いちばん驚いているのは、

「なくてもいけるんやなー」

ということ。

始業式もないままでしたが、(放送で短時間、校長先生のお話がありましたが)
とくに何事もなく、ふつうに授業が始まっております。

また、運動会もやらない、ということになったままで、とくに支障がありません。
(まあ、やった方が楽しいし、子どもたちは楽しみにしていたので残念です)

学校生活としては、さまざまな行事が、『無いなら無いで』、とくに支障なく過ごせているのです。

実は昔から多くの教員が指摘していたことですが、
学校は行事が増える傾向にありました。

増やすのは、イイコトだから、やりやすい。
しかし、
減らすのは、たいへんなので、やりにくいです。

非難もくるし、するどい質問もくるし、電話もかかるし、
まあはっきり言えば、クレームが来ます。
そのクレームは、教頭先生が受話器をとって、聴かねばなりません。

「どうして組体操をやらんだ! みんな楽しみにしとるやないか!」


ネクタイをしなくなったときと同じような、あっけなさで、

運動会がなくなり、
式典がなくなり、
〇〇集会がなくなり、
あれこれがなくなりました。

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クールビズもびっくりしましたからね。
まさか、ネクタイをしないビジネスマンがでるとは思わなんだ。

古い話で恐縮ですが、その昔、半袖背広姿の大平首相が記者の前にあらわれたときは世界がひっくりかえったかと思いました。まあ、実際、その後、スーツの上着が半そでにはならなかったのですが。

oohira


そのニュースをテレビで見ていた母が

「まあ、ネクタイはなくならないと思うよ」

と言っていましたが、実際に10年以上経つと、しっかりと総務省の運動が根付いてきました。
今では、かなり多くの人がネクタイをしていません。
ビジネスマンが真夏、地下鉄の駅から地上へ出てきますが、ネクタイのない人も多いですものね。


あっけないものです。

「社会人は真夏でもネクタイをするもんやで」

と語っていた母の予想は、まちがっていたのです。

ネクタイも、組体操も、無くなりました。

で、とくに困っていません。



もしかしたら、ですが、
なくても困らないもの、というのは、たくさんあるかもしれません。

そういうの、なくなると、あっという間ですよ。
ネクタイと同じです。組体操と同じです。

べつに、なくても困らんことに、みんなやってみたら気づいたわけですね。

授業も、宿題も、そういうのが多いかもしれない。

ためしに、教師の仕事をできるだけ、減らしてみよう。
できうるかぎり、省エネルギー、省セリフ、省『生徒指導』、いるかいないか判然としない透明人間のような教師像を、ためしにやってみるのがいいと思う。

すると、実際はやらなくてもいいことが、多いと思うね。
で、そこまでやると、ようやく見えてくると思うね。

全部捨てることで、ようやく、見えてくる。
それまで見えてこなかったものが見えてくる。
いかに些末なことに日常を忙殺されていたのか、そこでようやく腑に落ちる。
これまで手を抜いてきた授業の準備、力を入れてこなかったあれやこれや・・・。
本当はいちばん大切だったこと。

「本当にやるべきことが、こっちにたくさんあったわ!」とね。

ネッシー