先日父の一周忌があり、親戚一同で、昨年9月に亡くなった父のことを回顧していた。
ところが、不思議なのは、当人のことを語ろうとすると、うまくいかないのだ。
当人を語ろう、と肩に力を入れれば入れるほど、当人そのものを語ることができない、というジレンマに、その場にいた全員が陥った。

父自身のことを、言おう、言おう、としても、どうしてもそうならない。父自身ではなく、なぜだか、父の『スペック』、の話しになってしまう。
ところが、父自身は、父の『スペックそのもの』とは異なる。
父の学歴、父の職業、父の給与、父の持ち物、車、ネクタイ、カバン、時計・・・それらは、父が持っていたものだが、父がそれらを所有していた、ということがすなわち、父自身を表すわけではない。
〇〇が得意な人だった。
〇〇ができた。
〇〇を持っていた。
あいにく、そういう話題ですらも、『父自身、父そのもの』を語ることはできないのでありました。

なぜなら、みんな私が知らなかった話しでしたよ。
それは、父を表現してはいませんでした。
わたしにとっては、父が高校生だった時、弁論大会で優勝しようがしまいが、それらは「わたしにとっての父」とはなんら無関係なのです。現に、この年になるまで、そんなこと知らんかったからね。それでも、わたしの父でしたから。かけがえのない、ね。

わたしの父は、わたしの父、であり、弁論大会で優勝しようがしまいが、まったく関係がない。
わたしのなかで、父は、独立した存在なのです。

親戚一同で、なんとか父のことを語ろうとし、一同で
(スペックの話しって、こういうとき、つまんないんだなー)
と思ったのは、とても印象的なことでした。


ところが。
「父そのものを語ろう」とすることを諦めて、それぞれが当人にとっての父を語りだすと、がぜん、雰囲気が変わりました。

「これはわたしと兄さんしかおらんときの話しやで、みんな知らんと思うけど・・・」

とか、こういう前置きがつくと、これがむちゃくちゃ、面白い。
親戚一同、こういう話になったとたん、みんなの目が生き生きしだしました。
つまり、「父そのもの」を語ることをアキラメて、「わたしにとっての父」を語りだしたのです。

叔父が語りだしたのは、彼にとっての印象深いシーンで、父が夏休みにアイスキャンデー屋をはじめたときのこと。
「アイスキャンデーを売ろうとして、自転車の荷台に箱をつけて氷をいれてキャンデーを売り始めたのは良かったが、どうも恥ずかしくて『アイス~』とか『キャンデー~』とか叫ぶのができず、次第に街をはずれて山道を行くようになった。一緒に手伝っていた俺が心配になって「もうちょっと人のおるところへ行った方がいいんちゃうか」と進言したら道を変えたが、やはり草野球のグランドに立ち寄っても『アイス~』の声が出ず、最終的にアイスはみんな溶け、キャンデーは棒だけになってしまった。
兄貴といっしょにアイス屋をやったのは大損だった。金は損を出し、兄貴もくやしそうにしていたが、兄貴はのちのち何年もこの話を笑いながらしていて、自分でも面白かったのではないかな。弁論大会では大きな声でしゃべったが、アイスキャンデー!だけは、よう言えんかったんやわ、ハハハ」

これは、父そのものを語る話ではない。
叔父の『目線』がどこにあったかの話である。
叔父の網膜に父がどう映ったか、それを叔父がどう思ったのか、という話である。叔父にとって、この出来事は印象深く、面白かったのであろう。
つまりこれは、こういう話を面白がる、という、叔父のきわめて個人的な趣味を示しているわけ。

叔父は、「おれは本当にそのときの悔しそうな兄貴の姿がよく思い出されるよ」と言った。なんでそのことが叔父にとって印象的なのか、というと、叔父自身が、そのことが楽しかったからだろう。これは、父を語った話なのではなく、叔父の陽気な性格を語る話、なのである。父ではなく、叔父という人物を説明する話なのだ。


こう考えると、人間は、人間の価値を断定することは所詮できないのだ、と分かります。だって、だれも、父そのもの、を語ることすら、できないのですから。せいぜい、当人にとっての・・・、を語るだけで。

「父の話をしよう」ということをあきらめて、自分の話をしますが、ということに開き直った瞬間から、がぜん、話ができるようになっていったのは、つまりはそういうからくり、があったからなのですね。
親父のスペック云々なんざぁちっとも知らないが、俺にとっての父はまったく、ああいう父で変わらんってのが、面白い事象だなぁ、と不思議な安堵に包まれて、帰宅しました。



帰りの高速を走らせていると、どこかの花火が見えました。
それまで寝ていた嫁様が急に起きて、
「なんの音?」

夜空に、花火が上がりました。
一滴一滴が、息のを呑むほど煌めいて、見惚れているうちに、大輪の雫はたちまち消えてしまいます。
親父は昭和十年生まれの、180センチです。
当時はさぞ、大きく見えただろうな、とふと父を思いました。

よおし