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あと、ひと月で4月。
これから新しい生活をスタートさせる人も多いのだろう。
新聞記事で、就職のことが特集されていた。
今年は売り手市場だとかで、例年よりは就職率が良かったらしい。
わたしは氷河期世代。どこもかしこもバブルの打撃で立ち直れない時期だった。

「なぜか分からないがどうしても受からない、自分が悪いのだろうか」というので悩む友人や後輩の姿をたくさん見た。日本全国、多くの若者が志望動機など一切封印して、ともかく就職できれば良いからどこにでも行く、という感じだったと思う。

「本当はこうしたい」
「本当はこんな夢がある」
当時は、こんなことは言えない状況だった。
夢を封印した人の、寂しさ、やるせなさ、というのがあっただろう、と思う。
わたしの学生時分の友人たちは、意を屈して、意志をまげて、就職していった者が多かった。そして、今でもそこで石にかじりつくようにして、辞めずに頑張っている。


わたしが久しぶりに連絡をとった大学生時代の友人の中には、
就職してしばらく、愚痴ばかり、という友人がいた。
ひょうきんな顔つきで、愉快な男であったが、自分の希望する職種やジャンルとはまったく異なる、いわゆる営業畑に入り、苦労をしたようであった。

私は、そのうちに彼は辞めるのだろう、と漠然と考えていた。
当初、愚痴ばかり聞いていたこともあって・・・。

ところが、久しぶりに聞いてみると、なんとまだ、そこで働き続けていた。
そして、なんだか、とっても充実しているらしい。
わたしは、内心、とっても驚いた。
あまつさえ、私に向かって彼はこうも言ったのである。

「まあ、人生いろいろだけど、新間も頑張れよな。教員もつらそうだが、辞めるなよ」

彼から感じるのは、まったく後ろめたいもののない、底抜けの明るさだった。



根が明るい人は、理想がどうこう、なんてこと、言わないでも平気なのだという気がする。
そんなことに頼らずとも、平気で、生きていける。
だれが見ていなくたって、平気で、一人でも、生きていける強さがある人のことを、たくましいとか、明るい、とか言うんだろう。

そう考えてみると、「本当にやりたいこと」を考えなさい、と追い込む社会機構、社会システムは、おおむね、暗い、と断言してよい。
「理想」を考えずに済むのが、一番いい。
誰もが、ふと、生きていけるという、そういう明るさが、もっと知られるようになればいい、と思う。
逆に言えば、社会全体が自然と個人を生かすようにセッティングされていると言おうか。個人を追い詰めなくても良いくらいに、社会が進化している状態であること。

「就職」の話題がどうしても苦しさに満ちた記事になっていくのは、そこにどうしても、個人の理想を重ねようとするからだろう。
理想を考えずにいられないというのは、もはや「理想中毒」と呼んでいいのかもしれない。
理想に頼らない生き方が、これからはもっと取り上げられるようになると思う。

オリンピックの羽生選手が、若い人の理想の姿だ、という新聞コラムを読んだ。
このコラムを書いた人は、たぶんおじさんなのだろう。
まだ、まだ、おじさんの思考は、「理想」を追いかけることに夢中になっている。
「こうでなければならない」というの、強いんだろうな。
(というか、そういう価値意識しか習得してこなかったから、一生そのままだろう)


小学校でのキャリア教育でも、「理想」とくっつけた途端、暗くなってしまうことが予想される。
そうならないよう、新しい「人間の幸福」を、見出していけるような人になりたい。
しかし、悩むことはない。
すでに、その答えは子どもたちが持っていて、わたしたちに教えてくれている。


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