新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

引っ越してくる日系ブラジル人の父親と面談した。
学校のことをあれこれと説明し、校舎内を案内して回った。

子どもが学校へ登校するようになるのはまだ先だが、父親が先に家族の居住環境を整えるため、こうやって家族より先に越して来て、あれこれと準備をしている。

父親との会話の途中で、

「日本は世界一、寿命が長いから」

という話題が出た。

だから、人間にとって良い環境だ、というのである。



案内が終わってから、そのセリフが妙に心に残って、何度もわたしはそれを反芻した。

「長いから、良い環境か」

たしかに、人間の生物学的な環境という意味で、長寿と言う実態があるのだから、よい環境ではあるのだろう。しかし、なぜかしっくりこない。どこか、「でもなあ・・・」という思いがある。

人間にとって、良い環境とは何だろうか。
世界一の長寿国に住む私たち日本人は、・・・それにしてはあまり、幸福そうではない。
そこが、ひっかかる。

よい自然があり、水がきれいで空気もおいしくて、野菜もさまざまにとれて果樹にはくだものがなり、季節ごとに目に入る景色は飽きないし、吹いてくる風が気持ちよく、土にはミミズがいて微生物が活躍し、たしかにこの世界は、この国は、たいへんに豊かな環境にあるのだろう。

しかし、多くの人が「それほどでもない」感じで生きているのではないか。

これは、もしかすると、「手段と目的のとりちがえ状態」に近いことが起きているのかも。
長寿をめざす、という【ものさし】がある。そのための、取り組みもあったとする。
しかし、それだけでは実は人間の、目的そのものにはたどり着かない。

人生の目的は何か。
となると、これは主観的な問題だ。
「しあわせ」の基準が異なるからね。各自で。

中には、麻薬の心地良い痺れた感じを味わえたらそれが自分にとっての幸福だ、という人もいる。
個人の主観だ。
ところが、本当にそれを願っているかとなると、
「クスリはやめよう、やめよう、とずっと思い続けていた(ピエール瀧)」
と本音が出る。
いくら個人の主観だといっても、本当の本心、本音の奥、そんなに簡単には見えていないのではなかろうか。

その日の気分でころころ、というように、気分を晴らせば幸福かというと、そういうものとも違う。

「しあわせ」になるために、なるために、そうなるために、と努力しても、なかなかゴールに近づく感じが無いのは、ゴールが見えていないからか、そもそもアフブローチの仕方に【勘違い】があるのだろう。

もしそのゴールが見えてないのであれば、学校教育が全国民の莫大なエネルギーを使って行われたとしても、おそらくゴールにはたどり着かない。これは、間違いない。
学校教育のゴールは、子どもの幸福の実現なのだとしたら、その「幸福」とは、何だろうか。

教員になって10年以上経つが、「子どもの幸福とはなにか」は、直接、あまり話題にならない。
「わかってるでしょ」という前提で、その他の事ばかりやっている気がする。本当は分かってないかもしれないが。

所詮、幸福など分からないさ、それが人生だよ、そんなものサ、というのもなにかつまらない。

magari_michi
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