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ノリ、という文化がある。

友だちをからかったり、ぼけたり、つっこんだり、話を持っていくテンション、

それをまわりで聴くときのノリ。

ごく自然な雰囲気で、子どもたちはその、

空気のような『ノリ』を感じながら暮らしている。

ノリ、は、テンション、緩急、スピード、雰囲気・・・




ある意味、集団で、その『ノリ』に、酔っている。

『ノリ』くらいしか、見えやすい、分かりやすいものが見当たらないのだ。

唯一、目の前で実際に感じる『ノリ』を、「たしかなもの」として見る。

だから、集団で、その『ノリ』に、依存していく。


「きもい」
「うざい」
「べつに」
「意味わからんし」

こういう言葉がよく聞かれる教室。

笑う声でなく、嗤う声が聞こえる。
こそこそ話がある。
一生懸命は格好悪いこと、だとしたがる。
叱られている時にニヤニヤする。


このことで、担任が困ることはなにも無い。
子どもを変えようとしなくてもよい。

子どもはそれで、良い。
それが自己防衛の姿なのだ。

それが、自然だ。
人間だれしも、心が充たされなかったら、そうなる。




やるべきことは、子どもがどうであれ、同じである。

「きもい」と言う子にも言わない子にも、教師は同じ態度を貫く。


子どもの真意。


「本当はどうしたかったの?」


これを大事にしていくだけで、教室が変わってくる。




「ノリ」だけを観なくてもいいかもよ、と教えるだけで、

あ、ノリだけじゃなかったんだ!と分かる子には分かる。

伝わる子には、伝わる。

そして、実際に、「ノリ」よりも、確実で手ごたえのあるものに出会う。

そのときの感動。




本当は、本当のホントウは・・・



本当に願っていることが言えた時、聞いてもらえた時、

ノリ、という雲か霧のような、

正体不明な、

心の奥ではすごく不安に思う、わけの分からないものが、

スーッと小さく変化する。

「ノリ」に頼らなければ、という不安が消える。

そこにどんな「ノリ」があろうが、左右されなくなる。



子ども自身が、その人の、本当、をみるようになる。

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