自分は軽いのかもしれない。
もっともっと、さらにさらに、軽くなれるのかもしれない。そこを追求してみたい。

軽く、軽く、もっと軽く。
これ以上ないと思っても、さらに本当の軽さがあるかもしれないから。

どんどんと。
軽さの極限へ!がんばろう!!!!
さらに、さらに、軽くなろう!!


うーん、・・・こうやって気負うのが、軽くなれない原因なのかもな・・・。

大好きな芸能人の悪口を言われて逆上する子

いつも、子どもたちと一緒に生活をしております。
すると、大人にはないような出来事もたくさん起きる。
大人どうしであれば、そんなことはないだろうな、ということ。多いですね。

1)大声を出して、とっくみあいの喧嘩

東京は町田の繁華街で、中華料理の店から出たら、目の前で大人がなぐりあっていたのを見たのは、あれはもう20年ほど前か。でもまあ、酔っ払って双方がおかしな調子にならない限り、大人はさほど、子どものようにとっくみあいの喧嘩をすることもないような気がします。
なぜ子どもはとっくみあうかというと、まあちょっと、試してみたいんでしょうね。わたしも隣の家のケンちゃんと本気でなぐりあったことがあります。わたしは8歳、ケンちゃんは7歳でしたね。わたしの持っていたおもちゃを、ケンちゃんがわざと、どぶに落としたのがきっかけですね。当時は「嫉妬」という感情をよく理解していませんでした。

2)大声を出して、悪口の言い合い

これももう15年前でしょうか。神奈川県のとある駅で、駅員さんがいるにもかかわらず、大声で怒鳴りあい、ののしりあっていた乗客どうしがいましたが、まあ、大人ではめずらしいような気もします。小学校だと、たまにありますよ。大人よりは頻度が多いように思います。


なぜこんなことを書いているかというと、疑問がありまして、なぜ子どもどうしはなぐりあったり、大声で喧嘩したり、というのがあるのだろうか。大人になるとその頻度がかなり減るのはなぜだろうか。というのがちょっとよく分からない。だれか、教えてほしいと思います。

先日は、大好きな芸能人についてスピーチしあう、ということがありました。
これは国語の教科書や外国語の教科書や、理科や算数でもそうなんですが、今の文科省はとにかく、子どもに「自分の意見を言わせたい」のです。先日県の講座で講師として招かれていた文科省の担当者も、かなりそれを言ってます。「まずはアウトプットさせたい」と。

ともかく、上から知識が降ってくるようなこれまでの学習のイメージを、根底から変えたいようです。なので、欧米のような「討論」のイメージで、学習を進めたいらしい。
そうするためには、今の学校でも、とにかく自分の意見はこうだ、と言わせたいのです。
研究授業などは、もうそんなのばかりで、とにかくアウトプットさせた場面を文科省の息のかかった講師がどんどんと高評価しています。

で、ここからが問題。
実は、日本人の子どもたちに、育っていないものがありまして。
だから、上記のような文科省のもくろみは、意外にもうまくいかないのです。
それは、「他の評価を気にして許せない」という日本人の特性でしょうかね。

ある子が意見をいうと、それをすんなりと承知しないのですね。
いや、意見なら討論になってもよいのですから、文句をつけてもいいのです。
しかし、ただの感想や印象を述べた程度であっても、「それはちがう」とケチをつける。
それが日本人の癖なのでしょうか。大人もそうだから、子どもだけ変えるのは難しい、という人さえいます。

感想はそれをそのまま、まずは受けたらいいじゃないか。
と思うのですが、そうでもないのですよ。なかに、「ケチ」をつける子がいるんですね。
また、「ケチ」をつけられても、「へえ、そう」と意に介さない子もちゃんといます。
「へー、わたしはそう思うんだけどな。あんたはちがうんだね」という感じで。

ところが、そうじゃなくて、「いや、〇〇は▲▲でしょ!」と。「なんでそんなことを言うんだ」と、険悪なムードになる子もいる。


したがって、文科省の役人が進めようとしている「意見をアウトプットする」というのすら、難しいという現状があるのですよ。文科省の役人は、ぜんぜん気づいていないでしょうけど・・・。

大好きな芸能人のことを「好きだし、あこがれる」と話したら、「えー、ぜんぜんかっこよくないじゃん」という子がいて、そこから大荒れ。つかみあいの喧嘩、一歩手前になりました。
文科省の方は、この事象から、あることに気づいていただきたいと思います。つまり、相手の話すことをそのまま聞く、というかんたんのようでいて、すこぶる難しいことを、ちゃんと学習しないとダメ、ということです。

「ひとの言葉の聞き方」から教科書で扱わないとね。現場からは以上です。

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子どもたちの「笑いのセンス」に変化あり

「1時間の授業の中に、一回の大爆笑」というのが、わたしのポリシーだ。
そんなことは学習指導要領には書いてない。
だからまったく私の勝手な取り組みであり、まったく意味はない。
2回は要らない。1回でいい。
しかし、1回の大爆笑が起きる授業は、子どもたちの集中力が増したいい授業になりやすい。
これは長年の経験則だ。

大爆笑が起きるというのは、教師がギャグを放つ程度では起こらない。
子どもがちょっと変なことを言う、ヘンなポーズをとる、というようなことでもダメだ。
つまり、その時に受けを狙った何かというのでは、起こりえないのである。

そうではなく、状況としては、当人たちが真面目に学習の課題に取り組もうとしていなければいけない。
みんなが一生懸命に頑張ろうとしていて、言ってみれば努力しようとしたからこそ起きた偶発的な事件やうまく言おうとしての行為が、大爆笑を誘うのである。前提として、まじめに学習しようという気風がそこにある。そして必ず、大爆笑の中心にいる子は、得意になっていっしょに笑っていなければならない。何かしでかした子が恥ずかしくて下を向いてしまうような状況では、ぜったいに大爆笑にはならない。その子と仲の良い友達が「あの子がかわいそう」と一瞬でも思ってしまうなら、けっして大爆笑にはならないのだ。
つまり、そこにいる全員が安心して、「笑って良いことだ」と思えない限り、小学生というのは大爆笑しないのである。

そういう意味で、テレビの芸人の物まねというのは、大爆笑にはなりにくい。
自分たちが生み出した笑いではないから。
自分たちのクラスだからこそ、この仲間どうしでお互いのことをわかり合っているからこそ生まれてくるようなおおらかな「笑い」が、全員が腹をかかえて笑い合う、大爆笑の笑いなのである。

この稼業をつづけていて、最近感じていることがある。
それは、子どもたちの「お笑い」の質の変化だ。
もしかしたら、コロナの影響もあるかもしれない。

それは、嘲(あざ)笑いの減少である。
だれかのヘマを嗤うのではなく、頓智のような面白い回答で笑う。
ミスを嗤うのではなく、ちょっとした気遣いがバレたときに大笑いする。
慌ててだれかをフォローしたのがしどろもどろになったとき、教室中にこみあげるような笑いが起きるのである。それは、まったく安心感のある笑いであり、ぬくもりのある、おなかが温かくなるような笑いだ。

これは、厳しい世の中を感じ取っているからこそ、少しでもぬくもりを感じようとする「補償行動」のようにも思える。

我々がドリフを見て笑い、欽ちゃんを見て笑い、カラスの勝手でしょ、と歌って笑ったころよりも、今の子どもたちの方が、うんと大人のように思う。
ただ姿や言い方がヘンだから笑うとか、変わってるから、間違えたから、とりちがえたから笑うのではない。

わたしはそこに、手のひらを太陽に、の歌のようなイメージを感じる。
その場に真っ赤な血が通うことを確認し、ようやく子どもたちが笑うような気がする。
こういう雰囲気は、この十年くらいで少しずつ変わってきたようにも思う。

年末に「ガキの使いやあらへんで」の総集編が放映されるが、今年、うちのクラスで見た子は10人もいなかった。
正月早々、訊いた私も驚いた。
紅白よりも、格闘技よりも、子どもというのは「ガキ使(つか)」を見るものだ、とどこかで思っていたから。

まあ、テレビ自体を見ておらず、普段の日と同じようにYoutubeを見たり、家族で別のことをしていた、という子も増えているのだろう。それでも年々、この「年末・ガキ使」の視聴率は、小学生に限っては減っていると思う。

このことについて、日曜日に職員室で仕事をしているとき、なんとなく同僚の数人と話をした。
小学生の神経がひ弱になった、か細くなった、と評する声もあった。同僚の中の一人は、そう言った。「ケツバットとかさ、ああいう刺激に弱くなったんじゃないの」と。
しかし、わたしにはそう思えない。

小学生の志向が変わったのだ。笑わせてやろうは、今は流行らないのだろう。そうではなく、もっとほんのりした、思わず、というか、ふと湧いてくるような親しさの中の笑いが、好まれているのではないか。
「ほうら、こんなに変てこりんだぞ、おもしろいだろう」では、子どもたちは笑わなくなった。ただの「変(ヘン)」には価値がなくなりはじめているというか、動物的な勘というか・・・。その文脈では生きていけないような予感を持っているからではないだろうか。(世の中があまりにもヘンだから、揺り戻しなのか?)

