教室から「正解」が必要とされなくなってしばらく経ちます。
文科省が「生きる力」を重要視して、だいぶ変わってきたな、というのを感じています。

正解を当てましょう、という教室文化は、もう・・・消える寸前かな。
教室の中で、クイズ合戦のような雰囲気は、ほぼ無いです。

大人の方には、クイズが好きな人が多い。
だから、まだテレビ番組ではクイズが多いし、
「小学校5年生の問題が解けるかどうか」というのに芸能人が挑戦しています。
つまり、まだわたしを含めた40代以上には、ふだんから

「正解を当てようとする」という雰囲気

がかなり濃厚にあるのではないかな。
現状の小学校についても、たぶん、大人たちはそういったイメージを持っている。
ところが、現状の学校はだいぶちがいます。

教室で重要視されるのは、けっこう間違った意見です。
柔軟に考えられるかどうか、です。
だから、授業のふりかえりをすると、

「今日の授業で最初に出てきた〇〇の意見が良くて、だからみんな一生けん命に考えられた」
「わたしは途中で意見を変えたけど、意見を変える直前に〇〇という意見が出たのがきっかけだった」

というような感想が出るし、教師はそういうふりかえりに価値を認めます。

また、クラスのルールを決める際にも、「正解はないよね」というところからスタートします。
ルールも何度も変えられる。現状や意見に応じて。
このときに、「正解を当てる」という感覚は、・・・無いですね。
つまり、ルールにも正解はない、と子どもたちもわりとふつうにそう感じている、ということ。
子どもたちが気にしているのは、みんなが納得している度合いが深いかどうか、という感じかな。

あとは、将来の職業についての正解を当てる、という気分についてだけど、
これらは、もうほんとうに皆無かなぁ・・・。

昔は、おそらくそういう気分もあったのではないだろうか。
医師や弁護士、宇宙飛行士、プロ野球の選手、デザイナー、芸能人、という具合に。

今は、将来なりたいものアンケートをとっても、てんでバラバラで、取る意味がないです。
少し前に流行したユーチューバーも、子どもからしたら数ある選択肢のなかのほんの一つ。
べつに、流行でもなんでもない。
職業じゃなくて、「沖縄」と書いた子もいる。つまり、沖縄で暮らしていけるのであれば、どんな職業でも可、というわけ。あるいは起業をイメージしている?

すでに小学生の文化から、『正解を当てよう!』というのは、なくなってしまったようです。

でも漢字は正確に書けなくちゃダメよ!

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