30代転職組・新間草海先生の『叱らないでもいいですか』

We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

教育技術・授業あれこれ

漢字の指導の変化

教師になりたての頃は、私は漢字の指導がそれほど好きではなかった。

ところが、漢字と言うのは、人類の大した発明と言うべきものであり、大昔の人々の、具体的な、あるいは、抽象的な思考法が、よく見れば、見るほどに浮かび上がってくる題材なのであります。

そのことに気がついたのは、今から10年以上前に、一緒に学年を組んだ、とある先輩の先生のおかげです。その先生は、私に、白川静氏の漢字の本を見せてくださった。白川氏との出会いが、漢字学習を変えた。

今の漢字の授業は、こうである。
1)電子黒板に漢字をでかでかと映し出す。
2)この字について、何かわかる人?
3)部首やつくり、冠などの字形や意味から、この漢字が持つ意味や、成り立ち、どうしてこんな部品が使われているのかなど、子どもが気がついたことをどんどんと発表していく。
4)見当はずれでも全く構わない。確かに、そんなふうに見えるねぇ、と同意しながら、バンバン言わす。
5)最後に、わたしが知ってる代表的な、成り立ちの学説を説明して、後は書き順・熟語の確認・字の練習、で終わり。

これを繰り返していくうちに、子どもたちは、漢字を見た瞬間、アッわかった!と色々と意見を出すようになってきた。つまりなぜその言葉は、その部品を使い、そのような意味を持つ字になったのか、成り立ちについて説明するのである。

これは、具体的なパーツを見ながら、仲間に分類していくことで、似たような字を思い起こしながら、より抽象度の高いグループに分けたり、意味を類推したりして、たくさんの漢字を頭の中に、だんだんと抽象度の高い分布図へと書き換えていくような作業であります。

小学校3年生ともなれば、もう、人生の間に、300字以上を覚えています。なので、新しい字が出てくると、自分の知っている漢字の大きな地図の中の、一番ぴったりするところに付け足していくようなことをします。

この動作や振り分け作業が、瞬時に迷いなく、できる子は漢字を覚えるのが早いです。
瞬時にできる子は、頭の中の漢字地図が、抽象度が高く、極めて論理的に分布されているのです。だから、新しい漢字も、今までのルールに沿ったような形でピタリとはめることができるし、迷わないのです。

同じ意味、同じへん、同じつくり、同じ音(おと)、付け足し、などですね。
共通点を見つけるのが早い。
次に、なぜそれが共通点だと言えるのか、自分の言葉で説明もできる。
高層ビルに例えれば1階部分なのか2階部分にありそうか。もっと高層階にありそうなのか。平面でなく、立体的に頭の中で思考している子もいます。

ところが、頭の中がごちゃまぜで、どう地図の上で配置すればいいのか、ぴんとこないような状態が続くと、やはりその中途半端で、宙に浮いたような漢字は、いずれ記憶のどこかに紛れ込んで消えてしまうのでしょう。

いわば漢字を覚えるということは、漢字一つ一つと言う非常に具体的なものに、抽象的なルールを当てはめて、抽象度を上げていくことによって、初めてマスターできると言えるのです。

教室の中に、「つまり、先生、それって、こういうことでしよ?」という言い方が、癖になっている子がいます。
その子は、生活の中や学習の中で初めて出会ったものを、自分の思考体系の中に、自分の言葉で言語化することによって抽象度を上げて、組み込んでいるのです。つまり、とか、要するに、とか、そういう言い方を補助的に使って、自分の思考をヨイショと支えながら。

そして、結論です。
このような思考の動かし方をしている子は、漢字のテストもほぼ100点が取れます。

漢字練習帳に体力勝負で同じ字を50個書けば覚えるかと言うと、どうもそうでは無いようです。やはり脳みその中を、『具体から抽象へ』と、整理整頓することに尽きるようです。


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桃太郎の矛盾

桃太郎の鬼について、子供たちと話し合ったときのこと。
クラスのちょうど半数は、やはり桃太郎の鬼は、悪者であろう、盗みや狼藉、人さらいなどをしたわけだから、悪党に違いないと言う意見であった。
しかし、残りの半数は、もしかしたら結構いいやつかもしれない、と判断をした。

これは、教室の電子黒板に、でかでかと【空からのぞいた桃太郎】を映して、全員で見たからだ。

この
【空からのぞいた桃太郎】は、少し前に評判になった本で、実際にある小学生が自由研究で賞を取った際に、参考にした本らしい。これが面白いと言うので、テレビやラジオでかなり評判になっていた。

鬼の勉強した際に、そのことを思い出して、クラスの子と実際どうかと読んでみた。すると、やはり、視点を一歩引いて客観的に見ていけば、物語の矛盾と言うのはたくさん見つかるものである。クラスの子たちも、先の自由研究の子と同じように、悪者と決めつけて見る事はできないと言う結論に至った。
その記録をここに書こうと思う。

まず、うちのクラスの子どもたちが、1番に矛盾として指摘したのが次のことであった。
1)鬼ヶ島がものすごく遠い。
おまけに海を渡ってようやくたどり着く場所である。これはつまり、鬼達からしても、人間の住む区域まで来て、収奪したものを持ち帰るのに、かなり苦労が要るだろう、ということ。

この意見が出てから、まずペアで、次にはグループで話し合い、何人かの子に意見を言わせてから、もう一度、鬼ヶ島の鬼は悪いかどうかを確認した。
すると、4人から5人ほど、意見を変える子どもが出た。悪者では無いかもしれないというのである。

次に2つ目の指摘があった。
2)おじいさんとおばあさんは、かなりのんびりと暮らしている。

もし鬼が頻繁にやって来るような土地柄であれば、おちおちと芝刈りもしていられず、せめて身を守るための鍬などを持って最低限の防御策を考慮するだろうし、おばあさんも川で洗濯などせず、つまり1人で行動する事なく、大きな瓶(かめ)などに水を汲んでおき、自宅で洗濯をするに違いない。

このことを話し合った後に、2回目の確認をした。挙手させると、さらに3人ほど、意見を変える者が出た。

さらなる矛盾点として指摘されたのが、
3)鬼は、猿やキジや犬よりも弱い。
ひょっとすると、人間の大人が鉄でできた農具、例えば鍬や鎌、ジョレン、お餅つきで使用する杵などでおそいかかれば、もしくは抵抗すれば、容易に撃退できたのではないか、という点だ。

この点については、犬が本気で噛み付くのであれば、鬼はやはり困るのではないかと言う意見も出た。
確かに犬が噛み付いたら、致命傷になることもあろう。だが、鬼は鉄で出来た金棒を持っているではないか。あの鉄の棒は、トゲトゲも付いていて、犬はたった1匹しかいないのに、鬼が数人で犬を取り囲み、トゲトゲでおい回せば、鬼の方が強いはずである。それをしないのは、やはり鬼が優しいからではないか、と言う反論が出た。

おまけに、ある女の子は、「キジはそんなに強くないと思う。お話の中でも、キジは鬼の目を突きましたと書いてあるけれど、それこそ鉄のトゲトゲ棒でひと殴りすれば、キジなどふっ飛んでいくに違いない。」言うようなことを言い、これには多数の賛同者が出た。それを聞いたある男の子は、「キジなんて、HPは1か2しか無い」と言って馬鹿にした。

猿はどうか。子供たちからすると、猿の強さは、HPは5くらい。群れのボス猿であったとしても、せいぜい8か9程度であろう、と言う見立てであった。武器は爪でひっかく、ということだが、たとえ鬼がじっとしていて、おとなしく顔面をひっ掻かれたとしても、致命傷にはなるまい。
今や数少なくなった、鬼はやはり悪党である側の子は、猿は噛み付くこともできる、と反論していたが、やはり鬼の持っている、金の棒にはかなわないであろうと一蹴された。金の棒を持つ鬼のHPはおそらく100以上あるはずだ。

それでも、鬼が負けてしまったのは、きっと鬼が抵抗しなかったせいである。なぜならば、鬼はたとえ正当防衛であったとしても、生き物を殺すなどと言う野蛮な事はしないためであろう。

ここまで来て、再度人数確認をしてみると、クラスに、鬼は悪者であると考える人数が、3人に減ってしまった。

最後に出た、矛盾点の指摘は、
4)オニたちがお互いに助け合って楽しく暮らしている。

「空から見た桃太郎」の本では、鬼ヶ島の様子がこと細かく描かれている。鬼ヶ島の中は非常にたくさんの鬼で賑わっていて、中では、魚屋、鉄の金棒を売る店などがある。奥の方には、劇場のような場所もあり、鬼がチケットを売っていて、子連れのお母さん鬼が看板を見上げている。魚屋が売っている魚は、非常にたくさんの種類や量があり、やはり買い物をしている鬼がいて、本当に、私たちが普段暮らしている街の様子そのものである。
鬼たちの顔は、非常に満足そうで、お祭りをしたり、踊ったり、道端で大道芸をしているような鬼までいる。どの鬼も目的を持って行動していて、その瞳は輝いているのであります。

この、生活に満足をしていそうな鬼たちが、わざわざ、遠くの人の住む村にやってきて、殺戮や強盗をはたらくであろうか。
子供たちが注目したのは、魚屋で、あの魚は、絶対に海で釣ってきたのであろうと言う意見が、何人もの子から相次いで出された。
魚はすぐに腐るから、そんな生鮮品を、遠くの人間界から運べるわけがない。そんな苦労をするくらいなら、あの海で、釣り糸を垂れて、魚を釣る方がどれほど簡単なことだろう。
鬼たちは決して怠け者ではない。なぜなら、このように商売にも懸命に励んでいるし、建物や店の作りは、非常に立派であって、きっと鬼の大工が仲間とともにノコギリや釘、かんななどを使って、せっせと組み立てたものではあろう。人間を働かせたわけではない。鬼たち自身が汗水を流しながら、知恵を出し合い、工夫して、このような店や建物を作りあげたのだ。
怠け者ではない鬼たちが、魚を釣らないわけがない、というのである。

ここで、採決をとると、残りは2人になった。この2人の言い分は、
「たとえ鬼が優しくて、働き者で、犬や雉(きじ)や猿よりか弱かったとしても、それでもやはり桃太郎が退治を思いだったのだから、それにはそれなりの理由があるはずで、懲らしめられるだけの何かしら悪いことをしたに違いない」と言うのです。

そうすると、ある子が次のように言った。
「もしかしたら、桃太郎が奪い取ったたからものは、人間の村から持っていったものではないかもしれない」

みんなが驚いて、根拠を尋ねると、
「だって、魚だって多分鬼が釣ったのでしょう。それに家とか店も自分たちで建てている。桃太郎が鬼から取り上げて、持ち帰ったものを見ると、割と大したものはない。そんなもの鬼なら簡単に自分でこさえることができる。」
と言った。
また、違う子が、続けて言った。
「そうだよ。あれは鬼のものだよ。」ふだんはあまり意見を言わない子。
「だって、もし人の村から盗んだものだったら、きっと桃太郎のお話は、最後に桃太郎が人々に宝物を返してやりました、で終わるはず。でも桃太郎は、その宝物と一緒に、おじいさん、おばあさんと幸せに暮らしました。になっている」

つまり桃太郎は、村人に盗んだ盗品を一つ一つ持ち主を探し確認しながら返品したわけではない。

「お話には書いてないけど、きっと返してあげたんだよ」
と2人は反論したが、
「もし返したなら、村人と一緒に仲良く暮らしたと書くはず。しかしどの桃太郎の本を見ても、おじいさん、おばあさんと一緒に仲良く暮らした、になっている」
言い返されて、2人はもうギリギリまで追い込まれてしまった。

ここで面白いことが起きた。
この2人が困った顔になり、じゃぁもう意見を変えようかなと言った瞬間、何人もの子たちが、

「え?意見を変えるの?変えないでお願い」と言うのです。

つまり、こうやって一つ一つ分析や検証していくと、そのこと自体が面白くなってしまい、論破するのが目的、というのではなくなってきていたのですね。

さて、ここまで分析活動を進めてきて、最終的に桃太郎の鬼だって悪くは無いと言うことになってきたので、これまでに読んだその他の鬼が登場する物語、ほとんどと同じように、鬼と言うのは、実はそんなに悪いものでもなさそう、と言うことになってきた。

ここまで調べてきた鬼は、
・こぶとりじいさん
・ソメコとオニ
・おにたのぼうし
・泣いた赤鬼
・節分の鬼
・大工と鬼六
・千里の靴
・雷さまとクワの木
・地獄のあばれもの
・一人になった鬼の親分
・えんまになった、権十おじいさん
・一寸法師

結局、どの鬼も、本当の悪党と言うには足らず、どこか人間臭く、親しみの湧く存在であることが多かった。一番の悪党であるとされたのが、桃太郎だったので、桃太郎の鬼くらいは悪者であって欲しかった。
ところがどっこい、桃太郎の鬼ですら、悪党にはなりきれなかったのである。


写真は、両面宿禰。(岐阜に住んでいた鬼。ヤマト王権の制圧に抵抗した)
宿禰

なぜ歴史の学習がきらいになるのか(小学生編)

坂上田村麻呂が戦った相手は、地域で愛されていたはずで、大和朝廷という別部族が襲ってきたのであれば、徹底的にふるさとを守るために、一致団結して戦ったことでありましょう。
外敵である坂上田村麻呂。いきなり土足でふるさとを汚しにやってきて、「遠い京の都におられる天皇が君臨する大和朝廷にひれふせ」と訳の分からないことを言って、攻めてきたのですからナ。
ところが勝てば官軍。大和朝廷は、勝った勢いで、「ここにはおそろしい鬼がいたので、田村麻呂が退治した」と言って、歴史書にそう書いてしまう。

昔はそれでもよかったのです。勝つのは強いからで、強いのは正義であろう、というのが昭和から続いた考えでした。
ところが、コロナを経て、今の時代はなぜか、『強い正義』は人気がありません。正義ぶって、厚かましく自分の考えを押し付けてくるような勢力を、どうも世の中の、とくに若い層は嫌っているようです。

