元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

教科書に、広島の原爆をテーマにした作品が掲載されている。
8月6日、8月9日、8月15日には国民がみな戦争の悲惨さを思い返し、不戦の誓いを立てる我が国のことである。教科書に、これが掲載されても不思議はない。

ちなみに、今の小学生はおどろくほど、そのあたりの知識がない。
戦争をしていた事実も、5年生になってようやっとのみこめた、という子が多い。
昔にくらべて、戦争を話題にしたドキュメンタリーが放映されなくなった。
そういえば「はだしのゲン」は戦争の醜さを際立たせているというクレームがつき、公共の図書館には置かれなくなってきているらしい。

戦争をテーマにした文芸作品というのはこの世にごまんとある。
ヨーロッパもそうだし、アメリカもそういう作品をたくさん生み出してきた。
わたしが若いころに見た西洋の映画はほとんどが、戦争をテーマにしていたように思う。

『ディア・ハンター』(1978)
『地獄の黙示録』(1979)
『プラトーン』(1986)
『フルメタル・ジャケット』(1987)
『プライベート・ライアン』(1998)

『風と共に去りぬ』だってそうだし、
コッポラも、チャップリンも、
大脱走だって、シンドラーのリストだって、戦争がテーマだ。

今はそういうのを、子どもが見ることがないのかもしれない。
5年生が、本当に、戦争を知らない。

ところで、わたしが戦争を子どもたちに考えさせるために使う写真が、これである。

称名寺


子どもたちは、本当に悩む。
寺の梵鐘が、石である。
これがいったいなぜ戦争と結びつくのか。

石に神が宿っていると考えて、その石をつくと戦争に勝つと思ったのだ、とか。
すごいご利益のある石なんだとか。
戦争に行く人が石に祈ったからだとか。
子どもたちは真剣に考えるが、鐘が金属として回収されたとは思いつかない。

「みんな、たくさん考えを出してもらいましたね。でも、ぜんぶ違います」

ここから、戦争の狂気を考えていく。
ちなみに当時の近衛内閣が命令した「金属類回収令」に厳格にしたがった市町村は、子どものアルミの弁当箱まで回収した。一方で、時の内閣の指示命令にそれほど従わなかった市町村は、大事にしていた『鐘』を隠して出さなかったりもした。

市町村の判断で
〇時の政府の命令が、人々の生活にくいこむように響くか、そうでないか
が決まったようだ。
各市町村の、『自治の気風』が、そうさせたのだろう。

したがって、これは、
自治とは何か、を考えさせる教材にもなっている。

それにしても、この教材もやがて、消え行く運命なのかもしれない。
教科書を変えよう、変えよう、という空気は日増しに増えている。
戦争を忘れよう、忘れよう、という空気も。

しかし、今回の教科書の改訂で、なくなっちゃうかなーと心配していたら、ちゃんと残ったから、文科省もなかなかやるなーと思いました。
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