元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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さて、先週の社会の授業。

めあては、「憲法の3つの柱を確認しよう」


〇国民主権
〇基本的人権の尊重
〇平和主義


現憲法の平和を希求する、とはどういうことか。

議論がとまりません。
白熱しました。
なぜかというと、2派に分かれたからです。

一つは、

中国(などの他の国)の人と、話し合うことができる、というポジティブ派。

もう一つは、

中国(などの他の国)の人とは、話し合うことができない、というネガティブ派。


ポジティブ、ネガティブ、というのは、いったい何に関して言うのかというと、

人とは分かり合えるもの

という点の姿勢について、であります。

つまりこれをまとめてみると、
うちのクラスは、


「ひと肯定派」



「ひと恐怖派」


の2派に分かれたことになる。




この溝が深すぎて、これは超えられない、という意見が出たのは、

「ひと恐怖派」

からでありました。

溝が深い、と感じている割合が高いのは、恐怖派の方に多く、
肯定派はそれほど溝を感じていない。
(つまり、説得できる、もしくは、恐怖派とも分かり合えると思ってる)


ただし、討論中において、ほぼ主張に力のあったのは、実は

「恐怖派」

の方でありました。

歯切れがよく、主張に一貫性があり、

〇恐怖は存在する
〇その恐怖から、くにを守らなければならない
〇だから、軍備が必要だ


という3段論法で、常に語り掛けていたので、同じ「恐怖派」の結束は固かったです。

で、その力強い主張に、どうやって答えていいものか、と迷いが見られたのが、「肯定派」でした。
きちんと、自分たちの意見を主張できない感じがありました。

とくに、

「だって、攻められたらどうするの?」

ということについて、どうやって答えたらいいのか、と迷いがある。

しかし、軍備を持つことについて、なんだか

生理的に

受け付けないのであります。
だから、こちらも意見を簡単には変えない。

もうひと押し、ということで、「恐怖派」から

「では意見を変えてはどうですか」

と畳みかけたけど、

「いや・・・まだ変えません」

と言っていた。表情は苦しそうに。



わたしはここまでの話し合いになると思っていないから、もうこの学習はこれでいいと思うし、
憲法ってなんだろう、ということの<学習のめあて>は達成しているので、これで終わりにする。
憲法の3つの柱、平和憲法とは何か、ということの学習はこれでいいだろう、と思う。


で、思ったのは、

「なんで、人は、不安になるのだろうか」
「なぜ恐怖を感じたら自分を守ろうと考えるのだろうか」
「なぜ自分を守るために他を攻撃する、と考えるのだろうか?」


ということ。

そもそも、恐怖・不安とは何か、ということについての、つっこんだ思考はできていない、ということ。

それをしないでおいて、いきなり『平和』を考えても、理屈のこねあいになるだけだ、と実感しました。

軍隊を整備しないことの不安
銃をもたないことの不安
攻撃しないことへの不安
自分が強いというイメージを持てないことへの不安
「お前は弱い」と言われることの不安


こういうこと、つまりは、<恐怖・不安の正体>について考えていかないと、
『平和』のことだって
まともには考えられないと思うね。




「〇〇をしないと不安」になるのはなぜ?

いったい、何から何を、守ろうとするの?

〇〇をしないと不安、という人は、
〇〇をすれば、幸福になれるの?



↑ これを、つっこんで、考えないと。

まっちょ
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