その証拠に、パワハラは、不人気です。
ブラック企業も、不人気です。
「24時間たたかえますか」も、不人気です。
ハラスメント全般が、不人気なのです。

だから、坂上田村麻呂が、どうも人気がありません。
授業をしていても、大和朝廷が日本を制覇しました!という部分で、なにか盛り上がらない。
「ひどいなあ」というため息が、教室にもれてしまうのです。
歴史の学習が、とくに若い子どもたちに不人気なのは、こうやってハラスメントで地方を無理やりに傘下に収めようとしたり、武器を持って人を脅し、なびかせようとするようないやらしい政治に対して、吐き気のするくらいに「嫌悪感」を抱くからではないかと思います。
でも、仕方がないのです。当時は、それが当然のことでしたからね。ただ、今の時代の感性には、まったく合わない、というだけで。

わたしは歴史キライの子がでないよう、坂上田村麻呂に焦点をあてるのでなく、むしろ退治された鬼の側に焦点をあてて、授業を行いました。
鬼といっても、当時はその場所にちゃんと住んでいた人間です。実在の人間が、大和朝廷が征服しようとしたときに「いやだ」と反対したために、「鬼ということにされてしまった」わけですね。

坂上田村麻呂の最大の事業といえばやはり東北地方に居住していた蝦夷の討伐だったでしょう。
蝦夷というのは奈良時代後期から平安時代前期にかけて東北地方で朝廷勢力と抵抗した人々のことを指します。
朝廷側はこの蝦夷という勢力を抑えて東北地方にも勢力を築き上げたいと考えていました。
それで、「蝦夷」という人たちは、野蛮でいやしくて獣同然だ、鬼のようなものだ、という風説を流布させて、都の人たちには「東北に鬼が住んでいる」というようなイメージをもたせました。
今でも「北東」の方角は、鬼門だ、ということになってますね、日本は。

坂上田村麻呂は、鬼を征伐する正義の味方だ、ということになっているのですが、子どもたちからは、ただのパワハラ野郎だと思われてしまっています。若い人たち、とくに小中学生には。そのために歴史はパワハラの変態野郎が人を殺すおそろしくてアホな学問だというイメージをもたれ、そのあげくに大量の「歴史なんてキライ」という子どもが量産されてしまうわけです。

坂上田村麻呂は当時としては立派な行いをしたわけですが、時代の趨勢にはさからえないようです。
したがって、わたしとしては、大和朝廷の勉強はあまりしたくありません。子どものテンションが下がり、以後の学習が非常にやりにくくなるからですね。

でもまあ、奈良の大仏をつくるころには、女子もまじめに勉強するようになりますし、天変地異の多かった平安時代の学習は、女性がひらがなを書くようになったり、日本らしさが出てきたりしますから、また好きになってくれるんですが。

今思えば、大和朝廷の方たちは、蝦夷とか他の地域コミュニティについて、ゆるい「連邦制」をとった方がよかったかと思いますね。「制圧」とか「征服」とかでなしに。だって、あまりにもパワハラのイメージが強すぎるので・・・。

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SDGsでトイレのことを考える

総合の時間に、SDGsについて学習を進めている。
17個ある目標のうち、1つめの「貧困」についてからはじまり、17つめの「パートナーシップで・・・」に至るまで、少しずつ子どもたちは意味や目的、具体的な取り組みなどを学習している。

目標の6番目に

「安全な水とトイレを世界中に」

というのがある。

最初に出し合った疑問で、これが話題になった。
ユニセフのパンフレットをみると、「トイレのない人は地球上に6億人以上」と書いてある。
なんでトイレなの?トイレはあるでしょう、ふつう・・・と、子どもたちは考えた。
まさかトイレが『ない』なんて、イメージできなかったわけだ。

そこで、トイレを調べ始めております。
今年から各学級に配備されたIT端末が役に立つ。ありがたいねえ。
わたしの勤務校では「Chromebook」が一人一台、用意されている。
調べ始めると・・・

DIFAR という団体が見つかった。
エコサントイレ、というものをつくり、地域に広めているらしい。
おまけに始めたのは瀧本里子さんという日本人。
青年海外協力隊員でボリビアに渡り、そこで娘のように家族のように接してもらったことからボリビアに恩返しをする形で野菜作り、健康福祉の提案、トイレ事業などを始めたようだ。

現地にトイレがないことはDIFARのホームページからも伝わってきた。
ニュースレターにはそのことが現地の日記のように、里子さん自身の言葉で書いてあり、非常に伝わってくるものがある。

クラスでこのことに興味をもち、自分の卒業論文で扱いたい、と言う子が増えてきた。
しかし、ちょっと資料が足りない。

「トイレをつくって、その後どう生活が改善したのだろうか」

という肝心なことが、くわしく書いていない。

「質問してみたいがどうか」

ということが話合われた。


このあたりは、現代っ子だなあ、と感心しますね。
今ではボリビアに住んでいる人にメールで質問ができる。
瀧本里子さんという方がどんな方かわからないが、質問出すだけ出してみよう、ということになった。

わたしはもちろん

「返事がくるとは限らないよ」

という確認を全員としておいた。
5年生の時も、なぜ広島でりんごをつくっているのか、と尋ねるメールをさまざまな果樹園に対して出したが、返事はほとんどこなかった。

丁寧に返事をいただいたのは、唯一、三次市で観光農園をされている、平田観光農園の平田さんだけであった。今でも感謝しております。(平田さんありがとうございました。おかげで「標高」とか「適温」という、果樹農家の大事な視点を子どもたちは学ぶことができました。)
(※平田観光農園へのリンク)


というわけで、きっとお忙しいと思われるボリビアの瀧本里子さん(DIFARというNPO団体)からお返事が来るとは限らないが、ダメ元で出してみようということになった。
学習の体験としてはメールを出すことも大事な過程だろうし、メールの文面を考えることも大事なことだろうと思ったので、子どもたちとその活動を進めることにした。

以下がその手紙であります。
1)なぜ、里子さんはボリビアという国を選んだのですか。

2)ボリビアの飲み水は、どんなふうに得ているのでしょうか。川の水や雨水などでしょうか?

3)里子さんは世界でも最貧国の一つといわれるボリビアに行き、貧困の対策として最初は野菜づくりについて指導されていたのですが、貧困の解決の前にトイレの問題を解決しなければならないことに気づき、トイレを建設されることをはじめました。なぜ、貧困の解決の前に、トイレの建設が大事だったのでしょうか。

4)実際に里子さんたちがトイレを建設し、みなさんが使うようになって感染症は少なくなってきたのでしょうか。

5)トイレをつくりつづけた時期がすぎ、今は目標を達成して次のステップに進んでいるDIFARや里子さんたちですが、トイレの良さを学んだ現地の方たちは、もしかしたらその後、トイレを自分たちでも増やしたり、作ったりすることをはじめているのでしょうか。もしそうならトイレは増え始めていると思うのですが、どうでしょうか。

6)最初、現地では、トイレをつくるよりも電機や自動車がほしい、と考えるような人の方が多かった、というのをホームページの記事で読みました。しかし、里子さんたちはあきらめずにトイレをたくさんつくりました。でもその場合、「トイレは要らない」と考える人たちの考えを、変えていかなければならなかったのではないでしょうか。要らない、と答える人たちが、「ぜひほしい」と気持ちを変えた瞬間、どんなことがあったのでしょう。なぜ住民の方たちは納得して、「トイレをつくろう」と考えてくれるように変わったのですか。

7)ボリビアで里子さんが暮らしていこうと決めたのは本当に大きな決断だったと思いますが、どうしてそのような大きな決断をすることができたのでしょう。なかなかそんなふうに自分の人生を、生涯をボリビアのためにささげよう、と考える人は少ないのではないでしょうか。里子さんはどうしてそんなふうに考えることができたのでしょうか。

8)ボリビアの暮らしをはじめるころ、苦労したことというのはどんなことでしたか。

さて、どうなるか。

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ガソリン価格から社会の厳しさを学ぶ5年生

「おやつなし ガソリン代を うらみます」

ある子が日記に、「お母さんが今日のおやつは抜きだ、と言ったのでなんでかときいたら、ガソリン代が高かったからでした」と書いた。

令和の世に生きる今の小学生たちは、これからかなり難しい時代を生き抜いていかなければならないことは予想できますね。日銀の黒田さんはすでにボケ始めているという噂もあり、あきらかにインタビューの映像を見ても、「認知がはっきりしていない」感じ。記者の質問に反応するのも力がなく、これで重責を背負わせるのは酷じゃないのか、と気遣う識者も居るくらい。

日本だけ金利を上げずにいて国を亡ぼす方向に向いているわけですが、どうやら日銀の黒田総裁は
「日本だけは特別な事情があるから、だいじょうぶ」
と、まったく周囲の状況を見ることができない。
これは残念ですが太平洋戦争突入時の大本営と同じ症状です。

5年生の児童に、「ガソリン代がなぜ高いか」を問うと、調べてきた子もいる。
なかなか偉いと思うし、今年の夏休みの自由研究にすごい向いている課題だと思う。
5年生としたら死活問題です。毎日のおやつもなし、大好きなガリガリ君も買ってもらえず泣いているのですから。
これはいけない、と兄弟で戦線を組んで協力し、車の中で懸命に交渉した結果、パピコを弟と分けて食べることができたが、

「このままガソリン代が高いままだったら、今年の夏休みは1週間にパピコが1つ(弟と半分こ)、ということもありえます。わたしの心は今、ゆれ動いています」

ということであり、小学生にも安倍内閣の負の遺産は容赦なく襲い掛かる。

さて、日銀の黒田さんが認知のゆがみを呈しはじめた、というのは歴史を勉強していれば明らかであります。
いつも、日本は追い込まれると「周囲がみえなくなり、認知のゆがみが生じた結果、『日本は特殊だから大丈夫』という自尊心肥大を増幅させるだけで、効果的な手が打てずに崩壊した」のであります。

大日本帝国以前からつづく日本の国家的なお家芸ともいえますが、「日本は神の国」と言い出すタイミングはいつも、日本が追い込まれている時代でした。

一番古いのは、日本という国の名前を決めた頃、白村江の戦いのあたりでしょう。
新羅はもともと唐がこわく、日本を味方につけたいので、下手に出る作戦をとっており、倭に対して「貢ぐ」国でした。「唐がこわいんだよね。だから、倭くんだけはうちらを攻めないでね」というわけです。倭の方が、立場が上だったのですね。

ところが白村江の戦いで倭が敗れた際、新羅が「もうあんたのとこには貢がないけど」と言ってきても、「いや倭(日本)は神の国で強いんだから貢ぐべきだ」と言い張ったそうですな。
当時の倭は、はじめて新羅と唐の連合軍に敗れ去って国の形を問い直さねばならないくらいに追い込まれており、賢い人たちを中心に律令国家をはじめるべく奔走せねばならなかったのです。しかしこのとき、担当の大臣が『認知を狂わせており』まして、『日本は神の国』であり、『日本は特殊なのだからぜったい大丈夫』と周囲を説き伏せる(無視)しまして、新羅に向かって『貢ぐんだ。俺は偉いのだから』と言ったらしい。現代のように『日本はもっとも世界で人気がある』的な感じでしょうか。

これが、どうやら日本の宿命らしいです。
日本は、同じことを現代まで延々と繰り返しているわけで。
歴史を学ぶと、すごくよくわかる。
おそらく日銀はこれからもずっと金融緩和をしつづけるでしょうし、円安は止まらないでしょうし、ガソリン代はまだまだ上がるでしょう。
しかたがない。日本はそういう歴史と宿命を背負った国なのでした。

日本は、外部の脅威を感じると、「うちらは特殊だから大丈夫。神の国だ」というのですごしてきたのですが、そのうちに外部の脅威がなくても、外部の脅威とは無関係の状態であっても、そういう具合になっていきます。病気がますます進行したわけですね。つねに政治家にとって、

「うちらは特殊で大丈夫」

は便利な合言葉となります。

平安時代の末期は末法思想が流行し、阿弥陀仏にすがる宗教が流行します。
世界の終わりが近いぞ、という感覚が日本人全体に強まりまして、浄土信仰が大流行するのですが、このとき、浄土信仰にすがろうとする人が多くなる一方、残りの人は「日本は特殊で神の国だから大丈夫」と、自尊心肥大にすがることになったようです。つまり神国思想、です。
同じことが太平洋戦争時にも起こるわけで、構造とパターンはおどろくほど一致します。

平安時代は結局、貴族社会がくずれ、律令体制の崩壊、という形で武士の政権へと根本から大改革されます。貴族たちには結局、1)浄土信仰 2)神国思想 この2つしか道がなかったのです。どちらも、こわいものから目をそらす、という点では変わらず、「認知をゆがませ、目をそらせる」ことでしかなかった、という点が泣けるところです。

このあたりの詳細は、実は以下の本に述べてあります。
わたしの上記の解説はつたないものですから、ぜひ皆様におかれましては以下の本をご覧ください。もっとよくわかります。



常に、他のことが見えなくなり、むしろ自分たちの方が特別な存在であり、自分たちの方が正しいのだ、という節回しを口にすることは、日本のお家芸だと言える、というのが結論でありました。
それが、やっかいなのは、「日本が立場的に厳しくなると必ずそうなる」というところです。

今、ガソリン代だけでなく、円安もそうだし、物価高もそうだし、コロナもそうだし、日本はかなり負のフレーズばかりがニュースに出てきます。オリンピックの予算も嘘ばかりで使途不明金だらけでしたから、おそらく平安末期のように、これは今の日本は「末法の世」に近いのかもしれません。

歴史の流れからすると、こういう時代はいずれ「日本は神の国で特殊だから自分たちだけは大丈夫」と言う政治家がどんどん増えるでしょうし、人気を博すでしょう。
それが日本の国の在り方であり、昔からそういう国だったのですから、あきらめるよりほかないのかもしれません。

おやつは弟とパピコを分ける夏休みになりそうです。
令和の日本は、そこから脱却できるでしょうか。

やっぱ、島国だからね。「自分たちは特殊ですごいのだ」という『井の中の蛙』のような精神性をどこかで持っているのかも。一方で、外国からは常にすごい文化がもたらされるから、劣等感もあるし。むずかしいね。

