新間草海の!!自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「困らない」生き方とは。
高卒資格のまま小学校の教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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8月15日。
終戦記念日。
日本で暮らしていると、夏は戦争のことを考えることになる。

水木しげるの漫画で、いわゆる戦争を描いた作品群がある。
若い上官が「突撃!」と言いながら大勢の兵隊と共に死んでいくレイテ島の作品を見ると、こんな現実があったらすぐに卒倒して、戦う前に俺は死んでしまうな、と思う。
大体、銃を持たされたら、それだけですぐに卒倒してしまうだろう。

昨夜、なぜだか寝付けず、深夜になって、録画してあった、「日本で一番長い日」を見てしまった。
これは、昭和天皇や閣僚たちが降伏を決定した8月14日の正午からの宮城事件を描いた作品だ。
正確にはその後、国民に対してラジオの玉音放送を通じ、ポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

ここに、陸軍少佐の畑中健二、という人物が出てくる。
最後、ピストル自殺をしてしまう。

観終わったあと、畑中健二の不幸は何だったのだろうか、とあれこれと考えた。
あれこれを考えながら、つい書棚の「野火(大岡 昇平)」を見たり、水木しげるの「総員玉砕せよ!」とか「劇画ヒットラー」とかを手に取ったりした。

時計を見ると、もうすでに午前3時。見終わった興奮からか、まったく眠れない。

そして、この畑中さんの不幸とは、人を動かそうとしたことだろう、と考えた。
将校、という立場になり、人を動かそうとしてしまった。
人に指図したり、その場を仕切ったり、自分を通そうとしてしまった。
究極には、森 赳さんを殺してしまう。

なぜ、畑中さんは、人を動かそうとしたのだろうか。
それはたぶん、「将校」という気分がそうさせたのではないだろうか。
将校である自分が、人を動かすことができる、という幻想。

大岡昇平の「野火」には、結核にかかった田村一等兵が出てくる。
食料もほとんどなく、もうろうとしたままレイテ島をさまよう田村。
田村も戦争で苦しんだ一人だが、田村は権力によって人から指図された側であった。

指図したり、指図されたり。
命令したり、命令をされたり。
その場を仕切ったり、仕切られたり。
それが、『戦争』をめぐる、人間の行動のパターンである。


しかし、このパターンに当てはまらない人もいる。
水木しげるは、上等兵から、
「お前はいちばん言うことをきかんやつだ」
と言われていたらしいが、水木本人はちっともそう思っておらず、
ただ目に映るものが面白かったり、毎日の日々の暮らしに興味がありすぎたりして、上からの命令がよく把握できなかったのだろう、と自分で書いている。

人から指図される、という気分がないから、もちろん人に対して自分から指図する、という風にも思わないのだろう。
水木しげるとよく似た経験の持ち主に、フランスの作家、アルフォンス・アレー(Alphonse Allais)がいる。
アレーもまた、指図されることがなかった。
上官が号令を出しても、きょとんとした顔で上官を穴のあくほど見つめるだけで、どうしても軍靴をそろえるタイミングがずれる。ほとほと上官もあきらめて、アレーが軍靴をはかずに整列しても許したほか、最後には何をしていても、自由にさせたらしい。

水木しげるも、南方に着いたらさっそく絵を描いたそうだ。
上官から
「島に上陸してすぐに絵を描き始めたやつなど、見たことがない」
と言われたが、それが遠回しにヤメロと言われたとはまったく思わず、
「そうでありますか」
と言い、そのまま描きつづけたので、上官はもうあきらめた、という話もある。

わたしは「日本でいちばん長い日」の畑中少佐と、「野火」の田村一等兵を比較するつもりだった。
戦争遂行の作戦を練る側の畑中少佐と、その作戦を受けて、一兵隊として行動する田村。
しかし、実は、それらは同じ部類であった。

『戦争』を客観的にみられるのは、水木やアレの気分からだろうと思う。
水木やアレを、真に理解する文化が、本当の意味で「戦争の本質を把握する」ということになると思う。
いや、戦争の、ではなく、人間の、かも。

人は、人に命令をすることで生きるものなのか。
人は、人から命令を受けることで生きるものか。
というよりも、そもそも、人に対して命令なんてできるのか、命令を受けるなんてこと、できるのか。

1年生のTくんを思い出す。
「先生のイウコトを聞きましょう」
なんてこと、Tくんにはなにもなかった。

大声をからしてTくんに、
「席に着きなさい!」
と怒鳴っても、〇〇しないと、〇〇するよ!と脅しても、まるで効果なし。

ほら。
人に命令するなんてこと、あるいは命令されるなんてこと、本来はできないのですよネ。
あるドグマで人を支配しようと、人権無視の暴力に訴えるような脅迫的な教育を施すからこそ、その結果として、「命令をきくのが良い」と思う人が育つわけで。

シン・ゴジラも、水木しげるのような人が描写されてほしかった。
畑中タイプと田村タイプばかりで、それ以外の人が出てこない。
人間ってもっとやわらかいものだと思うネ。
もし本当にゴジラが来たとしたら、官僚の対処、民間人の右往左往、というだけでない人間のあり様が出てくるでしょうね。たとえば、ゴジラを祀る人とか、出てきそうだ。
大和民族は、ヤマタノオロチさえ祀っているからネ。
そういう描写があれば、リアリティがさらにぐっと増したでしょうナ。


しげる




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