困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

やり直し、ということを、「ありがたいチャンス」と思うかどうか。
社会全体が、「省エネが良く、やり直しはできるだけ避ける子を育てている」という気がするネ。

そのためか、教育現場でも、生産性を上げることが良いことだから、能力の秀でている(とされている)子の言うことをみんなで黙って聞くのが良い、と教えている気がするが、どうだろう。


なんだか途中で、おかしいかも?と思っても、
「そんなわけない。気のせいだ」
と言って前進一路!ということになる。

前進して、景気よく進んでいる時は
「ほらみろ、正しいのだ」
となりやすい。

まだ元気だし、道はきれいだし、みんなで歩いているし、歩きやすいし。
「信じてよかった!新しい時代の幕開けだ!」
「男のロマン、夢、人間の可能性を信じよう」
って、だれかが言うと、みんな感動して、
「やってよかった、進んできてよかったのだ」と応える人も多いだろう。

ここまでは、みんなそう。


ところが、だんだん藪の草が伸びてきて歩きにくくなってくると、あれ、と思う人も出る。
「あれ?この道でよかったんだっけ?」
すると、やり直しを認めない人は、
「草など想定外だ。藪も、本来あるものではないはず。こんなことは千年に一度のことだろう」
と、誰かが言い出すと思うね。

道が無くなり、なんだか戻りたい、という気持ちが出てきた時にさえも、人間は
「いや、これでよかったはずだ。この道しかない。計画はまだ道半ばだ」
と強く言いたくなるものだ。
やっぱり計画を見直し、別の道を選ぶところ、三差路の場所まで戻ろう、という気になる人は少ないようだ。

やり直しをチャンス、ととらえる子と、
やり直しは損なコト、ととらえる子。

どちらが、未来を切りひらくか。
新しい業態を発案し、実験していくのはどちらか。

『チキチキマシン猛レース』でも、最後まで勝負は分からないもの。
ところが、「やり直し」を嫌って、間違った道を勇気果敢にどこまでも突き進もうとしたのが、第二次世界大戦でのインパール作戦だった。

昭和万葉集に、たしかこんな内容の歌があった。

『「あなたはこの戦争に負けるかもしれない、とはお考えにならなかったのですか」と、妻がわたしのうしろでそっと言った』

上記の歌、内容しか覚えていない。
うたを、そのまま正確に、ここに記せないのが残念だ。


この奥さんは、「さっさと降伏してほしかった」
と思ったことがあったのかもしれない。
しかし、時代が『あともどり』というか、「やりなおし」を禁じた。



子どもたちと、「やり直し」ってなんだ、と考える道徳の授業をしてみたら、と思い浮かべている。「引き返す勇気とやり直しは、決して無駄にはならない。むしろ正確な道を歩むチャンス」とまとめる子が出てくるのではないかな。

P7150609

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