困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

板書)聖武天皇(しょうむてんのう)
   奈良時代

人物シールを貼る。

聖武天皇


指示)時代背景を整理しよう。

板書)蘇我氏を倒したあとの天皇中心の政治がゆらいできた。
   地震、ききん、反乱がおき、悩んだ。

注釈)当時の人は地震のことをどんなふうにとらえたか。
   ⇒今のような科学的知識がなく、天災は神の仕業と考えた。
   ⇒神が怒っている、天皇は責任を感じていた。

聖武天皇はそんな中、せん都を繰り返した。
指示)資料集や教科書から該当する箇所を探させ、発表。
資料集なら:資)P38 などと板書させ、探せたことをほめる。
「歴史の勉強は、資料を上手に探して考えると力がつく」と話す。

子「恭仁京、難波宮、紫香楽宮、平城京、と次々と都を変えています」

学習問題:なぜ聖武天皇は頻繁に遷都したのだろう

指示)3分間、自分で資料から探して考えましょう。
指示)3分間、班で考えてみましょう。⇒白紙配布で書かせる。

班ごとの発表。

①大仏が関係していると思う。
②政治が乱れていたから、変えようとした。
③反乱軍が出たから?
など


資料をさらに追加します。

山上憶良が詠んだ、『貧窮問答歌、現代語訳つき(かんたんなもの)』を配布する。

「地震、ききん、そして重税。人々のくらしはあまりにも悲惨でした」

発問)責任を感じている天皇。どうしたでしょうか?

子「仏教にすがった」

仏教の教えの中でも一番、とされる盧舎那仏の大仏をつくり、国家を安定させよう、とします。


ところが!

大仏をつくるのには、なにが必要でしょう?

子「材木」「金」「ゴールド」「屋根瓦」「石」・・・など
 「そららを集めてつくる人」

人々は、大仏をつくることができるでしょうか?

子「できない」

なぜ?

子「あまりにも生活が苦しいから」



天皇は仏教にすがりたい。できれば大仏をつくることができたら、と考えている。
ところが、実際には人々に、その力がない。民には、余力がないのです。
天皇も、まだ自分自身、大仏をつくろうというふんぎりはつかなかったかもしれません。
それでも仏教に帰依する、という決意は変わりませんから、人心を一新させるために遷都をします。

最初は恭仁京。
ここで、天平13年(741年)国分寺建立の詔(みことのり)を出します。
日本中に大きなお寺をつくり、国を護っていこう、としたのです。

国分寺は作られますが、国はいっこうに良くなりません。
このころから、聖武天皇の気持ちの中で、国分寺だけでなく、大仏を作ろう、という固い決意ができていたようです。
恭仁京がまだ完成しないうち、まだ6か月しかたたないときから、
「滋賀県の紫香楽に、離宮をつくれ」
と言い、さらには「そこで大仏を作ろう」と言い出しました。
あげくの果てには、「紫香楽宮に遷都する」と言います。

ところが、うまくいきません。
人々に、パワーが残されていないのです。
結局、聖武天皇はその後、難波宮に遷都したり、ふたたび紫香楽にもどってきたり、なんとも定まらない気持ちで、迷いつづけます。大仏をつくるなんて大事業は、この時代の人々にとって、荷が重すぎたのです。


まとめ。


大仏を作って仏教にすがりたいが、大仏をつくるパワーが国に残っておらず、作れない。
遷都は仏教にすがった天皇が、大仏をつくるためにさまよった痕跡なのでした。

次回はこれ。
「それでも大仏がつくれたワケ」

人物は、行基、です。

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