困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者の自虐スナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

おもしろい子がいる。
わたしは担任ながら、彼のファンである。

なにがというと、彼はいつも、「反対意見」を言おうとするのである。
このことは、教師をやっていればだれしも思うだろうが、たいへんな幸運とよべる。

自分のクラスの意見がすぐにまとまり、なにも紛糾せずにいたら、どれだけツマラナイか。
あれ?うそ?え?と思わず目がテンになるほど、さまざまな意見が出てくるから面白いのであり、結論がなかなかでないことに価値がある。
また、その「結論までの過程の面倒くささ」に耐えられるような人格をつくりあげるのが、学校教育の使命でありましょう。

実際、少数意見がキラキラと輝いていなければ、この世は良くはならない。
その真理を子ども時代から体得せしめるために、学級ではつねに、「多数が力で押し切る」ことを否定していくのです。



そんな彼が、いちばん力を発揮するのが、授業です。

今の授業って、ほとんどが「覚える(講義型)」ではなく、「考える(思考型)」に重点が置かれています。
だから、国語でも算数でも理科でも社会でも、「〇〇は、△△だろうか?」というように、授業ごとにお題が出されます(学習問題とよばれるもの)。
そこで、彼が真価を発揮するのです。


社会の授業がはじまると、最初は大勢を見極めようとします。
たとえば、
「縄文時代と弥生時代とどちらが幸福か」
というお題。
意見はすぐに決まりかける。
弥生時代こそ、幸福だ。
定住・定量収穫で人口の増えた弥生時代こそ人類の幸福、という方に固まりかけると、やおら頭をもたげて勢いよく挙手し、

「ぼくは縄文派です。そもそも弥生時代は殺戮があった。米に頼って土地を私有化したから土地の奪い合いが起きた。縄文の暮らしは平和でした」

とまるで見てきたようなことを言う。
殺戮があったから不幸、という一点で心を掴もうとするNくんの作戦です。
女子は「またNくんは少数意見だよ」と迷惑顔。

頭の良い女子が軽くつぶしにきます。
「そんなこといっても人口は増えています。これこそ繁栄の証拠です」
やんやと喝采。ほぼ女子は全員が弥生派でした。

これはね。
教科書のイラスト!
このイラストに影響されちゃうの!

縄文時代の女性のイラストは厚ぼったい獣の皮をまとって、おまけに皮膚には刺青まである。
対して弥生時代の女性はどうか。なんと、顔つきまで美人に描かれ、布のワンピースをふんわりと着た女の子がおしゃれな髪飾りまでつけている。これを見た女子は全員、

「弥生時代こそ、幸福」

説を曲げません。

しかし、Nくんが少数意見を主張しているのを感じ取った男子は、徐々にそのNくんに感化されていきます。

ワンイシューというのは、請求感がありますね。
心をつかみます。だって、わかりやすいもん。
また、「闘っている」感じが、きちんと伝わってきます。
「〇〇こそが問題なのだ」
ワンテーマ、一点突破。
内容よりも、その雰囲気が大事なのかもしれません。

ふだんはめったに意見を出さないYくんが加勢。
彼は器用なタイプではないので、なにを言い出すのか味方のはずの男子までもがドキドキして見守ります。

「えっと、弥生時代は米が食えたけど、それだとずっとそこに住まなければいけないし、もし地震とか起きてなにかあったら、縄文時代はすぐに引越しできたけど、弥生時代はなかなか引っ越せないのではないかと思うから、縄文に一票」

男子が拍手。

頭の良い女子が、サッとつぶします。
「当時は大きな建物もないし、大地震があっても引っ越さなくてもいい。田んぼも作り直せば済む」

男子は沈黙。
こんなにあっけなくつぶされるとは。

Nくんが、方向修正をはかります。
やはり、複雑なのはダメ。ワンイシューこそ、万人に訴えかけるのです。

「殺しがあったから不幸です。吉野ヶ里遺跡はほとんど戦時中の城に見えるし、堀や柵にかこまれていたから安全、とはとても思えない。ぼくはそこに住みたいとは思えない。明日にでも戦争が起きそう。見張り台で丸一日、いや1年間ずっと、いや10年も20年も30年も、敵が攻めてくるのを見張りつづけるのは、すごくたいへんです」

これは女子の数人にも影響した。
女子が頭をくっつけて相談しはじめた。

Nくんは、身振り手振りをつけて、声の抑揚をすこしずつつけながら、だんだんと大胆になる。

「縄文の村を見てください。堀も柵も、なにも無い。何も怖くないから、柵がないのです。堀のない縄文の村の方が、安心して住める」

男子がすぐに加勢。
「そうです。安心がいい」
「敵がいないことがいちばん」
「縄文こそ、理想社会と思う・・・」

・・・

いつも社会は時間切れになる。
結論は、各個人がノートにまとめて提出。
女子も半数が縄文派に変わっていた。
Nくん、おそるべし、である。

教科書的には、時代は現代になるほど幸福になっていることになっている。遅れた野蛮な文明である縄文よりも、弥生の方が『進化』したはず、と。

なるほど、確かに戦闘力も上がり米の収入も増えて物欲も満たされた。
だから、幸福、ということになっている。人類が前の時代よりも退化するなんてことは、ない、からでありましょう。

縄文時代
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