ところで黒田さん、もういい加減、金融緩和、やめましょうよ。
日本だけ特殊で大丈夫なはず、というのは、おそらく「認知のゆがみ」ですぜ。

日銀日本はすごい

みそとマヨネーズと醤油の話

きゅうりにマヨネーズをつけて食べることがある。
「マヨラー」ではないが、基本的にマヨネーズが好きな方だ。
しかしその日は、マヨネーズが切れていた。そこで、みそをつけて食べた。
もろみ味噌とか、金山寺みそではなかったが、ふつうのみそでも十分美味い。

食べながら、みそとマヨネーズは同じようなものだな、と一人で考えた。
となれば、マヨラーがいるくらいだから、みそらーもいるだろう、と思う。
たぶん、検索すればごまんとヒットするだろう。
日本人に限らず、世界中に『みそらー』がいるにちがいない。

マヨネーズとみそが近いという話を、人生街道をあゆむ途中、あちこちで聞いた。
レストランのシェフをしていた人に聞いたことがある。
その人が勤務していた場所は、なんだかたいへんに高級なレストランらしかった。
ひょんなことから私は、その人物と2週間ほど共に話をしたり生活をしたりすることがあった。
いっしょに昼食を食べながら、その人が食卓のみんなに言ったのが、

「うちの店では、マヨネーズに白みそを隠し味にしてましたよ」

というセリフ。つづいて、

「マヨネーズとみそは、基本的に非常に相性が良い」

ということでありました。

もうひとつは、ひとしきり「金山寺みそ」が話題になったあとの

「もともと、しょうゆとみそって、同じものだったんですよ」

という話で、それはみんな、へえ!?という反応だった。

たしかに材料は同じようなものだし、発酵食品であることや、作り方も近似している。
同じようなものといえばそうなのか・・・。

調味料のうち、もっとも原始的なものは「塩」でありましょう。
そもそも人間が肉体的に疲労した場合に塩気を求めるのは、ごく当然で、必要なことですからね。
つぎに、穀類などを発酵させて「麹」をつくり、さらに塩とまぜて「もろみ」がつくられました。

これがまあ、ミソのようなものでもあり・・・
さらにしぼれば、しょうゆになるわけで・・・
たしかに、似ているし、同じようなものか。

これを自作することができれば、さぞかし「食生活」は豊かに感ぜられるだろうと思う。
みそは自作したことがあるが、しょうゆはまだ未・チャレンジである。この世で最も強いといわれる『なっとう菌』にもいつの日か、挑戦してみたいモノだナ・・・。

勝手にイメージするだけですが、自分でしぼった「しょうゆ」で、とれとれの烏賊の刺身など食った日にゃ、さぞかし「贅沢」を感じられるだろうと思うネ。以前、金をかけるぜいたくと、手間をかけるぜいたくと比較した、という心理学の研究があった。結果は、手間をかけた方に、人間は「ぜいたく」を感じるらしい。ただし、これはアメリカ人を対象にした心理実験の結果である。

みそに関することわざは多いが、しょうゆに関するものは案外少ない。
「酢でも醤油でも、くえぬものは食えぬ」
ということわざがあるらしい。
食べられないものは、どんなに味をつけてもダメ、という意味だ。
ふつう日本の食べ物は、だいたいが酢で和えたり、醤油で味をつければ食える。
しかし、その酢でも醤油でもダメ、というのなら、もう何をしてもダメで食えない、ということだろう。逆に言えば、和食のほとんどは「酢か醤油」が大活躍をしている、ということになる。

こう考えてみると、その醤油や味噌の原料である「大豆」は日本人の宝であります。
ところが今や日本人が食べる味噌のほぼ99%が輸入大豆だという。
このことを憂いて、「大豆を霞が関でつくろう」と宣言をした官僚がいて、ビルの屋上で大豆をつくりはじめたが、残業に次ぐ残業で面倒がみれず、計画が挫折したと聞いた。
またこの話を憂いた国会議員がやはり、「大豆こそ日本人が日本の土地で育てるべし」と喝破したが、わたしもそう思う。で、教室のプランターで育てている。若さや(枝豆)ができてもビールと一緒に消費しないように気を付けようと思う。

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5年生の社会がたいへんなことに【この時期北方領土を教える】

ロシアのプーチンさんの評判が悪い。
小学校5年生にとっては、これまでプーチンなんて人、まったく知らない人でした。
だれそれ?という存在だったわけですね。
そこに今回の戦争だから、プーチン=悪い人、という感じ。

ところが5年生はこの時期に北方領土を教わるから、
「さてはプーチンが択捉島をとったのか!」
と早合点をしてしまう。

いやいや、プーチンはまだ生まれてないんだよ、というと不思議な顔。
「え?プーチンが択捉島にきたんじゃないの?」
択捉島がロシア(ソビエト)占拠、となったのは1945(昭和20年)。
ウラジーミルが生まれたのは1952年だ。
まだ歴史もまったく知らないから、なんで択捉島に日本人が住んでいないのか、すごく困るみたい。

え?なんで日本人が住んでないの? という疑問からすぐに

さてはプーチンか!(怒)

となるまでに3秒もかからない。
それほど、今回の戦争の影響は大きい。

というか、第二次世界大戦を本当に知らない。
クラスの半数が、え?日本って戦争したことあるの?、です。
戦争のことを聞いたことがある、という人数は、年々、減っている。
全国の教師にアンケートをとったら、この数がどんどん減っていることが実感されると思う。

それに、「聞いたことがある」という子にどんなことを知っているかを聞いても、答えられない。
「うーん」とか「えーと」という感じ。
さらには、ひいおじいちゃんが戦争に行った、ということを聞いた子もほとんどいない。
「だって、ひいおじいちゃん、知らないもん」が当然ですから、本当に戦争は遠い話です。

今回は、あえてここでの説明をせず、
「自分で学習するチャンスですから、なんで択捉島にロシアの人がいるのかをゴールデンウイークに調べてみよう」
ということにした。

もう、おうちの人へ丸投げである。

良いのだ。6年生で習うから。
5年生では、「ロシアと日本との間に北方領土という領土問題が存在します」というだけを習うことに文科省で決められている。歴史は来年まで持ち越しだ。

ちなみに択捉島でロシアの方がクリスマスを楽しんでいる写真を見せると、
「楽しそう。いいね」
というのが小学校5年生である。

クリル


さて、択捉島はもちろんアイヌのふるさとであり、和人とアイヌとの間には複雑な歴史がある。
5年生は当然、アイヌも知らない。

「アイヌってなに?」
それもまた、ゴールデンウイークに調べてみてもらうことにした。
いいのだ。5年生だから。

文科省は本気なので、ちょっと前から全国の教員に強い調子のお触れを出しております。
「5年生でぜったいに尖閣諸島と竹島と北方領土、きっちり教えろ」
ということであります。ずっと昔、安倍政権だったころ、ですね。

で、この竹島なんですが、写真をみると切り立った崖がうつっておりまして、まあほとんど食糧の自給は無理だと思われる土地です。野菜なら少々とれるのだろうか?よくわかりません。
ここは、隠岐の島からさほど離れておりません。韓国(朝鮮半島)よりかは、隠岐の島からの方がよほど近いです。
しかし、本州と比較すると、韓国(朝鮮半島)の方がよほど近い。
なかなか微妙な位置にあるのが竹島ですね。

教科書にも、最近はデカデカと竹島の写真が載るようになりました。
嵐の時などには、ふきんで漁をしていた漁師さんが避難しました。船をここに着けて、嵐がすぎるのを待つ、というふうに使われてきたみたいですね。

日本の漁師さんも逃れてここで一晩泊まる、ということをしてきたし、なかには物好きな人もいて、ここにしばらく住んでいた日本人もいたそうです。
しかし韓国の漁師さんもここに船をつけて嵐を避けていたらしく、まあ日本の漁師さんも韓国の漁師さんも、嵐の時に命が助かると思えば、同じような行動をとったのですな。

で、韓国の人も「あそこに便利な島があるし、嵐の時はあそこに逃げればいいぞ」と思っていたし、日本人も当然、そう思っていて、隠岐の島の日本人も朝鮮半島の韓国人も、思考は一緒、ということです。

こういう学習をしてくると、5年生は単純です。

「じゃ、もうずっとそれでいいじゃん」
「べつに問題ないじゃん」
「問題解決じゃん」

と、じゃんじゃんじゃん、の3連発。


北方領土についていえば、ロシアは日本に対し、「GHQが一度日本をつぶしただろう。国際社会が日本の領土をぜんぶ取り上げただろうが。日本はそこで一度消滅している。だから択捉島はロシアがとったんだ」と気を吐いている。
日本も同じく、「たしかに国は一度その時点で滅びているが、土地を領有する権利まではく奪されてはいないぞ」と言い返す。

この、双方がファイティングポーズをとりつづける、そして水面下ではしなやかに交流し、経済を交わし、物流をさかんにし、人的な交流も分厚くし、相互に助け合うという実際の相互扶助を行う。
それが、20世紀後半の国際社会の在り方でした。

楽観的な人たちは、そうして人的物的交流がつみかさなれば、政治的解決はその下地の上にだんだんと促進されるはずだ、と信じていましたし、ベルリンの壁が崩壊したときなどは、その楽観論がもっとも信じられた時代だったでしょう。

しかしいまはちがいます。
どれだけ民間が努力しても、政治が下手をうつと、あっという間に民間の努力が瓦解するのを見てしまいました。

目のくるくるした女の子が、まるで休み時間にバレーボールをしているような声で
「竹島は、地球の人はだれもが、嵐の時に使っていいいエリア、ということにしたらいいじゃない?」と言いました。
すると東大をめざしている秀才のFくんが

「エリアは3つつくればいい。韓国の人がいるエリア、両方が入れるエリア、日本人のいるエリア。この3つをつくれば、うまくいくかもしれんよ」

わたしは感心してしまいました。
なにがって?
子どもたちの「問題解決的な思考の質の高さ」にですよ。
どうにかして、なんとかして、問題は解決したい、という意欲にです。

たしかに軍事専門家からすれば、一笑に付す意見でしょう。
しかし、この意欲はどうです?
それがなければ、こんなアイデアも出てこないでしょう。

本当に解決したい

と思えば、もしかしたらわれわれ大人だって、前に進むことができるのかもしれませんナ。

竹島

けてぶれ学習法のまちがいの5分類で同僚と討論

けてぶれのまちがいの5分類はこうである。
1)問題の意味がわからなかった
2)ちゃんと読んでいなかった
3)解き方がわからなかった
4)わかっていたのにまちがえた
5)時間が足りなかった

これに、同僚のS先生は、

6)手順を守らなかった

を入れたらどうか、というのだ。
小学校の算数では割り算のひっ算など、特有のアルゴリズムで解いていくものがある。
これは、油断して手順をまちがえることさえなければ、正解できる。
小数点をうごかす問題もそうだし、分数の足し算引き算、約分通分など、小学校の算数はアルゴリズムでといていくものが多い。
そう考えると、小学校の算数では、たしかに手順さえふめば正解するものばかりだ。

「そうだね。小学校算数に限って言えば、その項目も追加すると、子どもたちが自己分析するのに役立つかも」
「そうだね、自分は手順がまちがっていたんだ、と気づく子も多いと思うよ」


そういった話をしていたら、「まちがいの原因はなにかって?」と教頭先生が口をはさんで

7)問題がまちがっていた

というのもあると。

それはたしかにそうだが、ちがう。
問題がまちがっているというのは、解く側(児童)にとっての「まちがいの原因」ではない。
前提条件がくつがえされてしまうのは、意味がない。
子どもが自己分析するのには、役に立たない。

教頭先生は話を盛り上げるために言ってくれていたわけで、
「まあそれは前提がちがうからなあ。はっはっは」
で終わりになったからまあいい。
教頭はそのままその足で、会議室に入っていった。

話が終わるかと思ったらそうではなかった。
教頭先生の話が燃料を投下した形になり、さらに火がついた。

小学校算数での「あるある」は、問題が読めなかった、というのも多い。
それを数えたらどうか、ということになった。

8)問題が読めなかった

問題の意味がわからなかった、ということに含まれるのだが、「読めなかった」もあるのである。漢字が読めない、文章が読めない、文脈が読めない。なるほど、小学校では、あるある、だ。

さらにいうと、小学校に限ってかもしれないが、

9)おしっこに行きたくなった
10)消しゴムを忘れたことを言い出せずにゆびにつばをつけてこすったらテスト用紙がちぎれた


というものある。
これは、そもそも間違い、という分類でなく、テストを受けることから逸脱し始めた、ということになろうか。

こう考えると、テストが正常?に行われ、きちんと提出された、というのは奇跡が起きたといっても過言ではない。1枚もテスト用紙がちぎれず、1人もテスト用紙をこなごなにせず、1人もトイレにひきこもって出てこなかった、という棄権者もいなかったのだ。

これはもう奇跡と呼んでもさしつかえない。

kiseki

テストの振り返りをChromebookでする【ダウンロード可】

テストはなんのためにするの?