わたしには、今の子どもたちがなにか、感覚のするどさを得てきているような気がする。
安穏とはしていられない、助け合わないと、知恵を出さないと、というような空気を感じる。
本筋からちょっとズレたところを見つけて笑う、というのではない。それはこれまでの余裕があった時代の話。今は本筋が見えず、ズレが本当にズレなのかどうか、危ぶんでいるうちに笑えなくなってしまった。
危機の中で生きようとする子どもたちの本能が、『笑い』というセンサーから変化し始めてきている気がする。

そういえば。
この子たちは東日本大震災の年に、生まれたのだった。

888

子どもはなぜ「愛」に気づかないのか

子どもは宝だということに、なぜ自分自身では気づくことがないのだろうか。

クリスマスに、ばあばからプレゼントが届いた。
200km離れた町に住むばあば。
めったに会えないから、クリスマスにはプレゼントを贈ってくれる。
ばあばは、「孫は宝だから、孫には」ということで、いろいろと心配もしてくれるし、なんやかんやとお見舞いやらプレゼントやらを計画し、送ってくれる。

ところがなぜか、孫であるわたしの息子は、自分が宝である、ということに気づいていないようなところがある。これはいったい、なぜであろう。
孫であるわたしの息子は、

「まあ、なんだかいろいろと、ぼくのために買ってくれたりしてくれるが」

基本的に、遠くに離れて暮らしている人、という認識なのだろう。
ふだんは意識にのぼらないけど、という、いささか薄めの、頼りないイメージらしい。
自転車を買うだとか、お金が要る、という場合には
「ばあちゃんにちょっと電話してみよう」
となるが、それ以外には、特に、という雰囲気。
これでは、ばあばが、報われないではないか!

考えてみれば、わたし自身も父母の父母、祖父母からすると孫であったわけで、
孫であったためにあれこれと心配をかけたり、寵愛を受けたりしたのであろうが、
あまり自分が
「宝であった」
という自覚は、薄かった。反省しなければならない。
しかし、いったい、なぜであろうか。

いや、孫だけが宝なのではない。子どももそうだ。
わたしももう50歳になり、自分の子どももある程度大きくなったために、
「わが子は宝じゃのう」
と思うことは、確かな実感を伴って理解できる。
背が伸びた、とか、自転車に乗れるようになった、とか、思い返せばそのたびに、親としての喜びを感じて生きてきた。
赤ん坊はくてくて寝ているだけのようだが、そのうちに立ち始め、歩きはじめて、あれこれ一人前にできるようになってくる。小さなことでも変化があれば、そのつど、「子どもというのは、宝じゃなあ」と身にしみたものだ。

ところが、宝だと思われている側の、その当人は、自覚が薄いのであります。
なぜかだろうか。

思うに、自己評価が低いからではないだろうか。
子どもなりに、自分は十分だとは思っていないからではないか。
はやく一人前にならなきゃ、と思っているからではないだろうか。
自分自身が、自分自身を宝だと認識することが難しいのは、
「一人前になったらはじめて価値がでてくるのであって、それまではまだ半端モノである」
という考え方が根深いからではないだろうか。

これは個々人によって、子どもによって、感じ方は異なるのが当然だが、それでも今の社会の雰囲気にかなり影響されている部分も大きいだろう。
つまり、日本文化の特徴なのでは?自己評価が低くなりがちなのは・・・。

成人すると一人前になって、はじめて世の中に価値が認められるが、そうでなければまだ価値は無い、という考え方が、日本の歴史には近代以後も、まだ根深く残ってしまっているからかもしれない。

ところが実際には、生まれたばかりでも価値があり、その価値は実は老人となんの差もない。
それどころか、むしろ一生懸命に悪事を働く盛年の男性よりも、なにも周囲をまきこまず、圧政を強いない赤ん坊や一線を退いた老人の方が、社会的にはより多くの人にとって良いわけで。

1)周囲をたくさん幸せにする働き者

2)周囲をほんの少し幸せにする者

3)なにもしないでにこにこしている者

4)周囲に迷惑をかけるがとくにその迷惑の働きの度合いが少ないもの

5)周囲に迷惑をかけるがとくにその迷惑の度合いが多い働きもの

6)極悪の政治家で強圧的に多くの家族に迷惑をかける者

上記のようにランク付けするとしたら、ヒトラーのように戦争を引き起こしたり、虐殺を行うのが最悪のランクであり、それをしないだけでも多くの人はマシである。何も働かないかのように見える生まれたての赤ん坊の方がはるかに人類として周囲の幸せに貢献している。

上のランク表の1と2ではなくとも、少なくとも3であるだけでも、上位である。
これからすると、子どもたちは、もっと、自分が宝だ、という自覚を持ってよいと思われる。
小学生は全員、レベル3よりマシでしょうね。
大人になると、さらに劣化して、レベル4、あるいは悪人レベルの5、というのが出てくる。
私利私欲で周囲の人々を巻き込み、それを当然と思い込んでいるパワハラ体質の強欲で傲慢な大人がさらにその下の【レベル6】だ。こう考えると、何割かの大人よりも、だんぜん子どもの方が世のためになってる。

子ども自身は、これをどうとらえるだろうか。興味がわく。

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ご飯を炊く、という宿題を子どもは

今年は家庭科の調理実習ができずに困っていた。
なにせ、市の教育委員会から許可が下りないのである。
コロナ感染の状況があるから、許可しない、と校長が言われてきた、とのこと。
それが、なぜか2学期末になって許可が下り、調理実習をすることになった。
5年生で学習するのは、ご飯を炊くことと、おみそ汁をつくること。
うちもやろうと思っていたのだが、間に合わなかったので、結局3学期にやることにした。

子どもたちに尋ねてみると、ごはんをしっかりと炊いた経験のある子が半数しかいない。
そこで、冬休みに、自分で多少、トライをしてきてもらうことにした。
まだ学校ではしっかりと習っていないが、事前に、家で勉強してきてほしい、と。
そのことを、週末に出すプリント(家庭への通知)で書いておいたところ、

気の利いたお母さまたちのなかで、

「ちょうどいいわ。ごはんはあんたに任せるから」

と、すっかり小学生に自宅のごはん炊きを任せる、というご家庭が出たらしい。
まだ冬休みにならないうちから、ご飯を炊くことを命ぜられてしまったと、子どもが嘆いていた。

Aさんは、上記のようなことから、家でのごはん炊きをまかされてしまい、
毎日夕方になるとご飯をといで、給水させて、炊いているらしい。



だが、彼女は良くないことを思いついた。

「うちの家族が、コロナにかかっていないか、試すことにした」

恐ろしい。
科学の心が、こんなところで発揮されてしまうとは。

家族の味覚と嗅覚を試すために、彼女のとった実験計画は、
ご飯を炊飯器にセットした後、なにかを混ぜる、ということであった。


1日目 塩をふりかける  ⇒ 気づかれなかった
2日目 もっと多く塩をふりかける ⇒ しょっぱい、と弟に気づかれる 父もおかしい、と。

「この時点で、コロナ感染が疑われるのは、母ということになりました」

3日目 こんぶを入れた ⇒ 家族全員が 「なんか、なんか・・・へんだねえ」

4日目 抹茶の粉を入れた ⇒ 弟だけが「なんかお茶っぽい香りがした」

「この時点で、弟だけは確実に感染していないことが分かりました」

5日目 アイスを入れた ⇒ だれも気づきませんでした。


この実験は、Aさんが

「なんか、自分でご飯を食べるのが厭(いや)になってきたので止めました」

ということでたった一週間、それも冬休み前に終了してしまった。

日記には、

「うちでは母だけが何も気づきません。コロナ以前に、母には本当に味覚があるのだろうか、うちの料理は大丈夫か、と本気で心配になりました」

と書いてあった。

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悪口のコール

ある子に向けて、他の何人かの子から、うざい、うざい、のコールが起きたそうである。
担任の先生が鬼のように怒って鎮め、放課後、親に電話していた。
電話が終わってからも、その「うざい、うざい」のコールを始めた首謀者と思われる児童のことを、ああだこうだと小一時間、職員室で話していた。

