新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

.
学校でしっかり勉強することができる子どもは、会社でもきっときちんと働くことができる。

同じように、家庭でしっかり家事などをして働くことができるお父さんは、会社でもきっときちんと働くことができる。

同じように、部活でしっかり活躍できる子どもは、会社に勤めても活躍することができる。

同じように、家庭でしっかり宿題のできる子どもは、会社でもきちんと事務処理をすることができる。

同じように、家庭でしっかり家族サービスのできる父親は、会社でもきちんと事務処理をすることができる。

同じように、学校でやっていけない子どもは社会でやっていくことができない。

同じように、家庭で妻とうまくやっていけない父親は社会でやっていくことができない。

同じように、休日にグータラしてねそべってテレビを見ているような父親は、会社でもグータラしている。

同じように、妻に文句を言われている父親は、会社でも上司や部下から文句を言われている。

同じように、プールでうまく水をかいて前へ進める子どもは、陸上でもうまく走ることができる。

同じように、サッカーが上手な子は、文化祭で歌の発表もうまくできる。

同じように、・・・



ここまで読んでくると、さすがに

あれ?

と思う。



学校は社会の縮図であり、学校でやっていけない子は社会でやっていくことができない、という考え方。

それは、その子の可能性を学校の中で求められる価値観に押し込めてみているに過ぎない。


学校は、学校だけでしか通じないようなオリジナルのルールがたくさんある。

学校は、社会の縮図だ、と考えるには、無理がある。


学校でリーダーシップがとれた。だから、きっと会社でも・・・

そういう場合もあるだろうが、またまったく違う場合も、かなりたくさんある、ということ。

学校でどうだったかというのに、どうしてもこだわりたい人もいるけど、

実はそんなに関係がないという要素が、すごくたくさん、想像以上に多くある、ということ。


また、学校には、無数のイベントがある。

イベントごとに、授業ごとに、単元ごとに、子どもは無数の反応をし、持ち味を出し、活躍する。

場面ごとに、人間の表現するものも、内在するものも、すべてがリフレッシュし、

かきまぜられ、新しくなって出ていく。



そう考えると、

「家庭は社会の縮図」だとか、「学校は社会の縮図」だとか、

ほとんど無意味なことだろう。



学校は無数の細胞とその関わりから出来ていて、家庭も社会もまた同じである。

学校と社会は似ていることも無数にあるし、似ていないことも無数にある。

関係ありそうなことも無数にあり、関係のなさそうなことも無数にある。



それを、さも直接関係のありそうなことにして、『縮図』という言葉に押し込めてしまうが、

それはきっと、

人間が、この複雑な人間関係を

わかりたい(わかったと思いたい)

という病気にかかっているときの、よくある行動パターンなのだ。

P5210249

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット