民族文学、日本の民話について研究されてきた「松谷みよ子」さんをご存知でしょうか。
児童文学作家でもありますね。「いないいないばあ」とか。
「ちいさいモモちゃん」はベストセラーですし、民話では信州に伝わる小泉小太郎伝説などをもとにして書いた『龍の子太郎』が有名ですね。日本中にファンがいる。

わたしも好きでねえ・・・。
小さい頃から、松谷みよ子が著者だと分かったら、一応読んでみよう、と図書館で借りるような子でしたな。

その松谷みよ子さんが書いた、「私のアンネ・フランク」という本があります。

アンネ・フランクはご存知の通り、ナチスの時代に民族の迫害にあい、ゲットーに送り込まれて亡くなった方です。強制収容所から唯一、父親だけが生還できた。父親は戦後、最後の隠れ場だった家の持ち主から彼女が書いていた日記の紙片を集めたのを、渡してもらうことができた。まあ、お父さん、嬉しかったでしょうね。そんなのがゲシュタポに回収されず、捨てられず、家主に集めてもらえてたなんて。
お父さんは感謝の気持ちから、アンネを知る身近な人々に向けてそれらを複写して渡すことにします。それが、のちに世界的ベストセラーになる、「アンネの日記」というわけです。

そのアンネ・フランクについて、松谷さんがドイツまで出かけて取材して書いています。13歳のゆう子の「アンネ=フランクを知らないで書きつづけてきた、アンネ=フランクへの日記」と、彼女の母親の蕗子が記した手記、という形で書いてあります。現代の日本に住む日本人と、アンネ=フランクを繋げる架け橋のような本です。最初、アンネを「お話の中の人」と捉えていたゆう子は、様々な出来事に遭い、最後「あなたはほんとうにいた人だったんですね」と呼びかけるに至ります。

8月になって戦争のことを考えると、どうしてもこの本が思い出される。
わたしゃ、当時、小学校の高学年だったですかね。暇だったのか、姉の本棚を物色していてこの本を見つけ、「姉が読めたなら、自分にも読めるはず」と、重々しいテーマだわ、と思いながらも真剣に読んだものでした。

さて、そのドイツでは、ナチスは「自由を奪うもの」として認識されています。強圧的に差別をすすめたのですから、そりゃそうでしょう。ドイツ国民はともかく、ヨーロッパの方たちのアンチナチスの徹底ぶりはものすごくて、ナチスはことごとく、忌み嫌われております。松谷みよ子さんがドイツに向かったとき、「アンネの日記」が日本で出版されたことについて、「日本人にはこの悲劇が理解できないでしょう」と言われたそうです。

ところが、ナチスは忌み嫌われて当然だとして、ではいったいナチスの何が嫌なのか、となると、やはりこれは、「ナチスが自由を制限したこと」ではないかと思うのです。

『やつらの自由を奪え!(制限しろ)』

というようなヘイト・プラカードを掲げて、ナチスはユダヤ人を迫害しましたからね。
結局、強制収容施設のようなものをつくり、ユダヤ人の居住する場所まで制限した。
ところが、ユダヤ人であろうがなかろうが、人間ならだれしも、生まれながらにして自由を制限されたくはない、人間とは自由を制限されたくないもの、というのが、ナチス以後の世界の常識になりました。(まあ、黄色人種だろうが白人だろうが、だれだって自由を制限されたくはない)

自由に考える、自由に思う、自由に言う。

これを束縛し、圧迫し、圧力で禁止させようとしてきたのが、ナチスです。
ヘイトスピーチ、ヘイトの親玉のような存在でしょうかね。
当時のナチスを賛美するドイツ人たちの集会が記録ビデオに残っていて、かつてNHKでも放映されていました。「やつらの自由を奪え!発言させるな!自由にさせるな!」って、もうそりゃ、もの凄いヘイト・スピーチです。

こういうテレビ放映をみると、とたんに「これ、授業にできないかな」と、考えてしまうのが教師の悲しい性(さが)でしょうか・・・。


外国語学習、プログラミング学習、人権教育、性教育、どれも大事です。
ヘイト学習も道徳教育も、やっぱり小学校でやった方がいいでしょうな。

ナチスのヘイト動画を見ると、子どもたちは、

「文句を言ってるけど、文句は意見にしないと」

と言うでしょうな。

「ドイツ人もユダヤ人もみんなが良くなるための意見を言えばいい」

当たり前でしょうね。
授業はここから始まります。

では、なぜ、ヘイトになっちゃうのか。

これも、すぐに子どもたちから出てくるでしょう。

「なにかが不安なんだと思う」


やはり、不安、という病を、徹底理解することで、人間社会というのはかなりの程度、楽になっていくのではないでしょうかね。

人はなぜ不安になるのか。

これを子どもたちとつっこんで考えてみたいものです。

直樹とゆう子の物語