おそらく、保護者もびっくりするだろう。
わが子が友達に「うざい」と言っているのだとしたら。
また、わが子が「うざい」と言われているのだとしたら。
尋常なことではない、いじめだ、なんとかしなければ、と思うのがほぼすべての親だろうし、わたしもそう思う。

ところが、ぼんやりと考えていると、ちょっとちがう視点で思うこともある。
それは、大人と子どもとでは、
「うざい」や「キモイ」、もしくは「死ね」の意味がちがうのではないか、ということだ。

これはかなり繊細な話になるから、なかなかこれまでここ(ブログ)には書いてこなかった。
そうはいっても、許せない言葉だからだ。
たしかに、これらは許される言葉ではない。

しかし、ちょっと事件とは離れて、それはいったいどういうことなんだろうか、とできるかぎり客観的にこれをみてみたい。

ふつう、大人は、だれかに向かって「うざい」「きもい」「死ね」とは言わない。
あからさまに相手を傷つけることが自明だからだ。
暴言だし、人権の冒涜だし、犯罪でもある。

いっぽう、子どもはけっこう、口に出してしまう。
これは日本中の教室を調べたら、かなりの数になると思う。
正直に先生たちが、日本中の小学校で、子どもが「うざい」「きもい」と口にした数をカウントしたら、膨大な数になってしまうだろうと思う。おそらく間違いない。

なぜ、大人は言わず、子どもは言うのだろうか。
これは、もしかしたら、子どもは学習中だからではあるまいか。
大人は、その言葉の冷たさ冷酷さ非道さを、学習したために使わないのではないだろうか。

子どもはそういう言葉を使うことによって、ある壁にぶつかる。
人との関係がこじれる。
子どもはそこから学ぶ。
大人になるにしたがって、自分の口から出てくる言葉の伝わり方を、ふさわしさを、やさしさを、思いやりの乗せ方を、学んでいくのだろう。

「うざい」と言う子は、叱ればいい。
これは、半分正解で、半分は不正解だ。
大人はそれをキャッチしたら叱るべきだろう。たたかうべきだろう。その言葉の冷たさと。

しかし、叱ったら使わなくなるかというと、そうでもない。
ここが、半分不正解の部分だ。
これは、子どもが自分で傷ついて、学ばなければならない部分が多少、あるのだ。
相手を傷つけ、自分も傷ついて、そうやってこそ学べる世界が。

大人は、そんなことをさせたくない。
だから道徳の授業なんかで、「ふわふわ言葉」とか「ちくちく言葉」などと教える。
教えるのはいい。でも、それですべての小学生が使わなくなるなんて考えない方がイイ。
実際、そんな程度のことで「うざい」がなくなるわけがない。なぜか。
子どもが自分でやってみないといけない部分があり、そうでないと

本当には分からない

からである。

小さな失敗を、重ねて、大人になるのが子どもである。
それを

許さない!

と叱れば解決、すべての悪口現象が無くなる、というものでは、残念ながら無い。
子どもの本分は、間違いながら、改めながら、育つ、ということだ。
それをわかって、まるごと受け止めていることが、教育のスタートなのだと考える。
そして、その方が、かえって子どもを追い詰めないし、実はまっすぐ子を育てることになっているかもしれない。

品行方正な子どもに尋ねて
「なんでうざいって言わないの?」
ときいたら、理由が
「大人がそうしろと言っていたから」
では、残念でしょう?

そう指導されたから、そうする、というのでは、おかしなことになるのですから。

ノモンハン

子どもは「何のために生きるか」を問わないのが不思議

タイトルに書いたが、
一生懸命に遊んでいる子どもたちを見ていると、
そう言えばこの子たち、「何のために生きるかを問わない」ことに気づく。

人は何のために生きるか。
充実感や達成感を得るため、感じるために生まれてきたのではない。
そもそも、何か事がらを進めたり、達成したものを得るために生まれてきたのではない。

では、なんのため?

人生は、何かをするため、ではないかもしれない。
もしそうなら、逆に何かをしてはいけない、というのでもないだろう。

では、なんのため?


われわれ大人は、
「社会からの」あるいは「人生からの要求」には必死で応えようとする。
一方で、「人生からの問いかけ」には耳を貸さない。
常に、強い緊張と切迫感、焦りを感じながら、生きている。

ところが、子どもは違う。
「人生からの要求」には関心が無く、
「人生からの問いかけ」には真摯に向き合う、というのが、子ども。

だからだろうか。毎日、真剣に遊んでいる。

毎日すれ違う一年生が、いかにも幸福そうに雲を見上げながら歩いていくのを見てると、
教師も時折、こうやって人生を考えるようになる。
自分は、たった一度の「人生」から、なにを問いかけられているのだろうか。

ひとの人生は、社会よりも価値が高い。
それぞれの人の、人生の価値が高まれば、
結果として、社会全体の価値が高まるだろうと思う。

人生の価値は、「なにをしたか」ではない。
「なにをして過ごしたか」でもない。
「どこで過ごしたか」でもなく、
「だれと過ごしたか」でもない。
そこには、なにもない。

教室で過ごしている子どもたちはふだん、
そんなこと、なにひとつ気にしていないように見える。
たったひとつ。一所懸命に遊ぶのは楽しい。これは真実だろうなと思う。

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【11歳】大縄跳びがきらいなあなたへ

拝啓

あなたの担任になって、もうかれこれ半年以上が過ぎました。
春、見事に花を咲かせいていた校庭の桜はすっかり落ち葉になってしまいました。
そして、その落ち葉の掃除も、もう終わりました。
時の流れははやいものですね。

さて、大縄跳びがきらい、と断言したあなたは、その後大縄跳びの練習には入りません。
ずっとそばで見ているあなたを見ていて、先生はあなたが寒くて風邪をひかないようにとばかり、願っています。

他のクラスのことは知りませんし、前年度この学校の大縄跳びがどうだったかというこれまでの歴史も知りません。
しかし、先生は、大縄跳びは楽しいと思います。
だって、人間がジャンプするだけでも楽しいじゃないですか。
先生のうちの子は、トランポリン大好きですぜ。
ポンポンと跳ねながら歌うので、舌をかまないか、と心配しています。

さて、大縄跳びが嫌いだという子は、多いですね。
あなたに限らず。
先生が教師という職業をはじめてからだって、何人もそういう子に出会ってきました。

「だって、ひっかかったら、男子にすごい目でにらまれるんだよ。あれすごくいやなんだ」

まあ、そういうことがいやなんですよね。
だから、純粋に「大縄跳びがいやだ」というわけではない。
そこは分離して考えましょう。

大縄跳びがいやなのか、男子ににらまれるのがいやなのか。
もっと深堀りすると、
「そうやってひっかかることを失敗と規定し、その失敗をすると記録にならないから自分たちの失点だと考え、クラスとしての競争意識が満足できないから、だから足をひっかけた子のことを責める」
という文化そのものがいやなのでしょうかね?

まあ、その男子はかなりの勘違いをしています。
まず、ひっかかることで記録数が少なくなりますが、そもそも記録数を伸ばすことが大縄跳びの目的ではありません。まあ体育主任の先生が「よい記録を伸ばしましょう」と言うかもしれませんが、まああんなのは、先生の勝手な都合です。もしかしたら、体育主任の先生も、そんなことを言いたくないかもしれません。でも、ゲームにするとなんとなく盛り上がる雰囲気があるので、それをするのが癖になっているのでしょう。

それから、ひっかかって記録数が多くならないことが、クラスの名誉失墜に当たるかどうか、ということですが、だれかの足がひっかかることがクラスの名誉失墜にはならないと思いますし、クラスの価値が低下する、ということもないと思います。足がひっかからないと「スゴイ」かどうか・・・。「すげえ!足がひっかからなかった!」と鼻たかだか、になる?
そうなる人もいるけど、そうじゃない人もいるでしょう。

さらに、その足をひっかけた子を責めると、その子が次回は足をひっかけなくなるかどうか。
責められて、逆に緊張して足を引っかけるかもしれません。どうするのでしょうか。
責められて気を付けようと思う子が50%いるかわりに、逆に緊張してひっかけてしまう子も50%いるだろうと思いますが、その件についてはどうするのでしょう。

だから、責めるかどうするか、というところに、戦略もなにもないわけで、まああまり賢い方法ではありません。男子が声を荒げて、

「てめえ、ひっかけんじゃねーよ!」

と言ったことがあったなら、それが目的を達成するための行為なのかどうか、クラスで会議をした方がいいでしょうねえ。

つまり、去年までの大縄跳びで、あなたは相当、つらい目にあったのでしょう。
そして、それがトラウマになっているようです。
だから、「大縄跳びの目的は何か」を考えればいいのではないでしょうか。

