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数年前、わたしが小学校6年生で授業をしたとき。
歴史の授業を終わる頃になって、最後の討論が、次のテーマであった。
「人間は進化しているといえるか」

多くの子が進化はしている、と答えた。
産業革命、明治維新の文明開化、昭和の経済成長、東洋の奇跡。

どんなことで「進化している」と実感しているか。
子どもたちは、ノートにたくさん書いた。
スマホでなんでも分かる。誰でも連絡をとれる。いつでも好きな本を読める。
今、MicrosoftやGoogle、Amazonといった世界企業がどれだけ人々の暮らしを便利にしているだろうか。自動車は道路をびゅんびゅん走るし、コンビニはいつもおにぎりを売っている。

ただし、進化していない、と書いた子もいる。

「戦争をするから」

彼女はその一点だけで、

「ぜったいに進化はしていない」

と言い張った。

たしかに、戦争と言う名の、沼底をひっかきまわしたような黒さが、太古の昔の百姓たちにあったとは到底思われない。
細々としていたかもしれないが、平和だけはいつもしっぽのようについて離れなかったのではなかろうか。

縄文時代の人骨が出てくる地層を見ると、どの骨もていねいに埋葬していた様子がうかがわれる。
ところが、これが時代の進んだ弥生時代になると頭骨の頂点が鈍器で殴られたようなあとがついていたり、足の大腿骨を破壊されたりした骨が、バラバラと出てくるのである。

彼女は1学期のそのときのことが、今でもいちばん思い出されるのだ、と言った。
どんなに「発展」しても、どんなに「進んだ」と言われても。

生まれた命は生きられるだけ生きたい。ひたすら生きるために、一日として欠かせない血族の食糧を支える苦闘が見事な知恵と工夫の花を咲かせた。知らずにいたこぼれた種から芽生えて実る理法に気付いて、採取した木の実、草の実の少しを大地にまいてみて、はじめて得た収穫の奇跡。
小さな根菜の切れ端をうめて、数倍の子塊をぞろぞろつらねて、掘り出される増量のおどろき。

そのときの歓喜、希望、安心よ。
農業の、食物を支えられる生活の小さな平和は、縄文時代に、おそらくは多くの女性の手によってつくりだされたように思う。

子育ての愛情、これはいつの時代の女性にも備わる本能ともいえようが、この本能がはちきれて、芽を出した植物を愛する努力となり、みずみずしいうるおい、みのりをもたらした。
生きるために、努力と希望を失わなかった縄文農業者の元祖が、原始の女性たちであったことは、容易に想像がつくのである。

この、原始の女性たちが、いま、わたしたちと向き合って座ったとしたら。
私たちは、どんな会話を、かわすのだろうか。
「縄文時代の人と話せるとしたら、どんな話をしたい?」

昭和、平成の時代まで、小学校の歴史授業のすべてを終えた、6年生に聞いた。

「どうやったら、争いをなくせますか」と、聞いてみたいです。

この平和な平成という世の中に生まれて育ち、何不自由なく暮らしているはずの小学生の女の子が、縄文人にこんな質問をしたい、と言う。

このことを考えるたびに、わたしは、『平和教育』というのは、大人がやりたいのではなく、子どもが自分たちの未来についての安心を得たい、という意欲なのであり、それを大人がどこまで大切にできるか、ということなんだろう、と思うようになった。

三内丸山遺跡