元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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1年生になった子たちは、本当にすごいと思います。

これまでとはまったくちがう世界に飛び込んで、あっという間にあれこれとルールやしくみを理解し、すぐに順応していきます。

1年生の担任になった先生が、

「あの子たちが適応していこうとする力ってすごいよ。人間として尊敬しちゃう」

とおっしゃっていました。


これまでの保育園、幼稚園など、園での生活とは、しくみもルールもスケジュールも、まったく異なっているのです。子どもなりに、頑張って、はりきっているのでしょうね。

一番ちがうのは、なんといっても先生の役割です。

園の先生は、指導をする、というよりも、子どもたちの主体的な活動が確保されるように見守っています。子どもたちが遊んでいるのを見て、そこから成長や学びを読みとっていきます。園では、子どもが先生に対して、自分のしていることやしたいことを話すのがふつうです。

たとえば、絵を描いて

「先生、みてみて!これはね、パパが踊っているところだよ」というふうに。

ところが、学校の先生は、カリキュラムに従って勉強を教えます。
だから基本は、先生が子どもに話す時間が圧倒的に長いのです。

また、時間内に決められた内容をしっかりと理解させるのが仕事ですから、口調がきびしくなることもありますし、決められた作法で(起立して発表する、そうじ道具を決められた順序で扱うなど)行動するようにと指導が入ります。

1年生では、ときに厳しい表情の出る先生をこわがってしまう場合があります。〇〇しなさい、と強く指示されるという場面が、子どもによっては「初体験」ということも。

多くの小学校では、入学してからの最初の一か月間は、スタートカリキュラムにしています。

5月ごろまでは、45分間の区切りも柔軟に考え、とくに朝の時間は、幼稚園や保育園でやっていたような歌や手遊びなどの活動も入れています。

時間の概念を育てるために、時計の文字盤を工夫して見やすく数字を入れたり、絵をかく学級もあります。

こういう工夫を見ると、どの先生もみんな、1年生が大好きなんだなと思います。1年生の教室に入ると、どこでも見事な工夫がしてあります。びっくりします。

最近、たまたま見せていただいた教室では、イラストやマークで、学級で使うのりやペン、かばんの置き場所など、本当にていねいに区分けしてありました。それも、色で役割をわけて。



どの子も、安心できるように、という配慮です。



こんな雰囲気でつつまれた学級なら、みんな安心するだろうと思います。

1年生の教室から、怒声や罵声は、ほとんどありません。

どこまでも子どもの現在の姿を受け入れる。

こんな受容的な雰囲気が、ずーっと6年生まで続くとどうなるんだろうか、と思いますネ。




「いつまでも子どもを甘やかすんじゃない!!」

と怒られるかもしれませんが・・・。




子どもを受容すると、依頼心の強い子になってしまう、というぬぐいがたい観念をもっているのが現代の大人の大半なので・・・。

しかし、逆かもしれません。

世はまさに逆手なり、と昔から言うように、

子の現在を受容しないから、学校生活がつまらなくなってしまい、「ぼくは誰にも共感してもらえなかった」と、劣等感の強い子になってしまうのかもしれません。

1年生

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