競争?知りません。
わたし、この頃、「競争」という意味が、よく分からなくなっているので・・・。

競争するから頑張れる?
競争しないと頑張れない?え、その意識じゃないと、ぜったいに頑張れない・・・?
それはまずい。だって社会に出たら、ぜんぶがぜんぶ、競争ばかりじゃないもの。

あー、わかった。大縄跳びの真の目的は、跳んだ瞬間に、空が近くなるんで、みんな青空に親近感が増す、ということではないでしょうか。

え?ちがう? じゃ、何なのでしょう? みんなで地球を揺らすため? それもちがう?
えーなんだろ・・・
あー、わかった。できるだけ天の神さまに近づくためってか。
ちがうわねー

そうそう。そうやって、目的を考えるのがいちばん大事。

バベルの塔

【子育て】もの申す子に育てる

学校で何を学ぶか。
世の中の多くの人はどう考えているのだろうか。
おそらく、今の世の中のことをしっかり学べるように、と考える人が多いのではないだろうか。

もしも、学校で重要視するものを、下記のように変革したとしたら何が起きるか。

今の世の中の仕組みを成り立たす人になるために学ぶ

  ↓

私がいちばん暮らしやすい世の中の仕組みはどうなのか、を思考・創造することを学ぶ


もし、このように変化したとしたら・・・

おそらく、起業家がたくさん出てきてしまうだろう。
そして、従来型の企業には就職しなくなるんじゃないだろうか。
あるいは、就職したとしても、従来やっていたことをただ繰り返すのではなく、どんどんと新しいアイデアを実行してしまうのではないだろうか。

企業としては、会社としては、どちらの人材を得たいか、ということになる。

「そりゃ、指示をしっかりと聞いて、その通りやれる人材が欲しいに決まっている」

と考える人は、今の世の中の仕組みをきちんと学ぶ学校 に入学すればよい。

しかし、

「新しいアイデアを思いついて実行できるように計画する人が欲しいだろう」

と考える人は、私がいちばん暮らしやすい世の中の仕組みを思考する学校 に入学するべきだ。

で、今の公立小学校はそのちょうど中間にいる。
例えば、図工の授業はずいぶんと変わってきた。
文科省の指導のもと、鑑賞の授業に力を入れ、ずいぶんと変革されたのがもう10年くらい前だ。
文科省は、「生きる力を本人が手にすること」を標榜して、鑑賞の授業をがらりと変えてしまった。

そのため、ゴッホとかピカソとかの名作の名前を覚える授業ではなく、
「自分がその絵を見て何を語ることができるか」を重視する授業に変えられてしまった。

つまりこれは、起業家を育成する方向である。

また、国語や社会も従来とは変わってきている。
歴史だって、こうなってこうなってこうなった、というあらすじをとらえるだけでない。
どうしてこういう現象が世の中に起きてきたと思うか、自分なりのとらえや発見を語れるようにする。だから、子どもたちは、授業になると書いたりしゃべったりが、忙しい。

覚える、というよりも、いかに自分の意見を持つか。

時代は変わり始めている。

文科省はこういう方向にずいぶん前にかじをきり、進めよう、進めよう、としている。
ところが一部、抵抗勢力がいる。
それが、親だ。

親は、自分の子どもに、

「従来の企業に就職しておとなしく首にならぬように長く勤められるように」

と考える。

だから、子どものテストの点数に目を光らせ、もう覚えたか?と聞く。


ところが、学校は、次のようなことを子どもに聞く。

きみは、どう思うの?なぜ?なるほどーふーん。
どうしてそう考えたの?その意見の参考にしたものはある?
どんな本を読んでそう考えたの?友達の意見で参考にしたことはある?
そう考えるとどんないいことがあるの?
そこから発展させてさらに考えたいことは?それは世の中のためになりそう?
世の中にはそれとは逆の考えもあるけど、反対意見についてはどう思う?

大学入試もそうだが、高校入試も面接の比重が高くなり、面接の時間が長くなり、作文や小論文の比重がどんどん高まっている。

意見が言える子の未来は、明るい。

大人だって、大臣だって、自分の意見をきちんと伝えるのが良い。
ロシアの怪僧ラスプーチンだって、トランプ大統領だって、サラリーマンだって教師だって、誰だって、自分の意見を言える世の中が正しい。
ラスプーチン

かくれんぼが苦手な子

幼稚園の先生と懇談する機会があった。
ある年配の先生が、

「かくれんぼ、今の子たちはやりたがらないですからね」

というセリフがあった。

話はいろんなふうにそこから変わっていったのですが、
わたしはそれが妙に気になりました。

だって、かくれんぼ、楽しいじゃないですか。
どうしてやらないんでしょうかね。

その先生が言うには、

「かくれても、すぐに出てきちゃうんですよ。隠れているのがいやというか、無視されているような気がしてしまうのではないかと思いますね」

とのこと。

なるほど。ほっとかれている感じがしてしまうのか。
無視されているんじゃないか、ということが気になると、もうすぐに「ここだよ」と出ちゃうらしい。

そして、もう一つは、鬼になった子も、ぜんぜん気乗りがしないそうである。

「鬼になった子も、ぜんぜん探そうとしないし、ただ突っ立っているだけで何もしない子もいます」

これは、いつも探し物をするとき、親が探してしまうか、もしかしたら「探し物」が悪いことのようになっていて、ものをどこかへやってしまって探すとなると、たぶん嫌な感じで、家じゅうの雰囲気が悪くなるような感じで、探すからかもしれない、と言っていた。

「つまり、探すのは人生のロス、という感じでしょうか」

そういうことを学習していれば、そりゃあ、他の子を探すのなんて、苦痛にしかならないよ。

その懇談の場では、その程度のことで終わったのですが、ね。
わたしは、どうもそこが腑に落ちずに、帰りの車の運転をしながらも、けっこう長い間、このことを考え続けました。

『探し物』にたとえ悪いイメージがあったとしても、かくれんぼがきらいになるかなあ。
だって、物がなくて困っていて、それで親に怒られながら探すのと、
こうやって仲の良い友達と隠れあって、お互いにそれを探し合うのとでは、まるで雰囲気も違うように思うんだけど。

鬼になって突っ立ったまま、何もしなかった子って、要するにルールがわかってなかっただけなんじゃないのかな。

・・・まあ、それでも気にはなるね。
だって、隠れている子を探そうね、といって、あっちかな?こっちかな、と探すんだよってことくらい、どんだけぼーっとした子だって、わかると思う。

幼稚園の先生は、こうも言っていた。
園庭でかくれんぼが苦手のようだから、園のプレイルームに跳び箱だとかいろいろと隠れる場所までつくってやっても、みんなそれほど熱をあげない、のらしい。

「要するに、見えないものを探す、ということは、昭和の世代ならファンタジーであり、冒険であり、発見の喜びをもたらす遊びだったのですが、令和時代のあたらしい人類にとっては、なにかを探すなんてことは、興味関心の湧かないことなんですかね」

・・・だって。

ただ、かったるい、というだけか?

ふりかえると、隠れる、ということは、かなりの知的な活動であったように思う。

わたしが小学校3~4年生にかけて、まる2年間かけて、毎日のように遊んだ「ポコペン」という遊びは、ジャンルとしてはかくれんぼの発展形であった。
そして、ものすごく高度な、狩猟感覚、逃亡感覚、跳躍、すり抜け、だまし、などのテクニックを磨かなければならなかった。なんとも野性味のあふれるスポーツであった。

狩るか、狩られるか。
仲間を信頼するのか、それとも裏切るのか。
本気で悔し泣きをし、仲間との意思疎通がうまくいったときは、とびあがって喜んだ。

現代っ子にとっては、そんな古典芸能は古臭いばかり。
デジタルで遊べばそんな苦労はしなくてもいいわけだ。
池田さんちのおばさんはうるさいから、台所の横を通り抜けるときには音を立ててはいけない。
しかし、基地に行くには池田さんちの台所の下の抜け道を通るのがもっとも速い。
だから、決定的な勝利をおさめるには、義経レベル、ひよどり越えレベルの精神力と胆力が必要であった。

池田のおばちゃんに怒られるか、それとも仲間の窮地を救うのか・・・。

まあ、本当に苦労したからなあ。
おかげで自分の足が遅いことはよく自覚できたし、足の速いSくんのことを尊敬できた。
あと3cm動けば、敵に見つかる、という、「自分のつま先が敵から見えているかどうか」の判断も、的確にできるようになった。

