困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

これはどこでインプットされたのかなあ、と不思議に思うことですネ。
韓国のことをどれだけ知っているのか、ほとんどなにも知らない小学6年生が、韓国の悪口を言っております。

おそらく、何の気なしに、というか、あまり意味なく、なにかそのフレーズを聞いたままに、そのまま口に出したのか、と思う。
もしかしたら何か考えがあるのかと思って聞いてみましたが、

「なんでそう思うの?」
「だって、そうなんでしょう?」

なるほど・・・。

・・・これは、マア、言葉は適当でないかもしれないが、「洗脳」されてる状態です。
マスコミからなのか、身近な大人からなのか、どこかで聞いた言葉フレーズが、そのまま脳内で再生され、口に出しているだけ。本人が、なにか深く考えているわけではない。お笑い芸人の発するギャグを、そのまま教室で言うのと同じ。

むかし、芸人さんの、リンゴにペンを指すパフォーマンスが受けたとき。
教室中のどの子も

「あっぽーぺん!」

と、日に何度も何度も口にする日々があったけど、あんな感じ。

テレビ番組でコメンテーターが韓国政府に怒って見せる。
その言動や雰囲気を察して、そのまま、見たまま聞いたままを、まねしている。
全国の小学生の中には、それをそのまま「そうなんだー」と理解し、大人の言っていることだし、やっていることだから、「おれもちょっとやってみっか」と思う子も、いるだろうと思われる。
むしろ、純粋で、大人の言うことをある程度信頼して聞こうとする子ほど、激しい大人の言動、直接的な気分を顕わにする言動を見て、
「ああ、よほど大きな出来事なのだなあ。俺もこの波に乗らねば」
と思うのかもしれない。

安直でわかりやすいので、マネしやすいのでしょう。アッポーペンよりもはるかに、今回の方が、マネをしやすい。アッポーペンは、気分的には玉虫色で、いわく説明しがたい感情の発露であろうと思います。それに比べりゃ、怒り、というパフォーマンスの方がわかりやすい。

古坂大魔王扮する「謎の千葉県出身シンガーソングライター」たるピコ太郎(ピコたろう)が、なにを思い、どんな経緯で、どんな前後の複雑怪奇な物語のはてに、あのセリフを言うようになったか。それを適切な語彙を用いて説明することのできる小学生は、ほとんどいません。

そう考えると、今回の「韓国の政府は馬鹿ばかりで許しがたく、罰せねばならない」というような『怒りの表現』は、うんとわかりやすい。要するに、この人、腹立ててっけど、なんだかいろいろと気にくわないんだろうナー、と子どもだって理解できます。

幼児期の子どもは、気に入った友達とだけ、遊び、つきあっておればよろしい。
だから、いやなやつは、「気に入らねえ」と声を高くして言えばよく、その後のことや周囲のことは一切気にしなくとも済んでしまう。韓国は嫌いだ!と叫べばいいだけなのだから、幼い小学生の子どもたちにとってみれば、すごくよく理解できることなのです。
逆に、おそらくピコ太郎がりんごにペンを刺さねばならなくなった原因や、そのリンゴをその後どうするかまで責任をとる姿を想像すると、ピコ太郎はずいぶんと複雑な背景を背負っている気の毒な大人であります。小学生にとってみると、「わかりにくい」存在といっていいでしょう。

だから、子どもたちは、アッポーペンを、たった1,2カ月で捨てました。
9月下旬にマスコミが、ジャスティン・ビーバーがツイートしたことを報じて話題になったのですが、実際につがるやふじなどのりんごがスーパーで売られるようになるころには、もうすでに飽きられていましたからネ。

「おれ、家でペン刺そうとしたら、姉貴が、PPAPは古いとかいうからやめた」

という会話を、実際にわたしは愛知県岡崎市の教室で聞いている。あれは、おそらく、1月にはなっていなかったろうナ、と思います。

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つまり、幼児は、複雑な背景のあるもの、人間の背景にある物語を理解するのを、面倒がるのでありましょう。ピコ太郎の物語を、背景を、理解し心情を汲みとろうとはしないのです。

幼児期は面倒な人間関係を避けて通れば済むが、おとなはそうはいきません。
気に入らないいやな奴とも何とか妥協点を見出して付き合っていかなければならない。そして、お互いに妥協点をさぐるうちに、相手は相手なりに背景を抱え、家庭や会社の事情の中で、もがきながら交渉していることが分かってくる、理解もできる、その過程でリスペクトも自然に湧いてくるものなのでしょう。

あいつが悪い!と悪者を定めて成敗し、追放すれば残りは全員天使のごとく浄化されているかどうか。この世を白と黒でたった2つに分けよう、という発想は、幼児のものでしょう。黒さえなくなれば、あとはみんな真っ白だと思い込めるのは、幼児だけです。自我の芽生えに満たない幼児は本当に、そう思い込みます。

これは、思春期以後、大人になるまでに自我が育ち、自己の姿を客観的にとらえることができるようになれば、問題は解決するでしょう。社会の中での自分、というものが、自分の内面のありのままの自発的な表現のもたらすものであり、自分が主体的な意志で動き、あらゆる自分の行動を自分が決定し、自分が責任をとるのだ、と実感できるようになれば、おのずと解決するハナシであります。

「あいつは悪者で、あいつさえいなければ浄化され、一切合切すべてが良くなる」と言いたくなる気持ちが消滅し、発生しなくなるからですネ。その理由は、「人間は根本が同じであって、自分を含めたすべての人が考えを変え、行動を変え、自己決定を変化させながら成長している」ということを知ったためでありましょう。

だから大人は、桃太郎で鬼ヶ島の鬼を退治してしまえば、あとは未来永劫、究極の善人だけの国が誕生し、未来永劫、善人だけの歴史がはじまるとは、思わないのです。鬼ヶ島から見れば、われわれ桃太郎の国もまた、かの国の言葉で「鬼ヶ島」と呼ばれていはしないか、ときちんと冷静に分析することもできるし、鬼と呼ばれたからといって、実は鬼ではない、ということが、容易に予想できるからですネ。そして、どの国ともWIN-WINの関係をつくり得ると考え、そういう未来を実現することだけが、目標になるからです。
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