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「嫉妬」という感情を切り口に、自分を観察することができるのは古来から知られている。
かの有名な哲学者も、ルサンチマン、という言葉で、「嫉妬」に向き合っておりますナ。


さて、子どもは自分では、「嫉妬」なんてしたことない、という子もいる。
ところが、ちょっとした妬み、うらやましくて邪魔したくなる、などは
経験がある。
なぜか分からないが、イライラする、他の子の言動が気になる、
なぜか分からないが、あの子をちょっといじめたくなる、
なぜか、邪魔したくなる、
なぜか、あの子が笑顔だと、気になる。

つまり、うらやましい、ねたましい、ということ。


ただ、うらやましいなあ、というだけなら、陽的で自然、あっけらかん、としたもの。
でも、「なんだか邪魔したくなる」だと、それはちょっとネ。

そこで、自分の心の状態を観察しながら、
なんで自分がくるしくなるんだろうか、ということをいろいろと考えていく。

あの子が笑っていると、なんだか邪魔したくなる。

これも、自分がどういうときに、嫉妬するのかと考えていくと、
どうやら、自分が自分のことで満足していないとき、安心してない時に嫉妬するようだ。

クラスの色々な事例を集めて検討する。
(事例は、子どもたちに書かせるのが一番良い。匿名で事例として扱い、どの子も半分は自分のこととして、半分は友だちのこととして考えていくようにするのが配慮)

授業の最後に、

「では、友だちに嫉妬しているAくんに、自分だったら、どんな声がけしていけるかな」

と、これも書かせる。
道徳というのは、ある程度、自分と向き合う、ということだから、
やはり書かせるのがひとつの具体的な手立てとなる。

子どもたちは、Aくんに対して、

「自分が不安に思っていることをなくせるかどうか、考えたらいいよ」
とか
「相手の子がどんな状態だろうと、まずはAくんが自分自身の状態を良くしていこうとすることで、嫉妬は消えていくと思う」
とか、
あれこれと、アドバイスを始める。

この授業を、4月の1、2週目くらいまでにとりあえず、実践しました。

1年間、このことは子どもたちの常識となっています。
おかげで、わたしのクラスには、人間関係の複雑な問題は、生じていません。
(起きても、このことからときほぐしていきやすいし、時間がかかりません)

ihihi_girl