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100点にうれしがる私たち、という前回に引き続いて・・・

0点を子どもが見せたら、責めるかどうか・・・。

漢字テスト、0点という紙をみて、

「漢字が書けないと、ろくな大人にならんぞ!」と叱りたくなる、という。

なぜろくな大人にならない、と思うかを説明してもらうと、
〇本が読めないのではないか
〇就職できないのではないか
〇人といっしょに仕事することができないのではないか

という。

今、この漢字テストが0点だと、もうすでにその10年後、15年後のこの子の姿が、見通せるのですか、というと、

「え、少なくとも、その確率が高くなるのではないですか」

と確率論を言われる。


しかし、この子の中にある、他のすばらしい素質や力が引き出されて、うまく動いて、社会でも活躍し、他の人をたくさん助ける存在になることもまた、想像できるでしょう、というと、

「え、この子にそんな力なんて、ないと思います」

と、かなり乱暴に断定するネ。

0点の紙を1枚見て、「わたしは10年後のことが見通せるので不安」というのに、
友だちと仲むつまじく、心温かい雰囲気で一緒に遊んでいる姿をみて、「この子の10年後が楽しみ」とは言わないのであります。

テストは将来に影響するもの、将来の姿を直接うつしだすものじゃ!
ところがその一方、友だちと遊ぶことは将来には影響しない!・・・ってサ。
ケチだねえ。・・・というか、テストが大好きなんだな。この思考法。


0点をみて、この子はこういう子、とかなりキメツケで見る。
100点をみて、この子はこういう子、とみる。同じこと。
どちらも、他のもっと多くのさまざまな面を無視して、テストの結果だけから即断し、優秀な子だ、ダメな子だ、と決めてみる。
この子自身がもっている、さまざまな可能性、素質、個性、まだまだ表面にも現れても来ていないような能力、そうしたものは、すべて無視する、と決めた感じ。

そんな簡単に、無視しないでほしい、と子どもは思うだろうと思うね。

「ちゃんと、ぼくのことを見てよ!

テストの紙じゃなくてさ!」




すみれ