元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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世の中がまっすぐ進むのなら、あえてそこを右や左にずれながら進んでみたい、という思考が、粋(いき)なのだろう。

表側ばかりを見る世間に対し、あえて裏地に凝ることで、ズレてみせる。


内田百閒は、小学生の時点で、くわえ煙草をしていたらしい。

先生が注意をすると、

「校内は禁煙とは書いていない」

と言い張ったそうだ。



これなど、意識的にズレているのだろう。




「忖度(そんたく)」というのは、ズレ、ではない。

恥ずかしいくらいに真正面から、過剰に正しく反応してしまうこと。

だから、無粋なのだ。

その、「忖度」を平気で他人に対して求めているのは、もっと無粋だ。



芸術家は、ことごとく、ナナメ上を目指している。

ピカソは物の形を極限まで追いつめて、常人の想像を超えていった。

マティスもそうだ。写実から離れて、形の面白さを追究し、最後は切り絵の世界にはまってしまった。

当時の大衆が求めるものはこういうものだろう、と、「忖度」を気にする画家であったなら、ぜったいに達し得ない世界だ。




人間の面白さ、ユニークさ、たった一人のその人らしさ、というのは、

周囲に「忖度」したり、させていたりする世界には、輝いて見えてくるわけがない。



しかし。

この世に、ごく自然な「忖度」がある。

大人が、子の気持ちをおしはかってする、「忖度」である。


親が、子どもの気持ちを忖度する、という方向。

先生が、子どもの気持ちを忖度する、という方向。

どちらも、忖度の方向性は、一方通行で決定している。



親が子に向かって、自分の機嫌を忖度させてばかりってのは、逆さまな話。

  (でた!・・・また、サカサマな話かよ!)


写真は、マティスの『オレンジのある風景』。

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