困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

歴史研究家でもあり、英語とロシア語の観光ガイドでもあり、クイズ王でもある加藤さんは、
「おう、いたいた!」と声をあげて、屋根を見上げた。

なんとそこには、猿がいた、じゃないの・・・えー・・・。

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なんでも、顔を長い御幣という神祭の道具で隠しているらしい。猿の顔は、残念だけど見えにくかった。

烏帽子(えぼし=帽子)をかぶり横向きに座った猿が、御幣(ごへい=神事で使う道具)を持っている。この方角を護っているわけは、北東の反対側(南西)が、丑寅の逆で未申=ひつじさるだから。方位の考えでいけば、猿は、鬼に対して、強いのだ。

ここで、さきほどの屋根の上の桃を思い出していただきたい。

鬼、猿、桃・・・とくれば、

「桃太郎」ではないですか。

「あのう、桃太郎に、猿が出てくるのは、鬼に対して強い、というイメージだからでしょうか?」

遠慮がちにクイズ王に向かって質問を繰り出すわたし。

ハンチング帽をかぶったクイズ王は遠い眼をしながら、

「まさに、まさに」

と、うなずく。

「そうでしょう、そうでしょう。出てくるでしょう!鶏も犬もいっしょに、ね」

ははあ。

「え、じゃあ、鶏も犬も、あれは干支の・・・」

わたしがようやく合点した顔を見せると、加藤さんは目を細めて

「点と点が、つながったでしょう」


そうだったのか。

鬼を退治したい、という人々の願いは、古来より長い年月をかけてこんなにまで精神の奥深くまで浸透した結果、子どもの寝物語に話す『昔話』にまで発展していったのか。

なによりも北東、という方向が、鬼の居場所であるらしい。
すべての災いが、こちらの方角だ、ということだったようだ。
ことさらに、「北東」を怖れる古代人。

京からみると、北東とは、ずばり比叡山の向こう側、琵琶湖、そして、今の長野県を通って東北地方へと続いていく。都の人々は、潜在意識の中で、この方角に住む得体のしれない者たちへの、不安を蓄積していたのだろうか。

坂上田村麻呂が天皇の命令を受けて、活躍したころのこと。
田村麻呂が若年の頃から陸奥国では蝦夷との戦争が激化しており(蝦夷征討)、延暦8年(789年)には紀古佐美の率いる官軍が阿弖流為の率いる蝦夷軍に大敗した。

このころから、北東は「鬼がいる方角」になったのであろう。
そして、北東は牛と寅。牛の角をはやし、寅皮のふんどしをはかせ、北東には怖ろしい者が住む、というイメージが流行した。

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そこで、

「鬼を退治するには、北東とは真逆の、南西の方位にいる奴が、いちばんいいだろう」

昔のストーリーテラーが、こう考えたのもうなづける。

「ええと、南西というと、・・・猿と羊か・・・。うーん、ひつじが鬼に勝つかなあ」

作家の脳裏では、ひつじのショーンが必死の形相で、懸命になって鬼にかみつくシーンが何度も脳内で再生されたにちがいない。

「やっぱ、だめ!ひつじじゃ!」

そこで、ひつじ(未)ではなく、逆側に座っていた鶏に目を向ける。

「鶏なら、鬼に勝つのでは?」
「ばか、鶏なんかすぐ焼かれて食われちまうぜw」

編集会議でも、反対意見はあっただろう。
ところが、

「猿、単独では物語に深みが出ない。この際、ニワトリというより、大きな鳥(酉=とり)というくくりでもって、雉(きじ)に登場してもらったら」
「そうだなあ。キジならある程度、飛行能力もあるし、鬼ヶ島の様子を偵察しにいく、という役がまわせる」

ということになり、猿と雉(きじ)が登場人物に確定した。

編集会議の終わり際に、

「でもさあ、雉が偵察に出たとしてもだよ」
作家たちの間でも、偏屈者として有名だった巖谷小波が、パイプの煙をくゆらせながら、言う。
「その2匹だけじゃあ、鬼には勝てんだろう」

腕組みをして考え込む、若手作家たち。

巖谷小波は、力強く、こぶしを振り上げて言う。
「鬼ののどぶえを食い破るくらいの、凄惨な致命傷を負わせるくらいでないと、これからの日本は強くならんだろう」
「たしかに!」

こうした流れで、登場人物のさらなるインフレが起こっていったのは間違いない。
猿の隣の『トリ』、そしてさらにその隣より『犬』が選ばれて、家来に確定したのだろう。

もしも逆方向に目を向けていたなら、今頃、桃太郎の家来は、馬とへびだったはず。

おお、馬とへびの方がむしろ・・・。



わたしは、ここまで夢想してみて、最初の疑問に舞い戻った。

「なぜ、そもそも桃なのでしょう?」

加藤さんに率直にぶつけてみると、

「ああ、そりゃ。桃には不思議な力が宿ると言われていたからね」

とあっさり回答。

あとで調べてみたら、なるほど、もともと桃は、仙人の食い物であった。

こんなふうに、猿を見上げながらしゃべっていたら、さきほどの同志社大学の女子学生たちが、興味をもって近寄ってきてた。桃太郎だの、犬だの猿だのと、われわれが大声でしゃべっていたのに注意を惹かれたらしい。

加藤さんが気が付いて、

「ほら、あの屋根のところ。猿がいるでしょう」
「え?猿・・・?おさるさんがいるんですか?」

女子学生たちは、地元っ子ではないのだろうか。
だれも知らなかった様子で、わいわいしゃべっている。

わたしは、桃太郎の家来の中で、もっとも最後に加わったのが犬っこキャラであったことを思うとせつないのであったが、加藤さんが女学生たちに一生懸命にガイドしている姿を写真撮影するのであった。

御所の猿の説明

↑ クイズ王が、女学生に猿を教えている図。

さて、こんなふうに珍妙な「学習」をしながら、わたしはプロのガイドと共に、よい時間を過ごした。
南禅寺の門にのぼって石川五右衛門の真似をしたり、大文字の山をみつけて京都の地形を考えたり、『仮名手本忠臣蔵』七段目で大星由良助(史実の大石内蔵助)が遊んでいる祇園の一力茶屋のモデルになったとされる万亭を見たり、あれこれと充実した午後であった。
中でも琵琶湖疎水をふんだんにひいて池泉回遊式の庭園をつくった山方有朋の「無鄰菴」では、他にお客のいない、めずらしい10分間を、しずかにゆったりとくつろいで過ごすことができ、われながらなかなか上出来な旅(プロガイド付き)であった。めでたし、めでたし。

(本当はもっとこの日の夜が面白かったのだが、これ以上書くと終わりそうもない。また、旅の思い出は思い出した時に記そうと思います)
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