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わが学級にも、悪口はあります。

とくに、まだ人間関係ができていっていない時期、1学期はありますね。

6月中旬くらいで、ずいぶんと静かになり、

「おや、どうも最近は聞かれないな」

となる。

子どもたちどうしの人間関係も落ち着き、クラスの授業の雰囲気や、進め方や、

お互いの性格、ポジション、好みなどが分かってきて、6月中旬ごろ、子どもたちは

「ちょっとひとまず、これでいいかな」 と思うのではないだろうか。



それでもたまに大喧嘩などがある。

すると、久しぶりだから、燃え方がちがう。

「死ねーーーッ!!」

「おまえ、うぜぇーーーッ!!」

と、さんざんやり合うが、これはまあ、ふつうの大人の人ならたまげることでしょう。

なぜならふつう大人になると、ここまでひどい悪口は、日常、言わないでしょうから。

子どもだからこそ。

こういうセリフを、言うのですよね。

大人になると、言わなくなるもの・・・。



わたしは、双方が悪口を言い合っていてもしかりませんが、これはもう、子ども自身が、

「相手をののしる」

ということについて、あまり楽しい感情をもたないから、

叱らないでも無くなっていくわけで、

ののしると、もうそれは、ひどい感情になりますよね。

泣きたくなるし、実際に泣くし、嗚咽するし、

泣きわめいたあと、周囲の友だちが、ちょっと距離をあけてくるし、

いいこと、なんもない。



そういうことを経験するというのは、まあ、ひとつは勉強なのでありましょう。

そして、相手をののしる、ということについて、みんなでまた、冷静になって、

その メカニズム というか、 からくりというか、

自分の感情がどうしてそう動くのか、

なぜそう思うか、そこで、どんな思いが湧き上がってくるか、

さびしい気持ちや、わかってほしいという切実な思いを、

見直していきます。


実際に、派手なけんかが起きたときが、

人間関係を深める、とってもよいきっかけになることは多いです。


そして、見直してみると、

その悪口が、とても自分の口から出た物だとは、思えないくらい、

自分から離れて、なんとなく空中にぷかんと浮いた、

寂しくて悲しい、愛おしいものに

見えてくるそうです。(子どもの日記から)

kodomo_kenka