母がハワイに行く、と言い出したのが5月。
2年前に父が死んで、「なにもやることがなくなった」と言っていたが、気が変わったようだった。


父が死んだとき、
「これまではお父さんが喜ぶことだけ考えていたら、それで良かった。その相手がいなくなったからなんもすることがない」
若いころからチャキチャキしていて、なんでも思ったことをズバズバ言い、元気がとりえ、という人だったから、その脱力ぶりは見ていて痛ましいほどだった。

「なんでハワイ?ゆっくりしたいのなら、熱海とか、伊豆とか、国内じゃないの?温泉とかで、おいしいお刺身を食べてさ・・・」

国内を勧めたが、今回はハワイだ、と言ってきかない。

「まだ一度もハワイに行ってない。あんた、ハワイの旅館取って、手配して」

母は、ハワイにこだわる。で、結局、面倒くさい旅の準備はこちらに任せる、ということのようだ。

「もうすぐお迎えが来るんだから、その前に、ハワイ」

ちっともお迎えが来る様子は無いがな~、母と同居している姉が苦笑した。

姉と相談しながら旅行の準備を進め、随行することに。
ハワイで何がしたいんですか、と聞いても、特に何もないようだ。
喫茶店をしているので、コーヒーの木をみて、ハワイコナの豆を買いつけるのと、あとはただきれいな海のところへ行きたいんだそうな。

「ハワイコナの農園に見学できればいいよね。それならツアーもあるし」




出発の日が近づいてきた。
あと3日、というところで心配になって電話をかけると、姉が出た。

「お母さん、ハチに刺されたんよ」

足のかかとが、水膨れになっているらしい。

「どっかにハチの巣があるかもしれんで、出発する前に巣を取ってしまって」

出発の日の朝から、ずーっと忙しいぞ、こりゃ、と観念した。



高速をとばし、当日の早朝、実家に着いた。
実家に着くと、そこからすぐに蜂の巣を退治。それが終わったら庭木の剪定。
「本日休業」の看板をみながら、喫茶店の入り口のテラコッタを高圧洗浄機で洗う。
「これからハワイに行く感じがしないぞ」同じように掃除をしていた姉に文句を言うと、まあまあ、と軽くいなされた。

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夕方、中部国際空港で出国手続きをし、あれあれ、という間に機内へ移動。

いよいよハワイか、と鼻歌を歌おうという気分になったとき、隣席の母がふところから取り出したのは、父の写真だった。

「はい、お父さん。いよいよ飛行機にのったよ」

写真にうつった父に、機内をぐるり、と見せている。

「ああ、お父さん連れてきたんだ」

と姉が声をかけると、

「ああ、そうだよ」とすましている。

「喫茶店を10年やったら、いっしょにハワイへ行こう、と話していたんだからね」

どうりで・・・。

今回のハワイ旅行の意味が、ようやく分かった。

このあと、母は父の写真を旅行中に何度も出し、父の目に映るようにまわりの景色を見せたり、料理を見せたり、話しかけたりした。

「おかしな人だと思われなきゃいいけど」

と心配すると、

「思いたい人には思わせておけばいいのよ。人間なんて、思いたいことしか思わない動物なの」

77歳になると、達観するようでありますナ。

はわい


夕暮れ時、母がホテルの前のビーチを散歩しながら、

「お父さん、ここに暮らすのもいいねえ」

と、写真を両手でもって、ずーっと夕日を眺めている。



あたりが暗くなり、ホテルの照明がついた。

母は、ハワイに来れてよかった、と何度もいう。

「お父さんならここに椅子を出して、ずっと海を見てるわ」


買い物もしないし、観光もしない、なんにもしない、77歳のハワイ旅行。