と問うと、あれこれと言ってくれる。

・自分のわかっていないところがどこか、わかる。
・ちゃんとわかっているか知るため
・どこまでわかったか、わからないところがないか確認する
・これまでの学習の仕方が良かったかどうか


ちょっと踏み込んで、

「先生はテストはなくてもいいと思っている。みんなはどう?」

と言ってみた。

わたしからすると歓声があがり、

「じゃ、テストなくそう!」

と盛り上がるのかと思いきやそうではなく、

「やっぱりあった方が良い」

という声が多い。

これは、先に「テストは何のためにするのか」を問うて考えたからでしょうね。
なにも考えずにいきなりきいたら、「なくそう!」になったと思います。

目的をきき、確認したからこそ、

「やっぱりあった方がいいなあ」

となったのでしょう。

実際には、テストなんて受けなくても良いですね。
先生も評価はテストでしなくてもよいのですから。
【自分で考えて、必要だと判断する】というステップは、けっこう大事です。


さて、テストを通して、自分の学習についてふりかえります。
〇ふだんはどうだったか
〇テストの受け方はどうだったか
〇テストを受けてみて今後はどうするか

というふうに、ふりかえることで、
自分で自分のエンジンを動かし、そのエンジンの推進力で自分が動き始める、という実感
を得られます。

テストを返却するのに、これまでは速い方が良いと思っていて、すぐに返却していました。
これはこれで良い部分もあり、ちゃんと確認したり自主学習をする子にとっては楽だったようです。
すぐに持ち帰り、間違いをやり直す家庭学習をすることができたからです。

しかし、今回は学期の最初、学年の最初だったこともあり、1時間かけてていねいにテストの返却をやってみました。

まずいきなり返しません。
1)テスト、どうだった?
と問います。なんでも正直に言ってよい、と告げて、なんでも感想をいってもらいます。
班でもあれこれと言いあってもらいました。
全体できいてみると、

「むずかしいところがあった」
「裏の2番がわからなかった」
「ぜんぶわかった。かんたんだった」
「覚えてないし、すごくむずかしかった」

というような感じ。言いたい放題です。
これで良いのです。言いたい放題ができる、ということを保障するのも大事かと。

2)全体でまちがいのあった箇所、むずかしい問題をやり直し

わたしがピックアップした数問、数か所を、すこし丁寧にやってみます。
かんちがいの事例、まちがいやすいのはなぜか、覚えていない言葉があったかどうかなどを確認します。もし、覚えていない言葉などがあれば、「ノートに書いていただろうか」「教科書にもあったけど、マーカーなどをひいただろうか」と問いかけ、勉強のやり方そのものをここで教えます。

3)テストの返却をする

各自で受け取ったら「なおし」をします。
100点の子もいますが、周囲の子と確認したり、お互いに助け合うようにします。
上手に説明ができるか、完璧な説明ができるか、ヒントを上手に出せるか、という点で、「助けようとする側に立つ子」のスキルについても問いかけ、上達意欲を喚起するようにします。

常に教室でそういうことも語っています。
「上手に説明ができてこそ、知識が身についた、と言える。完璧な説明ができる?」
とよく言ってます。
授業の導入でも、学習問題や課題について示した直後に「完璧な説明ができる?」とよく言います。そこで堂々と説明ができる子には言ってもらい、ほめることもあるし、言い終わった後に「かんぺきだった?」と問うこともあります。「いや、まだもやもやしてる」と言ったら、どこがもやもやしている?と説明してもらうところから、授業の導入につなげるパターンも頻繁にあります。

4)ふりかえりをChromebookに入力します。

チェックポイントが6つ。
そして、記述する部分が3つです。

記述はかんたんで、①テストまでの学習はどうだったか ②テストを受けている最中はどうだったか ③次はどうするか

ダウンロードファイルはこちらです。←(右クリックで、名前を付けてリンクを保存)

ファイルはエクセルになっています。
これをGoogle Driveに保存し、Google Classroomで児童に個別配布します。
毎回ここで入力を積み重ねていくことで、自分のデータを継続して保管できます。

このテストの振り返りを毎回することで、テストの受け方そのものおよび、自分の学習の客観視を鍛えます。自分の学習は自分で進める。自分で計画を立てる。学習内容も進め方も進路も、すべて自分が決定していくのです。

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「結論から述べる」について

午前11時ごろだっただろうか。
玄関のチャイムが鳴り、嫁様が出た。
わたしはリビングでしらべものをしており、ほとんど意識に上らなかった。

嫁様が困惑したようにもどってきて、
「なんか、パソコンの?インターネットがどうとか・・・?」
とわたしに変わってほしいサインを出した。

アポなしのドアチャイムだからおそらくセールスだろうと思うが、一応出てみた。

すると、名刺を出すかと思いきや話をしだしたが、
1)この近辺でケーブル設置の工事をした
2)そのおかげでインターネットが高速になる
3)あなたの家はその恩恵を受けられる
4)なにも機械を変える必要はない
5)金額も月に2000円程度安くなる
という。

相手がふと口をつぐんだので、話が終わったのかと思い、てっきり
「ごくろうさま」
と頭を下げて、安くなるし速くなるのはありがたいなあと思いながらドアを閉めようとすると
「いやいや、ご主人、わたしはあやしいものではないですから」
と手を顔の前にもってきて、高速で左右に振った。

わたしは
「あやしいとは思ってないですから大丈夫です」
と、こちらも慌てて言った。
本当に、あやしいとは思わなかったからである。
というか、話が終わったのではなかったのか、と不思議になった。
そして、ではつづきがあるのかしらん、はて、と思った。

つぎに、会社の名前を言い、
「テレビとかでも放映していますから、ご存じかと思いますが」
という。
「今、キャンペーンで全国でサービスを展開中です」
と胸を張った。

ところが、わたしはほぼテレビを見ないのである。
家にテレビはあり、受信料もきちんと納付しているが、わたしは見ない。
というか、見る暇も時間もない。全国の教員がそうだと思うが、帰宅したら次の日の授業の準備を綿密に行う。あとは風呂入って寝るだけしかしない。

わたしは頭を下げ、(ほんとうに悪い気がしたので)
「ごめんなさい。テレビはもう5年以上見ていないですね。体感上ですけど」
と言って、マスク越しに自嘲してみせた。

本当は、NHKのブラタモリを見た。2年くらい前だろうか。
このブログにもそのことを記事にしていると思う。

すると、それが怪しいと思ったのか、なおもテレビでやっているらしいその会社のCMのことを、少し話をして、念を押し、
「この地域にもすごく広がっているんですよ。有名ですよ。どんどんサービスが増えています」
とのこと。

わたしは何も知らない。その会社も、CMも、なにも分からない。
ただひたすら、恐縮するだけである。

ともあれ、この男がしなくてはならないのは、「結論を言うこと」であろう。
小学校5年生なら、国語の教科書で習う。

だんだんとわたしは、自分がどこかの不思議なファンタジーの世界であるかのように感じ始めた。
こうして休日の昼間に、自分が「テレビを見ない変人である」件を謝っているのが、妙に思えてきたのだ。

5年生の国語では、相手に何かを伝える際には、まず結論を言い、その理由を順序だてて説明し、最後にもう一度、結論を言うことを教える。

わたしはこの男に、
「なにしろ、すごいサービスがはじまるんですね。おまけに安くなる。良かったです。ありがとう」
と再度いい、ドアを閉めようとした。

すると、さらに慌てたのか、今度は半笑いでエヘヘヘヘという感じの声を出し、

「ですから、わたしは怪しいものではなく・・・」

と、さっきのつづきである。

5年生の国語でいえば、谷村俊太郎の詩なのであればわかる。
繰り返し=リフレインは効果的な手法だ。
リフレインは、独特のリズムと効果を生み出す。
作者の意図を強調することにもなる。

しかし、「怪しくないです」のリフレインには、あまり意味がない。
先ほどからこの男は結論をなんら言わず、自分が怪しくはない、ということと、テレビで有名な会社のものである、ということ以外に中身がなかったのであります。

わたしがしたことは、テレビを見ないことを謝ったことと、安くなるのはありがたい、という感謝である。

わたしは再度、「あやしいとは思いませんよ」と、あいまいにほほえみながら伝えた。

すると、契約をするから住所と電話番号を書くように、と初めて言うのでありました。

セールスの人は、5年生の国語を思い出してほしい。
話はもっと早く終わると思います。

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『叱らないでもいいですか2022』スタート!

『叱らない』を始め、はや13年目に突入しました。
はっきりと「あ、叱らないでもよさそうやな。よし、それでやってみよう」と思ったのが3年目でしたから、そこから数えて、ということです。

調べてみたら、

2010年05月10日に、

「叱らないですね、先生は」
という記事がありました。

どうも、そのころから、のようです。
自分の中で、自分として大切にしたいことだったのでしょう。
そこから、基本的にわたしは、「叱らない」先生になりました。


今年、学年主任になりまして。
4月1日に、学年のチームになった先生たち4人とともに、最初の会合を開きました。
学年会ですね。
そこでわたしは、

「どうだろうか。基本的には叱らないでいきたいんだけど」

と、丁寧にちょっと自分の意図を話しました。

そうすると、やはりまじめな先生たちなので、
「いやでも、やはり叱る場面はあろうかと思いますが」
と言います。
当然でしょうね。これまで、これ以外の反応を返した先生は1人しかいません。

わたしは
「そうですね、なので、『基本的に』ということなら、どうでしょうか」
というと、

これがびっくりなんですが、そこにいた全員が、

「はい。そうしましょう」
というのですよ!!!!



これはわたしにとっては革命的な日でしたね。
もっと叩かれるか、意見が出てきて紛糾するかと思った。

もちろん、人を傷つけたり、いじめが起きたりすれば、これは「厳しく」話をするし、子どもにも話をさせ、詰めていくときもあります。決して人の道は踏み外すな!という感じでしょうか。

しかし、
〇宿題を忘れた
〇掃除なのに適当にやっていた
〇授業中に関係のない会話をした

くらいで、叱ることはしません。

学校教育は大きく2つのやり方があります。
「叱る」教育と、「叱らない」教育です。
そのうち、わたしがとるのは、「叱らない」教育だ、ということです。

「・・・↑という感じで進めたいんだけどね。どうでしょうか。先生方の忌憚のない意見を聞かせてください。年度の初めだからこそ、もとのところを確認して進めたいのです」

みなさん

「基本、叱らないでいきましょう」

だって。

どうなってんの?


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CANVAでポスター展をはじめてみた

CANVAという、動画や音声、写真やテキストを効果的に使って作成する、プレゼンテーションや広告?に特化したアプリケーションがありますね。

それを使って、子どもたちに表現させる、というのが始まっています。

作品例をつくってみました。

リンクを貼っておきます。
https://www.canva.com/design/DAE7VPbDwGI/Sqa4pbtx-T0I5fm-oCbEbA/watch?utm_content=DAE7VPbDwGI&utm_campaign=designshare&utm_medium=link&utm_source=publishsharelink

子どもたちが、学校を紹介するビデオをつくったり、
自分の興味のあることを仲間にプレゼンしたりするのに使えそう。
なんとなく、簡単なプラットフォームで、おそらく子どもは直感的にいろいろとつくることができるだろう。
音声も動画も写真もテキストも、なんならGIFアニメーションもOKだ。

ちょっと導入に意欲がわいてきた。

龍の道

仮説実験授業~電球が光るだろうか?~

理科を教えていない。
今年から。
なぜかというと、文科省がある計画を持っていまして。
小学校も、一部、中学校のように「教科担任制」にしようとしているのです。
(教科担任制の大きな目的は、児童に対して教員がチームで対応するためだそうです)

私は今年、理科と外国語と音楽は担当しなかった。それぞれ、他のクラスの先生と、交換したのであります。わたしはその代わり、図工を4クラス受け持ち、算数も3クラス受け持ちました。こうすると、やはり効果はありまして、理科の準備をしなくて済むのは、これは非常に「時間を生みました」。

自動車で例えるなら、高速道路をつねに5速・150kmで1年中、ずっと走り抜けるような感じはなくなり、時折、人間らしく40kmくらいの時速で、まわりの景色の様子もみながら、3速くらいで走れるような気分さえしたのですね。
だから、他の学年でヘルプが出るとかけつけることもできたし、周囲の先生がお休みされたら、その分もかなりサポートすることができました。コロナもあったので、「とつぜんの休み」というの、今年は多かったですからね。

ただし、理科を教えなかったのは、ちょっと残念なことでもあります。
だって、理科、たのしいからね。

だから、卒業前に、わたしが理科の授業をしました。
子どもたち、驚いていましたよ。
新間先生は理科ができないんだ、と思い込んでたって。

実際にはもう教科としての理科の授業は終わりになっていて、他の科目も終わっているために、時間がうまれました。卒業式の練習も、しゃかりきになって「返事の練習!」と怒鳴り散らす雰囲気もないですし、のんびり仮説実験授業でもやろうか、と。

これは盛り上がるのですよ。もう、台本と流れができあがっていて、その通りにやればどの先生が進めても、子どもたちは自立して考えていきます。本当は、学習というのはこういう思考の流れが必要なのでしょうね。理にかなっているのだと思います。子どもの反応は、仮説実験授業はぴかイチです。

さて、以下がその進め方。

100V電源につないだ、テスターを用意する。
回路には、電球がつながれている。
この電球は、5WとLEDの電球の2種類を用意した。
電気が通じれば、電球が光る仕組みだ。


回路の途中に、さまざまなものを挟んでみる。


①金属スプーン

「スプーンを、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

予想をノートに書かせる。
となりの友達にも、書いた予想を見せて、お互いに確認させる。

「では、やってみます」

電気がつうじて、電球が光る。

「光りました。ノートに、金属スプーンは電気を通す、と書きなさい」

②10円玉

「10円玉を、回路の途中に挟みます。電球は光るでしょうか?」

これも予想を立てさせる。
ほとんどの子が、光る、と書く。
やってみると光る。結果を書かせる。

③1円玉

これは、意見が分かれる。
同じようにさせる。
光る。
ノートには、『1円玉は電気を通す』と書かれることになる。

④5円玉
⑤100円玉
⑥1000円札

「紙は電気を通さない」
「お金のインクも電気を通さない」

⑦アルミホイル
⑧銀の折り紙
⑨金の折り紙

「金色の折り紙は、やすりでけずって銀色にすると、電気を通す」

⑩お菓子の材料の【アラザン】

「これは砂糖の粒の表面に、銀が塗られています」

⑪銀色のマーカーで書いた線

ここまでで、まとめを書かせる。
ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属は電気を通す。銀色のものが多い。金属では自由電子が動くので、電気を通すことになる。銀色の顔料マーカーは、アルコールが主成分の顔料だから、電気を通さない。


⑫えんぴつの芯

鉛筆をどろぼう削り(両端を両方とも削る)にして、両極から電気を通してみる。

「金属は電気を通しますが、グラファイトとよばれるものも、電気を通します」

ちなみに、鉛筆で回路を描くと、その芯の線上には微量だが電気が流れる。
このことから、鉛筆で書いた安価な電気回路もできると思う(思うだけ)。

⑬カレー(麻布十番ビーフカレー、というやつ)

麻布十番ビーフカレー、というカレーが売られている。
買い物中、なんだかピカピカ光る箱があるので、よく見てみると、カレーの箱だ。
ロゴの部分が、ピカピカしてる。
「通電するんやないやろか」と怪しみ、買ってみた。
その箱のロゴの部分、けっこうメタルな色である。これに、電気が通るか?

