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嫉妬、ということについては、人類が古くから、その正体を見極めようとしてきた。

ブッダは嫉妬について、法句経でこう述べている(らしい)。


ブッダの言葉

他人の良くないところは
とてもよく見えるし、
調子にのって指摘したくもなる。
見えにくいのは、
君自身の良くないところ。
他人の問題点を指摘することで、
「ちゃんと指摘できる
立派な自分には問題がない」と
錯覚するがゆえに、
自分自身の問題点が
隠されてしまう。それはまるで、
ギャンブルでサイコロを振って、
自分に不利な目が出たら
イカサマして隠してしまう
ギャンブラーのよう。

(法句経)『超訳 ブッダの言葉』より



また、ニーチェによれば、ルサンチマン(嫉妬)を持つ人とは「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」である。(ルサンチマンは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情。つまりは、嫉妬。)

ブッダもニーチェも、説明に苦労しているようだ。

賢人とされる彼らでさえ、「善悪や道徳で説明しなきゃ」と思い込んでいるので、あれこれ、考え過ぎてしまっている。

嫉妬、の正体を、きちんと見極めることができたら、かなりの程度、人として、ふつうに暮らせることができるようになるのではないだろうか。

福寿草