その辺の身体感覚のするどさを、今さら力説したとしても。
今のデジタル社会には、そんなの関係ないものね。
一人に一つ、アイパッドが配布される時代だもの。
かくれんぼなんて、そのうち、急速に、気が付いたら「昔の遊び」になっちゃってるだろうネ。

「なにそれ。その遊びのどこが、おもしろいんですか」

とか、令和生まれの子から、冷静に指摘されそう。
で、悲しいのは、それをうまく解説したり表現したりして、伝える言葉を、われわれがあまりもってなさそうなこと。昭和の言葉でそれを言っても、その言葉そのものが伝わらないだろうし、もはや「冒険」という言葉そのものが、デジタル庁の時代には、画面の中のことだろうし・・・。

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当てる力(ちから)の衰退

教室から「正解」が必要とされなくなってしばらく経ちます。
文科省が「生きる力」を重要視して、だいぶ変わってきたな、というのを感じています。

正解を当てましょう、という教室文化は、もう・・・消える寸前かな。
教室の中で、クイズ合戦のような雰囲気は、ほぼ無いです。

大人の方には、クイズが好きな人が多い。
だから、まだテレビ番組ではクイズが多いし、
「小学校5年生の問題が解けるかどうか」というのに芸能人が挑戦しています。
つまり、まだわたしを含めた40代以上には、ふだんから

「正解を当てようとする」という雰囲気

がかなり濃厚にあるのではないかな。
現状の小学校についても、たぶん、大人たちはそういったイメージを持っている。
ところが、現状の学校はだいぶちがいます。

教室で重要視されるのは、けっこう間違った意見です。
柔軟に考えられるかどうか、です。
だから、授業のふりかえりをすると、

「今日の授業で最初に出てきた〇〇の意見が良くて、だからみんな一生けん命に考えられた」
「わたしは途中で意見を変えたけど、意見を変える直前に〇〇という意見が出たのがきっかけだった」

というような感想が出るし、教師はそういうふりかえりに価値を認めます。

また、クラスのルールを決める際にも、「正解はないよね」というところからスタートします。
ルールも何度も変えられる。現状や意見に応じて。
このときに、「正解を当てる」という感覚は、・・・無いですね。
つまり、ルールにも正解はない、と子どもたちもわりとふつうにそう感じている、ということ。
子どもたちが気にしているのは、みんなが納得している度合いが深いかどうか、という感じかな。

あとは、将来の職業についての正解を当てる、という気分についてだけど、
これらは、もうほんとうに皆無かなぁ・・・。

昔は、おそらくそういう気分もあったのではないだろうか。
医師や弁護士、宇宙飛行士、プロ野球の選手、デザイナー、芸能人、という具合に。

今は、将来なりたいものアンケートをとっても、てんでバラバラで、取る意味がないです。
少し前に流行したユーチューバーも、子どもからしたら数ある選択肢のなかのほんの一つ。
べつに、流行でもなんでもない。
職業じゃなくて、「沖縄」と書いた子もいる。つまり、沖縄で暮らしていけるのであれば、どんな職業でも可、というわけ。あるいは起業をイメージしている?

すでに小学生の文化から、『正解を当てよう!』というのは、なくなってしまったようです。

でも漢字は正確に書けなくちゃダメよ!

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悪口を言いたくて言っているわけではない

教員をやっていて面白いのは、1年の経過だ。
担任になってしばらくすると、だんだんと変化が出てくる。
人を責める場面が減っていく。
このことだけでも、ものすごい変化だと感じる。

やっているのはかんたんなことで、

「〇〇してほしい」

を言えるようにする、というだけのことです。

実際に学級でみんなが生活していると、あれこれと課題・問題が持ち上がる。
これは当然のことで、給食当番のことやそうじのこと、日直の仕事、宿題のこと、
さまざまにみんなでやりくりをしているのだから、話し合うことが当然でてくる。

そのときに、やはり多いのは、相手を責める、ということです。
責めたくなるのは無理のないことで、小学生がみんなで生きていこうとしているのだから、当然だ。

これが大人どうしの話なら、相手の都合もよくわかるし共感もする、立場を理解しようとする心も働く。相手がこうしてほしいと思っているんだろう、ということも察して動く、という配慮もある。

ところが、子どもどうしですから、相手の求めることが分からないのです。
だから、基本的なコミュニケーションとして、ちゃんと伝える、ちゃんと聞く、ということが必要になる。

子どもはモデルを探しながら生きていますから、身近なモデルとしてたとえば友達や、夫婦の会話を参考にするかもしれない。
すると、

「なんで ~ しないんだ」

とか

「〇〇しなきゃだめだろう」

という言い方を、まずは参考にする、ということです。

だから、4月当初、教室はこういう言い方が蔓延している状態。


そこから、先に書いた「〇〇してほしい」という言い方をうながしていくと、
だんだんとその言い方で言えるようになってくる。

たとえば、
「なんでそうじしないんだ!お前、サボり魔だな!」
という言い方をする子がいた場合、いい直しをしてごらん、それじゃ伝わらんよ、とうながすと
「〇〇くんに、ほうきでここを掃いてほしい」
と言い直す。
それも、深呼吸して、相手の目をみて、大きめの声で、ゆっくりと言うようにうながす。

すると、呼吸が合うのか、目が合うのか、気持ちが合うのかわからないが、聴ける体になっている。
で、
「わかった」
といって、その子はほうきで掃くのですよ。

まるで魔法がかかったようです。
今まで、

「そうじさぼんなヨ!」
「なんでやらんのだ!」
「いつもさぼってんな、お前!」
「お前の机、きたねえな!」

などと言うことばが行き交っていた教室が、

「ここを掃いてほしいです」
「はい」

というように、変化していく。

不思議なことですが、〇〇してほしい、といえるようになるだけで、
あたかも 憑き物がとれるように 悪口が消えていくのです。
なんかが憑依していたのかな、というくらいに。

実はこれはかんたんなからくりで、
子どもは本当はこころのなかで、あれもしてほしい、これもしてほしい、というのを常に100くらい思っているのですね。
で、もっと言うと、大人も常時、100くらい、あれしてほしい、これしてほしい、と思っています。40代でも50代でも60代でも100歳でも、人間はつねに100くらい、そう思っている。

しかし、なぜかこの世の中はそれを言ってはいけない空気があり、それを言うと
「甘えるな!」
と叱られるのですよ。

だから、子どもはものすっごく、がまんしております。
(実は大人も我慢してる)

なので、それを開放してあげるだけで、人間心理は安定するのではあるまいか。

一番肝心な点は、

〇〇してほしい、と言うだけで、効果がある、という点です。

べつに、それがかなえられなくてもいいんです。
人間って不思議ですね。〇〇してほしいんだ、そうか、そうか、と相手に受けてもらうだけでいいんです。べつに事柄として、それをしてもらえなくても。

女子に嫌われていたやんちゃくんが、クラスのみんなの前で、〇〇してほしい!と叫べるようになると、変化が起きます。やんちゃくんが、徐々にクラスの味方になっていきます。みんなを助けるようになる。正義の味方になります。
不思議ですよ。まったく。

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夏休みに子どものことをふりかえってみる

夏休みに入りました。
子どもたちのことを思い出しています。

こんな姿があったなあ、あれはおもしろかったなあ、と
子どもの様子を思い浮かべて、家族に言わせるとぼうっとしています。

もっとこう言えばよかった、あれは理由はなんだったのかなあ、とか、
自分の反省もでてきます。

さて、1学期を振り返って、いちばんやっちゃダメなのは、急がせることやなあ、とあらためて。
ところがあれもこれも、それもどれも、みんなやれ、という状況がある。
その情勢に対して、どこまでうまくすりぬけていけるか、というサバイバルだ。

やらないでもいいものを、できるだけ精密に見分けて、やらないで済ませる、という知恵にかかっている。それができない教師は、自滅するだけだ。子どもたちは自尊心をなくし、疲れ果て、ただ地べたを這いまわっているだけ(這いまわり教育)になる。

押し寄せる通達、チラシ、イベント催しの知らせ、
△△教育、◇◇教育、☆☆教育、〇〇教育、をしろ、という圧迫感。
あれをせよ、これをせよ、というすべての圧迫から、子どもたちをどう守っていくか。

保障すべきは、「考える時間」だ。
ぼくたちはなんのために、なにを考え、なにを得たのか。
そして、また、なにが分からなくなり、できなくなったのか。
1つ進んだら、2つわからないことがでてきたことを、喜べる子どもに育てないと。