麻布十番カレー
麻布十番カレー



これ、見事に電球が光る!(ちょっと、オドロキ!)


⑭レモン

「カレーのついでに、果物を買ってきました。果物には、電気が通じるでしょうか」

これは、なんだかみんな通る、と確信している。
なんで?と聞くと、
「すっぱいから。すっぱいものは、電気を通す。だって、ポカリスエットは電解うんたらって言うし」

結果、見事に通電!

⑮グレープフルーツ
⑯バナナ
⑰きゅうり

「野菜はどうでしょうか」

⑱ナス
⑲じゃがいも

ここまでで、さらに突き詰めて書かせる。

ひと言で、【結局、どんなものが電気を通すと言えるか】を書く。

金属とグラファイト、そして野菜や果物は電気を通す。


教師「金属は、もともとどこにありましたか?」

子「地面の下。土のなか」

教師「そうですね。グラファイトも、山の中の天然の鉱物から採れるものです」
では、じゃがいもはどうですか?」

子「土の中です」

教師「果物も、土の中から栄養分を取り入れて、実がなったものですね。
では、再度、さらに突き詰めて、書いてみてください」

金属とグラファイトはどちらも地面の下や土の中からとれるもので、電気を通す。また、野菜や果物も、土の中から栄養を取り入れていて、電気を通す。


教師「では、野菜を食べている人間は、電気を通すでしょうか」

子「通す。だって感電する」

教師「そうだね。実験したいけど危険だからやりません。その代わり、肉に通してみよう」

⑳肉(魚)

イワシをまるごと一匹買い、アタマと背中に電極をさした。
・・・通電。(無事に光る)

教師「海や土で出来た物を食べているから、動物も魚も人間もみんな電気を通すのでしょうかね?」


「では、土って、電気を通すでしょうか?」

⑳土を溶かしたどろ水

「では、ただの水は、電気を通すでしょうか?」

㉑水道水

最終的な結論と、明らかになったこと、自分自身でこれはそうだ、と
言えることを考えて、最終的な自分の結論を書かせる。

【結局、どんなものが電気を通すと言えるのですか?】

「地球の自然界、土や海で自然に出来るほとんどの生もの(ちょっと水分のある感じのもの)、そして金属やグラファイト、が電気を通す」

最後に感想を書かせて、終わり。

漢字ドリル・漢字スキルは友達といっしょにやる件

わたしはこれまで、学期末の漢字テストは、練習プリントをたくさんさせたり、まあふつうに宿題としてノートにたくさん書かせたり、というようなことをやってきました。多くの先生がごくふつうに実践されているようなことです。これはこれで大事です。

しかし、実際はかなり、子どもの尻を叩くのですよ。やれ、やれ、と。
それに疲れましてネ・・・

で、ふと休日に気休めに読んだ、イヴァン・イリイチの「脱学校」だとか、ロイスホルツマンだとかのせいか、教師の指示が先に来るよりも、やはり社会的な活動と、そのふりかえりが大事なことだと思い至ります。

まずは活動➡ふりかえり➡なにか思うことの言語化(自分なりの内言化)➡自分なりの個別最適化計画➡他者との共同的な課題を含む活動➡ふりかえり➡・・・くりかえし

これを漢字学習に当てはめてみたらどうなるか、という思考実験をした。

そして、最初に漢字学習について思うことを言語化してもらった。
(これはみんなおりこうさんのふりをしていて、がんばります、というようなことが多かった)

つぎに、個別最適化計画を立ててもらった。
どのくらい、1学期の漢字を書けるようになりたいか。
どのような学習を自分で行っていくのか。

すると、それなりに自分で計画をしていく。さすが6年生と思いましたよ。

ただ、その後の実践が、やはり個別であります。
するとね、やはり、ごほうびがないと、できない子が多い。
たった今、漢字の学習をすると、楽しいだとか、ごほうびがないと、なかなか。

それで、これを個別でなく、共同でさせることにした。
お互いに、漢字スキルの1ページ目、2ページ目、というふうに宣言をさせ、宣言をお互いに聞き、それを家で実際に進めてくるとか。

あるいは、1ページのうちから、2つ問題を選んで出し、目の前で指で机の上などに書いてもらうとか。書き順があってるか、正しいか、熟語を2つ言えるか、など、クイズのようにして出してもらう。

うちのクラスは、これが楽しかったみたい。
で、友達だれでもいいから、2問出してすらすら書けたら、次のページに進んでよい、というふうにしたの。

そしたら仲の良い子にずるして教えてもらってパスして、どんどん進める子もいるのね。

しかし、途中で厳しい点検テストをすると、そういう子は本当は覚えていないから、書けないわけ。

そのときに、静かにふりかえる時間をとりまして。

まずはノートに、自分が今、漢字学習について思うことを正直に書く。
これは、しっかりと言語化できる子は、本当にこころの内情を、リアルに言語にできる。
そうすると自然に、自然にですよ、本当にクリアに、

つぎはこうして学ぼうと思う

という展望が、かけるんですよ。これは不思議ね。

ただ、このときに先生に対してかっこつける子は、「次はがんばる」程度で、適当な作業をつづけちゃう。
こういうタイプは、なんだろうか、漢字学習はぜったいに楽しくない、という思い込みで生きているような感じがする。他の子がやってみたら面白かったし、覚えられて書けた、うれしかった、と書いているのとは、対照的でした。

ここでわたしが大事にしたのは、

今回の学習の、なにが良かったのか、を明らかにすることでした。

幸福はいずこにありやと見つけ出し、というところでしょうかネ。

すると、休み時間にクイズのようにして友達と遊んだことや、家でもお姉ちゃんにやってもらったとか、たくさん自分のやり方を、こうやった、ああやった、と言うのです。
苦手な字がなかなか覚えられない。でも何度も書くと疲れるからでっかい字をポスターのようにして壁に貼ったら、すぐ覚えられたとか。
あとは、同じプリントを10枚くらい印刷して、それをテストを10回やったら完璧になったとか、すごい学習法が出てきました。

これ、自分で考えているところがいいでしょう。それも友達の意見を参考にしながら、自分でも考えて開発しているところがいい。

そして、先生、ぼくもやるから、〇〇くんと同じページを10枚プリントしてください、という子が出たり、ふたりで「あしたまでに覚えよう」とか言い合ったりとか。

これは単純に、おもしろいですよ。友達とタッグを組むのは、楽しい。

で、あとはときおり、「どう?」と聞いて、頃合いを見て「点検テストするよ」という感じ。

わたしが注力したのは、自分が活動の後に思うことを、しっかりと言語化できるように声をかけた、というところです。書いたノートを集めて、読んで、中身についてちょっと声をかけてくわしく聞いてみたり、「ああ、今言った、そのことをノートにも書いておくといいよ」とか。

とにかく、自分が漢字学習について、どのようなポジションにいるのか、どのような計画でいるのか、どのような「思い」をもっているのか、言語化させること。

これがないと、やはり個別最適化とはいえないと思う。

個別最適化のスタートは、言語化です。

そして、友達のアイデアと自分のアイデアをぶつけること。かけあわせること。そして具体的に成長させること。決して、ひとりの思い込みで勉強は進めるな、と注意した。

これが、共同的な学び、です。

するとね。抜き打ちのテストで、90点以上がばんばん出た。
これ、以前から書きたかったけど、本当の結果が出てからと思って書かなかった。
でも3学期のまとめのテストがけっこう良かったから、書きました。

いちばんいいのは、「漢字は今年はすごく楽しく覚えられた」と振り返っていた子がほとんどだったことです。たしかに、「まだ苦手です」もいますけどね。

来年も、これやろうっと。

木もれ陽のシーサー

【6年・社会】国際連合の働き~パワポDL可能~

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この切手、なにを示しているのだろう?

ユニセフの切手


ユニセフと書いてある。
子どもと母親だと思う。
なにか英語の書いた荷物を持ってる。
喜んでいる?
なにかもらってうれしい。


そうだね。
これはユニセフという国連の組織について描かれた切手だ。
ユニセフは、戦争などで食糧の貧しくなった国の人々や子どもたちを救うためにさまざまな支援を行っている。

さて、1996年に、「ユニセフ50周年」という切手が発行された。
ということは、ユニセフがスタートしたのは?

1946年!

そうだ。あれ、1946年というとどんな年なのだっけ?

戦争が終わったすぐ。

世界を巻き込んだ世界大戦が終了した。日本も太平洋戦争での終戦を1945年に迎えている。
その直後、世界中はどんな様子だっただろう。

このとき、日本は貧しく、食べるものがなくて日本の国民のほとんどが飢えているような状況だった。ユニセフは、日本を支援しただろうか?

支援したと思う人? 多数
思わない人? 数人

ユニセフは日本を支援した。
具体的にはアメリカから脱脂粉乳や小麦粉、トウモロコシの粉などが送られ、そのおかげで都会の子どもたちは学校で食事することができた。(ユニセフ給食と呼ばれた)
1949

学校給食はこの時、パンと牛乳、というセットを初めてスタートさせたんだ。この影響が今まで続いている。

さて、あらためてこれまでの学習を振り返りたい。
先ほど、ユニセフが日本を支援したのは 1946年ごろ、ユニセフがはじまってすぐ、ということだったね。(はい)

しかし、以前の学習では、日本が国連に加盟したのは・・・いつだったかな?

あれ。もっと遅いはず?
GHQの占領で、憲法ができて、サンフランシスコ平和条約を結んでからだから・・・


そうだね。サンフランシスコ平和条約の締結が1951年9月。
そして加盟を許されたのが1956年だ。

つまり、ユニセフは、国連にまだ加盟も許されていない時期に、すでに日本に対してたくさんの援助をしてきたことになる。

さて、国連の組織にはまだまだたくさんのチームがあり、それぞれたくさんの仕事を進めている。
他にはどんな組織があり、はたらきがあるんだろうか。

国際連合加盟切手


この切手から気づくことは?

マーク。
国連の旗。


そうだね。国連の旗だ。北極が真ん中で、どの国が中心になる、ということにはなっていない。
その地図のまわりに、平和をあらわすオリーブの木がデザインされている。つまり、国連がめざすのは、「世界の平等と平和」ということ。

このために、さまざまな働きをするけれど、たとえば最近ずっと続いている「コロナウイルス」についてはどうだろうか。

国と国をまたいで、大きな世界的な問題になっている。
これについて、国連はどう対応していくか。
聞いたことがあるかな? WHO。世界保健機構だ。

では、世界遺産を決めているのは?
そう。ユネスコ、という。

世界の多くの国を巻き込んでいるような課題というとどんなのがあるかな?

ウクライナとロシアの戦争!

そうだね。まさについ最近のニュースだ。
ウクライナの街が爆撃を受けたり、攻撃されている。
すると、そこでは住めないから、国から逃げ出す人もいる。無理もないよね。
国連はそういうとき、人の命を救うのが使命なのだから、特別にこの人たちを「難民」と呼んで、国の境をこえて、助けるようにする。それが国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)だ。

ウクライナから隣のポーランドという国をめざして逃げていく人たちが大勢いる。
国境を超えるのにはふつうはいくつも手続きが要るんだけど、国連が間にはいって、この人たちの安全を確保するために、さまざまに活動し、支援している。

UNHCRは人道的見地から、紛争や迫害によって故郷を追われた世界の難民の保護、難民問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整する任務を負っている。

nanmin_family_sad


これからの時代、みんなが国連に「こんな活動をしてほしい」ということはあるだろうか。
ノートにたくさん書いてみよう。

【6年・社会】サウジアラビアを知ろう~パワポDL可能~

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統的な服装を見よう

どうして頭からすっぽり覆うのだろうか

気候をみてみよう

どんな特徴がある?

砂漠の気候に対応するための工夫がたくさんある服なんだね

すばらしいお天気ですね、というのは日本ではどんな天気の時?
サウジアラビアではどういうときだと思う?

雨のときでした。

サウジ料理1


どうして外出するとき、女性は顔まで覆うのだろう?

イスラム教が関係していた

こんな厳しい教えがあるらしいけど、みんなだったらどう?

でも、今のサウジアラビアの人たちにきいてみると、どうやら良いこともあるようだ。

さて、イスラム教の人口は世界でも2番目に多い。

メッカはどこにあるか、地図帳でしらべよう

ここに向けて、みんな祈っている

さて、サウジアラビアはこんな国だ。

日本じゃ考えられないほどに豊かだ。

なぜだろう?

年間13兆円が儲かる。まさに石油は天の恵みだね。

日本はどんな国から石油を買うのだろう。

サウジアラビアが一位。

他にも、ほとんどが中東とよばれる地域から買っている。

場所を確認しよう。地図帳では何ページ?

大陸と大陸の間だね。
アフリカ大陸とユーラシア大陸の中間にあるよ。

ここを中東という。
そして、ほとんどが産油国だ。

タンカーで日本に運ぶけど、日本に向けて何隻あれば運べるかな?

1日に1隻以上が入港している。

全部で数百のタンカーが、ほぼ毎日、日本に着く。

この道をオイルロードというよ。

しかし盗賊がでるときがあり、日本はこの地域の政府と相談しながら、気を付けて運航している。

【6年・社会】朝鮮と韓国を知ろう~パワポ資料DL可能~

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となりの・・・

つづきは、なんだと思う?

トトロじゃないよ

そう、となりの国って?

アメリカ?
中国?


