元エンジニア・新間先生の自問自答ブログ

転職を繰り返し、漂流する人生からつかんだ「天職」と「困らない」生き方。
高卒資格のまま愛知の小学校教員になった筆者のスナイパー的学校日記。
『叱らない で、子どもに伝え、通じ合う、子育て』を標榜し、一人の人間として「素(す)」にもどり、素でいられる大人たちと共に、ありのままでいられる子どもたちを育てたいと願っています。
生活の中の、ほんのちょっとした入り口を見つけだし、そして、そこから、決して見失うことのない、本当に願っている社会をつくりだそう、とするものです。
新間草海(あらまそうかい)

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というパラドックスが、ある。

つまり、授業がするする進んでしまうのは、大人⇒子ども という一方通行の講義になってしまっている場合があるからだ。

肝心なのは、子どもたちの思考。

考える、ということ。

思考を、うながす。


さまざまなことをつきあわせて、調べながら、確かめながら、考えていく、という熟考の体験こそが、今、PISAをはじめとした国際的な学力体系の中で、必要とされているのだ。

このことに今さら異を唱える時代遅れの教育者は、いないと思われる。
A、だからBだ。という、丸暗記型の定量学力は、すでに21世紀の今日、重要視されていないのだ。
だれだって調べたらわかることを、わざわざ暗記することに力を注ぐのではない。
今必要なのは、迂闊さのない思考力、柔軟な訂正能力、そして公正な判断力、である。

つまり、自ら問いを見つけ、課題の解決に取り組む積極的な姿勢を育もう、というのが、今の文科省のねがう教育なのです。

さまざまなデータがないのか、そのデータは間違っていないのか、データの矛盾はないか、データがそうだからといって、一つの結論が出せるのか。とりあえず考えられるアプローチはなにか、別角度からのさらに効果的なアプローチはないのか、など、柔軟に思考できる人間の育成が、文科省の期待する人間像、というわけ。

すると、文科省的には、

「授業を進めたい」

のだけれど、

「するするとスムーズに進むのはよくない」

ということになる。

あっちへぶつかり、こっちへぶつかり、クラス中の全員が、ああでもない、こうでもない、とあれこれと考えていき、今のところ、こうかな、と考えていく体験こそが大事なのだから、

「スムーズさよりも、あっちこっちのぶつかり具合こそが大事」

ということになろう。

つまり、

個々の授業は渋滞して遅々として進まない方が良い

だけど、思考力が鍛えられるゆえ、子どもたちが

次から次へとあらゆる課題に意欲的になる結果、

全体には、がんがんと進んでいけるのが良い


のであります。



ただ一点。

この教育は、親との折り合いをどこかでつけなくてはいけない、という宿命を背負う。

親は、

なんでもかんでも、スルスルと、そうめんを流し込むように覚えてほしい

と思っている場合があるからね。

ま、「スピード感があり」「威勢が良く」「見かけがスマート」というのは、なんとなしに、怪しいかもしれない、ということですヨ・・・。

氷
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