元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

4月1日。
緊張感がただよう中、職員室があらたにスタートした。
多くの先生たちの異動があった。新しい顔ぶれ、新しいチームの船出だ。
大学を卒業してきたばかり、という若者もいるが、朗らかないい顔をしていた。
ベテランは余裕のある態度、面白いスピーチをして職員室をなごやかにさせる。
コロナのことはあるけれど、それでも学校はまじめに、まじめに、進んでいく。

先生たちはまじめすぎる、という言葉を巷で聞くことがある。
生真面目で融通が利かない。子どもを型にはめようとする、などだ。
たしかに、そういいたくなる場面もあるのかもしれない。
しかし、先生たちのまじめさは、本当は市民にとっては宝なんだとも思う。

どんなことも、子どもが混乱するのでは、という意見が出ればすぐに修正しようとして、たくさんのアイデアがでる。今回は、入学式も始業式も、イレギュラーな対応をしなければならない。大人数が集まる形がとれないシナリオをあらたに考える必要がある。
先生たちは、生真面目で、融通がきかないからこそ、手がかかっても、面倒であっても、できるだけ子どもにとってどうか、と考えてシナリオを考えようとする。そこを「そんなにまでしなくても」と言う先生は一人もいない。その姿勢は不思議なくらい共通している。職員室での暗黙の了解、になっている。そんなことは当然だ、というわけだ。

こういう先生たちの一貫した「まじめさ」が無くなってしまったとしたら、こんなに惜しいことはない。日本の小学校の教員が、いつもまじめな態度を失わないことは、われわれ『市民にとっての大きな力』なんだろうと思う。

ところが、それが先生たちの弱みでもある。
今日の職員会で、本当に多くの事案が検討された。長い、長い、職員会であった。
その終わりごろに、教頭先生がこう、言われた。

「できるだけ、その日のうちには、学校の玄関を閉めて、全員が家に帰るようにしましょう」

それを聞いて、苦笑がもれた。
おそらく教頭先生にしても、少しユーモアを加えてのセリフだったのだろう。
苦笑いをしてクスクス笑っている先生たちが多かったが、どこかに身に覚えがあるということ。つまり、深夜、日付が変わるころまで残って仕事をしていた経験があるのだ。

どんな仕事でも、たいへんなことはある。
厳しい状況に置かれたら、ときには睡眠時間を削ってもやらねばならない、ということもあるだろう。仕事、というものはそういうものかもしれない。多くの大人が、そういう状況で働いているのだとも思う。
わたしは、教師が深夜まで働くことが悪いとは決して思わない。
子どものためになる、と心から思えば、「この時を逃してはいけない」ということもあるし、ここまで用意しておかねばならない、というときもある。子どもが本当にこのことで伸びる、と確信すれば、成長する、と思えば、教師はまじめだからやりたくなってしまうのである。

しかし、そこまでしても、報われることは少ない。
そのことに親が言及することはないし、誰も知ったことではないからだ。
教師の仕事は、本当に報われないものである。
やってもやっても、報われない。それで心を病み、辞めていった知人もいる。
裏でどれだけ仕事をしているかを知っているから、保護者に責められ、烙印を押されたようになり、追い詰められていく同僚をみるのは本当にツライ。

今日の職員室の様子を、マスコミが報道すればいいのに、と思う。
いや、そんな回りくどいことをしなくてもいい。だれか一人でも、保護者が記者としてそこにいたらいいのだ。PTAがいい。職員室がどんな雰囲気なのか、いつも広報する人がいればいいのに。

それができないのが、今の社会の構造的な欠陥だろう。親は勤務をしている。学校にきて、記者のような真似をする時間も金銭的な余裕もない。無理なのだ。

わが子なのに、わが子のことなのに、親は密接につながることができない。
それが今の社会のシステムだ。
親が自分の子どものことを、もっともっと、平日の昼間の様子を、身近に知れるようになればいい。先生たちとともに、子どものことを話題にして、あれこれしゃべり、大いに愉快がり、子どもの成長をほんの一足、つまさき一つ分でもいい、成長したところを見つけ、地域の保護者、先生たち、つまり大人たちが、よってたかって喜べばいい。

子どもの話をしながら、せんべいを食べましょう!

IMG_5070
子どもの成長を見て、喜んでいるのが先生だけでいいのか。
保護者ともっと話したい!
10年前、教師になりたてのころ抱いた感覚は、今でも私の中にある。

(※ちなみに、2012年に書いた記事 ↓ 当時もこんなこと考えていたんだな~)

学校の教師がもっと社会に出ていくべきだ
http://arigato3939.publog.jp/archives/54402106.html
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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 2. 新間草海
    • 2020年04月04日 20:11
    • あらまです。ほしさん、ありがとうございます。
      いつでも来てほしいです。ほしさんの書いている、子どもの忘れ物、買い物でちょっと、というくだりが、いいですね。本当は子育てというものは、天が与えてくれている最大の幸福のように思いますね。こんなに楽しく、嬉しいことはないんですから。幸福度100%というのが、子育ての本質だと思います。
    • 1. ほし
    • 2020年04月03日 16:32
    • 5 大きく何回もうなずきながら読みました。わたしは、小学生の子供が2人いる母親です。(上の娘は不登校中です)

      授業参観のような形式ばったものでなくてよいので、保護者がいつでも授業を覗きにいけたらいいのにとずっと思っていました。(今も、行ってだめなことはないのでしょうが)

      でも、保護者の側からすると、なんとなく、学校は聖域のような、朝送り出したら、そのあとは帰ってくるまでは、親の知らない世界のような、電話ひとつするにも衿を正してしまうような場所だと感じていました。周りのママさんも、学校に電話するだけなのに、それすらためらう声があります。皮肉にも私は、娘が不登校になってから、学校へ抵抗なくどしどし入り込める、校長先生と対話をしたがる保護者になれました。

      本当は、保護者にもっと学校を近くに感じて欲しい、そのほうが先生も嬉しいのだということを知れて良かったです。

      子供の忘れものを気軽に届けたり、買い物で近くを通ったからちょっと校庭をのぞいたり、教室をのぞいたり、廊下ですれ違った先生と少し子供の話をしたり。。。

      大人たちが、こどもの健やかな成長を願う姿をあちこちで見せるだけで、見守られている安心感でこどもたちは羽ばたけますね。

      職員室レポをPTAがする案、いいですね!

      これからもブログ楽しみにしています!

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