けっこうあるよ。

・ロシア
・朝鮮
・韓国
・台湾

海を隔てた向こうも数えると、太平洋の向こうにはたくさん。
近所だと、こんな感じ。

この国、わかる?
オリンピックでの入場行進だ。

地図帳でしらべよう。
わかった?

そう。朝鮮半島だね。
こたえは、
北朝鮮民主主義人民共和国と
大韓民国だ。

もともとは一つの国だった。
かつて、日本が占領し、統治していたこともあるよ。
植民地にして、日本語をむりやり話させたんだったね。

太平洋戦争の後、2つの国に分かれて独立した。
朝鮮戦争もあったから、ややこしいことになった。
この写真は、国境を示している。

しかし、写真にあるように、実はお互いに親戚だった人もいる。
国は分かれても、統一を願っている国民は多いんだ。

さて、日本とくらべてみると、どんな違いがあるだろう。
たとえば、白菜。どうやって食べている?

韓国では、キムチにする。いろんな味付けを加えるようだ。
日本では、ぬか漬けにするけどその後洗って食べる。ずいぶんシンプルな味つけだね。

似ているけどちょっと違う。
それが「ご近所らしさ」なのかもしれない。

韓国の伝統的なくらしを見てみよう。
有名なのが、オンドル。
建物の床が、とても暖かくなっている。
だから、床に直接寝た方があったかい、ということもあるそうだよ。

この服装は見たことがある?

そうだね。チマ・チョゴリ。

timachogori


文字は?

ハングル文字は、日本で言うとかなのようなものだ。
漢字も使うけど、一部のようだ。

おもしろいのは、似ている言葉がたくさんあること。
たとえば、日本語の感謝。
韓国だと「カムサ」と発音する。かんしゃ、と似ているね。

日本と半島はずいぶん関係が深い。

もともと半島から日本に渡ってきた人はとても多いから、百済とか高麗とか、日本に地名がたくさん残っている。埼玉県には、高麗神社もあるよ。西日本には巨摩(こま)郡があり、東日本にも高麗(こま)郡がある。
『続日本紀』には、駿河甲斐など東国に高麗人一千七百九十九人が移住し高麗郡を設置した、とあるようだ。われわれのご先祖には大勢、半島からやってきた人がいたみたい。

朝鮮や韓国について、しらべてみたいことがあれば、ノートに書いてみよう。

【6年・社会】中国を知ろう その2~パワポDL可能~

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これを知っていますか?

百力磁

なんのことだろうね?

これは?

小熊餅

わかりますか?
もともとは日本のものです。


百力磁は プリッツ。
小熊餅は コアラのマーチ。

日本のお菓子を、中国の人たちもたくさん食べているんだね。

さて、日本のものをたくさん買っている国はどこだろう。
アメリカ?それとも中国?

最近の統計。2020年のデータだよ。
一位は中華人民共和国。
中国がもっとも日本のものをたくさん買ってくれる国だ。

逆に、日本がいちばんたくさんモノを買う相手の国はどこだろう?
アメリカ?それとも中国?

これも中国だ。

では日本は中国からいったい何を買っているのだろう。

スーパーなどで買い物をするとき、どんなものが中国産だろう?
また、テレビで中国産として紹介されているものを見たことがあるかな?

・スマホ
・洗濯機
・テレビ
・魚
・うなぎ
・野菜
・お漬物
・冷凍食品
などたくさん。

資料集には、

・大豆
・とうもろこし

も載っている。

これらは、アメリカからも買うし、中国からもたくさん買う。
日本人は、どうやら「大豆」をたくさん使うみたいだ。何に使うのだろう?

そうだね。大豆は日本人の食卓にたくさん出てくる。
・豆腐
・味噌汁
・納豆

とうもろこしも、お菓子をはじめ、人間が食べる場合もあるし、
飼料として、つまり家畜に食べさせるためにもたくさん買っているよ。

中国は昔から輸出が盛んだったのかな。

これを見ると、どうやらここ最近の10年間で日本を追い抜き、トップに出てきた。
(日本はこの10年間で逆に、どんどんと順位を下げたよ。ざんねん!!)

今、中国ですごく工業が盛んになっている都市がある。

1つめの有名な場所は「上海」しゃんはい。
2つめは「深セン」だ。シェンチェン、と読むよ。

この2つ以外にも、どんどんとたくさんの都市が、新しい工業都市として誕生している。

ただし問題もある。
大気汚染だ。

とくに冬はみんなが石炭で建物を暖める。
それで、大気汚染がひどくなっている。

中国のことで、しらべてみたいことはあるだろうか。
自分でも「自主学習ノート」にしらべてみたことを書いてみても良いね。

【6年国語】海の命〜なぜクエを殺さない〜


授業の流れについては、上記のような過去記事がいくつかありますので、みていただくことができます。

なぜ殺さなかったか、ということに焦点を絞って、2時間の大討論を繰り広げた。
みんな、言いたい放題。
持論を述べる姿も堂々としてきたが、あいにくそれをまったく聞いていない子もいて、かなりカオスである。このあたりの交通整理が、もっとうまくできたらなあ、というのは私の教師としての反省だ。ずっと以前からの。

つい、教室の真ん中で、腕組みをして黙ってしまうんだよなあ。みんなの話にうなずきながら・・・。しかしそれでは、強力に論を整理することができない。あっちへふらふら、こっちへふらふら、という話し合いだと、子どもが疲れてしまう。

面白いのは、「なぜクエを殺さなかったのか」という問いに対して、
「本当に分からない・・・殺せばいいのに」という子もいたことだ。
その子は、「ぼくは太一の行動に反対だ。殺すべきだった」という説を最後まで曲げなかった。
この意見はかなり討論の場においては有効で、多くの子の考えを深めた。
なぜ、という問いよりも、一時は「太一の行動に賛成か反対か」という討論も出現した。
しかしそのおかげで、
「クエを殺すべきだ、というのは、途中まで本当に太一が心で思っていたことだろう」
ということを、その後、クラスの大半の子が考えるようになった。ぎりぎりまで、太一は本気でクエをねらったのである。

さて、それにしても、太一は最終的に、クエを殺さなかった。
これはなぜだろうか。

多くの子の意見は、
「クエが父親に見えたからだ」
というものだ。

しかし、それだと辻褄が合わない。
太一は、もっと以前に、モリを足の方にどけるのである。
ふっとほほえむ。そのとき、すでに殺意はないのである。
太一がクエを父親だとみる、その行為よりも前から、たしかにあったはずの殺意が消えている。
だから、最初にモリを足の方にどけたのはなぜか、というところに、問題の焦点はうつっているのである。

そこまで考えてから、再度、ノートにまとめてもらった。
言いたいことをすべてノート記述にぶつける気で、とうながすと、みんな猛烈な勢いで書き始めた。
クエ

【Aさんの考え】
太一がクエを殺さなかったのは、「このクエを殺すことは、自分のために殺すのだ」ということに気づいたからだと思う。
 鯛を20匹取るという行動は、漁師としての行動で、太一だけでなく、他の人のためにもなる。だから鯛を20匹取るという行動は、はっきりいえば、人が生きるためだ。
 しかし、太一がクエを殺すことは、太一のお父さんの敵討ちのために殺すため、太一自身のために命を奪うことになる。
 教科書の221ページを見てほしい。与吉じいさが「千匹に一匹でいいんだ。千匹いるうち一匹を釣れば、ずっとこの海で生きていけるよ。」という言葉は、漁師として命を奪うことは仕方ないが、それ以外で無駄に命を奪うことはしてはいけないという教えだ。この言葉が太一に「このクエを殺すことは、自分のためだけに殺す」ということに気づかせたと思う。

【Bさんの考え】
わたしは、本当は太一は、クエを殺したかったのだと思う。それでも太一はクエを殺さなかった。それは、与吉じいさの言葉を思い出したからだと思う。
与吉じいさは、「千匹に一匹でいいんだ。千匹いるうち一匹を釣れば、ずっとこの海で生きていけるよ」といった。与吉じいさは無駄に釣らなくても自分が食べる分と少し売る分だけ釣れば生きていけると考えていたのだ。
それに対して、クエを殺そうとしたときの太一は生きていくために釣るのではなくおとうの敵討ちのためにクエを殺そうとした。そのとき、与吉じいさの言葉を思い出して命を無駄にしてはいけないと殺すのをやめたのだ。

【Cさんの考え】
殺さなかったのは、与吉じいさ(師匠)の教えを破ることになるからだ。
与吉じいさの教えは、「千びきに一ぴきをつる」「海の命をもらって自分たちは生きているから海に感謝して命を無駄にしてはだめ」という教えだ。
太一はクエを見たとき、「仇」としてクエを殺そうとした。それは命を無駄にする行為で、自分の勝手で命を奪う行為になる。それは教えを破ることなのだ。
それに、太一は教えの通り「殺したいから殺す」「自分のために殺す」では殺してはいけないと思っている。だから、最初は「自分のために殺す」をしようとしたけど、クエの目が、殺されたがっているような目に見えてから、教えを思い出して思いとどまった。立松和平さんが、クエの目を「殺されたがっている」ように書いたのは、太一が自分の欲に負けてしまいそうになる誘惑を書いたのだと思う。でも、そんなはずはない。殺されたがっている魚など、この世にはいない。でも、ついそう見えてしまうほどに、人間は欲望に負けやすいのだ。太一はしかしそこで自分のおかしな欲望に気づくことができた。
他の人がクエの目を見たら「睨んでいる」「戦おうとしている」などと見えるのがふつうだろう。でもそれを、「殺されたがっている」と見てしまうくらいの、奇妙な「見え方」。それがあまりにもおかしすぎると、まだ太一は気づくことができた。太一は人として、おかしくなりすぎてはいなかったのだ。
だから、太一はクエを殺さなかった。

【Dさんの考え】
理由は、クエを取ろうとするのは、太一の気持ちだけだったからだと思います。
なぜかというと、与吉じいさは千匹に一匹、飢えないようにとるだけなのに、太一の気持ちは「この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだ」というように、太一だけのためだったので、それで命をとるのは間違っていることだと気づいたからだと考えます。
だから、太一はクエを殺さなかったのだと思います。

【Eさんの考え】
立派な漁師になるため、与吉じいさが教えてくれたように、クエを殺さなかったのだと思う。
与吉じいさの言葉「千匹に一匹でいいんだ、千匹居るうち一匹を釣ればずっとこの海でいきていけるよ」の言葉が鍵になる。与吉じいさは漁が目的、太一はクエを殺す事が目的。太一は与吉じいさと目的が違うのだ。そのことに、太一は気付いたのだと思う。
クエを殺さなくても立派な漁師になれる事、クエを殺すのは与じいさが言う立派な漁師になれない事も、気づいている。だから、私は太一がクエを殺さなかったと考える。

と、ここまでがノート記述である。

わたしが特にするどいと感じたのは、Cさんだ。
魚が自分から殺されたがっているなんて、見えるわけがない。
その奇妙な、病的な、おかしな見え方。
そのことに、太一自身が気づくことができた。
「おれは、なんのためにこの魚を殺そうとしているのか」
そこで、太一はハッとする。

魚を殺すには、理由が要る。
太一はそう考えている。
理由もなく魚を殺すのは、殺人鬼ならぬ『殺魚鬼』だ。
与吉じいさは、鬼にならぬように、太一に語りかける。「千匹に一匹でいいのだ」と。

太一は、「おれが殺したいから殺す」という理由で殺しはしない。
おれが殺したいから殺す、というのも、鬼なのだ。
太一は、鬼になることを、すんでのところで回避できた。
「殺す」と決めてから、今までの長い日々。
高まっていた殺意。
いよいよ、となった瞬間。
まるで電撃のように、太一は「殺すべきでない」という直感に打たれるのだ。
(↑この一文、どうも鬼滅をイメージする。「海の命」は元祖鬼滅!?)

Cさんは、そんなようなことを、自分の文章の解説で、みんなに言ってくれた。
きょとんとして意味がわからない子もいたと思うが、深くうなずいている子も多数いた。

ここまで深く読み取ることができたのも、クラスの子たちの活発な意見が助けになったろう。
Cさんも、単独一人ではここまで追究できなかったにちがいない。

【6年・社会】中国を知ろう~パワポDL可能~

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中国の人口と広さを確認しよう。

⇒地図帳で枠取りをする。マーカーや赤鉛筆でふちどる。

いろんな国と、国境が接している。
国境をめぐるさまざまな問題を抱えているんだ。
日本も領土問題があるけれど、日本と比べても、もっと大変そうだね。


人口は?

13億を超える。世界第一位の人口だ。

昔、人口が多すぎるということから、
今はもうなくなったけど、ちょっと意外な法律ができた。
知っている人?

ひとりっこ政策。

しかしこれは問題がたくさん。
どんな問題が発生したと思う?

そうだよね。隠すよね。
世間からかくして育てる人が出た。
そうなると普通に暮らしていくことができない。
学校にもナイショ、通えない。

やがてこの法律はなくなりました。
でも、人数が多すぎる、というのは国にとってはいい面だけでなく、
ちょっと厄介な面もあったようです。

さて、お札を見てみよう。
気になるところはある?

この人は?

毛沢東(もうたくとう)。
今の中華人民共和国をつくるときに、中心となって活動したメンバーだ。

壱圓とは?
いちげん、と読むよ。
18円くらい。今のレートで。

裏を見てみよう。
なにか気づくことがある?

そうだね、たくさんの種類の字がある。
これは、言語がたくさんある、ということと関係があるよ。
実は中国は、一つの民族ではない。多民族国家だ。

中国漢字もあるが、モンゴル語やチベット語などもきちんとお札には書かれている。

多民族国家だと、どんな問題が起きるかな。
そうだね。政治がうまくみんなにいいような政策をとっていかないと、一部の人だけを優遇していたらぜったいに不満が生まれ、うまくいかない。
多民族国家は、どの民族にとってもいいように、うまく政治を進めていかなければならない。

アメリカの農業も見たけど、中国の農業も見てみよう。

餃子


その前に、中国で一番食べられているのはなんだろう?
①米 ②小麦 ③大豆

これはきちんと調べられていないから、実はわからないんだ。ごめんね。
でも、どれもたくさん食べられているのは間違いない。

中国の北部では小麦を使っためんやマントウ(中国の蒸むしパン)、南部ではお米が主食。中国のお米は日本のお米に似にた品種で、たき方も味も似にている。中国ではお米をおかゆにして食べることも多い。

さて、ここでクイズ。
料理名、材料、地域をすべて答えられるかな?