「ねえ、わかった?」

と聞いてしまう教師は、もう次の時代には不要となる。

わからないことを楽しみ、わからないことを生涯の楽しみに思える子に。
それを、「これがわかった、これがわかった、これがわかった・・・」で疲れ果てる子にはさせない。結局、なにもわかっていないのだから。

うまく伝えようと言葉を尽くしても、結局は本当に伝えたいことを伝えるなんて、とうていできない。なによりもそれを聴こうとする側の真摯な、素直な、そのとおりに受け止めようとする純粋な気持ちがなかったら、曲解、誤解の嵐だ。

ノートばかり見て、黒板ばかり見て、友達の顔をみない子にはさせない。
友達の表情を、飽きるほど眺めて、
「さっきの君の意見だけど、この点をもう少し聞かせてもらえないだろうか」
となるようなのがいいなあ。

45分では足りない、足りない、時間が足りない。
だからこそ、教員が「捨てる課題」を見いだす感性を身につけないといけない。
これからの教育が生き残っていくための、砦だと思う。

時間どろぼう
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雲(くも)をあやつる少年

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2年生の校舎に行く、石廊下のとちゅうで、少年が立ってた。

わたしはバケツの水を運んでいたので、

「ごめんね~うしろ通るよ~」

と後ろを通ろうとしたら、その少年が乳歯の抜けた顔をにやつかせながら振り向いて、

「先生、雲が消えたよ!」

と空を指した。

「雲?」

見上げると、梅雨の合間の、さわやかな青が目にとびこんでくる。


さっき、あそこに雲があったんだよね。ぼくが消えろと言ったら、消えたよ。

男の子は、そういうようなことを言った。

まっすぐな目で、本当に消えたのだ、と。

(だれかの真似をしたのかな?)






「雲、消えろって言ったら、消えたの?」

ときいたら、

目をきらきらさせて、そうだ、とうなづく。

こんなとき、あなたはどう返しますか?




わたしは、ははーん、と不敵に笑いながら、自慢し返しました。

「ふーん、すごいじゃん。・・・先生は、虫をよべるよ」

とっさに、すぐにこう返せるあたり、なかなか教師としての力量とセンスが光ってます。自画自賛。(笑)



運よく、その子が食いついてきた。

「ええ?虫がよべるの?どうやって?」


私はその子がやっていたように、廊下の端に静かに立って、なにかを念じているような風(ふう)にした。

そして、薄目で足元を確認し、その後おもむろに、小さなするどい息をしながら、シュッと腕を振り下ろした。


こちらを見ている子の視線を感じる。
目が真ん丸になっている。


わたしは、足元にひざをついて、大きなギシギシの葉の裏を指さした。

アリ がいた。

静かに、告げてみる。

「ほら」

目を半開きにしたまま、厳粛な雰囲気でそう告げると、

その子は、鼻で笑って、

「ただのアリじゃん」

と言った。



わたしはちがう、と言って、葉の裏のルリハムシを指した。

青く、光っている。

「あああ!!虫だァ!」



「ほうら」



その子は、すでに尊敬のまなざしである。


わたしは、こんなことはなんでもない、というふうにバケツを手に取り、すたすた歩きだす。

雲使いの少年は、小走りに追いかけて来て、

「ねえ、いつでも呼べるのー?」

わたしはさあ、というように無言で歩く。

「え、カブトムシもよべるー?」

「呼べるよ」

「すげーーー」






教師ともなれば、こんなことはお茶の子さいさい、なのであります。

なにがって、奇妙なしぐさと目の前の事象とを関連づいているかのように話す詐術のこと。

その気になれば、わたしはカブトムシを呼ぶ人にもなれる。
スゴイよね。




遠足の前になると、きまって私は晴れ男だ、と言いふらします。

で、晴れたのは、前日に先生が必死になって念じたから、であり、
雨になっても、本当は台風と竜巻がくるところを、せめて暴風雨にならないように念じていたから、実はこれくらいで助かったのである、という。



子どもたちは、そんなものは嘘だ、と見破ります。

しかし、真剣な顔つきで、

「いや、嘘だと思うのは自由だが、世の中には摩訶不思議なことがあるのだ」

と、静かに告げます。



後日、世の中がそんなに単純にできているものではないことを学習します。

〇〇を飲んで楽になった、というCMを見せて、
なぜそう言えるのか、と激論します。

青汁を飲んだから、今朝のお通じがスムーズだったのかどうか。
これ、激論になりますよ。



結果、青汁のせいだ、と理由を一つに絞り込むことはできない、という結論になります。
みんなが納得した後、「先生が晴れ男ではない理由」、という文章を書かせると、クラス全員、きっちりと書きます。

すべて、その理由は、

世の中は単純な一本線でつながって出来ているのではない、ということ

のおおらかな説明になっています。

子どもたちが、世の中をなめない人材に育つために、必要な学習です。
青汁を飲んだらお通じが良くなることがあるかもしれないが、お通じが良くなった原因は青汁を飲んだからであるとは決められない、ときちんと理解できる子にするために、わたしは身を張って、教えるわけです。





さて、ここに一枚の写真があります。

これは、わたしが消した雲がうつっている貴重な写真です。

わたしが念じたので、山あいに雲ができ、さらに強く念じると消えました。

え? 信じられない?
 ↓

家の裏です2

【子どもはすでに十分に良い】とPDCAサイクル

PDCAサイクルをご存じだろうか。

PDCAとは、

Plan(計画)
Do(実行)
Check(評価)
Action(改善)
の頭文字を取ったもの。Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)のサイクルを繰り返し行うことで、継続的な業務の改善を促す技法です。

「PDCAサイクル」という言い方もありますが、これはPDCAの最後のステップ、Action(改善)が終了したら、また最初のPlan(計画)に戻って循環させることを意味するもの。

これは文科省はもちろん、小学校の現場にも取り入れられています。
子どもたちも、教室に自分のPDCAシートを持っていて、生活の規則や授業中の態度などについて、自分なりのめあてを決め、それにそって実行計画をすすめ、一日の終わりや一週間の終わりに自己評価を行っています。

これははまる子にははまる。
おりこうな子ほど、計画達成率が高く、先生にもほめられます。
親にもほめられる。やることが明確化しているので、やりやすいのでしょう。

ところが、この工場の生産効率をあげるようなシステム思考が、どうも気に食わない子も出てきます。
興味の対象が学校生活、廊下歩行、給食のマナー、名札をつけること、授業の準備を行うこと、ノートに丁寧に書くこと、委員会の仕事を進めること、当番活動をまじめにやること、などには向かない子です。

学校でひたすらメダカを眺めていたい、という子にとっては、このシートへの記述と先生への報告が、いかに先生に褒められようとも、どこか面倒な毎日のお祈りのようなもので、早く終われ、としか思わない活動になってしまっています。

もしも、そのPDCAシートのPLANのところに、

「今日は自分が満足するまで、メダカを眺める」

と書き、先生が認めてくれたらちょっとは意味が出てくるかもしれないですが・・・。

ところが、そんなもの、PDCAサイクルを回さなくたって、ぜったいに実行するに決まっています。
ひたすらメダカを見たい子は、だれが何と言おうが、見るのです。緑の藻を動かして、たまごを見つけようとするにきまっています。そこにPLANなど、くそくらえ、というわけです。
おまけに、DO なんて促されなくてもやりますし、Checkにいたっては、

「いやあ、もうちょっと見たかった」

ということになるのは火を見るよりも明らかです。
また、最後のActionは、なにを改善せよ、というのでしょうか。
ひたすら心の満足を追ってメダカの卵を探し、ああ満足した、明日もやろうかな、というだけのことですから。もう改善しようのないほど、絶好調に決まっています。

どうやっても絶好調となるに決まっている子の活動に、「改善」という言葉ほど、ふさわしくない言葉はないでしょう。

そういえば、なぜ通産省の言葉が、しれーっと文科省の世界に入り込んでいるのでしょう?

