困らない叱らない。新間草海(あらまそうかい)の教室日記

漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
転職を繰り返し、高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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束の間の春休みだ、ということで、家族会議を開き、

「たった一日だ。しかし、長距離ドライブも可」

というと、嫁さまも息子たちもみんな興奮し、

さしみ!魚!

とわめくので、富山へ行くことにした。




たちまち富山につくと、街の様子がおかしい。

なにがオカシイかというと、やたら看板がでかい。

これは、故郷の岡崎市をしのぐ大きさで、おそらく条例などがなく、

資本主義の自由気ままさによって、それぞれの店が
◎可能な限り、大きくしたい

◎可能な限り、目だちたい

◎資本主義は、目立ってナンボや!

という方針で、ただただ、ひたすらに自分の店の繁盛を願って看板のでかさを競い合った結果なのだと思う。


資本主義を楽しむには、半分狂気のようなものが必要だ。
テンションが高くない資本主義は悲惨。

われわれは、資本主義を選んだのだ。
看板もこのくらいテンションが高くないといけない。

大声で店の前で叫び、ゆるキャラがダンスするくらいでないと。
また、空の上からはセスナ機が叫びまわるくらいでないと。

そうでなければ、資本主義は楽しくない!



しかし、看板をでかくする、ということが

かならずしも、売り上げの向上には、むすびつかないことがわかって、

ちょっとばかり、疲れてしまったように見える。


疲れる前は、町の中にどんどんとでかい看板が立ち始め、それを見ながら

「やるな、ムムム!」

とお互いに切磋琢磨する気分というのは、なかなかに面白かったろう、と想像される。

どんな計画も、思いついて、実行に及ぶ、初期の活動の盛り上がりというものがある。



さて、


とびきり極上の看板がならぶなか、これが一番や!と息子が太鼓判をおして推薦したのが、これ。この看板。

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なんだかカレーを売ってるのだか、ゴリラを売ってるのだか迷う。

店内に入ると、これまた、そこかしこに見える、ゴリラマーク!!

ゴリラで、ゴーゴー!!

の嵐でありました。



こういうふうに「富山・看板さがしの旅」を終えたわけですが、やってみて息子の感想は、

「たまにはこんな刺激も欲しい」

ということでした。

つまり、ふるさと岡崎市は、刺激が少ないそうです。


「でも、たまに、でいいけどネ」

ふいに黙ってしまって、岡崎市会議員にでも立候補して、岡崎を刺激的な街へと変貌させるのが親の役目だろうか、と考え始めたわたしの横顔をみながら、やさしい息子はあわてて、そう補足したのでありました。


下は、通常の電柱の高さをはるかに超え、競い合って空中高くにそびえ、伸びていこうとする看板たち。もちろん、ゴーゴーゴリラの看板は、3階建てのビルに匹敵するくらい、超特大であります。

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