【6年・社会】アメリカの農業をしらべてみよう

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アメリカの畑に、こんな形の畑があるよ。どうしてだろう。

なにを栽培しているのだろう?
どうして丸いのだろう?
理由を予想をしてみよう。

ロッキー山脈のふもと、カンザス州。
もともと雨が降らない土地だけど、地下水はある。
ここで農業をするには・・・スプリンクラー!

【動画視聴】160087289204187400



アメリカから日本へ輸入されるものは何だろう?
どちらのグラフが、そうだと思うか。

アメリカから日本には、資源(ガス)や石油などに加えて、食料になる穀物や肉類が多く輸入されている。総額は、年間1兆円近くにもなる。これは世界でもとびぬけている金額。
日本人は「食べること」には、お金をかけるんだね。
 ⇒一方で、フードロスの問題も日本がもっとも深刻。


逆に、アメリカが日本から買うものは?

自動車、機械製品、化学製品など。
精密機械の部品などは、逆に日本がアメリカから買っているものもある。

日本がアメリカから影響を受けた文化やモノって?

セブンイレブンなど、コンビニエンスストアが24時間OPENしているのも、アメリカが始めた。
日本にそのやり方を持ってきたんだね。日本の酒屋さんや米屋さんが、コンビニエンスストアに切り替わっていったのが、1980年代だ。

ディズニーランド、スタバ、ジーンズなどもアメリカの発祥だね。

あとは?

スポーツ。
スポーツの多くはアメリカやイギリスが発祥だ。オリンピックの競技種目のほとんどは、アメリカやイギリスがはじめたスポーツだね。

左がベーブルース。100年前のプレーヤーだ。
大谷選手は、ベーブルースと比較されているね。

【6年生・国際社会と日本】アメリカと日本

★アメリカ合衆国について調べよう

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アメリカの土地はどこ?
地図帳でしらべよう

アラスカとハワイもアメリカだ

面積と人口は?

軍事力は?

広くて、人数も多くて、他の国へまで影響を及ぼす国


どんな人たちが住んでいるのだろう?

アジア系(もっとも多い)
ヨーロッパ系
メキシコ系
アフリカ系

多民族国家とよばれているよ

なぜそうなったのだろう?

移民がたくさんきた国。
もともと住んでいたのは、先住民族

どんどんと国を広げ、州を増やしていった。

国旗の星の数が増えていった。



アメリカの小学校のランチをみてみよう。
感想は?


汁ものがない。
あたたかい汁はなさそう。

ランチは全員というわけでなく、食生活が一人ひとりちがうから
何を持ってきても良い。お弁当でもよいしカフェテリアでランチでもよい

日本との違いは?

日本人が知らない良さ、気が付いていない良さもたくさんあるかも。
逆も言えるね。

お互いのことをわかりあおうとすることを、「異文化理解」というよ。

【6年・国語光村】海の命で5年大造じいさん登場

「対比」を使って、海の命の学習を進めている。
「海の命」と何を比較したか。
5年生で学習した「大造じいさんとがん」だ。
既習事項と比較することで、どんな教材にも挑戦していける、という自信を持つためである。
これまでの力を生かすことで、困難に立ち向かえる、という自信は、人生にとって必要だ。

比較

大造じいさんは、残雪が仲間を救ったばかりか、最期のときを感じて威厳を崩さずにいることに感服し、そのまま残雪を殺さず、堂々と戦うことを願った。
だから、直前まで本当に殺そうとしていた。

「もしはやぶさが現れなかったら、殺しただろうか」

そのままきっとオトリを呼び戻して向きを変えさせ、残雪を撃っただろう、というのが児童の大半の見方である。

対して、太一の方はどうか。

残雪をしとめる気でいっぱいだった大造じいさんの情景描写には、真っ赤な太陽が(あかつき)強烈な光をさしてくるイメージが使われている。
これは、いわゆる「大造じいさん目線」である。

〇〇目線、というキーワードについては、5年生のときの「なまえつけてよ」で既習済みだ。



「なまえつけてよ」は、地の文にある表現もみな、主人公の春花の目線で書かれていた。
勇太が、プイッと横を向く、と地の文に書かれているけれども、勇太はものすごくやさしい子で、実際にはそうではなく、春花に迷惑をかけないための所作だったわけで、プイッと見えたのは、あくまでも期待していた春花のざんねんな気持ちが『そういうふうに見た』わけで・・・。

そこから、物語文の地の文にも、主人公の目線がふくまれている、というのを習っていた。

では、太一はどうだったか。
どうみても、クエが戦闘的に見えないのである。
敵に見えない。
おとなしく、じっと「殺されたい」と見えるほどに、やさしい目つきで太一を見るのである。

これは、実際にクエがそうであった、というではなく、太一がクエをそう見ているから、クエがやさしい目つきに思えるのである。

だとすると、大造じいさんと太一は、決定的にちがうことがある。

じいさん⇒戦う意識
太一⇒1000匹に1匹でいい この海でずっと生きていきたい


太一の意識がこうやってどんどんと浮かび上がってきた。
太一には、「敵」「味方」の区別すら、もうすでになかったのである。

【小6社会】国旗を通して世界を知ろう

国旗を通して、世界の国々を知ろう

似ている国旗がたくさんある。
それぞれどんなところが似ているだろうか。

気づいたことをノートに書こう。

気づいたことを隣の人と相談してみよう。

地図帳をみて、なんていう国か、見つけよう。

どんな場所にあるのか、どんな人達が暮らしているのか、
どんな生活を送っているのかなど、想像してみよう。

気づいたことをたくさん発表してみよう。

どこか、この国にぜひ行きたい、という国をひとつ、発表しあおう。


【6年歴史】戦後の米ソ冷戦と沖縄

発問と流れ

ゴジラ水爆沖縄


1 恐怖におののく人々。なにを見ているのだろう?

2 写真をみて気づくことを。

3 水爆の説明

4 アメリカの実験と考え

5 米ソの冷戦とは

6 平和条約はソ連とは結ばなかった

7 沖縄県はどうだったか

8 写真をみて気づくことを。

9 日本語を守る取り組みについて

10 米軍基地は残された

11 ふたたび、なにか気づくことは?

12 なぜ戦闘機?なぜ日の丸?

13 自衛隊がつくられた背景にある「朝鮮戦争」

14 人間は戦ってばかり。ゴジラはどう思うだろう?

15 人間は戦う歴史と戦わない歴史とどちらが長い?

16 縄文時代の平和はもう戻らない?

【6年歴史】太平洋戦争学習の記録

前回までに太平洋戦争の入り口までを学習したので、その次。
(YOUTUBEにてパワーポイント資料を公開しました)
学習問題
【戦争が始まって、町や村はどんなふうに変化したのだろう】


東京大空襲
  ↓
沖縄戦
  ↓
日露戦争との死者数の比較
  ↓
原爆(ひろしま・ながさき)
  ↓
終戦後の長崎で撮影された 1枚の写真(ジョー・オダネル)

長崎では、まだ次から次へと死体を運ぶ荷車が焼き場に向かっていた。死体が荷車に無造作に放り上げられ、側面から腕や足がだらりとぶら下がっている光景に、わたしはたびたびぶつかった。人々の表情は暗い。

焼き場となっている川岸には、浅い穴だけが掘られている。水がひたひたと押し寄せていた。灰や木片、石灰が散らばっている。燃え残りの木片が、風をうけると赤く輝いて、熱を感じる。白いマスクをつけた係員がもくもくと、荷車の先から、うでや足の先をつかんで、引きずりおろす。そして、そのままの勢いで、火の中に放り込んだ。死体ははげしく炎をあげて、燃え尽きる。
(中略)

焼き場に、10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせていて、ぼろを着ていた。足は、はだしだった。少年の背中に、2歳にもならないような幼い子がくくりつけられていた。その子は眠っているようだった。体にも、まったく傷がなく、やけどのあとらしいものも、みえなかった。

少年は焼き場のふちに進み、そこで直立不動になった。
わきあがる熱風を感じていたのだろうが、動じず、そのまま動かず立っているままであった。
係員がようやく、その幼子を背中からおろし、足元の燃えさかる火の上に、のせた。

炎が勢いをまし、おさな子の体を燃やし始めた。立ち尽くす少年は、そのままの姿勢で立ち続け、その顔は炎によって赤く染まった。気落ちしたように少年の肩がまるくなり、背が低くなったようだった。しかしまた、すぐに背筋をのばして、まっすぐになった。わたしはずっと、この少年から目をそらすことができなくなっていた。

少年は、まっすぐを見続けた。足元の弟に、目をやることなく。ただひたすらに、まっすぐ前を。
軍人にも、これほどの姿勢を要求することはできまい。

わたしはカメラのファインダー越しに、涙ももう枯れ果てた、深い悲しみに打ちひしがれた顔を見守っていた。わたしは思わず、彼の肩を抱いてやりたくなった。しかし、声をかけることができず、そのままもう一度だけ、シャッターを切った。

すると少年は急に向きをかえ、回れ右をすると、背筋をぴんとはり、まっすぐ前をみて歩み去った。あくまでも、まっすぐ。一度もふりかえることなく。

【すごろく授業】ためしにとことんキレてみる

そろそろ歴史の授業も佳境を迎え、明治から大正、昭和、と至近距離まで来ております。
昭和、という年号を聴くと、もうブワーッとあれやこれやと思い出が蘇ってきて、教科書に載っていることなどほんの一部だ、という気がしてしまいます。

で、今日は「太平洋戦争突入!」というたいへんに勇ましい授業をやる予定だったのですが、
冷静な女子の一言から、わたしが予定していた講談師か?宝井馬琴なのか?と、みまごうばかりの歴史講談【いざゆけや真珠湾と悲運のガダルカナル】は、おじゃんになってしまいました。

つまり、なんで太平洋戦争になるのか、ちょっと何言ってるのかよく分からない、というのです。
その子にとっては、日清戦争もよく分からないし、日露戦争もよく分からないと。

ただ、「なんで戦争したのか」ということが、いまいち意味不明寮だ、というのです。

クラスには歴史ファンもいるし、歴史読本「戦艦武蔵のすべて」を読破した男子もいるので、そのあたりの女子の疑問については、そんなことは簡単だぜニヤニヤ、と余裕を見せており、そのうちの一人であるGくんは、

「そりゃあ、ロシアだ。コリアをロシアに、そう、コリアをぶんどられてたまるかってことさね」

と質問した女子の頭上ナナメ上、3m先の回答。

おまけにGくんは早口で、コリアをこりゃあ、という感じでいうので、

「そりゃあ、こりゃあ」と聞こえたらしく、女子はぶ然とした表情のまま「まったくわかりません」と動じない。

そこで、クラス全員の総意でもって、本日は日清戦争から太平洋戦争までの復習をすることになってしまった。こんなふうに歴史の授業は遅々として進まないために、卒業間際まで焦ることになってしまう。

わたしは閃いて、もう10分で説明を終わらせようという良くない作戦を思いついた。

それが、「すごろく型歴史授業の進め方」であります。

正月遊びのすごろくのように、でっかい四角いマスを描き、まずその中に、「列強に攻められる不安」と書いた。すべてはここから始まるよ、とおごそかに宣言した。

「いいでしょうか。すべての良くない物語(ストーリー)は、不安から始まるんだね」

みんなノートに記入。1マス目「不安」です。

そして、日清戦争、とつぎのマスを。
「国境を接してるから、韓国を取られたらまずい、と思ったんだね」
当該児童の女の子は、「そこは、はい。納得できます」と言ってくれた。

日本は韓国を自国の強い影響下に置きたい、とねがった。もちろんロシアを牽制するためだ。
しかし、そこに思わぬ伏兵がいて、清の国が難癖をつけてくる。もちろん清からすれば、朝鮮というのは古来からの属国でありますから、みすみす取られるわけにはいかない。で、日本と衝突。

さらに、その流れで今度は親玉のロシアと対決。つぎのマスに、「日露戦争」と書く。
ここにも女子が「まあしかたがない」という表情で納得してくれて進んだ。

そして次が「韓国併合」。日露戦争に勝った後の流れだ。

続きます。清の国が滅び、中国が新しい国の建設にごたごたしている隙につけこんだ形での「満州国建設」。

これはもう、日本という国家を一人の人間に例えると、「強迫神経症」という感じであります。ロシアだって、目の前の土地をとられたら不安ですよね。日本が満州を支配したら、その隣国のロシアは烈火のごとく怒ると思うのだが、日本はもうとめどない欲の塊のようになっており、列強に対抗するためにも、生糸の輸出量を増やすためにも、植民地を欲したわけね。

地図をみると、子どもたちも「えー、こんなとことっちゃうの」「ロシア、目の前じゃん」「ひでえ」というつぶやき。

案の定、その次が「列強及び中華民国の抵抗」

ここでこんな発問をした。
「世界の主要国から、手を引け、と通告され、地元の国や周囲の国もそれを認めない、というなかなか厳しい情勢です。自分が日本の将来を決める立場だとしたら、手を引きますか?」

すると大半は手を引く、と答えたが、なかに一人、場の空気を読む子がいて

「いえ。ぼくはもうこうなったら、いったんとことんキレてみます!」

じゃあ、キレたことにして進もう。

アメリカを中心にした経済制裁で、鉄も石炭も石油も手に入らなくなった日本は、満州を守ると同時に南進します。インドネシア、マレーなどに進出し、資源をねらいます。

「南進⇒さらなる反対を生む」と板書。子どもたちもノートに記述。
南進の結果、もともとそこらへんを植民地にしていたフランスも日本に対して激怒します。
最初に質問した女子が、

