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お地蔵様に傘がかぶせてあって、

おまけにきれいに掃除がしてあって、

そのうえ、美味しいものがお供えしてあると、

そこを通りがかって見る人のほとんどが、

なにかしら、ほこっとした温かさと、安心感を覚えるのではないかと思う。



どんな知らない土地であっても、

この土地のお地蔵様がこんなふうな扱いを受けているとなれば、

旅人は、たとえ信仰心がなくても、

「ここは安心できる町だ」

と思うのではないだろうか。





学級の仲間にとって、Sくんは、お地蔵様のような子でありましょう。

Sくんに、無理やりに、なにかをさせることはできないですから。



そのSくんが、安心して、教室でくつろいでいるときは、

他の子も、無条件に、教室が安心できる空間になっている。

Sくんがそこに、にこにこと佇んでいるだけで、

あたりを、「安心」という空気が、あったかく包み込んでいる。



ぼくは幸せだあ



Sくんが、そんな顔をしているように見えるときは、

教室の中の、どの子も、

ぼくだって幸せや

と思っていると思う。



Sくんの目が落ち着かないとき、

それは、担任の先生が、Sくんを、落ち着かない目で見ている時で、

Sくんの目が落ち着いているときは、きまって、

担任の先生が、落ち着いてSくんを見ている時だ。



Sくんの目は、

「自分がどう見られているか」

を、正直に示している。




この人は、ぼくに危害を加えない。



Sくんが、そう思っていることが、

周囲のだれもに、感ぜられる。



そうすると、いかにも、

ここは平和の砦だ、

ということを、みんなが思い出す、という仕組みらしい。



Sくんが「世の光だ」ということが、このことからも、よく分かるネ。

ojizousan