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日本昔話には、おむすびころりん、というまことにSFチックな怪異譚がある。

ある爺さまが、偶然におむすびを穴に落としてしまい、追っかけているうちに地中のねずみの館につき、あれやこれやとしているうちに最後には大判小判を手に入れる。
ところが、その話をきいて、
「じゃ、おれも」
と思うのが、隣人の爺さまだ。

しかし、隣の爺さまは、同じようにおむすびを穴に落とし、同じように追っかけて、同じように地中のねずみの館につき、同じようなことをしているのにも関わらず、うまくいかない。

このようなことが、世の中にはまことに多い。
なぜそうなるのか、しばらく考えていればまことに理にかなったことだと分かってくるだろう。
昔から伝わるこの話が、人生の妙味をまことに如実に示していると思わずにいられない。

おむすび


問題

A先生は、授業が始まる時間に子どもたちが席につかないので、いつも時間を守って始めようと子どもたちに話をしていました。すると、だんだんと子どもたちは、自分から時間になると席に着くようになりました。

隣のクラスのB先生が、その話を聞いていました。
B先生は、ようし、おれもそうしてやろう、と思いました。

そして、授業が始まる時間になって子どもたちが席に着かないので、いつも時間を守って始めるべきだと子どもたちに話をしました。しかし、子どもたちはまったく席に着かないどころか、クラスは崩壊してしまいました。




なぜ、そうなるのか。

隣のクラスを見てたからだ、ね。

ずっとゴールを見つづけたのろまな亀がゴールイン(成功)し、となりの亀の姿ばかり見ているうさぎは失敗する、というのが世の習い。

教師は、目の前の、子どもを観なきゃ、ね。

隣のクラスをみて、いいな、なんて、思う。

その、「いいな」が、すでにオカシイ。

何を見て?

何が 「良い」の?

見ているもの、判断しているのは、外見の形だけ?




席につきたいと思う子になり、席につこう、と思う子になれば、解決する。

そうならないのに、

なんで、うちのクラスは、席につかんのだ!

と怒る。


まさに、隣の爺さま、というわけ。

目的から、目をそらすな!