元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

学びの最適化、ということが叫ばれて久しい。
なぜ最適化する必要があるかというと、人間が「学び続ける」ためでありましょう。
学校を卒業してしまったとたんに、

「あーあ、せいせいした」

というのであっては、まったく学校というのは価値がない。
その後の人生を、生涯にわたって豊かにしていくために学校がある。
そう考えたら、「一人ひとりが、自分が学び続けるための強固なエンジンを身につける」のが学校という装置であります。

学ぶというのは、常に自分の中の情報や価値観や考え方、感じ方をリフレッシュするということであって、それがなければ、ただの奴隷以下。生きる喜びは一切皆無でしょう。

自分が自分として学び続けられるようになるために。
他とともに知恵を分かち合い意見を比べることのできる身近な共同体があればなお豊かだ。
これを具体的に実現させるのが、小学校の責務だ。
現在の小学校の基本方針は、コレでありましょうし、もうすでに長いこと、こうやって学校は成り立ってきた。

さて、ところが学校の現在の実情としては、少々上記から、ずれた部分がある。
たとえば、ある子が急になにかのきっかけで、算数の熱が高まり、算数が異常におもしろく感じちゃったらどうするか。4年生なのに、方程式にめざめてしまい、代数とかに興味が出ちゃったら。
今日はもう、国語じゃなくて、社会じゃなくて、大好きな体育よりも給食よりも、なにをおいても算数、算数、となったら。

現在のカリキュラムでは対応できません。
4年生は4年生の学習をすることになってる。
しかしこれは逆にいうと、ものすごく親切に、その子にだいたい合うように、カリキュラムが組まれている、というわけで、これはこれでたいしたこと。実にすぐれたシステムがすでにできあがっている、というわけ。
しかし、これからもう一歩、頭一つ抜け出そう、というのがSociety5.0だ。

これからの学校は、
1)基本的な学年に応じた従来のカリキュラムでの学習
を基本にして
2)個別の素質や習熟度、要望に応じて組み立てることのできる学習
を付け足し、ハイブリッド型にしていくことになるだろう。

このハイブリッド方式のうちの2)を積み上げていくためには、その子なりのカルテのようなものがあったらいい。個別の学習計画と呼ばれるものだ。これを電算化して、本人や親、そして周囲のクラスメートも、さらには担任も、それを見ながら助言するようにしたらいい。


朝の10分間の活動で、子どもたちが一人一台のタブレットにアクセスし、自分のポートフォリオを見ながら計画する。

本人「よし、今度はこういう学習をしたいな」
クラスの友達「Aくん、それもいいけど、こんなのはどうかな」
親「この間家族でこんな話をしていたから、こんな勉強もつけたしたらどう?」
担任「では、図書館でこんな本があるから、これをまとめてみたらどうだろう」
クラスの友達「いいねえ。じゃあぼくも関連した勉強をするから、終わったら二人で発表会をしようよ」

これをデジタルでやる。
デジタルはこういうことは強い。
一度に情報が共有化される。
デジタルは、分類したり、仲間を見つけたり検索したりが得意だ。
このことが、「デジタルの世界が寄与できる、学びの最適化」だろうと思う。

担任は、教える、というよりも、助言する、という立場に、どんどんとなっていく気がするね。
授業の上手な、快活な先生もいいけど、いつもそっと静かに、近くにいる先生、というのも、渋くてよいでしょう?


二人で1
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