もしくは、子どもというのは教育、というよりももっと「福祉」の世界でこそ生き生きと輝くことのほうが多いのですが、通産省と「福祉」というのはどう考えても相反している世界のような気が・・・(誤解があればすみません)。

PLAN
「メダカを自分の心が満足するまで見ることと、もしか気が変わったらそれをやめて違うことをする」
DO
「今日はメダカを見ようとしてちょっと見たが、友達に誘われたから結局ドッジをやった」
CHECK
「ドッジボールでも心の満足が得られた」
ACTION
「改善点はとくにないが、これからも学校生活をつづけていきたい」

↑ このことの意味が、わたしにもいつかわかる日がくるのだろうか。

PDCAkusokurae

胸に残る大好きなゾンビの残像

非常事態宣言を受け、学校は臨時休校中だ。
しかし、実際にはやむにやまれぬ家庭の事情から、自主的に登校する子どもたちがいて、全職員で対応している。

自主的な登校をする子たちは、わが校の場合、低学年を中心に数十人。
感染防止のため、2mの距離をとり、各自で自習する。弁当も無言で離れて食べることになっている。
私は5年生の担任だが、1年生のところへ行ったり、3年生のところへ行ったりと、日替わりでいろんな教室をまわっている。

自習することになっていても、そうはいっても低学年だから、しゃべりたくて仕方がない。
また、ドリルなんてすぐに飽きちゃうから、なにかにつけて話しかけてくる。

ある2年生の女の子は、わたしが教室に入ると、退屈で仕方がなかったらしく、指でピストルをつくって、

ばーん!

と撃ってきた。

わたしは、反射的に、
『撃たれて気絶するかどうか?』
迷った。

しかし、ここで倒れてしまっては子どもたちを監督することができなくなるため、死ぬわけにいかない。
そこで、とっさに自分は不死身だということにした。

ばーん、と撃ってきた弾が、わたしの鉄壁のボディに当たって

カキーン!

と跳ね返った、というふうに手真似をし、

「弾ははねかえりました!体が超合金(ちょうごうきん)でできているから!」

と説明をした。

すると、その子は「ふうん」という顔つきで、

「うちのパパは、ちゃんと死んでくれるのに」

とぶっそうなことをつぶやいた。
その少女の目は小魚の生きた形を描くようなふうによく動いて、わたしをじっと見、

「もう一回、撃つから、今度は死んでね」

とわたしに考える隙を与えず、すぐさまギャングのように片目をつぶって、二発目を撃ち込んできた。

バーーン!!

今度はもう言われるがまま、わたしは壁にもたれかかってガクッとしてみせる。

彼女は「よし、死んだかな」と改まった口調で言い、
「これで誰にも邪魔されずに仕事ができるわい。ハッハッハ」
と、不思議なセリフをつぶやいた。

わたしはこのあと、どうしたらよいのか、見当がつかない。
うす目をあけると、彼女はドリルをやりはじめている。
この教室には都合4人の子がいて、各自で課題に取り組んでいるのだが、ギャング少女の他には算数をやっているのが一人、もう一人は読書にふけっていて、最後の一人は漫画のイラストを書き写していた。

しばらくそのままでいたが、何も起きないので、わたしはすっと背筋を伸ばして立った。

すると、ギャングが怪しむようにこちらを見、

「あ、生き返った。ゾンビだ」

と断定するように言った。

わたしはすっかり気を取り直しており、自分が教師だったことを思い出したため、
「ゾンビではありません」
と、すげなく返すと、

「ふうん。家だとパパはゾンビになるんだけどな。で、追いかけてくるよ」
「へえ、追いかけてくるの」
「そう、こうやって・・・(手をぶらりと前へ出して)で、うちは逃げる」

彼女はそのことを思い出したのか、少し愉快そうな感じで

「さいごは、つかまって、お前もゾンビだーって言うよ」

わたしはお父さんが娘に撃たれてから、ゾンビになって追いかけるさまを想像してちょっと笑った。

「へえ。そうなんだ。で、ふたりともゾンビになったら」

わたしは気軽に尋ねた。

「こんどはふたりでお母さんを襲撃するの?」

すると彼女はかぶりを振り、

「ううん。ママはお仕事だから。今日は二人ともお仕事」

なるほど。だから学校へ来ている、というわけだ。
ははあ。べつに聞く気はなかったけどネ。
臨時休業中に登校してくる7歳の子の、家での一コマが、ちょっと垣間見えたようで。

最近、よくゾンビになってくれるお父さんも、今日はお仕事だったのだ。
そして、その子はつい、学校にいる、なーんて気分にはちょっとなれず、
パパのことを思い出しながら教室にいたんだナ。

で、何度も頭の中で、パパを撃ったときのことや、殺したときのこと、
パパがゾンビになって追いかけてきたときのことなんかを、
ずいぶんと頭の中で、愉快さを覚えながら、くりかえし、リフレインしていたのだろう。

時間になったために次の先生と交代するとき、別の男の先生が入ってきたけれど、その子はもうバーンとは撃たなかった。おそらく、わたしの登場したときがちょうど、パパの残像が脳内に再生されていて、気持ちも高まっていた最中だったんだろう。

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やんちゃくんがやさしくなる現象

やんちゃくんがやさしい、のですって。

やさしいクラスの女の子が、日記に

「Rくんって、本当はやさしいなあーと最近思います」

と書いてきた。
わたしは嬉しくて、

「そうでしょう!Rくん、やさしいよね!」

とコメントを書いた。

やんちゃくんがなぜ、年度末が近づいてくると、やさしくなるのか。
それは、だんだんと、自分にとっての、この空間の価値が、沁みてくるからじゃないかと思う。

友達と当たり前のように、冗談を言ったり、あだ名で呼びあって笑ったり、
勉強して意見を出し合ったり、床掃除の途中にぞうきんの手と手がぶつかったり、「お前の机、もうちょっとこっちだろ」とか言ったり、赤白帽子を友達のと間違えたり・・・・

それが、だんだんと終わっていくのを感じて、なんだかせつなくて、やさしくなるのではないか。

実は、やんちゃくんは、
人肌のぬくもりの、いとおしさ、可愛さ、やさしさを、
きちんと感じているのではないかと思うネ。

腹を立てる人ほど、その腹を立てていることの自分の姿を、
いっしょうけんめいに抱きしめているのだから。

やんちゃくんは、みんなの前で、心を吐き出した分、
みんなのことを心に入れよう、入れようとしていると感じる。

やんちゃくんのやさしさを、じわっと感じて、それを夕方、家にかえって
思い出して、日記に書いたその女の子も、そのやんちゃくんのやさしさを、
手のひらににぎったカイロのようにあたたかく感じていたのだ。

6年生なのに、女子が男子にやさしいです。
学校で一番迷惑をかけている男子に、一目置いているのがうちのクラスの女子たちです。

「わたしにはできない」

と、かつて、言っていたからね。

「あんなふうにみんなの前で、堂々と意見を言えるなんて、わたしには無理」

やんちゃくんは、授業参観だろうが、校長講話の最中だろうが、
自分の意見は堂々と言う。
だれにはばかることなく、だれに遠慮することもなく、
自分の心がそうだと思えば、

「そう思った!」

という。

それを、女子は、実はまぶしく見ている。

他の先生にいやになるほど怒られて、クラスのみんなでいやーな空気になっているときも、
ちゃんと上を向いて、悪びれず、堂々と、口を真一文字に結んでいるやんちゃくんを、
ときには迷惑に思いながらも、実は、「なるほど」と思って見ているのだ。

休み時間に走り回ったやんちゃくんは、教室へ帰ってきて、
暑い!と言って、すぐに窓を開ける。
女子が、すかさず、「寒い!」と言って、窓を閉めさせる。

「ちぇ」

と、口をとがらせて、やんちゃくんは廊下に出る。
そして、ベターっとなって、

「教室の中、暑すぎるわ」

という。
女子たちはそれを聞いて

「信じられん。ドア閉めて」

と言って、寒そうに身を寄せ合う。

「・・・あいつ、なんでこの寒いのに外に行けるんだろ」




やんちゃくんは、女子からは理解されない。
しかし、そんなやんちゃくんのことを、女子たちは非常に興味深げに観察している。

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わが子がモテるようになる秘訣

わが子が進級すると、親としてはいろいろと聞きたくなるものです。どんなクラス?先生はどんな人?友達はできた?

興味や関心を親が示してくれるので、子どもとしては、そういう会話は楽しいようですね。
きっと、次の日も学校から帰宅すると、さっそく報告してくれることでしょう!

