いま、教室で、子どもたちとまったりと、卒業前の、なんともいえない幸福なひと時を過ごしている。
「なんで、けんかするのだろうか、なんで、つらくなるんだろうか、なんで不幸になるんだろうか」
この1年を振り返りながら、何度も何度も、こういったことを子どもたちと考えている。
すると、人を憎む、とか、嫌う、とか、攻撃するとかの、【自分以外のどこかへ不安をぶつけようとする心理】が、どうにも不思議に思えてくることがある。
最近。
それは、もしかしたら、特別な心理状態によるもの、というよりも、ある種の「脳の働き」というべき、ごくふつうの、だれにでもある、普遍的なもののような気がしてきていた。
そして、本日未明。
まだほの暗い、強風のふきすさぶ夜明けの淡い光の中で、わたしの脳は、新しい言葉を生み出した。
それが、
「ヘイト脳(強迫ヘイト症候群)」
という言葉だ!!
「ヘイト脳」
これは、自分の身に感じられる『つらさ』を持った瞬間、つらさから逃れようとして慌てて、ラグビーのように他者へ向けて『つらさ』をパスしようとする脳の働き。別名、「保身脳」とも。
自身の持つ不安が高じ、自身の中で強迫的に他者をヘイトせずにいられなくなる心理。
これ、だれにでもある。
ヘイトするのは、仕方がない。
子どもが泣くのと同じだ。
大人だって、泣きたくなることがある。
大人は、ワンワンなくことができない。
だから、ヘイトしようとする。
だれだって、そうなる。
それを、
「ヘイト」は禁止!
なんていうから、おかしくなる。
そうではない。
ヘイトとは、泣きながら、苦しみながら、するものだ。
狂おしいほどの自閉的、孤独感、閉塞感があるからこそ、ヘイトを叫ぶのだ。
ヘイトするものの、心中の苦しみを、
「助けて!」という、慈悲を求めて止まない心を、
われわれは、
ヘイトの姿勢の中に、打ち震える声の響きに、見つけようとしなければ。
幸福になることは単純だ。
みんなで、ヘイトのからくりを理解することだ。
人間は、理解すれば、ヘイトから「さよなら」するよ。
大丈夫。案外、賢いもの。
「なんで、けんかするのだろうか、なんで、つらくなるんだろうか、なんで不幸になるんだろうか」
この1年を振り返りながら、何度も何度も、こういったことを子どもたちと考えている。
すると、人を憎む、とか、嫌う、とか、攻撃するとかの、【自分以外のどこかへ不安をぶつけようとする心理】が、どうにも不思議に思えてくることがある。
最近。
それは、もしかしたら、特別な心理状態によるもの、というよりも、ある種の「脳の働き」というべき、ごくふつうの、だれにでもある、普遍的なもののような気がしてきていた。
そして、本日未明。
まだほの暗い、強風のふきすさぶ夜明けの淡い光の中で、わたしの脳は、新しい言葉を生み出した。
それが、
「ヘイト脳(強迫ヘイト症候群)」
という言葉だ!!
「ヘイト脳」
これは、自分の身に感じられる『つらさ』を持った瞬間、つらさから逃れようとして慌てて、ラグビーのように他者へ向けて『つらさ』をパスしようとする脳の働き。別名、「保身脳」とも。
自身の持つ不安が高じ、自身の中で強迫的に他者をヘイトせずにいられなくなる心理。
これ、だれにでもある。
ヘイトするのは、仕方がない。
子どもが泣くのと同じだ。
大人だって、泣きたくなることがある。
大人は、ワンワンなくことができない。
だから、ヘイトしようとする。
だれだって、そうなる。
それを、
「ヘイト」は禁止!
なんていうから、おかしくなる。
そうではない。
ヘイトとは、泣きながら、苦しみながら、するものだ。
狂おしいほどの自閉的、孤独感、閉塞感があるからこそ、ヘイトを叫ぶのだ。
ヘイトするものの、心中の苦しみを、
「助けて!」という、慈悲を求めて止まない心を、
われわれは、
ヘイトの姿勢の中に、打ち震える声の響きに、見つけようとしなければ。
幸福になることは単純だ。
みんなで、ヘイトのからくりを理解することだ。
人間は、理解すれば、ヘイトから「さよなら」するよ。
大丈夫。案外、賢いもの。