.
道徳の授業をやっているうちに、『嫉妬』がテーマになりました。

すると正直な子が、だれにも見せない約束で

「わたしは〇〇さんに嫉妬している」

と日記に書いてきたのです。

嫉妬のあまり、時おり、苦しくて心の中で〇〇さんをいじめる、というのです。



胸のつかえがとれるといいな、と思いますが、その「胸のつかえ」そのものを今度はテーマにして

「どうして苦しくなって」
「どうして胸がつかえるのか」


を、順々にひもといていかねばならない。



心が自由でなくなっていることを自覚できる、いちばんの体験を、今の彼女はしている。



人工知能というのが話題になっていて、囲碁や将棋でも、次々と力をみせつけている。
今度はあの、羽生名人が戦うらしい。

人工知能は、こういうことを、考えるのだろうか?


「人間の心は、なぜ、こうなっているんだろう?」



どうだろう。
機械が、自分自身の構造を、なぜか、と問うことができるのだろうか。
そうは思えない。

自らが、どうしてそうなっているのだろう、
どうしてそう、成り立っているのだろう、と
考えることは、おそらく、人工知能には無理だ。

だから、この問いを考えることは、思うに、ものすごく人間的な行為なのだろう。

うらやましいと思う⇒ 相手がそうならなければいいのに、と思う⇒ すると

⇒ なぜか心が痛くなる ⇒ なんでだろう?

こんなことばかり、学級ではよく考えている。


1