ゆっくりと話す女の子がいる。

彼女がゆっくり話すからか、まわりのみんなは、彼女の発言を注意深く聞こうとする。
彼女から、「言葉を大切に選んでいる」という感じを受けるからかもしれない。

ゆっくりとていねいに話すから、相手に対して何か言う時も、それがあまり責める口調に、聞こえない。だからか、自然な人気がある。

前からそんな雰囲気を持っていたな、と思っていたら、先日、ちょっとした会話の中に、ヒントがあった。

「今度の児童会の発表で、全校の前で話すことになったから、緊張する」

というので、

「そうだねえ。全校の前なんだもの、ねえ。緊張するよね」

と応ずると、彼女は

「でも、お父さんとお母さんに話すときみたいに、ゆっくりしゃべっていれば、たぶん大丈夫だと思う」

と言った。


ちょっと、わたしのセンサーにひっかかりましたので、尋ねました。

「お父さんとお母さんに話す時は、ゆっくり、を心がけているの?」

「はい。小さいときから、親に話す時はゆっくりしゃべってね、と言われてたから」


なるほど。

ゆっくり、か。
ゆっくり歩くとか、ゆっくり考える、とかあるけど、

「ゆっくりしゃべってね」

ということも、あるのだなあ。


この女の子は、
「人に話す時は、ゆっくりしゃべったほうがよい」
と道徳的に習ってしつけられたのではない
そうではなく、道徳的にどうこう、というよりも、
お父さんとお母さんから、お願いされた、ということなのだ。

「お父さんとお母さんは、あなたの話をきちんと聞きたいし、ちゃんとその意味をわかりたい。だから、お願いだから、ゆっくりしゃべってほしい。そうするとよく分かる」

というようなことが、過去にあったのではないかな、と。
この子は、それを10年間、続けているわけ。
大事な、お父さんとお母さんに、わたしのことを、きちんとわかってもらうために、ね。

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