困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者の自虐スナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

唐が忙しく徴兵したり、兵を雇ったりして、「防衛」にやっきになっているころ、日本は海に囲まれて平和に暮らしておりました。
周りに騎馬民族も、遊牧民族もいないし、大国の気苦労をしなくても済んだのですね。

極東の小さい国として、もう唐ともきっぱりと縁を切り、独自の道を進み始めます。

具体的には、かな文字ができました。
日本に合った文字ができ、文学作品が生まれます。
また、服装もしだいに日本ならではのものへと変化。

【学習問題その1】このとき、日本風になったものって何だろう。

〇かな文字
〇寝殿造
〇大和絵
〇服装(十二単)
〇年中行事も日本風に
〇遊びも日本風に
〇寺院仏教の様子も日本風に

これらの変化を総じて『国風文化』といいます。

貴族は藤原道長を中心に、天皇の周辺で少しばかりの政治を行いながら、蹴鞠をけって暮らしていました。(平安京)

藤原道長は時の最高権力者でした。
なんと、天皇よりも力を持ったのです。
【学習問題その2】では、どのような手をつかって、最高権力を手に入れたのでしょう?

教科書と資料集で各自で調べる。

動画でおさらい。

答え 摂関政治。(娘を天皇の后にして、自分は摂政、関白になった)

藤原の道長


ところで、こんなふうにぜいたくな貴族の暮らしは、いったいどういう人たちが支えていたのでしょう?

一般の人たち。
ふつうの農民たち。
地方の人たち。

そうですね。都にせっせと納税していた国民たちです。

このぜいたく三昧な貴族たちの暮らし、長くつづいたと思いますか?

うーん、どうかな。
反乱がおきるかも。

平安時代は794年から。藤原道長が生きたのがちょうど1000年頃。
200年とちょっとの間、このような貴族の時代が続いたのです。
けっこう長いよね。

でも、次第にそうはいっていられなくなります。
ではつづきは、次回。
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