困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者の自虐スナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

夏休みに入りました。
子どもたちのことを思い出しています。

こんな姿があったなあ、あれはおもしろかったなあ、と
子どもの様子を思い浮かべて、家族に言わせるとぼうっとしています。

もっとこう言えばよかった、あれは理由はなんだったのかなあ、とか、
自分の反省もでてきます。

さて、1学期を振り返って、いちばんやっちゃダメなのは、急がせることやなあ、とあらためて。
ところがあれもこれも、それもどれも、みんなやれ、という状況がある。
その情勢に対して、どこまでうまくすりぬけていけるか、というサバイバルだ。

やらないでもいいものを、できるだけ精密に見分けて、やらないで済ませる、という知恵にかかっている。それができない教師は、自滅するだけだ。子どもたちは自尊心をなくし、疲れ果て、ただ地べたを這いまわっているだけ(這いまわり教育)になる。

押し寄せる通達、チラシ、イベント催しの知らせ、
△△教育、◇◇教育、☆☆教育、〇〇教育、をしろ、という圧迫感。
あれをせよ、これをせよ、というすべての圧迫から、子どもたちをどう守っていくか。

保障すべきは、「考える時間」だ。
ぼくたちはなんのために、なにを考え、なにを得たのか。
そして、また、なにが分からなくなり、できなくなったのか。
1つ進んだら、2つわからないことがでてきたことを、喜べる子どもに育てないと。

「ねえ、わかった?」

と聞いてしまう教師は、もう次の時代には不要となる。

わからないことを楽しみ、わからないことを生涯の楽しみに思える子に。
それを、「これがわかった、これがわかった、これがわかった・・・」で疲れ果てる子にはさせない。結局、なにもわかっていないのだから。

うまく伝えようと言葉を尽くしても、結局は本当に伝えたいことを伝えるなんて、とうていできない。なによりもそれを聴こうとする側の真摯な、素直な、そのとおりに受け止めようとする純粋な気持ちがなかったら、曲解、誤解の嵐だ。

ノートばかり見て、黒板ばかり見て、友達の顔をみない子にはさせない。
友達の表情を、飽きるほど眺めて、
「さっきの君の意見だけど、この点をもう少し聞かせてもらえないだろうか」
となるようなのがいいなあ。

45分では足りない、足りない、時間が足りない。
だからこそ、教員が「捨てる課題」を見いだす感性を身につけないといけない。
これからの教育が生き残っていくための、砦だと思う。

時間どろぼう
dorobou_jikan
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コメント

 コメント一覧 (1)

    • 1. ほし
    • 2020年08月03日 08:39
    • 5 本当にそうですね。

      保護者の側も、学校はそう言ってるけどうちはこう思う、という勇気も必要ですね。大人みんなで子どものことをあたたかく想って、未来を願う。。
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