.
そもそも、人間と言うのは、どの程度、やる気に満ち溢れた存在なのだろうか。

子どもを見ていると、どんどん遊ぶ。
なんでも試して、振ってみたり、歩いてみたり、のぞいてみたり、たたいてみたり、噛んでみたり、いろいろする。

特に、幼児期の子どもはそうで、それをして夢中になっている姿は、人間本来の好奇心に満ち溢れたものだろう、という気がする。

ところがそのまま成長していくことは、むずかしい。
なぜなら、小学校に入ると、

「この間、楽しくなかったから、もうやらない」

とか、

「あいつとはやりたくない」

とか、

いろいろと、思うこと、が出てくるからである。

さらに言うと、義務感、というものが邪魔をする。
こうしなけばいけない、という「きまり」や「さだめ」というものが頭の中にいっぱい増えてくるから、そうしたもので動く。

するとどうなるか?
ある、重要な変化が生じるのだ。

つまり、

「つまらないなあ」

と、思うものなのである。

やらされてやるのは、なぜか、つまらない、と思うものなのだ。

ちょっと待てよ、なにか、おかしいぞ、と、神経の深いところで、何かが教えてくれているのかもしれない。
幼児期に体験してきた、あの、純粋な、いつまでやっていても飽きなかった、ごく集中していた、いわば「ゾーン」に入ったような、素の気持ち、素の楽しさはすっかり姿をひそめてしまい、

なんだか、けだるいような、はやくやめたいような、妙な気持ちになるのである。

だれかにほめてもらったり、評価してもらったりすると、また猶更である。
ほめてもらえる、と分かると頑張るが、それがないと、

「なんだか、つまらない」

のである。

これは人生の幸福度を考えてみると、たいへん重要な変化で、人間が成長する上で、こうしたことでの「つまらなさ」をできるかぎり、克服できた人間は、イチローのような、集中することにぐいぐいと進んでいける人間になれるのだと推測できる。
アップルのジョブスのような、グーグルの創始者ラリーペイジのような、創造性と集中力に満ち溢れた人格が育つには、おそらく、

倦怠 とか、やらされ感、とか、義務感、というものが、その集中を邪魔しないことが大きな要素になってくるのだろうと思われる。

冬を越して生えてきたクローバー