「ばかなの?」

と冷静につぶやいていたのが印象的でした。
Gくんが「石油がないから仕方がない」と、震えるような小声で言いました。

そこで、ある写真を見せて、これ誰かわかる?というと、たぶん10年前ならクラスの半分は手を挙げたと思われるが、おどろいたことに3人しか知らなかった。

ヒトラーであります。

シンドラーのリストもアンネの日記も、もうあまり話題にならないし、世間的には忘れ去られているのだろうか。あるいは、ネットの一部で「ホロコーストはなかった」と信じる人たちもいるように、ないことになってしまったのかもしれないが、ヒトラーは実在の人物であります。どんどんと無名になっていってますが、少し前までは有名でした。

ヒトラーが最大領土を広げた地図をテレビに映すと、クラス中が「おおお」とどよめく。
ハーケンクロイツがフランスの領土の半分以上をとってしまっているし、スカンジナビア半島にも領土をひろげた形になっている。イギリスなんて周りをとりかこまれた雰囲気で、小さくなって見えるから。

次のマスは、「日独伊三国軍事同盟」

当時のポスターを映して見せます。
なかよし三国ポスター

こんなに強い国とタッグを組んだら、アメリカもフランスも日本に文句を言わなくなるかもね。

次が「ハルノート」

満州撤退・日独伊三国同盟の破棄などをアメリカが日本に要求します。

再度、
「自分が日本の将来を決める立場だとしたら、ここで手を引きますか?」


というと、さきほどと同じ展開で、一人を除いて全員が「撤収する」という意見。Tくんだけが

「ぼくは一度だけ、ためしにとことんキレてみたいです」

そこで最後のコマが

「太平洋戦争」

なるほど、とうなずいてくれました。

最初に「よくわからない」と相談してくれた女子が、次の日の日記に書いてくれました。
「今日の歴史はすごろくで書きました。すごく分かり良かったので、次もすごろくで教えてください」。

子どもにとっては、AしたらB、BしたらC、・・・というように、納得して進みたいのだろう。
ことに、「戦争」というような、得体のしれない、なんでか理由もちっともわからん行為には。
素直に納得できるものでもないのでしょう。歴史が好きで、テストも100点連発している子も、実はこのあたりの戦争から、「?」が増えてきます。心理的に納得できない気持ちがあるんでしょう。奈良時代の聖武天皇のように、天災で民が困っているから鎮護国家をねがって大仏建立、というのなら非常に納得できるし、よくわかる感じがする。国家の統率者に対して共感する気持ちも湧いてくる。

でも、戦争の時代、とくに昭和初期は、児童心理的に難しさのある時代なんでしょうね。こころが納得しようとしないのだから。Tくんの一言で、それが納得できたんですね。

「ためしにとことん、キレてみた」

とね。人間が正常じゃなかったんだね。それがぎりぎりの線で、全員の「納得」を引き出した。

どこかの出版社の方がもしこのブログをみてくださっていたら、教師用の本を書きますのでご依頼ください。タイトルは

「小学校歴史授業は「すごろく」でよく分かる!」

【道徳】人間関係を考える授業~事実と感想その1~

机の上にりんごを置く。
おいしいと思う人?(多数挙手)
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

これは挙手が数人で、何人かが妙な顔をし、一人が言った。
「よくわからないから、先生、もう一回言ってください」

そこで私はゆっくりと言う。
『このりんごそのものの味と、今自分が感じている味とが同じだと思う人?』

さきほどと同じ子たちが挙手。今度は勢いよく。
妙な顔をしている子はますます妙な顔をして、近くの子にひそひそ。

「よく分からない」の質問をした子は、「それは同じでしょう」とつぶやきつつ、挙手をした。

人数を数えると、10人。
残りの25人は、手を挙げない。
なにか、考え込んでいる子も多いようだ。
わたしはついで、

『では、味はちがう、と思う人?』

と尋ねた。

これに、頭の回転の速い子が喰いついた。

「ちがうと思う」

すぐになぜ?と問うと、彼はこう言った。

「だって、まずい、と思う人もいるかもしれないから」

なるほど、という空気がすぐに流れ、「じゃあちがうじゃん」なんて小さな声も聞かれた。

もう一度、同じことを問うと、すぐにクラスのほとんどが

「ちがいます」

と答えた。

しかし、最初から妙な顔をしてこちらを見ている子が数人おり、わたしはそれが気になっている。
いつも国語などで、するどい視点から意見を出す、吉川英治が愛読書のNさんも、手を挙げない。
Nさんが手を挙げないことに気づいた子が、そっと手をひっこめるのも見えた。
Nさんがこれまで間違えたことなど、一度もない。それを知っているのだ。

そこで、「まだ手を挙げていない子もいるよ」と聞いてみると、Nさんが意見を言ってくれた。

「だって、わたしがおいしい、と感じている味と、他の人が感じている味はちがうけど、もしかしたらりんごそのものが本来持っている味を、どちらかが感じ取っているのかもしれない。だけど、それを証明する手立てがない。だから、この場合は、ちがう、と言い切るのではなく、わからない、というのが正しいのだと思う」

という。

かしこい子である。

次に、黒板に図を描き、

そのものの味


りんごの持っている味を、☆じるしで表すよ。
それと、
人間の脳の中に感じ取られた味も、☆じるしだとすると、この星どうしは、まったく同じだろうか?

と問うと、すぐにうなずいて「ちがうよ」という子と、まだ分からない、という子に分かれた。

双方があれこれと意見を言い合ったが、これは不思議な授業で、みんな押し黙って沈黙しながら、グーッと考えている。勇気を出して言う子もいたが、全体としては

沈黙の重い雰囲気・・・いやちがうな、この表現は。
「沈黙」
というよりも、
「眉間にしわを寄せる雰囲気」
が教室中に充満する、というのか・・・


チャイムが鳴ると、ふーーーーっと、大きなため息が漏れた。

わたしも、同じように、ふーー、と言った。

【6年・歴史】そしていよいよ豊臣秀吉

秀吉の学習に入る。

これまでの天下人、という人を列挙してみる。
1 蘇我馬子 大臣   天皇の爺となって大威張り⇒乙巳の変で自害
2 藤原道長 【関白】太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒武士の時代になってフェードアウト
3 平清盛  太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒源氏にやられた
4 源頼朝  征夷大将軍 貴族にならなかった⇒土地配分に失敗して建武の新政へ
5 足利義満 太政大臣 天皇の母の夫となって摂関家以上をねらう⇒応仁の乱へ
6 織田信長 関白・太政大臣・征夷大将軍が選べたがならず⇒本能寺で自害

どうでしょう。
ここまでみると、1番から5番までの人たちが、いかに官位にあこがれていたかがわかりますね。
2 藤原道長は関白になっています。しかし、3~5の人はだれも関白にはなれませんでした。
なぜなら、「関白」というのは、非常に特別な位で、藤原家の人以外はなれないのです。
関白とは、いっさいすべてを天皇に代わる、という位でしたから。
それで、古い時代に天智天皇(中大兄皇子)から特別に名前をいただいた、という中臣鎌足さん以後、「藤原家」の人には与えられますが、それ以外の血筋の方が「関白」につくことが許されなかったのです。

5の足利義満は、ぎりぎりのところまで行きました。
権力が頂点に達していたために、当時の中国「明」に対しては、「日本国王」と名乗りましたが、天皇を含め、世の中のだれも文句を言いませんでした。義満の権力がいかにすさまじかったか、わかるというものです。
義満さんは「関白」ではないけれど、なにかもっと特別な位がないか、自分にもらえないか、と思って待っていたようでしたが、あいにく待ちくたびれて病死します。

そうなると、やはり6 の織田信長は、特別でしょう。
なんせ、藤原家でもないのに、「関白をやろう」と天皇(朝廷)が言い出してますから。
なんでこんなに大盤振る舞いかというと、天皇はこの破天荒な新しい勢力をどう扱ってよいのか、途方に暮れていたかららしい。朝廷からすると、本来守ってくれるはずの「幕府」はまったく頼りにならず、どんどんとおいつめられていく。当の将軍である足利義昭は西国の大名を頼って右往左往しているばかりだし、京都は実質的には織田信長が仕切っている。朝廷はつぶされるかもしれなかったのであります。実際に、京都の御所はもう織田勢の支配下にあり、朝廷が信長のご機嫌をとるためには、もう「官位をあげよう」というくらいしか手がない。

このときの朝廷のサービスぶりはすごくて、正三位・内大臣をあげる、従二位がほしいか、正二位は、右近衛大将はどうか、右大臣をあげる、今度は左大臣をあげる、といった狼狽ぶり。
信長としては、もう天下を取ったも同然、ということであったでしょう。

さて、信長は本能寺で討たれ、その後の秀吉はどうだったのか。

結果ですが、ご存じの通り、

パンパカパーン!
関白太政大臣に無事になりました~!!


え、摂関家(藤原家)じゃないのに?

大丈夫です。

豊臣、という別のすごい姓を、天皇からいただいたのです。
つまり、奈良時代の藤原家の祖、あの「中臣鎌足」のマネですね。
あのときは中臣に対して「藤原」、というのをあげたんだから、ぼくには別のをくれ、というわけ。
そこで、「豊臣」をもらった。

で、藤原と同じくらい偉い、ということにしたので、その初代として

関白に

なれたのでありました。
秀吉は、頭がいいね。足利義満には、そういう発想がなかったみたい。
日本には藤原家しかない、という固定観念にとらわれていたから、関白は無理だ、と思ったのかな。
でも秀吉は、「藤原だって最初は天皇にもらったんだよな。じゃ、俺もくれよ。そうだなあ、中臣鎌足ってのがいたから、えーと、中臣ってのは中途半端だし、ようし、俺は豊臣で!」とアイデアが湧く人だった。


7 豊臣秀吉 関白太政大臣 武家も公家も両方合わせて組織しようとしてあえて将軍にならず ⇒死去

ということでありますね。

こう振り返ってみてみると、日本の歴史って、

1 蘇我馬子 大臣   天皇の爺となって大威張り⇒乙巳の変で自害
2 藤原道長 【関白】太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒武士の時代になってフェードアウト
3 平清盛  太政大臣 天皇の爺となって大威張り⇒源氏にやられた。藤原家でないために関白にはなれず。
4 源頼朝  征夷大将軍 貴族にならなかった⇒土地配分に失敗して建武の新政へ
5 足利義満 太政大臣 天皇の母の夫となって摂関家以上をねらうが失敗⇒応仁の乱へ
6 織田信長 関白・太政大臣・征夷大将軍が選べたがならず⇒本能寺で自害


だいたい、1の蘇我馬子のマネなんだなー。天皇の親戚になって関白になりたい、というのが、ずーっと続いてきたというわけだ。

hideyosi

【6年・歴史】いよいよ織田信長、その前に・・・

さて、いよいよ織田信長、とその前に、もう一つ学習しておく人がいる。
それが、「フランシスコ・ザビエル」さんであります。

この人が日本にもたらした革命が、実は日本をつき動かしております。
ザビエルさんのやってきたころ、つまり戦国時代に日本が南蛮と貿易を行うためには、ある条件がありました。それは、スペインやポルトガルからの宣教師たちの布教活動を認めて交流することです。これが前提条件となっていました。

ザビエルさんたちは、主眼である布教をさせてくれるんだったら、という条件つきで、さまざまなおみやげを見せたり、贈ったり、話をしたり、という「文化交流」も行ったわけです。
そういうわけで、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルさん。結果として、キリスト教だけではなく、織田信長が長篠の戦いで実戦使用した鉄砲や眼鏡なども伝えています。

織田信長とザビエルさん、実は直接の面会はしてはおりません。
その代わり、ザビエルとの関係をもつイエズス会のルイス・フロイスが、1569年に信長と直接面会しています。

さて、時代は進み、
信長は混乱した室町幕府の終末期において、どんどんと頭角をあらわして他の守護大名を圧倒、実際の天下人にあと一歩、というところまでたどりつきます。

朝廷も信長という人物におそれおののいておりまして、なんと3つの官位を信長にさずけようとしますよ。

天皇「これ、信長よ」
信長「はい」
天皇「お前の欲しい官位をやろうぞ。関白、太政大臣、そして征夷大将軍。どれがほしいのじゃ」
信長「そうですねえ・・・」

というところまで来ました。
足利将軍もいるにはいたのですが、足利将軍はもうすでに官位としては信長以下になりさがっておりましたので、信長にとって、なにも障害になるものはない。
足利義昭は征夷大将軍ではありましたが、朝廷が与える官位としての上下関係でいくと、信長はすでに征夷大将軍より上だったのですね。(信長は朝廷より従三位・権大納言・右近衛大将に任じられ、従三位・権大納言・左近衛中将の義昭よりも上位の存在となった)

ところが、事件が起きてしまいます。

天皇「さ、どんな官位がほしいのじゃ?なんでもやるぞ」
信長「そうですねえ。・・・もう少ししたら、お返事するので、まってちょーよ」

と言いつつ、一月後に本能寺で死んでしまう。


残念ですねえ、信長。
天下統一に近くまでたどりついたというのに・・・。

ところで信長は西洋の知識が大好きだったようです。
地球儀を見せてもらうと、地球が丸いことや他の天体についても理解したそうですし、
フロイスがプレゼントしようとした時計をみて興味を持ち、くれるのはありがたいが、日本では修理ができないのが惜しい、と言って、そのままフロイスに返却したそうですね。

もう関白にもなれるし、征夷大将軍にもなれる、というところまできたんだから、いっそのこと日本を超えてヨーロッパに行ってみたい・・・と思ったかもしれません。

(※ヨーロッパの各地で王侯貴族の先生をしていたGiordan Buruno という人物がODA NOBUNAGAと顔がそっくりで、もしかしたら信長がヨーロッパに移動してそう名乗ったのではないか、という説がありますが、まあこれは冗談でしょうけど、おもしろいことを考える人もいるものですね。このブルーノという人物は主流派だったカトリック教会の天動説チームに反して、地動説を堂々と唱えた変人だったらしいです⇒結果、火あぶり)

さて、信長の死後は、いよいよ秀吉さんですね。どうなるやら。
左がブルーノ。似てますか?
織田信長とブルーの
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