新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

最近、高校のころを思い返すことがありました。

それは、わたしの写っている古い写真を実家の母が物置?から見つけ出し、「こんなのがあった」と小包で送ってきたからです。

その写真を見ると、若い男の子が着物を着て高座にあがり、落語を演じています。
懐かしい。文化祭での一コマなのです。
わたしは、教卓の上で、ずいぶんと真剣に演じているのですが・・・。
頭の上には、薄青い厚紙をのせ、さらにその上にナスをのせています。
厚紙でつくった『きれいに剃り上げた月代(さかやき)』に、ナスの『ちょんまげ』をのせたつもりでしょう。・・・ただのアホですね。

40代後半になったおやじの、あまりにもアホな姿に息子は爆笑し、妻も涙を流していました。父親としての権威は地に落ち、次の日の朝まで、わたしは嗤われ続けました。どうして、こともあろうに、よりによってこんな写真を急に寄越したのか・・・。
まったく・・・実家の母を恨みましたヨ・・・。

今さら壁に飾るわけにもいかず、どこか本棚の隅に追いやって見ないことにしたかったのですが、30年前の自分の顔をみていると・・・

実は、あることを、ふいに思い出しまして!

わたしはつい、片づける手をゆるめて、物思いにふけることになりました。


そうそう。
そういえば。

そうだった、そうだった。
このとき、わたしは学校の文化祭のなかで行われた、討論会に参加したのでした。

「自分の利益を正直に追及していくということを、真面目にちゃんとやらないといけない。それも世界中の一人残らず、45億人なら45億人が全員、他人の迷惑ということを考えるよりも先に、まずはきちんと自分の幸福を追求しないといけないのでは」

ということを言いました。

すると、目の前にいた名前の知らない女子が、

「いや、そういう考えではいけない。みんなが自分の勝手な幸福を追求しはじめたら、世の中はとんでもないことになる」

と、反対意見を出しました。

わたしは言いたいことが伝わっていないと考えて、さらに説明を試みて、

「いや、自分の幸福を追求していないからかえって迷惑が生じるのであって、本当に考えきることだと思う」

というと、彼女はため息をつきながら、

「そんな勝手なことでは、いつかしっぺ返しがくる」

と、やれやれといった調子で肩をすくめたのです。

どうです?この話。
さすが、人生の初期ですな。
「幸福とは何ぞや」と、真剣に考えておったのでしょう。
当の高校生にすら、青臭い、と馬鹿にされるような出来事です。



まあ、わたしはそのことを40代の後半になって、今でも鮮明に思い出すことができる。
当時、そのくらい、大きな衝撃を受けた。

「自分の幸福を追求すると、他を侵すことになるのか?」

実はその後、30年以上、今でもそのことを考えていて、というか、その時以来、ずっと当時の自分になんとか答えを言い渡してあげたいという気分のまま、生き続けています。今でもこうやって、当時の自分に対して、ブログやらなんやらコラムを書いたり、講演をしたりしているのは、いわば「当時の自分に向けて、何か言いたい」からなのですね。


17歳のわたしは、今でもわたしの中に生きていて、そして、やはり、同じように問いかけてくる。

「どうだかね。なにか、考えは進んだかい?」と。

叱らない、困らない、という教師を続けているのも、その17歳の自分に、なんとか答えらしきものを見せたい、という意地のようなものなんでしょう。

なんのことはない。
大人になってもずっと、自分自分に手紙を書いている、だけのこと。

fsfe
写真は、でかいマンボウ。
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