休み時間、子どもから怖い話をリクエストされることがある。
わたしは一瞥をくれるだけで、
「悪いけどそんな話、してる暇ないでしょ。先生は御覧の通り、超絶忙しいですわ」
と、ノートに赤ペンを走らせる。
子どもに付き合っている暇はない。貴重な休み時間は宿題のチェックだ。

ところで怖い話を聞きたがる子どもは多い。
なぜ、子どもはそうなのだろう?

NHKで以前、ひつじが動く大人気の動画が放映されていた。
みなさんご存じ、「羊のショーン」だ。
クレイアニメ、という分類で、粘土でつくった動物を写真で撮影して作る。

クレイアニメの撮影はとことん時間がかかるらしい。
以前、イギリスのBBC放送が、羊のショーンの製作現場をドキュメンタリーで放映していた。
実際の粘土で作ったキャラクターを、少しずつ、ずらしながら撮影している。
それらを、連続して映すと、あら不思議、ひとの目には、いかにも粘土がそれ自体の意識をもって、連続的に動いているように見える。

ふつうのアニメーションもそのようにしてつくるが、何枚も絵を描かなければならない。
今はデジタル技術が進んで、コピーも可能なのだろうが、ひとの目に誤解させるという点では、クレイアニメも同じ仕組みである。

ところで、なにが誤解かというと、実際には動いていないものを、動いているように見てしまう、という点だ。人間はいつの間にか、この羊が動いている、と思い込む。

マジックも同じで、ひとに、ある現象を、こうだ、と思い込ませる。
たとえば瓶の中にはなにも入っていない、と思わせる。
しかし、蓋の裏にはしっかりとコインが貼り付けられている。

人間の目には、「知覚の恒常性」とよばれる性質がある。
これにより、網膜に映った画像は再構成されて見えている。電光掲示板やアニメが動いて見えるのはこの仕組みによるものだ。

けっして、電光掲示板の字が、動いているわけではない。
また、アニメも、動いているわけではない。
しかし、わたしたちの目は、「動いている」と認識してしまう。

UFOも幽霊も、わたしはお話としては大好きだ。しかし、大半は『ひつじのショーン』と同じで、実際には動いていないものを、動いているかのように見てしまっただけである。

で、こういう話を、こわい話に夢中な小学校高学年の前ですると、

いやがられる。

それはそうだ。幽霊が、いるかもしんない、と思うから、こわいのだ。
目の錯覚だ、認知の問題だ、メタ認知しろ、などと言われたくない。
たった一つの偶然の現象を、知識や経験によるその人のスキーマで書き換えて都合よく怖い話にしただけだ、などと解説されては、せっかくのこわい話も台無しである。

しかし、こっくりさんなどが流行するときは、こういうメタ認知の学習を進めることがある。
超常現象を信じてしまう認知エラーと、偏見や差別を生み出す認知エラーは同じもの。

「人間は、常に認知のエラーを繰り返しながら生きている」

日ごろから、こういう認知の方法、という自分自身についての学習は、するチャンスをつくらないといけないと思っている。

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