新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

学校というのは、なぜこんなにも嫌われるのだろうか。

いや、わたし自身も、自分が中学生だったころの一時期、学校が嫌いだったこともある。

「頭をつかってしっかり考えたいのに、考えないのってダサいしつまらない」

と、常々、思っていた。
だから、思考停止している学校の生活が、いやだった。

どのへんが思考停止かというと、

「そうじをしろ!」

という感じかな。

ただ作業しろ、という圧迫されたような感じがしたのです。
頭はいっさい使わず、思考するのを放棄して、ただ作業しろ、とパワハラ風に迫る。
これは嫌でした。

わたしが特にいやだったのは、ただ「そうじ、やれえぇッ!!」とヒステリックに叫ぶ教師。
思考停止のように見えた。
わたしがそんな話をすると、仲の良い山田くんは、「本当にそうだ」と賛同してくれていた。
おまけに、澤井君も、吉川くんも、みんな
「そうだそうだ。あんな思考停止したアホな教師はいやだよな」 と賛同してくれた。

つまり、世の中には、「思考停止は嫌だ」と考える人が、一定数の割合で、いるようである。

しかし、だ。
逆の考え方をする人も、いる。
詳しく言うと、「頭を使って考えるとか、ダサいよね」というタイプ。 さっきとは、真逆です。
この風潮も、今の日本には、かなり多くあると思うナー・・・。

たしかに、居丈高に「気候変動がー」とか「今の社会はー」とか言う人がいて、ふんぞり返って偉そうである。高慢ちきにみえる。その人たちの特徴は、ともかく高慢な感じである。そういう人たちが、「頭を使っている雰囲気」を得意げに披露しているのを見ると、

「頭つかってしゃべるのとか、政府のことをとやかくいうのとか、ダサくね?」

と思ってしまうのもわかる。


整理してみよう。
今の世の中は、次の2つに分かれる。

1)「頭をつかわないのはダサいよな」派
パワハラ親父風で「思考停止」で、ともかくまっすぐ突き進むタイプが大嫌い。
話し合いが大事で、どんなことも話し合いで進めなければ納得しない。
話し合いをしないのなら、幸せになるわけがない、と考える。
(真の民主主義でこそ幸せになる。見た目や形よりも気持ちや精神性の自由さ、豊かさが大事)

2)「頭をつかうのはダサいよな」派
高慢ちきなインテリ風の「やたら早口」で、なにかにつけて「ちゃんと話し合えばいい」というタイプが大嫌い。
話し合いだけで幸せになるわけがない、と考える。
(民主主義で幸せになるわけがない。もっと見た目や形が分かりやすく豊かにならないと)

これらの2つのタイプがいて、
お互いに、相手のことを責めているようだ。
一方がもう一方に対して、「話し合いをしろ!」と責め、
責められた方は、「話し合いをしても幸福にはならん!」とかたくなに拒む。

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本ブログの筆者であるわたし、新間草海としての見解をのべるとすると、

どちらも惜しい。

わたしは、小学生が正解だと思う。

小学生は、パワハラ親父風に結論をともかく押し付けようとする、なんてことはない。
クラス会議でも、そんなふうに押し付けて押し切っていこう、という態度をとる子は、まぁー、ほとんど、皆無です。国会議員が研修で見に来る方が良いと思うね。

もうひとつ、やたら早口で結論をまくしたてる頭よさそうなインテリ、もいません。
みんな、ゆっくりです。当たり前ですが、俺だけが正解を知っている、お前ら馬鹿どもに教えてやる、というふうな子は、一人もいません。

小学生は、ゆっくりと、じっくりと、結論を急がず、でもたしかに毎日のように前進します。
ともかく、一生懸命に考えることに価値をおくのです。そして、より良きをさぐり、まず、だれかいやな思いをしたり悲しかったりする子はいないか、と考えるのです。「〇〇ちゃんが泣いているよ、どうしたんだろ」というのは、小学校生活では本当に大きな事件なのです。

そして、結論を急げ!というような、外野の声には耳をかしません。
小学校では、締め切りがどうこう、というのはありませんから。
あわてたうえに、結論がこれだ!と興奮して思い込んで、
あとで悔やむなんてことは、人間が何度も繰り返してきたことです。

だって、思い込んで間違っていたら、引き返さなければなりません。
人生、よく「あるある」なのです。
オーストリアとオーストラリアを間違うことなんて、頻繁にあるのです。

急げ!と成田からオーストラリアに向かったところ、あとで

「いや、ちがうって!目的地はオーストリアだよ!!」

と言われたら・・・。

そういうことばかりです。人生は。
もしそうなったら、再度引き返すのですぞ!コアラとカンガルーのいる大陸から、急旋回で一路ヨーロッパをめざす!
もうそりゃあ、タイヘンですよ!!
おまけに、大損ですよ。コストがかかりすぎます。
しかし、多いのです。こういうことが。
原発しかり、五輪しかり・・・。

だから、結論を急げ、と言われても、慌てないのがいいのです。
まだじっくりと航空チケットを見直したり、本当に古都があるのはどちらなのか、音楽の都はコアラのいるオーストラリア大陸なのか、それともヨーロッパの方なのか、きちんと考え直しながら行動した方がよさそうです。

「オースア」のオーストリアなのか、
「オースリア」のオーストラリアなのか?
自分が行くべき先は、鳥(トリ)なのか虎(トラ)なのか、どっち?

しかし、大人になってしまったら、もう話し合いなんてしている暇はないようです。
じっくりゆっくり考えるなんてことは、大人になってしまったとたん、もう無理!
GOTO政策も、ポピトンヨードの感染予防効果も、世界の気候変動も、閣僚の靖国参拝も、黒塗りの議事録についても、桜を見る会も、教育勅語の暗唱指導をしていた某幼稚園についても、とにかく『熟慮』『話し合い』なんてしている暇はありません。
ですから、政治がこれだけ混とんとしているのでしょう。

仕方のないことなのかもしれません。
子ども時代は、少なくとも、じっくりと「話し合うこと」をさせてあげたいと思います。
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