おうちの方としては、この報告を、親が今やっていることの手をとめて、うなずきながら、笑いながら聞けたら最高ですよね。子どもはうれしくてならないと思います。
学校からの帰り道、子どもは「今日はこのことをお母さんに言おう」と、なんとなく思い浮かべるようになるかもしれません。

先生がほめてくれたことを子どもが言うことがありますネ。
「今日、わたしが帰りに窓を閉めたら、ありがとうって言ってくれたよ」「先生が、そうじが上手だねって言ってくれたよ」
大いに共感して聞いてあげますが、これはほんの序の口です。

一番、興味を持つのは、子どもが他の子の良さを口にしたときです。
「うちのクラスのTくんは、ぞうきんの絞り方がすごいんだよ。パワーがすごいから、かたーく絞れるんだよ」

「あ、そう」というだけで終わらせず、「今の話、もっと教えて」と、くわしく話してもらいます。
そして、
「みんな誰でも、自分がすごいっていうことを言いたがる人が多いけど、今の話は、友達がすごいっていう話だったよね。Tくんも、きっと嬉しいと思うし、そう思ってくれるあなたのことを好きになってくれるよね」


つまり、子どもがクラスの子と、気持ちの上でつながっていけるように考えるのです。親は、子どもの話をききながら、『人生の何に価値があるのか』を教えています。教えている自覚があるかないかは関係なく実際は教えている。子どもは親の関心そのものから学ぶのです。

常に、子どもが友だちとの関わりを深めていけるように、親友ができますように、と関わるようにしていくと、中学に入る頃、その恩恵が10倍になって戻ってきます。
小学校の6年間で、友達ができるようにと配慮してきた経験がすべて生きてくるので、思春期にある悩みや不安も、きっと仲の良い友達と本人とが励まし合って、勇気をもって解決していきます。
小学校で少々のトラブルがあっても大丈夫。それはすべて「必要な学習」です。

友達のよさを感じ取れる子に育っていれば、1週間のうちの1日がケンカで終わっても、結局は仲直りして、かえって絆を深めることになるのです。小学校で練習していれば、中学高校という難しい時期が、難しくなくなります。必要な学習を、事前にやっている、と考えたらよいのです。

そういう意味で、子どもは周囲の大人から学び続けています。
人間はいいものだ、と心の底で感じている親であるかどうかは大きなことなのです。

「嫌われるかもしれない」と恐れるのではなく、「より良くつながれるかもしれない」と思えるかどうか。人に対しての親の意識のあり様を自問することです。

子どもが、友達への誕生日プレゼントをつくっている現場を見たら、最高のものを見た、というような感動があるでしょう。誰かが喜んだり、助かったり、誰かの役に立つから自ら進んで動いた、という場面こそ、価値を見出しておきたいものです。大切なのは、そうやって動いたときにたとえ失敗しても責めないこと。

給食当番でなにかを運んでいるとき、クラスの仲間のためにしていることなのに、こぼしてしまうことがありますね。それを責められたらどうでしょう。「あら残念!こぼしちゃったね。片づけよう」だけでいいのです。「こぼしたけど、きれいに拭けたねえ」で笑顔になれますね。

(親向けのおたよりに載せたもの)

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韓国の悪口とアッポーペン

これはどこでインプットされたのかなあ、と不思議に思うことですネ。
韓国のことをどれだけ知っているのか、ほとんどなにも知らない小学6年生が、韓国の悪口を言っております。

おそらく、何の気なしに、というか、あまり意味なく、なにかそのフレーズを聞いたままに、そのまま口に出したのか、と思う。
もしかしたら何か考えがあるのかと思って聞いてみましたが、

「なんでそう思うの?」
「だって、そうなんでしょう?」

なるほど・・・。

・・・これは、マア、言葉は適当でないかもしれないが、「洗脳」されてる状態です。
マスコミからなのか、身近な大人からなのか、どこかで聞いた言葉フレーズが、そのまま脳内で再生され、口に出しているだけ。本人が、なにか深く考えているわけではない。お笑い芸人の発するギャグを、そのまま教室で言うのと同じ。

むかし、芸人さんの、リンゴにペンを指すパフォーマンスが受けたとき。
教室中のどの子も

「あっぽーぺん!」

と、日に何度も何度も口にする日々があったけど、あんな感じ。

テレビ番組でコメンテーターが韓国政府に怒って見せる。
その言動や雰囲気を察して、そのまま、見たまま聞いたままを、まねしている。
全国の小学生の中には、それをそのまま「そうなんだー」と理解し、大人の言っていることだし、やっていることだから、「おれもちょっとやってみっか」と思う子も、いるだろうと思われる。
むしろ、純粋で、大人の言うことをある程度信頼して聞こうとする子ほど、激しい大人の言動、直接的な気分を顕わにする言動を見て、
「ああ、よほど大きな出来事なのだなあ。俺もこの波に乗らねば」
と思うのかもしれない。

安直でわかりやすいので、マネしやすいのでしょう。アッポーペンよりもはるかに、今回の方が、マネをしやすい。アッポーペンは、気分的には玉虫色で、いわく説明しがたい感情の発露であろうと思います。それに比べりゃ、怒り、というパフォーマンスの方がわかりやすい。

古坂大魔王扮する「謎の千葉県出身シンガーソングライター」たるピコ太郎(ピコたろう)が、なにを思い、どんな経緯で、どんな前後の複雑怪奇な物語のはてに、あのセリフを言うようになったか。それを適切な語彙を用いて説明することのできる小学生は、ほとんどいません。

そう考えると、今回の「韓国の政府は馬鹿ばかりで許しがたく、罰せねばならない」というような『怒りの表現』は、うんとわかりやすい。要するに、この人、腹立ててっけど、なんだかいろいろと気にくわないんだろうナー、と子どもだって理解できます。

幼児期の子どもは、気に入った友達とだけ、遊び、つきあっておればよろしい。
だから、いやなやつは、「気に入らねえ」と声を高くして言えばよく、その後のことや周囲のことは一切気にしなくとも済んでしまう。韓国は嫌いだ!と叫べばいいだけなのだから、幼い小学生の子どもたちにとってみれば、すごくよく理解できることなのです。
逆に、おそらくピコ太郎がりんごにペンを刺さねばならなくなった原因や、そのリンゴをその後どうするかまで責任をとる姿を想像すると、ピコ太郎はずいぶんと複雑な背景を背負っている気の毒な大人であります。小学生にとってみると、「わかりにくい」存在といっていいでしょう。

だから、子どもたちは、アッポーペンを、たった1,2カ月で捨てました。
9月下旬にマスコミが、ジャスティン・ビーバーがツイートしたことを報じて話題になったのですが、実際につがるやふじなどのりんごがスーパーで売られるようになるころには、もうすでに飽きられていましたからネ。

「おれ、家でペン刺そうとしたら、姉貴が、PPAPは古いとかいうからやめた」

という会話を、実際にわたしは愛知県岡崎市の教室で聞いている。あれは、おそらく、1月にはなっていなかったろうナ、と思います。

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つまり、幼児は、複雑な背景のあるもの、人間の背景にある物語を理解するのを、面倒がるのでありましょう。ピコ太郎の物語を、背景を、理解し心情を汲みとろうとはしないのです。

幼児期は面倒な人間関係を避けて通れば済むが、おとなはそうはいきません。
気に入らないいやな奴とも何とか妥協点を見出して付き合っていかなければならない。そして、お互いに妥協点をさぐるうちに、相手は相手なりに背景を抱え、家庭や会社の事情の中で、もがきながら交渉していることが分かってくる、理解もできる、その過程でリスペクトも自然に湧いてくるものなのでしょう。

あいつが悪い!と悪者を定めて成敗し、追放すれば残りは全員天使のごとく浄化されているかどうか。この世を白と黒でたった2つに分けよう、という発想は、幼児のものでしょう。黒さえなくなれば、あとはみんな真っ白だと思い込めるのは、幼児だけです。自我の芽生えに満たない幼児は本当に、そう思い込みます。

これは、思春期以後、大人になるまでに自我が育ち、自己の姿を客観的にとらえることができるようになれば、問題は解決するでしょう。社会の中での自分、というものが、自分の内面のありのままの自発的な表現のもたらすものであり、自分が主体的な意志で動き、あらゆる自分の行動を自分が決定し、自分が責任をとるのだ、と実感できるようになれば、おのずと解決するハナシであります。

「あいつは悪者で、あいつさえいなければ浄化され、一切合切すべてが良くなる」と言いたくなる気持ちが消滅し、発生しなくなるからですネ。その理由は、「人間は根本が同じであって、自分を含めたすべての人が考えを変え、行動を変え、自己決定を変化させながら成長している」ということを知ったためでありましょう。

だから大人は、桃太郎で鬼ヶ島の鬼を退治してしまえば、あとは未来永劫、究極の善人だけの国が誕生し、未来永劫、善人だけの歴史がはじまるとは、思わないのです。鬼ヶ島から見れば、われわれ桃太郎の国もまた、かの国の言葉で「鬼ヶ島」と呼ばれていはしないか、ときちんと冷静に分析することもできるし、鬼と呼ばれたからといって、実は鬼ではない、ということが、容易に予想できるからですネ。そして、どの国ともWIN-WINの関係をつくり得ると考え、そういう未来を実現することだけが、目標になるからです。
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