.
校長先生が、
「親の批判はこの仕事にはつきもの、と思って下さい」
と、職員会議でおっしゃった。
これは、勤務校で保護者からの批判があり、対応に苦慮したものをなぐさめるためにおっしゃったのではない。
そうではなく、最近、保護者から、何も批判めいたことがないから、であった。
校長先生のお気持ちからすると、
「先生たち、自主規制をしていませんか?」
というのだ。
きっかけは、職員室でのなにげない会話。
あるクラスの学習発表会で、子どもたちが理科の実験をしてみたい、と言った。
教室で、線香に火をつけ、空き缶の中のアルコールを軽く爆発させる実験だ。
気体のアルコールに火を近づけると、空気中の酸素と反応して爆発。この爆発を利用して紙コップを勢いよく飛ばしたい、ということになった。
これを、ある先生がたしなめて、
「学習発表会は、大人の人もたくさん見に来るでしょう。教室は理科室とは違うし、火をつかう実験はあぶないからやめましょう」
とやめさせた。
このことを伝え聞いた校長先生が、
「自主規制しすぎると、子どもの活動がのびのびしなくなるのでは?」
と、前述の発言になったのだ。
わたしも、そう思う。
たのしいことを規制し、できなくすれば、逆に子どもたちは問題を起こしやすくなる。
先生たちが保護者の批判を気にして自己規制を強め、避けようとすればするほど、子どもたちの不満がたまり、かえってそのことから児童への対応を問題視されるようになる、ということがあるように思う。
子どもが火を使う、といえば、それを安全に使えるようにしてやり、過剰な批判があっても自分が頭を下げていこう、というくらいの肚でいれば、子どもたちはうんと安心して、守ってくれ、実験を許可してくれた担任を頼るようになるのではないか、と思う。
まあ、校長先生の言う通り、だネ。
「批判は甘んじて受けよ」である。
批判を避けることのロスよりも、子どもが思い切りやることの方に価値がある。
(きっと、子どもは分かっているよ。誰が味方なのか・・・)
校長先生が、
「親の批判はこの仕事にはつきもの、と思って下さい」
と、職員会議でおっしゃった。
これは、勤務校で保護者からの批判があり、対応に苦慮したものをなぐさめるためにおっしゃったのではない。
そうではなく、最近、保護者から、何も批判めいたことがないから、であった。
校長先生のお気持ちからすると、
「先生たち、自主規制をしていませんか?」
というのだ。
きっかけは、職員室でのなにげない会話。
あるクラスの学習発表会で、子どもたちが理科の実験をしてみたい、と言った。
教室で、線香に火をつけ、空き缶の中のアルコールを軽く爆発させる実験だ。
気体のアルコールに火を近づけると、空気中の酸素と反応して爆発。この爆発を利用して紙コップを勢いよく飛ばしたい、ということになった。
これを、ある先生がたしなめて、
「学習発表会は、大人の人もたくさん見に来るでしょう。教室は理科室とは違うし、火をつかう実験はあぶないからやめましょう」
とやめさせた。
このことを伝え聞いた校長先生が、
「自主規制しすぎると、子どもの活動がのびのびしなくなるのでは?」
と、前述の発言になったのだ。
わたしも、そう思う。
たのしいことを規制し、できなくすれば、逆に子どもたちは問題を起こしやすくなる。
先生たちが保護者の批判を気にして自己規制を強め、避けようとすればするほど、子どもたちの不満がたまり、かえってそのことから児童への対応を問題視されるようになる、ということがあるように思う。
子どもが火を使う、といえば、それを安全に使えるようにしてやり、過剰な批判があっても自分が頭を下げていこう、というくらいの肚でいれば、子どもたちはうんと安心して、守ってくれ、実験を許可してくれた担任を頼るようになるのではないか、と思う。
まあ、校長先生の言う通り、だネ。
「批判は甘んじて受けよ」である。
批判を避けることのロスよりも、子どもが思い切りやることの方に価値がある。
(きっと、子どもは分かっているよ。誰が味方なのか・・・)