元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

タイトルに書いたが、
一生懸命に遊んでいる子どもたちを見ていると、
そう言えばこの子たち、「何のために生きるかを問わない」ことに気づく。

人は何のために生きるか。
充実感や達成感を得るため、感じるために生まれてきたのではない。
そもそも、何か事がらを進めたり、達成したものを得るために生まれてきたのではない。

では、なんのため?

人生は、何かをするため、ではないかもしれない。
もしそうなら、逆に何かをしてはいけない、というのでもないだろう。

では、なんのため?


われわれ大人は、
「社会からの」あるいは「人生からの要求」には必死で応えようとする。
一方で、「人生からの問いかけ」には耳を貸さない。
常に、強い緊張と切迫感、焦りを感じながら、生きている。

ところが、子どもは違う。
「人生からの要求」には関心が無く、
「人生からの問いかけ」には真摯に向き合う、というのが、子ども。

だからだろうか。毎日、真剣に遊んでいる。

毎日すれ違う一年生が、いかにも幸福そうに雲を見上げながら歩いていくのを見てると、
教師も時折、こうやって人生を考えるようになる。
自分は、たった一度の「人生」から、なにを問いかけられているのだろうか。

ひとの人生は、社会よりも価値が高い。
それぞれの人の、人生の価値が高まれば、
結果として、社会全体の価値が高まるだろうと思う。

人生の価値は、「なにをしたか」ではない。
「なにをして過ごしたか」でもない。
「どこで過ごしたか」でもなく、
「だれと過ごしたか」でもない。
そこには、なにもない。

教室で過ごしている子どもたちはふだん、
そんなこと、なにひとつ気にしていないように見える。
たったひとつ。一所懸命に遊ぶのは楽しい。これは真実だろうなと思う。

aki3
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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. 吉田道昌
    • 2020年11月22日 10:26
    •  以前、ぼくがブログに書いた文章の一部です。ふと思って、ここにちょっと書いてみました。ナチスによって強制収容所に入れられていたフランクルが生還して「夜と霧」を著し、そこに書いていたことです。「人生からの問いかけ」です。
           ◆  ◆  ◆ 
      「収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには、機会がある限り、生きるための『何故』を、すなわち目的を意識せしめねばならないのである。」
       目的目標を認めない人は倒れていった。
      「『私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていない』、これに対して人はいかに答えるべきであろうか」
       フランクルのこの自問から出てきたのが、
      「人生にわれわれが期待するのではなく、人生はわれわれから何を期待しているかを問うことである」であった。
      「人間は苦悩に満ちた運命とともに、この世界でただ一人一回だけ立っているという意識にまで達せねばならない。何人も、彼から苦悩を取り去ることことはできない。何人も彼の代わりに苦悩を苦しみぬくことはできない。まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということのなかに可能性が存在するのである。」
       助かるためのいかなる方法もない時、絶望しない唯一の思想だった。だから彼は苦悩を課題としてとらえ、その意味を問うた。「苦悩もわれわれの業績であるという性質をもっている」と。
       フランクルは収容所の中で、人生に何も期待できないと絶望して自殺を企てる二人の囚人を救った。
      「二人に対して、人生は彼らからまだあるものを期待しているということ、すなわち人生におけるあるものが、未来において彼らを待っている、ということを示すのに私は成功したのであった。」
      「待っている仕事、待っている愛する人、その責任を意識した人は、彼の命を放棄することが決してできないのである。」
    • 2. 新間草海
    • 2020年11月22日 19:51
    • >>1
      さすがフランクルが出ましたね。極限の世界の中で、「なんのために」を考えたというぎりぎりの・・・すごすぎます。人間は自分で生きていく、生きている、と思いすぎているのでは、という意見を、20代、30代、40代、とそれぞれに私も何人かの方から聞き、いつもそのたびにそうだなと思ってきました。人生という長い道を、自分の足で歩いている、というイメージは、多くの人が持っているはずですが、自分で歩いている、と思いすぎている、と感じている人もたくさんいるようです。人生から何を問われているか。『問われている』という部分に焦点を当てると、世界がちがってくるようです。
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