新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

嫁様は最近になって保育園で勤務しだした。

職場では新人で、子どもからも
「あの先生は、新しくきたんだよ」
とみなされている。

Aちゃんが、食後の片づけをしないまま、
お皿を持ってこないで、そのまま園庭に走っていこうとした。

嫁様は、あっ、と思った。
そして、とっさに「Aちゃん!片付けは・・・!」と、
言った。

Aちゃんは止まったが、また外をむいて、
やはり走っていこうとした。

今度は、園長先生が、
「Aちゃん、お片付けしてから~」
と言った。
すると、Aちゃんは、観念したかのように、歩いて戻ってきて、きちんと片づけたのであります。



嫁様はそれが面白かったらしく、
「園長先生はオーラがあるから、やるんだよね。観念してね」
と言った。


わたしは、子どものAちゃんから見て、園長先生と嫁様はなにが違うか、と思う。

Aちゃんは、園長先生が怖くて、言うことを聞いたのではない。
Aちゃんからすると、嫁様の発言は、意味は分かるが、自分が聞くこと、ではない。
ところがAちゃんからして、園長先生の一言は、自分がそれを聞くこと、になってる。


園長先生と、Aちゃんとの間の、それは信頼関係というべきか、
かたく結ばれた、なにかなのでありましょう。

この人のイウコトは、聞きたい。

そう思わせるものが、Aちゃんの中には、あるのですな。
園長先生に対しての・・・。


わたしはそれは、園長先生への、信頼だと思いたい。
園長先生は、最後には

「わたしはあなたのために最後まで責任を持つ」

という、真摯なオーラを持っているのではないか、と。

嫁様に無いわけではないだろうけど、どこかで
「わたしは平社員だから」
という意識があるのではないか・・・(ごめん)

教育とは、目の前の子どもに対して、良心によって、直接的に責任を果たそうとすること。
だれか別のえらい人が総責任者になってしまったら、もう現場ではだれも「当事者」にならない。

これがいちばん、恐ろしい。
「上からの指示なんでー」
という教育ほど、恐ろしいものはない。
だって、目の前の子どもに対して、何も思わない、ということが許されてしまうようになるからね。

現場の教師を、教頭校長が支え、教育委員会が支え、国が支えてほしいものだ。
ところが、国の指示を自治体が受けて『とにかく、国からの指示ですんで』で内容には責任をもたないまま、教育委員会に丸投げしてしまったら、もう教育委員会はなにもできなくなる。
その、何もできなくなった教育委員会を校長や教頭たちが必死になって支え、現場の教師がなんとか子どもたちに命令し、飲み込ませようとしているのでなければいいが・・・

杞憂でありますように。

教育は、「なんせ、上からの指示ですから・・・」で動いてはいけない。
目の前の子に、直接に責任を負う担任が「何も思わずにいてよい」ことを、許してはいけない。

senkyo_wairo
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