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運動会が近くなると、校庭に罵声がとぶようになる。
なぜか。
不安だからだ。
ピラミッドが完成せず、観客から
「あ~・・・」
と言われるのが怖いのだ。
だから、罵声や怒声をひびかせ、子どもたちを有無を言わさずコントロールしよう、となる。
教師は、不安にかられ、つい大声を出す。
「なにやっとんじゃーー!!」
ところが、妙なことに、不安が増大していく。
ここが、人間心理の不思議なところ。
不安は、どんどんインフレするのですナ。
罵声が飛んだあと、先生の不安は解消されるかと思いきや、そうではない。
不安が増大しているのです。
「できないのはマズイ」
「なんとか完成させないとマズイ」
という恐れに似た気持ちが、叱り飛ばす前よりも大きくなっている。
これを、不安増大のスパイラル、と言います。
不安に駆られて行動すると、さらに不安が強まっていくのです。
そのスパイラルにつかまってしまうと、怒声が絶えることがありません。
怒声ではなく、「願い」を子どもに伝えるのは、まったく違います。
「ピラミッド、完成するといいなあ」
それは、不安ではなく、ただのふとした楽しい思いつきです。
ところが、
「ピラミッドを完成させなければならん!」
これは、恐れと不安からくる、心理的に病的な状態です。
完成、という結果を得るために、盲目になっていきます。
手段は問わない、とにかく完成させるんだ、となる。
結果、不安に駆られて叱り飛ばし、叱責したうえ、なんとか形になりますが、
よーく見ると、どの子もげんなりとした表情のピラミッド。
もうズレまくって終わりの状況。
それじゃ、教師が
「ピラミッド、完成させたいなあ!アハハ・・・」
と、ほんわかとした感じで言えばいいのかというと、ちがいます。
指導の方法が、大事なのじゃあないです。
その前に、やることがあります。
仲の良い、雰囲気のいい学級にしておくことです。
みんなの心のガソリンタンクが、満タンになっていることが条件です。
で、おもしろいことに。
ガソリンタンクが満タンだと、
気合を入れたら元気が出るし、
ピラミッドがあっという間に完成し、
うまくいかなくても、友達を責めないし、
協力できたことでみんなが自信をもつし、
支えてくれる友達への感謝も湧いてくるし、
見に来てほしい、と心から親に言うようになるし、
そこで初めて、『誇り』のようなものも生まれてきて、
見に来てくれた人たちへの感謝の気持ちも湧いてくるし、
運動会が終わったあと、勉強もがんがんやるようになるんですな。
「そこ!早くしろヤッ!!」と、怒声罵声で仕上げたピラミッド。
感謝もなく、自信もうすれ、「誇り」は生まれようも無く、
親に来てほしいとも思わず、運動会がおわると、
教師も子どもも、ずいぶん疲弊するんです。
だから、運動会のあと、教室が荒れます。
勉強も、やる気が出ません。
崩壊が始まります。
ジ・エンド。
このすごろく、そもそも、スタートがちがうんですよネ。
教師が、不安を持っていると、「先生の不安解消のためのコース」を選ぶことになり、最後は「学級崩壊」がゴールです。
教師に不安が無いと、「安心でたのしい運動会コース」を選ぶことになり、最後は笑顔の記念撮影、です。
ところが、不安が無い、というのが分からない先生もいます。
「不安を無くせったって、どうやったら無くせるのかわかりません」
と。
かんたんです。
まずは、子どもには心がある、ときっぱり思うこと。
つぎに、なにかにすがることをすっきりやめること。
そして、子どもをしっかりとみること。
この、
きっぱり!すっきり!しっかり!
3つのプロセスで、あなたの不安は
きれいさっぱり、
無くなります。
「曇りなき眼で見定め・・・」
運動会が近くなると、校庭に罵声がとぶようになる。
なぜか。
不安だからだ。
ピラミッドが完成せず、観客から
「あ~・・・」
と言われるのが怖いのだ。
だから、罵声や怒声をひびかせ、子どもたちを有無を言わさずコントロールしよう、となる。
教師は、不安にかられ、つい大声を出す。
「なにやっとんじゃーー!!」
ところが、妙なことに、不安が増大していく。
ここが、人間心理の不思議なところ。
不安は、どんどんインフレするのですナ。
罵声が飛んだあと、先生の不安は解消されるかと思いきや、そうではない。
不安が増大しているのです。
「できないのはマズイ」
「なんとか完成させないとマズイ」
という恐れに似た気持ちが、叱り飛ばす前よりも大きくなっている。
これを、不安増大のスパイラル、と言います。
不安に駆られて行動すると、さらに不安が強まっていくのです。
そのスパイラルにつかまってしまうと、怒声が絶えることがありません。
怒声ではなく、「願い」を子どもに伝えるのは、まったく違います。
「ピラミッド、完成するといいなあ」
それは、不安ではなく、ただのふとした楽しい思いつきです。
ところが、
「ピラミッドを完成させなければならん!」
これは、恐れと不安からくる、心理的に病的な状態です。
完成、という結果を得るために、盲目になっていきます。
手段は問わない、とにかく完成させるんだ、となる。
結果、不安に駆られて叱り飛ばし、叱責したうえ、なんとか形になりますが、
よーく見ると、どの子もげんなりとした表情のピラミッド。
もうズレまくって終わりの状況。
それじゃ、教師が
「ピラミッド、完成させたいなあ!アハハ・・・」
と、ほんわかとした感じで言えばいいのかというと、ちがいます。
指導の方法が、大事なのじゃあないです。
その前に、やることがあります。
仲の良い、雰囲気のいい学級にしておくことです。
みんなの心のガソリンタンクが、満タンになっていることが条件です。
で、おもしろいことに。
ガソリンタンクが満タンだと、
気合を入れたら元気が出るし、
ピラミッドがあっという間に完成し、
うまくいかなくても、友達を責めないし、
協力できたことでみんなが自信をもつし、
支えてくれる友達への感謝も湧いてくるし、
見に来てほしい、と心から親に言うようになるし、
そこで初めて、『誇り』のようなものも生まれてきて、
見に来てくれた人たちへの感謝の気持ちも湧いてくるし、
運動会が終わったあと、勉強もがんがんやるようになるんですな。
「そこ!早くしろヤッ!!」と、怒声罵声で仕上げたピラミッド。
感謝もなく、自信もうすれ、「誇り」は生まれようも無く、
親に来てほしいとも思わず、運動会がおわると、
教師も子どもも、ずいぶん疲弊するんです。
だから、運動会のあと、教室が荒れます。
勉強も、やる気が出ません。
崩壊が始まります。
ジ・エンド。
このすごろく、そもそも、スタートがちがうんですよネ。
教師が、不安を持っていると、「先生の不安解消のためのコース」を選ぶことになり、最後は「学級崩壊」がゴールです。
教師に不安が無いと、「安心でたのしい運動会コース」を選ぶことになり、最後は笑顔の記念撮影、です。
ところが、不安が無い、というのが分からない先生もいます。
「不安を無くせったって、どうやったら無くせるのかわかりません」
と。
かんたんです。
まずは、子どもには心がある、ときっぱり思うこと。
つぎに、なにかにすがることをすっきりやめること。
そして、子どもをしっかりとみること。
この、
きっぱり!すっきり!しっかり!
3つのプロセスで、あなたの不安は
きれいさっぱり、
無くなります。
「曇りなき眼で見定め・・・」