ひったくった感じ、だそうです。
近くにたまたま居た、支援員の先生が、それを見ていたとのこと。
すぐに対応してくださっていました。
「なんで、とったの?」
「・・・」
「Aくんはとられてどんな気持ち?」
「いやだった」
「ほら、Tくん。いやだったって言ってるでしょう。何とも思わないの?」
・・・・・・
私が到着したときは、上記のような感じの対応でした。
Tくんが終始無言なのが、気になる。
私なら、どうするか、と考えた。
さて・・・・・・
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We are the 99%。転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)
○叱る ⇒ 冷静な判断で注意を促すこと。だから、体罰に結びつきにくい
○怒る ⇒ 感情にまかせての行為。だから、体罰に結びつきやすい。
これ、今朝、気が付いたことなんですが、
なにか、生まれたばかりの赤ん坊が寝てる部屋に、
そっと、足を踏み入れて、
様子を見てみよう、っていうときみたい。
朝、教室に入るときの心境って、
こんな感じだなあーって、自分で、ふと思ったのです。
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おそらく「体罰の会」にわが子を託したい、とねがう親は、子育てに絶望した方ではないか、と思う。
世の親が、一人でもその、「子育てへの絶望」を持ってしまう前に、地域コミュニティがやらなければならないことが無数にある。
「子育てへの絶望」を、その方の心に持たせてしまったのは、まったくもって地域コミュニティの責任であるし、その人をそうした親に育ててしまった、これまでの「教育」の責任でもある。「体罰の会」に託したい、という「親」に育ててしまった、これまでの「教育システム」全般が、猛烈な反省をしなければならない。
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学級に、児童の祖母から差し入れが届いた。
なんとびっくり!
うれしいなあ。
地域がら、祖母の代から地元なんです、という方も多い。
家が三世代、という家庭もある。
いつも、孫がお世話になっています、ということのようで、手作りのお饅頭がパッドに敷き詰められて、届けられました。
ていねいに、2種類あることが見た目でわかるようになっている。
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「ランドセルをきちんと片づけない」
で怒っていらっしゃる先生。
そんなもん、という気がするけどなあ。
(こう思っちゃ、だめなんでしょうねえ。教員の常識では)
私は甘すぎるのだ。
でも、どうしても、ランドセルをきちんと片づけない子を、強く叱責する気になれない。
これは、・・・なんだか、理由はわからんが、・・・できない。
そんなもん、どっちだっていい、片づけても片づけなくても、と言いたくなる。
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