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家族を殺された方が、殺人犯のもとへ面会に行く。

そこで、

「あなたが幸せになることでしか、解決は無い」

という。

殺人犯は、涙を流して、声を震わせながら、

「わたしが幸せになっても、いいんですか」

と、言葉を絞り出す。



殺された家族のことを思うと、居ても立っても居られなくなり、

同じように殺人を犯した者のところへ行き、何度も対話を重ねる、という。

それは、自分の感情をぶちまけるわけでもなく、

犯人を責めるわけでもなく、

ただ、「対話者」としての、ひとりの人間になるため。

「あなたには、対話者がいなかったのかもしれない」

身近に、本当の意味で、対話のできる人がいれば、あなたは殺人を犯さなかっただろう、と。

『ある遺族の選択』https://news.yahoo.co.jp/feature/710



わたくし、実は、同じようなことを、以前に聞いたことがある。

このブログにも、書いている。(2016年05月06日どんな子もかわいいは、嘘か)


アメリカの映画かドキュメンタリーで、同じように娘を殺された家族が、

これから処刑される殺人犯を前に、

あなたが幸せになればよかったのに、と言って抱きしめる、という場面だ。




幸福、というものを真に見つめれば、

自然と相手の幸福を願っていくほか、他にすることはない。



8月に入り、命とか、人生とか、考える機会が増えた。

日常に忙殺されることが多い毎日であるが、

一方で、人間の生きる、おおもとのところを、きちんと考えていたい、と思う。

犯罪者